ぬくめ鳥
【4904文字】
『ぬくめ鳥』をお題にいくつか書いてみたんですけれども、これはその中でも悲恋ものですかね。先日こちらでも結構な雪が降りまして、積りはしないものの「そうそう、冬ってこうだったよなー」ってまた私の中にある昔からの冬の世界を思い出していました。で、こんな感じのあまりにも厳しい冬の寒さに見舞われて、なりふり構わず求めあってしまうような……そういう恋もまたジノザキには似合うのかな?なんて。
吐く息も白い寒空の下で、赤崎はジーノにこう言った。
「ああ、それって『ぬくめ鳥』のことですよね。俳句の季語だ」
すると、
「へぇ、そうなのかい?」
「先生が授業でちらっと」
ジーノの表情が春風に吹かれたようにふわりと綻んだ。
ぬくめ鳥とは寒い冬の日に捕まえた小鳥を使い、鷹が足を温める話だ。一晩そうして共に過ごして、役目が済んだ翌朝には食わずに放してやるという。
「小鳥とは別の方向に飛び去る……んだったかな?」
「ああ、世話になった小鳥を狩ってしまわぬように?」
「そうッス」
袖すり合うも他生の縁と、卒業に向けて教師の語った一説だった。暖房もない厳しい外界で、命を懸けて生きる生き物。何が命運を分けるかもわからぬものだと、赤崎は寒いこの時期になると、必ずこの話を思い出す。
*
「なるほど、『ぬくめ鳥』ね」
「……あ、その顔。もしかして今、女口説く時にネタとして使おうと思ったでしょう」
チクリと赤崎がジーノを腐せば、一体何の話やらと、素知らぬふりをして肩を竦める。そんな楽しげなジーノの姿に、赤崎の口から、思わずこんな言葉がこぼれ落ちた。
「……王子もこの話、好きなんですね」
「ん?ザッキーは嫌いなのかい?」
問い直されて我に返る。自分でも意味がわからないことを口走ったと、赤崎は口ごもりながら返事をする。
「あ、いや……嫌いってほどじゃ……ありませんけど」
「……けど?」
そんな赤崎の反応に興味を持ったのか、ジーノは飼い犬の顔をわざわざ覗きこむ。こういうところが厄介なのだと、赤崎はふいっとジーノから視線を逃がした。かかわり合いたくない心境だった。
「ぅわッ」
赤崎の逃げの姿勢を察知し、それを責めるかのようにジーノの冷たい指先が横向く赤崎の頬に触れたのだ。ビクリと身を震わせてそれを振り払った赤崎の様子もまた面白いのか、ジーノはクスクスと笑いながらこう言った。
「何もそんなに嫌がらなくても」
苦虫を噛み潰すような表情で睨みつけても、ジーノは動じもせずにさらに問うた。
「……『ぬくめ鳥』の話、嫌いかい?」
「……」
「ふむ。君からしてみれば一夜の恩義を忘れる鷹の方が良かった……というわけかな。変に馴れ馴れしくされるのなんて、まっぴらゴメンだと」
からかい半分で自らを鷹、飼い犬を小鳥と揶揄するジーノに、赤崎は思わず頬を赤く染める。
「そういうことじゃ……まぁ、別にどうでもいいッス」
ジーノが触れた箇所がジンジンする。それに心かき乱されて、また変なことを口走りそうになる。赤崎は自分が苛立っていることに気が付いたので、なんとか言葉を濁らせつつこの場から立ち去ろうと踵を返した。
「待ってよ、ザッキー」
こんなにも逃げ出したい思いの中でも、呼び止められれば立ち竦む。その光景はまさに鷹と小鳥で、赤崎は猛禽類の爪に似たジーノの両の腕の獰猛で、あまりにもやすやすと捕らえられてしまう。
「変な子だねぇ……何がそんなに気に喰わないんだか」
背後から甘声で囁く鷹の色香は、小鳥の抵抗する気力すら奪い去っていく。
「ねぇ、わからないよ。説明してくれないと」
赤崎は、一夜ですっかり何もかもを握られてしまった哀れな小鳥の心を思う。
(あんたは本当に残酷な人だ。わかっていてなお、それを問う)
こうして再び身も心も鷹の前では愚かに竦み、けれども気軽に赤崎は真意をさえずれない。
(ああ、胸が苦しくて息が出来ない……やめてくれ、そんな風に軽々しく抱き寄せたりしたら俺はまた)
じりじりと力のこもるジーノの抱擁の中で、次の晩もともに過ごす小鳥と鷹の逢瀬を夢見てしまう。けれども特有の強靭な理性が、それに酔い痴れることを許さなかった。奇跡はまれであるからこそ奇跡たりうることを理解していた。悲しくなるくらい、わかっていた。だから恋歌のかわりに小鳥は、赤崎は、力なくさえずる。
「王子、鷹は鷹なだけで悪ではない。けれど小鳥にはその存在性自体が死神みたいなものなんですよ」
切々と、精一杯の、しかしあまりにも消え入るような声。
「結論として生かそうが殺そうが関係ありません。ただひたすら、小鳥にとっては敵でしかないんです。俺はただ小鳥が憐れに思うし、いい話だなんてそんな風にはとても」
憐れな小鳥の姿を、完全に死に体となってしまった今の自分にどうしても重ねてしまう。
「一方的に爪に捕らわれ、同意もないまま恐怖の一夜で。鷹が心で何をどう思おうと、小鳥はその夜を境に、ずっと絶望の中にいるんじゃないですかね」
ジーノと過ごしたあの夜以降、赤崎は全身に呪いを受けた。ただただ鷹思う己の激情が、渦巻くばかりの煩悶の日々。
「小鳥は必死に逃げ回るんです。鷹がとっくにどこかに行ってしまっても、いつ死神が襲ってくるかもわからない恐怖に包まれ、ずっと地獄の中にいる」
実際には逃げ回るどころか枝木で鷹を待ち続ける小鳥。鷹はすでに遥か遠い空でも、命を賭してまでもと、再会を夢見る悲しい鳥。
「鷹が優しい?ハッ、まさか」
そう言っては、ゆっくりと絡みついたジーノの腕を剥がしにかかる。簡単に解けていく腕の束縛になお、赤崎の心は悲痛に揺れる。
「王子、鷹の自己満足なんて小鳥にはわかるはずもないんです。そう思いませんか?」
「……」
「だから、俺は『ぬくめ鳥』の話は、そんなにいい話だとは」
そうして赤崎は口をつぐんだ。振り向くことも出来ないままに。
*
「ザッキー」
「もう、行っていいッスか?」
何かを言いかけたジーノを遮るように、赤崎は静かにこう言った。
「駄目だよ、まだ話が終わっていないもの」
「終わってないって、終わりましたよ」
「終わっていないよ。だって、まだわからない。君が一体何を僕に言いたいのか」
「何って、だから『ぬくめ鳥』の」
「それはもうどうでもいい」
「どうでもって……本当にその理不尽な性格どうにかした方がいいですよ?」
そうして赤崎は思わず振り向いて言った。反射的にそうしたことを後悔した。何もかもを見透かすようなあの意味深な瞳が、再び己を拘束したからだ。
「君はあの夜のことをそんな風に考えていたのかい?」
視線を逸らすことも、立ち去ることも、息をすることすら憚られる静寂。
「ただ、君を傷付けただけの僕であったと?」
息を吸って吐くことがとても困難に思えた。必死でそれをこなすだけで頭の中が真っ白になった。そうして、あの夜の甘美の全ての記憶が、徐々に呼び覚まされていくこととなった。
「ねぇ、今の君のこの従順ですら、恐怖に縛られたがゆえの産物だというのかい?」
鷹は赤崎に問うていた。従順なあの夜もまた、お前にとってはただの悪夢であったのかと。
(……)
記憶の中。這いまわる冷たい指先はやがて熱くなって、その頃には凍り付いていた体がすっかり緩んでいた。抉られながら見つめあったあの夜、想定外の快楽とともに深く刻まれたのは、まさに悪夢のような切なる願い。
「返事がないのは、YESということ?」
「……」
「ザッキー」
無理矢理嘔吐させられるかのような、強いられる問い。鋭い爪が今にも心臓に達して命が果てる。小鳥の命運のすべてを手にする鷹。
「……それ以外のどういう返事があるっていうんですか?今の話の流れで」
それはまたひとつの真実であって、吐露させられた小鳥は覚悟を決める。
「当たり前でしょう?あれから俺は最低な世界の中にいる」
いっそ引き裂け、終わりにしたい。羽毛に血が滲む様子を思い浮かべる赤崎の心は、凍り付きながらも凪いでいた。
*
「狡いよ、それはとても狡いやり方だ。自分でもちゃんとわかっているのだよね?」
食い込んでいたはずの爪先が緩んでいく。鷹の獰猛は今日もこの身を引き裂きはしない。だから。
「何がですか?」
更なる苦しみを負う赤崎は自らが猛禽の思いでジーノに立ち向かう。
「鷹は鷹で、小鳥は小鳥で、あるのは食物連鎖のシンプルな世界だ。だから王子、俺の言っていることのほうがあんたの偽善よりも100倍正しい」
助けを乞うように小さな爪を、小さなくちばしをジーノに突き立てる。
「目を覚ましてもらえますかね。あんたの自己満足のために生きている俺じゃないんで」
「別に僕は眠っているつもりはないよ」
「現に、今そうして現実から目を逸らしているじゃないですか」
痛くもなく、痒くもなく。ただ、悲しげなままにジーノは、鷹は。
「わからないふりを決め込んで、俺をこんなにも苦しめてるじゃないですか」
「……」
「それなのに、そうして……自分こそが苦しめられているかのような顔をして……狡いのはあんたのほうじゃないですか」
いつでも飛び去ってかまわないほど、なんら束縛のない中で赤崎は。
「いかにも申し訳ないような表情を浮かべて……俺を解放してくれないじゃないですか」
「……」
「王子、俺、本当に苦しいんですよ……マジで」
ゆっくり、ゆっくりと。
「苦しい、王子……」
近づく距離。
「どうして、こんな……」
まるで、傷付けまいと細心の注意を払うが如く。
「狡くて、傲慢で……あんたは自分のことしか考えていない。狡いのは、狡いのは、俺じゃない。あんただ」
ただ触れるだけの、そんなキスだった。
「うん、そうだね」
解けていく唇。
「あんたは、卑怯だ」
「ん……そうだね」
冷えた唇はわずかに荒れて、ささくれのようにジーノの唇を刺激した。小さい小さいか弱い小鳥の、精一杯の、小さな刺激。
(違う、狡いのは……俺だ……わかってる)
*
赤崎は薄暗いベッドルームで顔を隠すようにうつ伏せて、ジーノと顔を合わせないように努めていた。
「ザッキー、僕はただ君を苦しめるだけの存在だね。確かに僕には獰猛な爪とくちばししかなくて、君には恐怖であり、地獄であり、絶望でしかない」
そんな赤崎の様子をそのままに、ジーノは淡々と呟いた。
「そう、ちゃんと理解をしているよ。寄ると触ると君をただ傷つけるばかりの自分のことを」
絡むほどの長さもない赤崎の髪を、指先で弄びながら言う。
「でも……もう僕はぬくもりを……あの日、君を一度手に入れてしまったから」
髪の流れに逆らうように撫でて、それを整えるようにさらに梳く。
「ごめんよ?君は今日もまたそれを奪われ、不幸になって……そうしてただ震えて耐えている」
束縛の腕にその身を委ねるこの幸せを、奪われる不幸とジーノは言った。
「しょせん、鷹は鷹でしかなく、小鳥は小鳥でしかない。鷹は小鳥を狩らなければ死んでしまうし、小鳥も天敵への恐怖を忘れれば即絶命する。結局『ぬくめ鳥』は君の言う通り……いい話でもなんでもない、ただ残酷なだけの……」
ぴったりと体を寄せて獲物を捉えて、苦痛と快楽に呻くばかりの赤崎に言う。
「ザッキー、そうだよ。僕は君の絶望そのもの」
「……ッ」
「あまりに無力なかわいいザッキー。君をどう愛すればいいのかなんて、僕には全然わからない」
(違う、……俺だ……王子、俺が……)
*
パタンと扉の閉まる音がして、気配が消えたことを確認してなお、赤崎は起き上がることが出来なかった。
「違う、狡いのは……俺だ……わかってる。本当だ」
つかの間のぬくもりはすでにその肌を去って、行為の前よりも寒さを厳しく感じさせる。
「わけのわからねぇことばっかり言って、自分ばっかりが傷ついているようなふりをして……そうしてあんたを傷つけている」
鷹は逃げるものをこそよりよく追う、その性質を深く小鳥は理解していた。だからこそ、これ見よがしに目の前を飛んで、無力を装い、鷹の気を引き。
「王子、鷹が小鳥を捕らえたんじゃない。俺が……あんたを」
あの夜もホテルの一室にひとり残され、今日もこうしてたったひとり。
「王子、王子、俺はあんたが……愛し方がわからないのは俺のほうだ」
枕を濡らす熱い涙も、簡単に不快な冷たさを宿す。
「どうしてこうなってしまうんだろう?……傷ばかりが増えていく」
冷たい指先は熱くなって、凍えた体は今日も解けて、何度も何度も名前を呼びあい、互いに愛を吐き出しあう夜。
「好きだ、王子。愛してる」
枕を抱え、体を竦ませ。
「俺たち一体どうすれば……?王子、俺にも全然わからねぇ……」
鷹と小鳥はある冬、ある晩、その身をも滅ぼすような恋の中に。あまりにも当たり前に互いを手に入れ、戸惑いは日を追うごとに増すばかり。
