訪れることのない、いつかを切に2
【3979文字】
少しずつ病んでいくザッキー。書いたまま放置していたのを少し整理してみようとしたのですが、なんだか全然勝手がわからなくなってしまっていて反対にぐちゃぐちゃになってしまったような
王子が不用意に獲物を目にしたとしても、涼やかに、なんともない顔をしている。それでも俺は感じてしまう。王子の本能の火の揺らめきという美しさは、ささやかながらもあまりに鮮烈だ。
そうしてやはり彼もまたそんな風な俺を、どうしようもなく敏感に察知するのだった。
「……ザッキー」
そんなことのあった夜には、そっと俺を引き寄せて、物思いにふけるようなキスをする。目移りしてしまったことに対する贖罪のそれが、俺の胸を締め上げる。言おうか言うまいかの迷いは一瞬、結局、無粋な言葉が口をつく。
「……別に責めてるわけじゃ……ねぇっス」
「そういう意味じゃないよ、ただ僕は」
「……」
「ただ……君を、君のことを」
王子は己の本能を忌み嫌う。覚られ、傷つき、疲弊して、浄化を求めて俺に触れる。
*
これが平和なのだと世界が言う。心で俺を愛する今が、真実の幸せと王子も言う。
*
「君だけなんだよ」
王子が言う。
「信じて欲しい」
耳元で囁く。
「疑ってなんか、いませんから」
俺はいつでも王子に言う。わざわざ優しい口調で言う。
「引き寄せられるのは自然の摂理ですし。別に気にしていませんから」
王子の顔が僅かに歪む。本当に傷がついたみたいに。
「仕方のないことですよ。だから怒ったりとか、そういうのは」
それは本当に、本当のことで、俺が憤るのは違う意味でだ。
(あの目で獲物を見るのが嫌なんじゃない。あの目が俺を見ないのが、俺には一番……)
悲しいのはつまり。
(万が一あの目が俺を見たとしても、その魅惑の半分もβな俺にはわからない事実が……)
*
王子のその目はいつでも優しかった。慈愛に満ちた理性の愛。静かで、穏やか、春風の恋。
*
心で体を繋ぎ合って、泣いてしまうほど満ち足りる今の幸せの最中で、ひっそりとどこかが餓えている。
(世界の熟成の成果である法律が俺達を番いと見なしてくれても、摂理はいつまでも俺達を引き裂く)
自分が何を強く否定するのか。それを俺は理解している。そして。
(多分……王子も……)
王子は己の本能を憎み、そして、俺のひた隠す怒りをその度に見抜く。誤解のある今のすれ違いはまだいいのだ。本質はもっと絶望かつ解決不能な問題であり、俺の抱えるこの悲憤を王子に気付かれるのが恐ろしかった。
*
「眠れませんか」
「……ごめんね。起こしてしまったかな」
俺を引き寄せて眠った、そんな夜更け。燃えて、燃え尽きて、なお燃え盛る。そんな尽きることのない彼の欲望。
*
今日、にこやかな表情で帰宅した王子だったが、その目には欲望の光が宿っていた。またか、と俺は理解した。毒気にあてられてしまった憤りを、今なおその身に纏っていたから。
「風呂湧いてますよ」
「ん、ありがとう」
穏やかな笑顔、物静かな足取り。いつも通りのその後ろ姿も、ベッドに入れば豹変する。
愛情をたっぷり込めたキスをされて、
「君だけだ」
と耳元で何度も囁かれる。本能の揺らぎに傷つく俺を察して、王子も同じに傷ついてしまう。そんな互いを舐めあうように、俺達二人はキスをする。
「好き、ザッキー」
繰り返し繰り返しキスを交わして、それでも王子はキスをする。どうやら浴びた毒がきつ過ぎたらしい。どうにも静まらない体に身悶え、申し訳なさそうに俺を乞う。
「ごめん……させてザッキー」
すでにたがが外れかけている王子の素顔が、ちらりほらりと顔を出す。もう俺の返事すら待てないで、震えるその手があまりにやすやす、シャツの内側に侵入を果たす。熱帯びる感触にゾクゾクして、返事のかわりに甘い溜息をついた。
*
王子は欲に狂った己を晒し、暴力的なほど激しく俺を抱いた。シーズン中では珍しいことだ。
「ごめん」
狂った目のまま謝り続けて、泣きそうな顔で本能に溺れた。猛るその姿も美しい。悲しいくらいに自我が崩れて、彼の本性が俺に服従を強いる。
(果たして無事帰ってこれたのか、それとも誘惑に引きずられたか……この様子じゃギリギリアウト寄りの未遂かな……)
王子からαとΩのめくるめく余韻のおこぼれを拾い、俺は深い快楽に酔っていた。罪悪に苦しむ王子を尻目に、愛撫を全身で堪能した。これは欲望であって愛ではない。追い詰め、締め上げる力の支配、王子の中に潜む狂気だった。本能にズタズタになっていく今の王子を、俺はまさにそれを甘受していた。
*
「王子。大丈夫ですから」
抱き潰されて失われた意識を取り戻しても、王子は延々謝っていた。宥めるように額にキスをしたら、ねっとりとした舌先が俺の首元を這う。その目はまだ本能に狂っていたのに、わかっていてわざとそれをやった。舐めて、甘噛みをして、また舐める。子どものように甘えるその仕草にも見えたが、αの猛々しい根源的習性だった。そう、あまりにも自然に本能のままに、俺をうつ伏せにしてまた首元を舐めた。王子はこの如何にも動物的行為を嫌っていたが、それでも俺はこれが好きだった。真似事でも、無意味でも。王子がΩでもない俺に服従を求める。この意味のなさにこそ、俺は強い意義を感じた。
(どうあっても番えない俺達の無様さを、笑いたい奴らは笑えばいい)
俺はこの王子の狂おしい愛が愛おしい。存分に互いを求めながら、餓える心がますます鮮明になる。終わりのない、ゴールのない、俺達の果てなき夜を、今日もまた怪しげに彩っていく。
*
「ザッキーごめんね、もう少しだけ」
狂った王子、俺の美しい人。こんな夜は俺もまた狂わされて、どれだけ与えられても欲しく感じた。精液とローションでぐしょぬれなそこから音がやまず、その卑猥さに体が震えている。
「ふ……う、ぁ……」
揺さぶりと噛む力が少しずつ増えて、どちらともつかない汗はしたたり、枕とシーツをしとらせていく。
「ああ、ザッキー……駄目、噛んじゃう……」
一瞬強く歯を立てながらも、必死に王子は甘噛みに変える。そうして衝動を宥めるように、執拗なほどそこに吸い付いてくる。身悶えながらも獣になり切れないそんな王子を、俺は憎くも愛おしくも感じる。
「う……、ん……、ザッキー、ねぇ、どうしよう駄目だ本気で噛んじゃいそう」
無防備なまでにこの身を預けるのは、気が済むまでどこまでも愛されたいからだ。
(王子、王子……いいんだ、噛んで……)
もう出るものも出ない体が昂ぶりを増して、弱々しいよがり声の隙間で心底願う。
(いっそ思いっきり食いちぎって王子)
実現すれば自らの暴走を深く悔いるだろう王子、それを知りながら喜ぶ俺の罪悪。
「……んっ、ザッキー、好き、ねぇ、好き」
行き交う思いのもどかしさが、後ろめたいまでの快感を呼ぶ。甘噛みされ吸い付かれて、その延々と続く代替えの愛に俺は深く深く溺れていく。歯形の代わりに刻印されるどす黒い痣は、俺達のかりそめの番いの証。キズ判ひとつでやすやすと隠れる、それでも、無意味でも、消えても、俺達の絆。
「お、……じ、……あ、俺また……」
俺は王子とのこのセックスが好きだ。欲に狂う出鱈目なそれが。セイフティセックスが基本の優しい王子が直接俺に欲を注ぐ、力づくで俺を手に入れるこの獰猛な刹那が。
「や……イ、イく……あぁっ、ああっ!」
熱く生々しいそれを遠慮なく再びぶち撒かれて、俺はぐしょぐしょな体をまた痙攣させる。達して、達して、まだ届かない。もっと、もっと、一つになりたいと更に餓える。
*
それでもこんなに執拗な夜は初めてで、目が覚めて惨憺たる状況に赤面する。室内の匂いは今なお赤裸々なほどで、抱き合う体がべたついている。王子の髪は寝乱れていて、力尽き果てたように眠っている。
(疲れてんなぁ、そりゃそうか……俺だって今日はヤベェかも)
狂わせたΩに嫉妬がないわけでもないが、それがなければこれほど狂ってはくれなかった。
(そう、それは事実。俺だけじゃ王子をこんな風には)
気付かれないように乱れた髪を整えてやると、くすぐったそうに体を震わせている。俺はこの時間が一番好きで、何故なら、目覚めた王子はことさら俺に優しく、労わり、そしてごめんと、きっと謝罪を繰り返すからだ。
(君を傷つけたくないのに、とかなんとか眉を寄せて、唇を寄せて抱き締めるんだ、きっと)
そうしてこわごわとこう願うだろう。
――お願い、ザッキーは僕で壊れないで?
臆病な、残酷な、俺だけの王子。純粋に、真摯に、傲慢に。条件ありきで、だからこそ俺を愛する狡い人。嬉しくも悲しいその愛に、何度も何度も踏みにじられる。そしてこの痛みがあってなお、いやこの刻まれるような痛みこそが。だから寝顔の王子にひっそりとうそぶく。
「ったく、無茶苦茶してくれるよ。どうせあんたは練習行く気ねぇんだろうけど」
βの恋は物語にもならない。ただ凡庸に、愚直なまでに、欲しいものを単に欲しがるだけだ。必死で隠したがる欲望と昂ぶりを、俺はただ単純に引き摺り出したい。本性を暴き、日の目に晒して、それに引き裂かれる憔悴の王子を、この我儘な愛で丸呑みしたい。
「……ん……」
寝ぼけた王子が甘えるように、俺の体を優しく包む。疲れた顔に微笑みが浮かび、そのことにほんのわずかな充足をおぼえる。労わりでなく優しさでなく、それでいて本能のそれでもなく、全てを失くした眠る王子が、無意識に俺を探し求める。
(この人を乱して暴いて壊して……そうして俺なしには生きられない、か弱い生き物にしてしまいたい)
物語にもならないこのさもしい貪欲さで、王子の束縛を欲望する。そこに罪を感じないではない。けれど餓えた心が醜い愛が、王子を求めてとまらなかった。愛しても愛しても満たされないから、俺こそがこの愛に狂っていた。
包み込む王子の腕があまりに嬉しくも心細くて、しがみつくように強く抱きしめた。くぐもった声が王子から漏れたが、昨晩の身悶える彼の淫らさを思わせ、今一度俺の体を熱くさせた。
もっと、もっと、欲しかった。
