お花結び

GIANTKILLING二次創作小説同人サイト

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鎖に繋がれて 7

ジノザキ、やっとおうちに帰ってきます。登場人物は王子、赤崎、持田の3人。一部ジノモチ的描写ございます。けど、じゃれてるだけでお話した通り単なる仲良しなお友達です。
モッチーがザッキーの事気に入って、親切半分、意地悪半分という感じであれこれと。ザッキーのヤキモチはそんなモッチーのあやふやなミスリード?にひっかかった形……のつもりです。

人形

 その時、赤崎はまるで別世界に入り込んでしまったかのような錯覚に見舞われていた。

 遮光カーテンがキッチリと閉められた暗い部屋。散乱する缶ビールとワインの空き瓶、袋を開けたままの安っぽいチーズやサラミの食べ散らかし。

 歪んだ空間、歪んだ時間。閉塞と静謐、不安と不穏。そしてなによりも強い、自堕落の中にある恐るべき切迫感。ここ最近のジーノの生活が一体どういうものであったのか、まさに一瞬にしてわかるというような光景だった。

    *  *  * 

 今日赤崎が持田に案内されてやってきたこの部屋は、何か大切なものを根底から踏み外しているようなムードのある場所だった。だが、奇妙なことに普通なら大きく崩れるはずのアンバランスが、こうであってしかるべきという妙にしっくりとくる退廃の中の調和さえ感じさせている。これは赤崎がジーノの家で必死に片づけた小さなあの綻びをそのまま放置し続けた延長上の未来。あの日無意識の中で恐怖した想像上の破綻の果てをそのまま増幅し実体化させた空間であった。

 だからこれを見た途端、当然赤崎に体の芯の芯を無情に冷やし凍り付かせるような負担とキンとした耳鳴りが襲った。ここだけまるで酸素濃度が違う。深呼吸してそれを補いたくとも、思わず飲んだ息がそのままナカナカ吐き出せない。

 乱れに乱れたベッドの上の物憂げな男は、その場だけ重力が違うと言いたげに深く沈み込むように横たわる。虚空をさまよう視線には一切の生気がなく、まるで石でできた人型の置物のようだった。自慢の黒髪は絡まりくちゃくちゃ、羽織っただけのシャツもしわくちゃ。生地の影に見え隠れする肌には赤黒い傷、暴力の痕跡?
 「Bella Figura.(美しい姿)」とはイタリア人における国民的な気質ともいえるもので、そもそもジーノはそういうものを非常に大切にしていた人物だった。いや、それどころか彼自身の行動指針の根幹、アイデンティティそのものであったと言ってもいい。極端に過ぎるとさえいえるあの美意識。品性、品格、言動、身なり。赤崎には目の前にいるこの乱れるがままの野放図な男が、本当にあのジーノであるのかさえ定かではない気持ちになった。それほど、目の前の男は変質してしまっていた。今ここにいる男は見慣れたあの自らが光り輝く、太陽のように眩しいETUの貴公子ではなかった。かつての己の価値観の一切を放棄した、怠惰で、自堕落で、でもそれもある意味魅惑的で不思議に人を虜にする、そんな虚ろな、心のない身元不明の男が独りそこにいるだけだった。

    *  *  * 

「ん……」

 退廃の男が僅かに反応し身を起す。纏う空気すら重くて重くて潰れてしまう、とても耐え切れない、とでも言いたげな苦悶の表情を浮かべて。

 動くわけのない人形が急に意志を持ってギクシャクと、そんな違和感と不安を感じて赤崎は更に身を強張らせたが、男はそんなものなど意に介せず、相手に伝える意思もなさげな小さい声で呟いた。

「……Chi e Lei?(どなた様?)」

 ジーノは赤崎がドアを開けてしばらく経つのに、今更来訪者の気配を感じたようであった。あの過敏な男にしてはあり得ないほどの感覚の鈍麻。そして周りに対する無頓着さだった。
 スローモーションのような動きで項垂れていた顔をあげる。ゆっくりと赤崎のいるドアの方を見つめる。しかし確かに入り口を見ているはずなのに、その目はそのまま赤崎を素通りしていくので二人の視線は合うことがなかった。

 目を開けて赤崎を見ていながら、全くその姿を捉えることが出来ないようだった。もしかすると暗がりの部屋の中からは廊下に灯る淡い光すら眩しかったのかもしれない。だが、それは一つの要因ではあっても、ぶれた視線の原因の全てではないと思われた。

 男は今、首を傾げ声を発しても存在と気配が人形のそれのままで、確かにそこにいるのにまるで心ここにあらずといった風情だった。赤崎に欠片の興味も持たない様子。赤崎がこの時感じたのはまるで自分が映画のスクリーンに映るジーノを眺めているような、次元の違う世界を偶然覗き見てしまったような、そんな不気味だった。

(王子……じゃない。俺はこんな人知らない。誰なんだろう、この人は)

 赤崎はそんな戸惑いの中、反対に自分は知らぬままにこの壊れ物のように繊細なこの人こそを、ずっとずっと探し追い求めていたような気もした。

 抜き身のジーノとの対面。圧倒的な苦しさと戸惑いはあるものの、思っていた程衝撃を引きずることなく何故か不思議と心は凪いでいた。動けども、しゃべれども、とても人とは呼べぬ空虚な存在。それでも、違っていようと、変質していようと、今自分の目の前にはあれだけ焦がれ欲し続けたジーノの形をしたものがある。赤崎の中にある最も強い現実感というのは結局その一点に尽きたからだった。

「お久しぶりです、王子」

 ジーノの言葉の意味などわからない。でもそれなりに赤崎は丁寧にペコリと頭を下げてみる。邪険に扱われることはわかっている。怒鳴られても蔑まれても上等だ、かかってこい。そういう思いの上での行動だった。

「ああ……」

 呼ばれもしない来訪者。いつものジーノなら不機嫌になりながらまるで茶化すように言っていたであろうこの台詞。だが、それにも今はなんの感情も込められていなかった。ただ虚ろなままに、ああ、とだけ。果たして来訪者を来訪者として認知したかどうかすらも怪しい言葉、単なる漠然、まさに無関心だった。
 スルリと躱され当てが外れた赤崎は拍子抜け。連れ戻すために起きるであろうジーノの激しい抵抗と嫌悪を想定していたのに、そんな覚悟も意味がなかった。今こうして二人の距離があまりに離れてしまえば、衝突し合う接点すら構築することが出来なかったのだ。でも赤崎は気を取り直す。これもまた全部今更の話だったので。

「どうも」
「……なんかボクに……用かな?」
「当然でしょ?」
「そう……」

 ゆっくり、じれったいまでのジーノのそのスローすぎるペースに合わせるように赤崎も静かな口調で言葉のやり取りを行う。落ち着いているというより、思う様に言葉が出てこないのだ。

「用がなかったら来ないッスよ」
「そ?……よく来たね」

 赤崎は歓迎と労いの言葉を掛けられて力が抜けた。そうだよな、やっぱりこの人は確かに王子だ。今更の話だがそんな変な安堵と戸惑いを感じた。
 よく来たね。この言葉はその昔赤崎がジーノの家を訪れる度に必ず男が口にした台詞で、思い出深い言葉を耳にした途端、何度となく繰り返された美しいあの光景が脳裏をかすめた。象徴的だったのは玄関の扉を開けてすぐに飛び込んでくる、ジーノの優しい笑顔と、彼の家独特のあの心地よい微かな香り。二人進む廊下の先に見えるのはリビングの大窓から差し込む明るい太陽の光。キラキラと眩しく、光に向かう主の背を追う赤崎はそれを見る度にいつかこの男と同じ高みに立ちたいと願った。

 今、ジーノの居るこの部屋は真っ暗で廊下から部屋に向かって赤崎の薄い影が伸びる。昼日中だというのに開いたドアから差し込むオレンジの間接照明の光がまるで日没直後の物悲しい心細さを醸し出す。心に染み透るあの優しい言葉の記憶と今のシチュエーションのギャップに戸惑う。

 何でこの人は王子のあの言葉を知っているのだろう?とも思い、この人が本物の王子であるならば、今この再会で言いそうな言葉はこれではない、とも思った。彼らしい言葉を考えるならば、キミみたいな人間がよくおめおめとここに来れたものだね、ではないのかと。こんな時は、柔和な美しいあの残酷な笑顔で、深く鋭く、そんな風に言葉を刺すのではないのかと。でもそれをしない。光り輝く恵みの星のようなかの男は、まるでかつえる落星のように枯れ果ててしまっていた。

「探したでしょう。試合も練習もあるのに大変だったんじゃない?」

 でも今淡々と赤崎を迎えている男の姿に目頭がふいに熱くなる。会いたかった、王子、王子。そんなどころではないことなど百も承知で、でもたまらなく嬉しくて懐かしくて。何をしにここに来たのかをすっかり忘れてしまいたくもなってしまう。ドンドンどうすればいいのかわからなくなって心の中に躊躇が広がっていく。しっかりしなければいけないのに、もう心が揺れている。

「いや、そんなでも……」
「そうなの?じゃあ、よかったね」
「えぇ、まあ……よかったっつーかなんつーか、たまたまで……」
「よく……なかった?」
「いや、そういう意味じゃなくて……あの王子怒らないんですか?いきなり俺やってきちゃって」
「……ゴメンね?ボク、怒ればよかった、のかな」
「だからそういうことじゃなくて、こう」

 穏やかな歓迎の言葉に安堵したのも束の間の事で、赤崎が見たジーノの中にある親切な王子は瞬く間に蜃気楼のように姿を消してしまった。赤崎がジーノを乞うて間合いを詰め始めているというのに、ジーノの言葉はさらりさらりと耳をすり抜け、会話はピントのずれた写真のように噛み合わない。触れ合えない。

「ん……Allora(えーっと)……」

 すれ違いをジーノも感じているのか、小首を傾げてそもそも合ってなかった視線を逸らす。右に流れる。右に。右脳を使うこの視線、ああ、これは嘘付きの顔、と赤崎は思う。昔ジーノ自らが笑って語った、冗談とも本気とも知れない心理の小ネタだ。
 イマジネーションを発揮するために人は右脳を使う、だから相手を躱す視線誘導は右側になりがちなんだよ?知ってた?とか、でもボクは左利きだから脳も逆だったり、とか。わざとらしく右上を見上げては、今のは嘘だと思う?本当だと思う?だなんてさも愉快そうに赤崎をからかったりした。あの後ジーノがどちら側に視線誘導を行うことが多いのか数えてみたりもしたけれど、

「可愛いなぁ、ザッキーは本当になんでも真に受けちゃうんだねぇ?ゴメンゴメン、あの話はボクの出まかせなんだよ」

と楽しげに笑われ、結局数えた数など何の意味も持たないことを知った。結局あの時から今にかけて赤崎は、男の嘘と真を掴むことなど出来はしないままでいた。

「あぁ、そうか。ボクに会いに来てくれなんて頼んでないよ?……こんな感じ、かなぁ?……うーん……それとも……」

 ジーノのそれは赤崎にいうでもない独り言、全く他者と向き合わない独り遊びのようなものに近かった。

「何ッスか?王子その言い草。そんな、変に模範解答探してるみたいな……」
「……」
「王子?」
「……」
「聞いてますか?王子?」
「Ho sonno(ねむ……)……」

 気のない態度、身の入らない受け答え。繋がらないままのまるで壁打ちのような空虚なやり取りが続くばかりでジーノの目も心も赤崎のそれを捉えない。遠くまで良く通る声と派手な身振り手振りが特徴の男だったのに、今の受け答えには極端なほど何の意味も込められておらず、息をひそめるような囁きは、意味は愚か聞き取ることすらもはや困難ほど細かった。
 再び黙り込む男となんとか接触を試みなければと、赤崎は大きな声でジーノを呼ぶ。

「王子!」

 ジーノの体がピクリと反応した。赤崎は取りあえず再び意識をこっちに向けることは成功した様だと胸を撫で下ろす。チロリと見やる男の視線はやはりどこか遠くを見るものではあったのだが。

「あの、その態度つまりは俺とはもう話なんて何も、ってこと……ですか?」
「何故?話……しているよ?」
「こんなの……話してないのと一緒でしょう?まともに取り合ってもくれない。わかるけど、でも王子、俺」

 赤崎はそのあまりに無気力なジーノの応対に溜息をつく。箸にも棒にも掛からぬ自分にガッカリする。でもジーノの空虚な応対のその意味を赤崎は理解していなかった。不貞腐れたように思いが込められていないのではない、込めること自体出来ないほどジーノの疲弊が進んでいただけだったのだ。ジーノは心理的なものと不摂生な生活が原因で赤崎の想定以上に壊れていて、王子になる力は愚か、立ち返るはずの己の意思すらもはや粉々で拾えない状態に陥っていた。

「ボク達……していないの?会話」
「だから王子、あんたの……いや、駄目か」
「駄目なの?」
「いや、そうじゃなくてッ」
「そうじゃない」
「……」
「どうじゃない?」
「くそ……まあ、いいッス」
「いい、の」
「取りあえず行きましょうか」
「?」
「だから、あんたの家に。俺、迎えに来たんです、今日」
「迎え?」
「はい」
「……」
「ねぇ王子。だって、ここでずっとこうしてるわけにいかないでしょう?」
「……」
「ほら、嫌だろうけど……俺と一緒に一旦帰りましょう?」
「……」
「だから、王子聞いてますか?俺の話」
「うん、聞いているよ?ボク、キミの話聞いてる」
「じゃ、用意しましょうか。鞄は?」
「聞いてるよ?ザッキーは今……」

 ゆっくりと出てくるピントのずれた言葉とやんわりと動く動作。それがなんともアンバランスな艶をチラリと放った。

「今キミは……“王子”に話してる」
「はぁ?」

 不自然に強調された自身の呼称である“王子”という言葉を発した際、ジーノはいつものように胸に手をやる美しい仕草をした。でもその瞬間赤崎に感じられたものは自信に満ちたいつもの男のそれではなく、怠惰で艶めかしい薄暗い夜の街燈のようなそんな仄かな輝きに過ぎなかった。

「ちゃんと理解してる。ザッキーは話をしにきたんだ。……“王子”に」

 胸に当てた掌をスッと返して赤崎を指さし、ほんのわずかに微笑みを浮かべる。赤崎はまるでジーノを演じる大根役者の猿芝居を見ているような気がした。それほど、目の前にいるジーノは赤崎の思う王子としてのそれとはかけ離れた虚ろで物憂げな姿をしていた。

「あんた、何……言ってんだ……?」

 戸惑う赤崎の一言と同時にジーノは何かぼんやりと考える素振りを見せながら腕の力を抜いたので、手の甲がまるで人形の糸が切れたようにシーツの上に落ちてパサリと乾いた音を鳴らした。力尽きたその腕は重力によって強引な形で地面に愛されて、このまま二度と持ち上がらないのではないかという錯覚さえ感じさせるものだった。
 そしてだらりとした腕をそのままに、ジーノはただ独り言のように小さく口の中で何か呪文のようなものを唱えている。

「ボクは…ちゃんとわかってるよ?……ザッキーは、王子の、王子と?話をして、る」
「王子ッ!あんたふざけんのもいい加減に!」

 奇妙なジーノの受け答えにカッとして赤崎はつい声を荒げる。するとジーノは反射的に身を竦ませ、小さく呻いて重いその腕を無理矢理あげて耳を塞いだ。それは赤崎の全てを拒絶し排除するかのような仕草だった。