瞳は唇よりものを言う
【13097文字】
視点交互、番犬・飼い主の順。両片思いから両想いのちょっとだけ飼い主が黒い溺愛系。もともとはよくわからない習作でしたが、仕上げるうちになんだか長くなってしまった。
彼は話しかけられた時、相手の目元をじっと見つめる。多分無意識だろうと思う。気持ちはわかる。癖なのだろう。
俺も同じケがあるらしかった。自分ではよくわからなかったが、例えば「ジロジロ何だよお前」と無駄な喧嘩を売られたりもし、その度飽きずに腹を立て、俺は悪くないと思った。それでも彼と挨拶する度、俺がしてきた行為の無礼さ、不快さを知る羽目になってしまった。
「おはよう」
瞳孔を見合わせるというのはやはり、かなり挑発的な行為だ。事など起きていないというのに、優劣だったり 勝ち負けだったり、意図せぬ気配を確かに感じる。そこに何も意思がなくとも、互いに普通にしているだけでも、確かに変な違和感がある。その原因はすべて『目』だ。彼は睨んでなどはいないが、見つめる目には問題がある。微笑を浮かべていてさえしても、確かにトラブルの元だと思った。
*
俺は彼に見られると思わず視線を逸らしてしまう。もちろんいちいち自分で驚く。逸らした事実とその理由、いわば『恥辱』かはたまた『屈辱』、その手のものを感じるわけだ。そらされる方の側だったのに彼にだけは逆になる。自分の在り方を捻じ曲げられて負け犬になったような気がする。
ああ、逸らす気なんて全然なかった。このまま王子を見ていたかった。いつもみたいに負けないで、逃げずに勝って思い通りに。そんな奇妙な闘志と渇望。そうだよ、どうせ無理強いするなら、逃げ惑う俺を抑えつけ、見ればいい、と言って笑って、強引にそして高慢に、君は弱い、と見下せばいい。
(やめやめ。さっさと着替えて出よう……)
負ける屈辱の奥に生まれるよくわからない俺の他意。それをも彼は見つめるだろう。それを見下ろし何を思うか?そんなことなども考える。知らず王子は蹂躙をする。俺が勝手に負けていくのだ。
*
俺は王子に恐怖している。そのことひとつも腹立たしいし、けれど抗う術はなかった。説明出来ない自分の心は、直視出来ぬほど弱く醜く、俺の俺らしさを損ねていった。肩で風切るはずの姿が、背を丸めうつむく負け犬に、だから誤魔化し誤魔化し暮らした。俺は負け続ける日々の中、あえて日常会話を努めた。
「髪を切りに行ったんです」
とか
「スパイク、新しくしました」
だとか。極めて何でもない出来事で、一目でわかってしまうこと。そんなことをあえて口にし、彼のあの目を逸らさせる。 気のいい彼は興味がなくても
「ふうん?」
であるとか
「ほんとだ」
なんて、笑いながら相槌を打ち、俺の指し示す先を見つめる。今日もなんとかやり過ごせたと人知れず胸を撫で下ろす日々。
(ずっと、どっかを見てればいいのに)
逸れた瞳を見るのは楽しい。よく笑っているのもいい。大事な場面で水を飲んだり、時々襟を気にして立てたり、どうでもいいことをしている姿は、鼻についたり、イラっとしたり、けれど概ね微笑ましい。ほらまた、そうして生まれる予感。どうかこの他意を見ないで欲しい。人にも言えない。認めたくない。生まれそうな、生まれていそうな、正視出来ない彼への他意は、もちろん次第に動悸となって、俺を脆くして壊してしまう。そんな恐怖と、不安と、期待。
どうか頼むから気付きませんよう。俺も王子もわかりませんよう。もしもわかってしまっても、許して欲しいなんて言わない。許すかわりに見逃して。俺も絶対許さないから。あまりにあんたはかけがえがない。触れてはいけない人だから。
*
慈悲の他意を彼に求めて、その度悲しい気持ちになった。 ただ彼は息をし、そこに居るだけ。ただそれだけで愛されていく、そんな王子の業を思った。
*
他意なく今日も俺の目を見る。彷徨う瞳の俺を見ながら、おはよう、なんてまた笑う。今日も人々を虜にしながら、彼は人々に呪われていく。自業自得とはとても言えない。彼は何もわかっていない。自分が何をしているかさえ、何が起きているかさえ。
「なんか雨だし、だるいし眠いし、練習流し気味かな今日は」
繰り出す戯言がとても可愛い。まるで子供だ。屈託がない。何も考えてなんていない。けれど無自覚な計算はある。あれは彼の観測気球、彼の物差し、彼の六感。ああしてチームの診察をして今日の在り方の調整をする。ドキリと感じる近過ぎる距離、強烈過ぎる存在感、なのに掴みどころがなくて現実味すら感じさせない。そして今まで居たはずなのに気付けばいつの間にかいない。
笑って立ち去る後ろ姿は、捕まえたがる呪いをからかう、頬撫でる風のようだった。形がないのに、触れないのに、何故か感触だけがある。とても厄介な人だと思った。あんな人は何処にもいない。
