瞳は唇よりものを言う
【13097文字】
視点交互、番犬・飼い主の順。両片思いから両想いのちょっとだけ飼い主が黒い溺愛系。もともとはよくわからない習作でしたが、仕上げるうちになんだか長くなってしまった。
ぎりぎり反応可能なパスを、決める快感は最高だ。王子も俺に笑ってくれて、テンションが上がったままだった。
(あれ……?)
帰り支度の素早い王子に、今一度お礼をしたかった。でも、すでにボックスに荷物がなかった。こういうことはままあった。
「いや、マジで帰るの早過ぎ……」
彼は多忙な人だと思う。生きることに忙しい人。公私を区別する人なので、プライベートは謎だらけ。
「なんだ赤崎、あんなの決めてため息か?」
周りのただのからかいが、こんな時には受け止めきれない。「おーこわ」なんて言われて笑われ、自分の目付きの悪さに気付く。右手でごしごしと目元を擦って、ポーカーフェイスを心掛け、一拍おいて気を取り直し、戯言に戯言をやっとこ返す。
「いやぁ、まだまだだなぁーってね。『この俺』があんな程度で、そんなキャイキャイ喜べませんて」
「ハッ、言ってろ言ってろ」
空気は楽しいものに戻った。そういうことに少し疲れた。俺は変化し始めていて、何が正解で誤りなのか、戸惑うことが増えてしまった。
(……あんな程度で、か……)
今日はとても嬉しく思った。喜んでくれて楽しく思った。そのことを彼と共有したくて、片付けが終わって走って戻った。潰されそうな悲しさが、俺の全部を包み込む。俺には特別な出来事なのに、彼にとっては些末な事柄?そんな現実を感じてしまった。あんな程度でキャイキャイと、自分の言葉に傷ついていた。
*
寂しい。悲しい。これも他意。もう無視することも出来ない。例えどれだけ耐えてみせても、思うことは止まらなかった。
「明日、どうかな。晴れっかな」
彼は才能のある選手でかつ、雨が苦手で適正に欠ける。俺は雨は平気なタイプで、けれど雨よ降るなと思う。いつでも笑っていて欲しいから。楽しく暮らしていて欲しいから。仕事もプライベートも楽しく、幸せを満喫しているべきだ。どうせ彼を思うのならば、そういう形の他意でありたい。急いで誰かに会いたいのなら、会えますようにと願えますよう。そんな自分でありたく思った。
*
「おはよう」
今日もまた明るい、いい笑顔。見つめたいのに見ていられない。けれど俺まで幸せになる。彼は俺を幸せにする。そしてあらためて自覚する。
(ああ、こんなに好きだったんだ)
彼の笑顔は俺の幸せ。そして俺の不幸でもある。楽し気な姿を見るのはいい。楽しい理由は知りたくない。昨日は誰と何をしていた?そんなことなど知る由もない。
靴に鞄にシャツにジャケット、今日もまるでモデルみたいだ。どんなに高級な洋服だって、決して着られることなどない。着崩しはもちろん絶妙で、歩くだけで視線を奪う。俺の魂を根こそぎ攫う。
(ヤバい……苦しい……すっげぇ好きだ……)
俺は彼の背中を見つめた。寧ろ目が合わないと逸らせなかった。息がどうにも吐き出せなくて、ただ王子が眩しくて、今起きている出来事が悪夢か眩暈かわからなくって。
*
気付かぬふりが出来なくなって、俺はぎこちなくもなんとか着替えて、高鳴る鼓動と上がる体温、へなへなとボックスの中に座った。
「あれ?今日なんか顔色悪くない?」
通りすがりに伸ばされる腕。小さい耳鳴りが響く中、額に冷たい手の感触。手慣れているのだな、と思った。彼は常に慌てることなく、そっと寄り添う真似事をする。鼻白む選手も時にはいたが、照れもしないでやれる度胸をある意味尊敬してもいた。
「昨日、雨が凄かったしね」
頬、首筋に触れる手の甲。うっとりとした気持ちになった。
「んー、ちょっと熱あるね」
周りに人が集まってきて、何やらちょっと大事みたいで、大丈夫だと言いたかったが、声も詰まって、息も詰まって、大丈夫ではないとも思った。
(あ……暗い……?)
手のひらが俺の目を塞ぐ。刺激が減って、気持ちが落ち着く。
「ちょっと目を閉じていた方がいい」
オーバーワーク。体調不良。心配そうに掛けられる声。練習が始まってしまう時間で、
「とりあえず、ちょっと治まってから来い」
と言われた。医務室には自分で行けると言えた。すぐに立ち上がれる状態ではなく、かなり恥ずかしかったのもある。一人で移動し、ベッドを借りて、目を閉じそのまま眠りについた。思えば最近眠りが浅くて、昨日は雨でとても疲れた。肌に感じた王子の感触、人を思いやる素の優しさが、じわじわ脳に沁み込むみたいで、気をつけないと涙が浮かんだ。
思う以上に王子が好きで、想像以上に重症で、自覚だけでこんなになって、これからどうすりゃいい?と思った。好きで、好きで、とても寂しい。一人ぽっちで悲しくなった。とりあえず今日は駄目だと思った。たかがこんな出来事で?自分が信じられなかったし、情けなくって泣きたくなった。
*
今、王子の家に居るのは、俺にも意味がわからなかった。王子の意味がわからないのは、わかりきったことではあったが。
「昨日のさ。あれ、よく反応出来たよね」
返事の仕方がわからない。頭なんて回らない。俺は具合が悪いのだから。
王子が医務室にやってきたのは、もちろん練習の途中のことだ。ソファに寝そべりつつ思う。
(あれかな。今日はあんまヤル気なしの日だった?にしても……)
きっと飼い主の務めだなんだと、送迎を立候補したのだろう。周りが誰もOKせずとも、勝手に実行したのだろう。ある意味納得出来もする。彼はそういう人でもあるし。けれど、わけがわからないのは、バックレの理由である俺をここに連れてきたことだ。「ほら、そこに横になりなよ」「飲み物はあったかいほうがいい?」王子はとても甲斐甲斐しくて、それが気持ち悪かった。彼は優しく、親切で、でも率直に面倒くさがり、シンプル大好き無駄嫌い、なのにぐったりしている俺にこんなことまで言い出す始末。
「食欲はある?お昼、食べたいものとかあれば」
「あの……」
「ん?」
「さすがにちょっと……質問してもいいっスか?」
考えることはもう出来ないし、知りたいならば聞けばいい。
「これ、どういうことッスか?」
「これって、膝枕のことかい?」
「いや、それもひとつですけど」
「うちのクッション、高さがちょっとイマイチかなと」
そういう返し、想定外。
「僕の枕で構わないなら、なんなら僕のベッドも使う?」
「……」
「別に何の含みもないから、そんなに悩まないでよザッキー」
会話のパスの精度が酷くて、思わずゲホゲホ咳込んだ。
「大丈夫?」
大丈夫じゃない。王子がどういう気持ちでいるのか、何が何だかさっぱりだ。
「含みって……」
「一人にしとくのが心配だから看病したいってそれだけさ」
言って欲しい最適解を、当たり前のように言い、彼は俺の頭を撫でつつ、優しい声で更に追撃。
「早く元気になってねザッキー。君には笑っていて欲しい」
(……ああ、そうか俺、医務室で夢見てんのか)
寂しさの中で目を閉じたから、今とても幸せな夢を見ている。大変都合のいい夢だ。俺は髪を梳くその手を掴んで、ころりと寝返り王子を見上げた。とても優しい笑顔がそこに。まるで本当に夢のよう。
「その姿勢、首、痛くない?」
夢ならどれだけでも見ていられる。どんなに好きでも許される。その手の甲に口づけをした。嫌がられることもないだろうから。
「随分、甲斐甲斐しいンスね」
「そうさ。健気なタイプなんだよ」
そうですね、と応える代わりに、もう一度手の甲にキスをした。俺の手に比べて少し冷たい。でも肌も形もとても綺麗だ。手首には青く太い血管。たまらなくなって一口舐めた。チラリと横目で顔を見た。小さく眉をひそめながらも、口の動きだけで俺の名を呼ぶ。
(あ……これ、ヤバいかも)
目を彼にロックされたまま、手首のボタンをそっと外した。ゆっくりと腕を露わにしながら、唇でそのまま血管を辿った。いくらなんでも夢でもこんなと、思いながらも止まらなかった。静かに身を起こす俺を見下ろす、王子の唇が開かれていく。含みという名の花咲くような、その光景がいやらしかった。
「王子、具合悪いんで……ベッド借りていいっスか?」
そう言いながらキスをして、震える声で続けて言った。
「でも、具合かなり悪くて……もう少し後からで構わないんで」
微笑む唇にまたキスをして、衝動のままに舌を絡めた。ぎゅっと強く抱き締め合って、目にも鼻にも頬にも首にも、俺達は沢山キスをし合った。結局ベッドに移動もせずに、そのまま互いを確かめ合った。夢でないのに気が付いたのは、夢より遥かに幸せで、感じたこともないほど感じて、そう、王子のすべてを感じて、これは現実なんだと思った。
