お花結び

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ジノザキDay2014ジーノ編

【77054文字】
後半戦のジーノ視点バージョン。赤崎編はお題消化がテーマでしたが、こちらはすれ違いがテーマの意地悪?オマケ物語です。ラスト、ハッピーエンドではありますが途中えげつない(強姦未遂)描写がございます。R18設定としましたが人によってはR18Gかも?黒い展開が苦手な方は閲覧熟慮願います。10/17~10/31連載

14. quattordici/カットールディチ

(ああ、キスしたいな)

 ボクはもうその事を何度考えたか最早覚えていない。タクシーの暗がりの中にあっても彼の肌は艶やかな陶器のように綺麗で、口寂しいボクに個室で行った彼との戯れを思い出させる。ろくに手入れもされていない固い爪、僅かなささくれ。チリリとおそらくは痛みを持つそれを舌で念入りに弄び、そしてボクは指の股の柔らかい皮膚を堪能した。そんな風な事をされた経験などないのだろう、痛みと官能に戸惑い、彼は浅い呼吸の中で赤い頬を更に染めた。

(指先だけじゃ足りないに決まってる)

 妄想の中、ボクの舌先が彼を追い詰めていく。手の甲に浮かぶ血管、肘の内側にある関節のくぼみ、そのまま肩先を登れば鍛えて成長しつつある彼の胸筋、小さな二つの秘密。当然の事ながら彼の体はまるで真っ白なシーツのように清らかで、遊びのようにそこにじゃれつけば、楽しく笑いながら僅かにそれに反応をする事だろう。舌で転がし、甘噛みをして、けれどそんなくすぐったいような甘い戯れの中で彼が性に濡れるのはまだまだ先。ああ、触れられる事に慣れない彼の無防備で無邪気な体を作り替えたい。その過程を逐一、全身をもって堪能したい。
 恋心を伴う性の刺激はいつにも増して強欲であり、ジワジワと嬲る様に愛でたいという思いとは裏腹に、窮地に立たされ苦痛に喘ぐ彼も見たい心も健在だった。
 彼はボクに意味の分からないままに拘束されて、戸惑いながら恐々と見上げるのだ。ボクはそんな冗談と本気の狭間の中で、いきなり無知な体を思う存分開きたい。そうして人知れぬ彼の体の秘密の内部を、力の限り暴きに暴いて、蹂躙の恐怖に泣き叫ぶ彼の悲鳴ごと全部食らい尽くしてしまいたい。

(……これじゃ王子様どころか完全に変態だな)

 セリーに教えてもらったのはマンションの住所だけだ。部屋番号を知らないのをいい事にボクは、今、人気のないエントランスでそっと眠る彼との時間を過ごしていた。
 心はまだ迷路をフラフラ彷徨っている。どこにでも簡単に連れていけるボクの獲物は、未だボクの手の中に。

(実際、恥さえ捨てればセックスなんてどこでだって)

 建築の設備設計の知識が僅かでもあれば隠しカメラの位置を見つけるのは簡単だ。そしてその設置されたカメラの映像について死蔵と削除が繰り返されている事も周知の事実。近隣で何がしかの事件なんかが起こらない限りそれは続く。

(そうさ、やろうと思えばいくらでも)

 これは日常の中にあるボクの馬鹿げた癖だった。サッカーと同じに、この目は常にスペースを探す。実際に事に及ぶ事は皆無だったが、ボクは日頃からこの手の想像遊びが好きだった。
 例えばあのボクより大きなモンステラの鉢の向こう。例えば宅配ボックスのあるあそこの横の柱の隣。オーラルだけなら、ほぼバレない。激しくしなければ軽い挿入なんかも全然いける。外の植え込み、駐車場に止まる車の陰。階段、公園、店のトイレの中でだって。

 惚け顔で寝ているであろう彼の体温と呼気の熱さが、触れた箇所にじっとりとした汗をかかせる。

(熱いよザッキー、苦しい)

 暴れる獣の願いは一つ。ボクのこの醜い“好き”は獣の栄養。もう何度目かの、もう限界、の中で、ボクは彼の言葉を繰り返す。これは呪文。ボクが獣でなくボクという人間である為にある、小さな小さな、ボクの為の呪文。

――相手を守って、自分を削って、“本当”に人を好きになるって……そういう事ですもんね

 ぼんやりと“本当”の好きについて考えていた時、彼に思いっきり腕を叩かれたボクは、突然の事に面食らった。

「……驚いた」
「あ……また、夢……?」
「……大丈夫?」
「お、王子……助けてください、俺、もう……」

 その時、彼は酷く怯えた顔をしていた。醜さを悟られたかのような気がしたボクは、動揺をひた隠し彼にゆっくりと話しかける。表情、口調。アルコールの毒に半分正気を失いかけている今のボクは、それを正しくやれているだろうか?

「怖い夢、見たの?悪酔いしちゃったのかな?」
「触んなッ!」

 ボクが手を差し出すともう一度強く叩かれ、その強烈な拒絶の痛みに顔が歪む。まるで冷水を浴びせられたように酔いが、そして邪まな欲望も醒めてしまった。やはり手をこまねいている間に悪考えが彼にばれて、罰をあてられたのだと考えた。ああ、いよいよもうすぐボクは彼を本当に失ってしまう。
 けれど本人はまだ虚ろな目をしていて現実には完全に戻ってこれていないようだった。深酔いの中、混乱でオロオロと頼りなげに視線を彷徨わせているばかり。それでもこれは一時の猶予。酔って正常な判断の効かないボクはそれでも、なんとか誤魔化せないものかと悪あがき。

「凄くリアルだ。これも、これも夢なんですか?王子。俺、もうわからないッス」

 ボクは今彼の夢の住人だった。苦しげな顔をして縋るようにボクを見ているその姿が、ボクにはとても変なものに思えた。

(キミがそんな顔をしているの、ボク、今まで見た事ないよ)

 彼は頭が痛いと言い、ボクにみられるのが嫌だと言い、そしてたったそれだけの事を口にするのにもまるで喉に石を詰まらせたかのように苦しげだった。そのあまりの悲しい姿が、またボクの心を動かしていく。傲慢な未練の陰に、小さな小さな光の粒をボクは見出す事になったのだった。

(苦しいの?なんとかしてあげたい。どうすれば?)

 それは今にも消えてしまいそうな彼への純粋な思いだった。獰猛な自分本位の欲望の陰で生き残ろうと頑張っているそれがあまりに憐れで、ボクは再び彼の呪文を心に唱えながら懸命にそれを掴もうとする。彼の定義する“本当”の好きとは、多分これの事だと思うから。

「ただ、俺、あんたの事尊敬してるから、ただそんだけで……別にこんな事したいわけじゃなくて……」

 ああ、さっきの店の記憶が。そう感じた。ボクは泥酔していた彼に沢山の悪戯を仕掛けたので、それが彼に悪い夢を呼び込んでしまったのだろう。彼はボクを敬愛している事を口にし、夢は不本意、と繰り返し否定を続けている。

「……自分が怖いです。また俺、あんたにここで今からあんな事させるんスかね?違うんです別に俺はそういうんじゃなくて、ただ。なのになんで……よくわからなくて。最低だ」

(理由かい?決まってるだろ、そんなの全部ボクのせいだよ)

 虚ろな彼はボクに嬲られ、悪い夢にうなされた。そして知らぬ間に弄ばれた彼の体が、混沌の中の彼の意識を面白おかしく締め上げたのだ。

「今までとても苦しかったんです。自分が怖くて、王子も怖くて、嬉しさと、戸惑いと、いつもあんたと居ると俺は目茶目茶になってしまうから」
(キミも?……そっか、ボクもだよ?いつもボクはキミの前では目茶目茶だ)
「だから凄く辛かった」
(だろうね、ボクの呼ぶ濁りがキミを苦しめるんだ。そうさ、綺麗なキミにはそんな事とても耐えられるわけがないよね?)
「自分じゃどうにも出来ねぇし、だからって誰にも言えねぇし」
(うん……そうだね、わかるよ)
「ずっと独りで悩んで悩んで」
(……え?ずっと?それってどういう……)

 共感を呼ぶ言葉の数々の中に彼の苦しみが一過性でないのだという事をボクは見つける。彼の言うその悪夢は、ずっと長く彼を苦しめていたという事か?

(ずっとって……それ、一体いつから?教えてよザッキー)

 その時感じたのは不安だった。ボクの中の悪意はここ最近始まったものだったけれど、あからさまにそれをぶつけたのは今日が初めてのはずだった。けれど彼の苦しみが長いと言うのであれば、やはり彼はボクよりも二歩も三歩も先を歩いて、ボクの悪意を受け止め続けていた事になる。

(ボク、気が付かないうちにずっと前からキミの事苦しめていたの?ねぇ、教えて?ザッキー)
「スッゲー自分でもキモいし、王子にも嫌われたくない……どうしていいんだか、わかんなくて、俺、もう、耐えられない」
(そうだね、耐えられないよね?どうしよう、ゴメンね?ザッキー、ゴメンね?)
「嫌われたくないけど、嫌われても当たり前で。こんな事考えてるだなんて絶対王子に知られたくない。もう我慢出来なくて、毎日、本当はずっと辛くて」

(そうか、これは過ちの火種の後遺症。純な彼の心はあの瞬間からずっとボクのセクシャルな欲望に毒され蝕まれ続けていたって事なのか。あぁ、そういう……)

 心の中の数多の謝罪。何をどう言おうとボクの罪は消せはしない。

「そんな事で嫌いになんてならないよ?大丈夫」

 謝っても何にもならないと思うボクは、結局なんの気休めにもならない言葉をポツリと一つ。出来た事はただそれだけで、ボクは彼のその人知れぬ痛みに共鳴し、その感覚をただ我慢するだけで精一杯だった。

(何故あの日、ボクはキミの前でキスなどして見せてしまったのか)

 そもそもボクはああいう人前で己の欲を晒すような行為に強い嫌悪感を持っていた。だから当然往来でなんてただの一度もした事がなかった。なのにあの日のボクはそれをしたのだ。何故か?当然そのイレギュラーな行動の中にはそれ相応の思惑が必ずあったに違いない。

(そうか、気付いてなかった。ボクはあの時、キミにボクの中のセクシャルを見出して欲しく思ったんだ。キミ達あまりに親しげだった。だから……なんだか悔しいボクはキミの気を引いてやろうとあんな真似を。ボクは色恋の駆け引きばかりをやってきた。そのやり方しか知らなかった)

 嫌だと感じた彼に灯った間違いの火は、ボクが望んでつけたもの。ボクの矛盾に挟まれながら、彼だけ一足先に一人悪夢に苦しむ事になったのかもしれない。いや、しれないどころか。

「王子と喋れない間も悲しかったけど、また仲良く出来るんだって思ったら嬉しいのに、もう、こんなにも胸がつかえてしまって……嫌なんです、こんなの、もう、苦しくて、辛くて、」
(そうだろうね)

 ボクの悪夢は自業自得。彼の悪夢はとばっちり。彼の夢の期間は長く、一人ぽっち、理不尽を必死で耐えてきたというわけだ。

「もうやめたいのに、でも実際に俺は今日何回も変な夢見て」

 嫌だ、苦しい、もうやめたい。繰り返される彼の苦悶。ボクは彼を守りたい。その中でボクは少しずつ理解し始める、彼の言った言葉の本当の意味。ボクの不慣れな“好き”の、正解の形。

「罪悪感なんて持つ必要ない……見ようと思ってたわけでもないんだろう?」

 今の心をそのまま晒す。ボクがとても苦手な事だ。それをさらりとやれそうなのは、甘露の毒と彼の苦しみが混ざって、ボクを素直にする薬になったから?

「王子……」
「寧ろキミは見たくないのに何度も何度もそうやって……だよね?」
「ッ……」

 たったそれだけの言葉で彼は泣いた。瞳はうるんで今にも雨が降り出しそう。ボクは彼の事を繊細ながらもとても強靭だと思ってきたので、彼があくまでも子犬に過ぎない現実について、色々自分が見誤ってきた事を再認識する。彼の降らす雨程、ボクのこの身を刺すものもない。

(ザッキー、痛い……でもキミはもっと痛いね?)
「可哀想に、全然わかってなかったよ。キミはそんなにも怖かったんだね、自分の振れるその心が」
(そしてキミを揺らし苦しめ続けたのは、目の前にいるこのボクだよ)

 怖がりの子犬の、臆病な心。彼はそれでも、ボクを守って、自分を削って。それが彼の言う“本当”の好き。もっと早く怒ってよかった。もっと早くぶつけてもよかった。だってボクは彼にそれだけの事をしていたのだから。なのに優しい彼は他人に対する善意を信じ、自分のせいだとこんなになるまで耐え続け。

(無理心中のように道連れにするのではなく、ボクがやりたいのは、キミを守りたい、心の底から愛したい、そういう事だ。自分を削ってキミを守る、ボクは今こそキミの傘になりたい)

 大切なのは彼にとって何が一番必要なのかという事。ボクが必要な事はただの欲望であり、それは“本当”の好きとは一切関係がない。志しながら挫折した事。願いながら放棄した事。今はそれが全て、当たり前にやれる気がした。
 ボクはもう2回も手を払われた事実をよく理解せねばならないと思った。そうしてボクは立ち上がり、なのに無意識に彼に手を伸ばし、ボクはハッとして引っ込め苦笑する。

「キミを慰めてあげたいけれど、もっと怖がらせる羽目になりそうだ」
(全く本当にボクは馬鹿だ。しっかりしろ。もうそれを繰り返すなって話だ)

 ボクが彼の王子になる為にそうするのでなく、彼の為にボクは今こそ本物の王子になりたい。この瞬間から沸々と足元から込上げてくる彼への思いを携えて、全部全部間違い続けた愚かなボクの、不器用なやり直しがスタートする。

(ボクは皆わかってたはずだった。こうすべき事、わかってたんだ。ねぇザッキー、なのにゴメンね?ボクはいつも、何度でも間違えて。そうしてキミを苦しめてしまう)

(痛かったろう?ボクが今からでもその火、ちゃんと消してあげるからね)

 ボクは今、彼の中の夢の住人。つまりはこの夢に介入する力を持つ存在だという事だ。だから彼の悪夢をこの場で殺す。今のボクにはそれが出来る力がある。

「大丈夫。ぐっすり眠ってもう一度目覚めた時には、今日見た夢全部きっと忘れてるさ。駄目なら、このボクが現実の世界で魔法を使って忘れさせてあげるよ」

 邪まと自分本位に堕ちたボクが受ける罰をまるで身代わりのように今彼が受けている。彼の愛は代償の愛。ボクの欲しかったものとは少し意味が違っても、彼はちゃんとボクを好きになってくれて、そのお人好しさでその身を削って差し出した。ボクが勝手に風を送り彼の無用な性欲を煽っていたのに、ボクに申し訳ないと彼は泣いた。そう、たった一人で、嫌だ、苦しい、もうやめたい、と叫びながら、今日までじっとそれに耐えていた。ボクは自分の事で精一杯で、彼を苦しめ続ける自分を何もわかっていなかった。

「実はこのとっても嫌な夢はボクが無理矢理見せた夢なんだ。随分苦しそうだったからキミを助けてあげたかったんだけど……でも多分またやり方を間違えてしまったんだね」

 ボクは彼を初めて意識したあの頃の事を思い出す。ボクは彼が幸せな家庭を持つ夢を同じように夢見、自らの不純を捨て“綺麗”を心掛け、彼がボクを受け入れ見つめてくれる事を願った。会いたくて、見ていたくて、話しがしたくて、だからこそ“触れたい”を封印すべきと考えた。ちゃんとそういうやましさが不要で且つ潔癖な彼にとって最も忌むべき事だと定義出来ていた。彼が変異に苦しむのはボクの本意ではなかった。過ちの火を消し、ボク達は余計なものを捨ててもっと綺麗になる事を望んだ。
 なのにボクはそれを放り出して、揚句にボクは彼の持つ生き辛さを助けようとして更に間違え続けていた。

(ボクはいつの間にか朱に交わってボクと同じに赤く穢れる事を彼に押し付けていたんだ。触れたくて、触れたくて、心の中ではずっと横暴な凌辱を欲し、無意識の中で彼をそそのかし続けていた。穢れて諦める事を覚えれば楽になれると。負けてどうしようもない自分になって、そうする事で楽になりなよと。キミがボクを信じている事を利用して、ボクが汚すの手伝ってあげるからと私利私欲に汚れ穢れて)

「キミはいつも生真面目で、そしてとても正しい」

(本当だ。本気でそう思う。だから間違い続けるボクを“綺麗”だとキミは。歯を食いしばって言える強さを、真面目に正しく持っているんだ。善意を信じ、いいところを見て、そしてそうやって苦しんで。弱い人間はすぐに疑い責任転嫁を始めてしまう。まさしく正統な強さだよザッキー。キミはそれを持っている)

「大丈夫、清廉だよ、この上もなく。今日もとても綺麗だよ」

(ボクはキミみたいに綺麗な子、今まで一度も見た事がないよ?)

「いいんだ、すぐに楽にしてあげる」

(今度こそ、本当にだ。もう間違えない。大丈夫だよ。キミは綺麗。ずっとだ)

 笑顔で。そう、表情に気を付けて、怯える彼に安心感を。口調は穏やか。一つ一つの言葉をしっかり、彼の耳に届きますよう。

(ああ、ボクは今、キミの為の王子様だ。なんでも願いを叶えてあげられる気がする。罪に苦しむ悪夢とともに、ボクという邪まな存在そのものを消す事も。キミがそれを望みさえすれば、きっとボクはそれが出来る。だってボクは“綺麗”だから。そうだよね?ボクは今、キミが“綺麗”と信じてくれる王子だから。ボクはキミが信じてくれているボクの力を、素直に信じる事が出来るんだよ?キミはボクみたいな蛇なんかに負けない。だから、だから、ずっと“綺麗”で、ザッキー)

「大丈夫、悪夢はもうすぐ終わる。もう怖くない」

(だからキミは信じるだけでいい。ボクの言う事を信じてくれるだけで。キミは一つも汚れていない。“綺麗”だよ?ザッキー。大丈夫、ぜーんぶ夢だから。悪い悪い、変な夢を見たんだ。ただ、それだけの話。わかるね?キミは“綺麗”。何もかも全部。いつまでも何ら変わらず)

 気持ちを込めて彼に伝える。ちゃんと言えばきっと彼はわかってくれる。彼に拒絶された時はボクは勝手に傷付き、寂しくなって、未練もあって、そして同じ傷を彼に与えようとした。でも、彼はこうしてチャンスをくれる。理想の王子としての幕引きの時を、彼はこうして用意してくれる。

「立てるかい?」

(さあ、おうちに帰ろう?今からキミが行くのは、蛇の巣じゃない。然るべきキミの居場所、本来の住処だ。怖い夜の迷子道はもうおしまい。澄んだ水辺、伸びやかな草花。明るくてすがすがしい、まるでキミそのもののような朝が来るよ?)

 そんな時、おずおずと彼がボクに手を差し出した。とても驚いたと同時に、なんだかたったそれだけの事が泣きたくなるくらいに嬉しかった。

(良かった。気持ち、通じた。キミはボクを信じるのが上手だから、きっと無事に終わらせられる。そうだよね?ザッキー。とても嬉しい)

 ボクはお別れの握手のつもりで彼の差し出す手にそっと触れてみた。その手はとても温かく、ボクは今キチンと正しく彼を愛せたのかもしれないとシミジミ実感した。

(あぁ、胸が……)

 弾けそうに痛い、けれどそれは苦しみではなかった。ほんのちょっとの心の繋がり、精神の触れ合い。感じたのは、今までのどんな肉欲によるセックスよりも強い官能だった。手の先、指の先だけの、でも一瞬でも信じあえるという“一緒”が実現したボク達二人の奇跡のような世界だった。

(何コレ、すっごく気持ちいい……)

 1秒でも早く目覚めさせてあげたい彼の悪夢に、急に名残惜しいものを感じ始めてしまうボク。愛する事に成功してもやっぱりボクは独りきり。彼がここから立ち去った後に“一緒”が壊れた喪失感に包まれたまま、ボクは一体どうやって暮らしていけばいいんだろう?手が強張って離せない。人と繋がる快感を、心が、そして体がどうしようもなく求めている。

(そういうの、よくないよ?ちゃんと彼を帰してあげようね?手を離すんだ、早く。さぁ、笑って?大切なのは表情、それから、それから、あぁ、なんだったか……)

 だから自分の未練を必死で宥めていた時、彼がこう告げた言葉によってボクの頭の中は真っ白になった。

「……俺がここにいたら、王子もずっとここに?」

 これは彼のお人好し。縋りたい思い。離したくない執着。彼はボクの心を見抜いてしまうから、たった今彼の為の王子になれたボクの化けの皮が、簡単に彼の手によって剥がされてしまう。

(一緒に?このまま?手を繋いで?ザッキー、何故?わからない。それ、今のボクには一つも理解が……)

 止めどもなく溢れ続ける繋がる快感に喘いで、ボクは更なる混乱状態に陥った。

(駄目だよ、駄目だよ、ジーノ、駄目だよ?ここは彼の為の夢の世界。ボクの夢を見る場所じゃない。しっかり?一緒がいいわけないだろう?あぁ、でも何が、表情と、ああ、もう何がどう大切なのかもうわけが……)

 自制の言葉が鳴り響く。けれど彼の願いを叶える王子としてのボクの今の存在の在り方が、彼の言葉を受けた事で、どっち?どっち?と迷い出す。

(サヨナラ?一緒?ザッキー、わからない、ボクは今何をするのが正しいの?)

 全部が全部もうお手上げで、ボクはだから、フ、といあやふやな笑顔を浮かべてこう返事をする他なかったのだった。

「どうして欲しい?」

(お望みのままにザッキー、キミの望みは?キミの本当の心をボクに教えて?ボクがなんでも叶えてあげる。大丈夫、たった一言でいいんだ、ボクが今何をすべきかをただ伝えてくれるだけで)

 そう、指先が繋がり合っている今の感覚がまるでアレをしている時のよう。ボクはその快感に息絶え絶えで、思考が散漫になって行く。一緒を感じて浮き立つ心を宥めるのに精一杯で、もう全てを丸投げをするような事を言う気力くらいしか残されていなかった。

 そして、そして。あとはボクまで夢の中。彼が彼の為にボクに傍にいて欲しいなどと、そんな事などありうるだろうか?そしてキスをボクに乞うなどと?

「いいですよね?」

 ボク達のファーストキスは、棒立ちのボクに彼が小鳥のようなキスを交わすというものになった。ただただ、ボクはその時唖然。少し渇いてかさついた彼の唇は、その乾燥もさもありなんというほどに熱く、彼のあの攻撃的な情熱と同じにボクの唇をチクリと刺した。何度となく想像したそれよりもはるかに生々しい感触の。あまりにも過敏になり過ぎてしまった今のボクには刺激的過ぎる官能の。

(え?何?今、ボク、ザッキーと、キス……した?)

 こんなキスは経験がなかった。髪の毛までチクチク感じるくらいに体中が総毛立ち、生じた全ての熱を必死で毛穴から体外に排出しようと試みている。でもそれも無駄な努力で、吃驚するくらい強くなったボクの鼓動が次々に体を芯から熱くする。

(あぁ、熱い、ザッキー、どうしよう、こんな)
 
「ありがとうございます。こんな俺の事、気持ち悪いって逃げないでいてくれて」

(気持ち悪い?逃げる?何言ってるの?ボク、もう、気持ち良すぎて、もう、もう……)

 そうして、ただただ混乱と動揺の中にいるボクに対して、彼が発したのがこんな痛烈な殺し文句だった。

「好きです王子、誰よりも……」

 だからこの瞬間、震えたのは唇だけではなく勿論全身の話。真っ直ぐにボクを見つめた彼の瞳はとても真摯で、それはいつもボクが横顔だけを眺めていたそれと寸分違わぬ同じものだった。

(う、嘘、キミの見ていた先って……そんな事……)

 ボクの点けた彼の火はもう、すっかりその全てが彼自身のものとなって激しく燃え盛る情熱と化していたのだ。勘違いをし続けていたボクは、この段階で初めて彼の中の恋の真実を知る事になる。

(熱ッ……駄目、止まらな……)

 瞬く間の出来事だった。あの日ボクの腕を掴んだ熱量と同じものが今、ボクの全身を恐るべき速度で焦がしていく。痛すぎて辛かったもの。何度も何度も思い返していた出来事。もう何も考える事の出来ないボクから零れ落ちる、不格好でポンコツな言葉の数々。馬鹿みたいだ。

「もう十分?……冗談だろ?」
(もう十分?……冗談だろ?)

 今こんなにもボクが理解した事を、彼は全く気が付いていなかった。ボク達の会話はいつもチグハグで、そう、こんな時でさえ。

「ハハ、馬鹿ッスね、王子は。大丈夫、もういいッスよ」
「……馬鹿?」
(……馬鹿?)
「これ以上優しくして俺の事つけあがらせたら」
「……なんだい?」
(……なんだい?)
「このまま、目覚めぬ夢にとっ捕まっちまうって事。ほら、」

 と、小さく呟く彼の言葉は最早ボクには届かなかった。限界ギリギリだったボクの理性は彼の情熱に跡形もなくふっとばされてしまったので、だからもうボクは本能の赴くままに、ただひたすら彼に向かってキスを、もっと、もっと、数限りなく。どれだけそれをしてもまだまだ足りない、だってもうこんなにも我慢し続けてきたのだから。

(ザッキー、ザッキー……もっと、もっとボクに愛させて)

 そして気が付く。
 ボクが彼にずっとしてみたいと願い続けていたのはこんなキス。彼は一つもボクの乱暴を拒絶せず、堰を切って溢れかえるどんな情熱のキスにもウットリとした顔で応えてくれる。もう一生目覚めさせたくない。このまま死ぬまで彼と口づけを交わし続けていたい。ボクはぼんやりと馬鹿な事を考える。

(ねぇ、皆聞いてよ。やっとボクの事を捕まえてくれる子が見つかったんだ。それもボクの大好きな子だよ?凄いよね?)

 これはある暑い夏の夜の、幸せなボクと彼との夢物語。彼のくれた幸せな呪文のおかげか、ボクは本当の意味で彼を愛し、そして彼の愛を受ける事に成功したのだ。

(ほら、見て?もうこんなにも虜なんだ)

(すっごく素敵な事だよね?)