ジノザキDay2014ジーノ編
【77054文字】
後半戦のジーノ視点バージョン。赤崎編はお題消化がテーマでしたが、こちらはすれ違いがテーマの意地悪?オマケ物語です。ラスト、ハッピーエンドではありますが途中えげつない(強姦未遂)描写がございます。R18設定としましたが人によってはR18Gかも?黒い展開が苦手な方は閲覧熟慮願います。10/17~10/31連載
9. nove/ノーヴェ
プライドが高くて負けず嫌いのこのボクでも、最初から無駄な試合がある事くらいは理解している。自分の意思に関わらず、降りなきゃいけないケースも確かにある事はある。
(負けじゃないよ?終わっただけさ)
今回は楽しい対戦相手が突然ボクの前から逃げてしまっただけ。けれど、どうにもこうにも釈然としない。彼との関係の整理についてはいつもこんなモヤモヤを抱えてしまうのだけれど、その理由についてボクは、二人の在り方があまりに遠過ぎるから、そもそもの相性的なものがとても悪いから、と解釈する事とした。
(そうやって上手にボクをムカつかせるしね)
彼は今日も仏頂面に似合わず親切且つ献身的で、ついでのようにサインをねだるライトなファンにも逐一丁寧に対応していた。まあ、この風習はキャプテンに長年刷り込まれたこのチームの一つの美点とも言えるだろう。だからってボクまでそれに付き合わされるのは御免だ。それに彼にもこんな事で1mmたりとも消耗してもらいたくないとまで思っている。
(いや、消耗云々はただの言い訳だな)
多分この思いはいつものボクの独占欲から来ている。お気に入りを見つければ、人であれ、物であれ、一種の執着を持ってしまうのはボクの困った性分の中の一つだ。
彼はよく見ればスッキリとした癖のない整った顔立ちをしていて、難のあるあの性格も慣れれば大層味があり、無縁にも思える愛想すら実はひっそり持ち合わせている。だから本来ならああして彼に群がる人達がいないほうが不思議なのだ。彼のようにウブで人の悪意に鈍感な子は、その健やかさ故、愛を受けるに相応しくもあり、いらぬ嫉妬の対象ともなりうる存在だ。
(まあ、一目でそれとわかるボクのとは違って、少しわかりにくい地味な魅力ではあるけどね。通好みってやつ?)
ロッカーに戻って服を脱ぎながら、彼が恋した謎の女性は一体どんな子なのだろうと変な事に思いを馳せる。でも、人は必ず最後には分かり合えるのだという事を何故か頭から信じている子なので、その不器用な恋が少し心配だった。世の中にはいろんなタヌキやキツネがいる事を彼は知らない。彼の気持ちに反応出来る人間がいるとすれば、同じように純朴なタイプか、もしくは反対に物凄くタチの悪いタイプに違いない。
(これではまるで彼の保護者だね)
バスルームにて自嘲気味に笑っていれば、慌てたあの子が入ってきた。尋ねれば友達の結婚式に出るという。その“結婚”という言葉を口にする時、彼の中に羨望の気配を感じた。彼の恋のその果てには当然のように暖かい家庭があるのだろう。そんなものを思い浮かべながら彼は、ボクに対して当然な事をあまりにも当然の様にはっきりと言う。例えばこんな風に。
「冗談でしょ?あんたと結婚なんて、きっとすっごく大変だ。最悪もいいとこですよ」
(わざわざ最悪とか本人に向かって言う事?ありえないよ。馬鹿なの?)
人も羨む才あるボクを、時々彼はゴミ扱い。彼の言葉はいつでも本気で、そう思うからこそ腹が立つのだと思う。
「俺、王子程マイペースな人間みたことないッスもん。一緒に生活するとか無理無理」
(大変とか最悪とか無理とか……あのさぁ……)
まさに舌禍。余計なものを招き入れるこの彼の気質には本当に困ったものだ。彼への腹立ちの陰にはいつでも傷。ボクは確かに恋愛不適合者だしその自覚もしっかりあるけど、わざわざ他人に、特に彼にそれを指摘されると必要以上に神経に触る。何故なら、本当に自分が無価値な気がしてしまうから。
(ちょっと黙ってくんないかなぁ、でないと……)
彼にとって無価値な事は、ボクの目にも色褪せて映る。彼はボクに怪我を負わせるのがとても上手だ。
「じゃ、なんですか?結婚願望とかそういう人並みのもの、王子も持ってたりするんですか?」
(人並みのって……今この子ボクの事“人間じゃない”って言った?そんなに普通じゃないって?)
傷を負い捩じ曲がったボクの根性が不必要な悪考えを呼んでくる。普通なら小馬鹿にしたような顔をして明るく笑って流せる言葉。でも、それを発したのがザッキーとなると、彼がいきなり腕を掴んでボクにつけた見えない火傷を刺激する。
(そんな風に見比べるもんじゃないよ、ボクなんかよりもはるかにキミの心を盗んだ女の子の方が素敵だなんて。たとえボクがキミにとって人間じゃないにしたってね?)
深部をくじられるような痛みが、ボクの軽やかな受け答えを生まれる前に殺してしまう。心をドンドン暗い淵に追い詰めていく。
(いやだな、もう……これ以上キミの言葉なんて聞きたくない……黙らないならボクがこの足でその顎砕いて、もう二度と口のきけない体にでもしてやろうか?……なんて、フフ……)
激しい苦痛から逃れたい時、感情的になってしまうのも悪い癖。ボクはボクの神経質を、常にこうして持て余す。
(駄目だ、この傾向……ヤバそ……自覚してるより結構キてるみたいだ。違う事を、なんか違う事を考えてなきゃ……)
返事に窮したボクのセオリーであるところの質問返しの一言で、ボクは更に聞きたくない言葉を聞く羽目になる。まさに踏んだり蹴ったりとはこの事だ。
「え?俺?そりゃ一日でも早くしたいッスよ、出来るもんならね。現役中の俺の姿も子
供に見せてやりたいし」
(何それ、意味わかって言ってるの?この恥知らずで下品なエロガキ!)
ボクにとってそれは、一日でも早くガンガン子作りセックスを満喫したい、というのと同義だった。触れるだけで赤くなるようなボクの可愛い子犬が憧れの存在だったはずのボクに対して臆面もなく淫らな事を言い放つ。ボクにとって信じられない出来事だった。その瞬間から考えた事もなかった飼い犬の激しいベッドシーンが浮かんでは消え浮かんでは消え、ボクは必死になってそれを打ち消さねばならなくなる。
彼は、ボクの知らないところで恋をして、ボクを見るより熱い目で、ボクに触れるより熱い手で、ボクの知らない子と人に見せられない事をやりたいとボクに言ったのだ。それも一日も早く?
(そんな……セックスなんて、しちゃうの?……嘘でしょう?いやだ、まさか……だってキミは……)
その事を考えると今はもう衝動を押さえつけるべき腹立ちすら吹き飛んで、ただただ彼の言葉がボクを窒息する程強く締め上げるばかりだった。
(いやだ、そんな目でボクを見て、あんな目で好きな子の事考えて、違う、違う、ザッキー、間違ってるよ、やめて、そうじゃない)
巻き起こる不快。ボク自身何故これがこんなにも苦しい事なのかも理解出来ないのに、どういうわけか彼は弱点を心得ていて、時々こうやって素知らぬ顔でボクの心を荒らすのだ。彼の攻撃もそれによってボクが受ける衝撃の大きさも今のボクには全く予想出来ない。こんな事は彼にしか出来ない。
(何?駄目だ、苦しい……いくら独占欲が強いタチだからってなんでこんなに……)
一体何故か、苦悶の中の疑問と戸惑い。けれど自分の変質が始まっている事自体気が付かないボクなので、その答えはわからないままだった。
(なんて事はない。今みたいに異常な反応をするボクがおかしいんだ。そうだろ?ザッキーの言ってる事は一般常識的に考えても何も別に変じゃない。恋だって、セックスだって、結婚だって……成人男性なら極当たり前の……う、当たり前なんだ……ザッキーは、女の子とそういう事……普通に……ボクが変なんだ、変なのはボク、だ)
必死になってボクは荒れた心を抑えた。少し苦労はあったけれど、なんとか必死でそれをやりこなす。
(ボクが思ったような下卑た事を言いたいわけじゃない。この子はそんな子じゃない。知ってる。わかってる……今のは単なる彼の本音で……本音、だ……そう、彼は本気で……至って普通の事を普通に話してるだけで……変な事じゃない、変な意味じゃない……幸せを、当たり前のものを欲しいってただそれだけの……)
何の変哲もない青空を二人揃って眺めた日、ボクは隣に寄り添いながら、彼がどこに行くのか、そんな事を考えた。けれど今恋する子犬が結婚に憧れを抱くこの時、子犬が別の優しい拾い主を見つけてボクに見えない遠くに行ってしまう事を痛切に感じた。彼の行き先はボクの知らない、遠い遠い、平凡ながら穏やかで暖かい幸せな世界。
(ボクがあげられなかった温かいミルクに、暖かい毛布。それをくれる優しい人と一緒に暮らしたいって、穏やかで幸せなものが欲しいって。当たり前だ。当たり前の事を彼は……)
彼の望みは当然のもの。でもボクは一人ぽっちでボクを乞う、憐れな子犬を眺めているのが好きだった。彼のもつ人恋しい寂しさ、その苦しみを愛していた。そんな事が更にボクをギリギリと締め上げていく。今まで感じた事もない痛みだった。
(こんなに惜しむなら拾えば良かった?拾って与えて、温めて?……いや、そういう事ではないんだ、ボクが思っていたのは、彼の持つあの孤独が凄くボクと似てたから……)
掴まれた腕の痛さなんかとも違う。彼がセックスの欲望を持った衝撃の辛さとも全く違う。ボクがこの時感じていたのは、それらを遥かに上回る強いまさに拷問のような苦痛だった。所謂、ボクの中でボクを支えていたものの欠乏と喪失。自分にとって大切なものが強引に引き千切られていく痛み。彼が孤独から去っていく。いなくなる。
(愛しい人に、可愛い子供か……)
彼は時々ボクを傷付け、弱った拍子に愚直にその部分を掻き回す。彼の真面目な素直さが、ボクの本音を引き摺り出す。
「“この人なら”って相手と生涯の愛を誓い合って一緒に過ごすんだろ?結構な話じゃないか」
こんな話をする気はなかった。ボクの世界には“勝負”と“遊び”と“撤退”の他は何もなくて、どの関係性も常にボクと誰かという1対1の対立の陣形を示していた。周りにはそういう「誰か」ばかりが沢山居過ぎて、それらはいつもボクを孤独にする。誰も彼もボクからは等間隔で、しかもその殆どが同じ目鼻立ちをしている。
(ボクにはそんな人間達など殆ど区別もつきはしない。ならば生涯の愛を誓い合う「この人」という己の情熱を捧げるような相手など見つかるわけもない)
自覚をした事もないボクの中にある悲しい事実だった。ふと過る敗北感に、思わず彼をシゲシゲと訝る目でつい見つめてしまった。
(なんで?彼はもう勝負を降りたはずなのに……ズルいよ、こんなの。フェアじゃない)
終わったと騙されて突然背中を刺されたような裏切りを感じた。悪気がない事はわかっている。けれど彼はいつもこんな風だから、ボクをボクの意思とは別の方向にスイッと動かしてしまうのだ。
(今度はそんな土俵に立って、ボクを戦いに引き摺り出すの?この形式の戦いは、あまり得手ではない方なのに)
一日でも早く結婚したい恋する男が、ボクに男同士の戦いを仕掛けて牙をむく。成人男性としての真っ当な生き方に縁遠いボクにとっては、正直あまり楽しいものではない。
(どちらが家庭人として上か、って話だろ?やれやれ最悪だ。キミの言うところの“人並み”じゃないボクにとってはあまりにビハインドがありすぎて)
結婚に関して男目線の素直な欲望をボクが素直に口にすれば、真面目な彼は当然の事の様にボクを強く窘めた。わかっていた展開だけに更に疲弊を重ねる事になる。でも思考を止め感情的になった方が負けなので、なるべく丁寧な口調を心掛けて不得手なゲームを続ける事にした。
「何?実際そうでしょう?キミ、恋愛経験ないの?」
「あ、ありますよそれくらい!当たり前でしょう?」
(そりゃそうだろね、知ってる)
「フフ、じゃ、わかるでしょう?男ってそういう生き物なんだって事。恋はするものじゃなくて勝手に落ちちゃうもの。ままならないのが普通なんだから。それも、いけない恋なら、尚更……ね?」
彼に揶揄は通じないけど、皮肉なボクはあえて言う。しかし口にしながらも、これはボクにもわからない心理だった。家庭持ちの女性達に何回も誘われた経験のあるボクが綺麗事を言うわけではないけれど、彼女達の“貴方だけなの”程萎えるものはなかったし、彼女達の恋の論理はいつも理不尽で、ボクの心は凍り付くばかりだった。人の愛とはうつろうもの。彼女らは永遠の愛を口にしながらいつもボクに刹那的なものしか見せてくれなかった。その継続性のなさにボクは失望と絶望を繰り返した。人は裏切る。信じるものは必ず馬鹿をみる。ボクは馬鹿ではないから、その度に痛い目を見るのは御免だと思った。
でも一方で彼女達のその愚かさが、時に羨ましく思えた。悲劇であれ、喜劇であれ、彼女達の恋を語る姿の全てがとても幸せそうに見えたからだ。理性も打算もない後先もない。そんな己の全てを投じるような恋というのが世の中にはあるのだと。
けれど本気の愛を語る大部分の女性達はやがて然るべき家庭に戻っていって、殆どの彼女達のパートナーはそれを許し迎え入れた。そこにも、己を大いに傷つけた相手に全てを投じる強い思いが存在していた。汚された宝物を再び抱き締める潔さだ。
あの人達の事をボクはどうしても理解出来なかった。だって誰のものにもならないボクは、角度を変えればいつでも一人。ドラマの中では恋敵の役どころ、脇役だ。いつでも最後には本気になれないボクを糾弾し、彼女達はボクをそのあたりに放り出す。ボクは本気を約束しない。彼女達もそれでいいと必ず言う。なのにだ。彼女達は永遠を口にしながら、結局ボクを使って一時の火遊びを楽しむばかりで最後には自分の居場所に戻っていく。
ボクのやっている事に関して、自業自得の結果なのだ言う人はあっても、かばってくれる人などいない。まあ、ヨシヨシしてもらいたいわけではないから別にそんな事はどうでもいい話ではあるけれど。
(勝手なもんさ。ボクが率先してたぶらかしにいったわけでもないのに)
人は一人では生きていけない。そういってボクが珍しくボクなりの愛の理想を語れば、彼はとても奇妙な顔をしてみせた。出来るはずもない夢物語を、突然語りだすボクが変だったからだね。そうさ、ボクもそう思う。生きていけないけど死ぬまで生きるしかない事を知るボクは、誰にもこの気持ちを開いて見せた事はなかった。誰もボクを手に入れられない、つまりは、誰もボクを手に入れてはくれない。ボクはボクとして凛と生きて、一人で暮らしていく道しか見えなかった。
(ボクの中にある残念な事ばかりがちゃんと伝わってしまうね。もっと正直に、キミのような恋がしたいと言えば良かったのかな)
ボクの周りには策略と遠慮ばかりが溢れかえっているのだけれど、それはボク自身が呼び込んだものだ。これは純真と真摯に囲まれている彼を見ながら、ボクが理解した事の一つ。自分が孤独に疲れている事、あまり自覚がなかったんだ、それまでね。彼のせいで気が付いてしまったんだ。
– – – – –
彼はボクの知らない沢山の大切な事を、当たり前の様に知っていたりする。
“真摯な気持ちで話し合えば、最後には皆分かり合える”
全く馬鹿馬鹿しい考え方だと思ってきた。
(そんなの鴨側の論理でさ。そんなの信じて猟師に狙われるだけの憐れな存在になるとか、馬鹿馬鹿しすぎて真っ平ゴメンだー、なんてね。ボクはずっとそうして生きてきたんだ。なのに……)
でも、そう思う自分が間違っていたのかもしれない、なんて少しずつ素直に認められるようにもなってきたようだった。変化し始めた当初、“キミのせい”で余計な事を知ってしまった、そんな風に思っていた。今は“キミのおかげ”で、とちゃんと言える。
(ボクには沢山の知り合いがいるけれど、なんだかキミはそれとは少し違うみたい)
彼の言葉があまりにも無骨で、気に入られようとか、陥れようとか、そんな無駄な飾りが一つもついていないので。その事に何度傷付こうが、腹が立とうが、そういう手垢のついていない綺麗なものをボクはやがてもっともっと欲しくなってしまった。彼と同じようにシンプルに、つまりボクも策略を捨て、猜疑心を捨て、より彼のいる世界に近づきたく思った。怖いと敬遠していたボクにとっての別世界に興味が湧いて、孤独なボクが彼を拾うでなく、ボクが孤独に打ち勝つ彼の傍で生きてみたいと。
不思議なのが彼の持つあまりにも危うい強さだった。この年までどうやってそんなに汚れずに生きてきたのか?彼の外面はとても無神経であり、反対に内面は恐ろしく繊細であり、そのギャップの激しさから負ったであろうその無数の傷痕は、とても正視に耐えないものばかり。彼の傍に行きたいボクは、あの身を刺す冷たい雨がとても怖い。
(このままではこの子、絶対壊れてしまう)
この印象は最初から変わらないどころか強まるばかり。だからこそその思いが、この奇跡のような彼の今を一日でも長く守ってやりたいという思いに変化していく。つまり、もう少し生き抜いていくための狡さを。彼の魅力を損なわない程度でいい。自分自身を守る力を。そう、ボクは彼の傘になりたい。その広がる視界が多少塞がれるデメリットになるしても。そんな気持ちを結婚ネタにすり替えて話しているうち、彼はボクにこう言った。
「最低ッスね。あんたの言ってることは我儘だ。凄く不誠実で、高慢で」
これもまた、彼の素直な心から来た言葉。裏切りの理不尽を許さない彼の気性はよくわかっている。形は違えどもボクもまた同じだから。傘はいらない。痛くも痒くもない。そんな風にボクを追い払う。
けれど彼は知らないのだ。これが友情も愛情もよくわからないボクの、初めての懇願の言葉だったのだという事を。彼の未来には傘などいらない暖かい我が家がある。それを知りながら、彼に恋人とボクの両方の手を握って欲しいとひっそり願った挙句の台詞だったという事を。ボクの差し出すボロ傘を、万が一の時の為に持っておく狡さがキミにあって欲しいと願ってしまったのだ。
(そうか、今ボクは彼にボクの為に狡くなって欲しかったんだ?……彼は無意識にそれに感づいて?)
彼を守りたいと思いながらその実彼に縋るボクの無自覚。そんな疚しいボクの矛盾の手を強く振り払い拒絶する彼の無自覚。そんなものを繰り返し言葉にし合う事で見えてくる様々な本当のボクの醜い姿。
「着飾らない裸の姿を理解し合う?王子の思う事は大事にすべき家庭に対する破壊行動だ。相手の我慢なしでは成り立たない」
「何それ。我慢はいらないって話なんだけど?それはお互いがって事だよ?結婚した後どうしてもボクを許せなくなっちゃったなら我慢しないでボクを切ればいいだけだし」
(無理は承知。でもそれだとあまりに辛い。二つの手を、ボクと、まだ見ぬ彼の可愛い愛妻と。試してみてから考えればいい。じゃないと、じゃないとキミは、そしてボクは)
その思いは善意に似せたボクの邪ま。
(だってキミは人を見る目がないんだもの。もしその子がボクみたいに狡猾な人間だったらどうするの?保険だよ。逃げる先がないと怖くて不安だろう?ボクならいつだってキミに優しくしてあげられる)
「築いてしまったものを後から簡単に、しまった、って思っただけじゃ壊せねぇんだよ!」
(キミもまた愛する人の裏切りの全てを受け入れて歯を食いしばって笑おうって言うの?やめてよ、だからってボクの事、こんな場所に一人置いて……)
突然ボクは心の中で悲鳴を上げた事でそれに気付く。
――いやだ、置いて行かないでよ、ザッキー
ただし、ボクはとても嘘つきなので、当然それを赤裸々に吐き出す事はしなかった。いや、出来なかった。よってボクの思いは彼に届かず、次々に溢れる言葉尻の出鱈目だけがことごとく潰されていくばかりになった。
「全くキミらしい物言いだね。生真面目で、そして正しい」
彼は狡くない子で、責任感もとても強い。やるからには最後まで。どんな時もぶれない彼の中の論理。歯噛みしながらも至極彼らしいものだと思った。ボクは、二つ心を持たない彼の在り方にまた一つ理想を見つける事になる。あれも欲しい、これも欲しい。誠実な彼はそんな事など思わないのだ。些末な己の欲望に負けない。全ての事柄に置いて真剣で、常に強い信念を持って己を律している。今まで出会った女性達が誰も持っていなかった高潔だった。
(そうやって本当に大事なものにだけ集中して、身を賭して守っていくって言うんだね)
彼はやはり一貫して素晴らしい人間性の持ち主であり、反面、彼の傍に座れぬ小さな自分が酷く惨めなものに思えた。ボクに向けられていたはずの彼の目は、もうここにはすでにないのだという痛烈な実感。ありありと感じる孤独。
やってみてわかったのは、今受けたこの傷をも、ボクが欲したものだったという事だった。ボクがいつも人間関係に不真面目なのは向き合う事で負うこの手の傷の痛みが怖かったからだ。また、傷を負えば受けた傷より重いものを相手に返さずにはいられない酷い残忍性も持ち合わせていたからだ。いいものだけ欲しかったボクが、繰り返し続けた過ちだった。相手に自由な物言いを許さないボクの気性は、まさに今彼が指摘した大きなボクの欠点だった。我儘で、凄く不誠実で、高慢で。まさしく正論だ。ボクの狡猾は彼の前ではゴミクズと同じ。あまりにも彼に相応しくない今のボク。捨て置かれるにあまりにも当然の。
「……スイマセン、言い過ぎました。俺、なんか混乱して」
(違うよ?そうじゃない、キミは全然謝る必要なんてないんだ)
彼の言葉を引き出したのは自分。率直な言葉を求めたのは自分。その事をちゃんと彼に理解して欲しいと思った。ゴミクズなのは既に知っていた事だ。いつも彼の言葉に腹を立てていたのは、その全てが紛れもない真実だったから。
「なんで?キミはキミの正しいと思う事を率直に言っただけでしょう?褒めてるんじゃないか」
(本音だ。皮肉でも嫌味でもなく、本当だよ、ザッキー)
自分で知る事は上手でも、聞いたことを理解するのがとてもとても下手な子だからもうひと押し彼には必要なのかもしれないとボクは考えた。ボクは今、ボクの中に生じた痛みではなく喜びの方を強く彼に伝えるべきだ。きちんと、そして誠実に。今まで以上に気持ちを込めて。彼は人を簡単に傷つけるけれど、その事で自分自身に深手を負う繊細を持っている。もうあんなにも尻尾を丸め、耳を垂れて、これ以上ないくらいにしょげている。
(もっと意識的に言葉にする事を頑張ろう。それにはまず表情、そして口調に気を付けて……そうさ、やるべき基本はこれまでと同じ)
「ボクだってキミの言ってる事正しいと思うもの。今みたいな感じ、ボクすっごくいいと思うよ?」
やってみるととても難しく、途中で軽くふざけてしまった。もう、冗談めかすのが癖になってしまっているのだな、と再認識した。いつも彼とチグハグになってしまうのは、自分が原因なのかと思い至る。
(ねぇ、頑張ってキチンと話せばちゃんとキミの心まで届くよね?その傷だけでもケアしたい。どうやればいい?)
だから彼にわかってもらいやすいような率直で素直な言葉を探して探して、
(なんて言えば?伝えたいんだ、ボクが今思ってる事。感じてる事。キミが如何に凄いかって事、キミはとても素敵だって事……つまり……)
そして、その最後の最後にボクは。
「つまりボクはキミの事が――好きだって事」
そんな平凡でありふれた一言がボクの口から突然ほろりと零れ落ちてきた。
駆け引き抜きにこの言葉を口にしたのはただの一度もない事だった。もしそうならそこへのドラマチックな流れを全て整え、シチュエーションを最高潮に煽ろうとしていたに違いない。けれど、今は本当に自分でも思いがけずただただ、ほろりと。唐突で、そして味気ない何てことはない素朴さのままで。
それでも彼は目を白黒させながら久しぶりにボクをちゃんと見てくれた。
(やだ、恥ずかしい。本当にちゃんと伝わっちゃったみたいだ。ボクが本気で言ったって事)
戸惑いながらもボクはとても満足だった。
(でも、ああ、この目だ……ザッキー、今、ボクの事見てる。ボクの事だけ……)
以前のようにボクを見つめるその姿が見れたのは、彼がくれたボクへの頑張りのご褒美に思えた。
(ねぇ、ボクがこうやって少しずつ変わっていけたら、キミみたいに綺麗になれたら、またそうやってボクの事を見てくれる?)
結局、ボクは彼に揺らされた振り子の作用そのままに、この、ボク個人としての大切にしてきた価値観の主軸をポッキリと自らの意思で手折ってしまったのだ。思っていたのと全く逆に、それも、とても無自覚に。
「ちゃんと覚えておくんだよ?」
この瞬間をボクが忘れられないのと同じに、彼の記憶のどこかにも片鱗でいいから残って欲しく思った。今のは大切な大切なボクの本当の言葉。
(ザッキー、頑張ればボクなれると思う?キミと過ごすにふさわしい、本物の王子様に)
彼の持つ見知らぬ女性への恋心の邪魔をするとか、彼の気持ちをはめ込むとか。そんなものの一つもないままに、ただひたすら前を向いて歩きだす。そんなボクのあまりにも不器用な、けれどこれ以上ない澄んだ心。
(待ってて、ザッキー。今行くから)
追いかけっこの始まりだった。
