恋は層成すミルフィーユ
【11898文字】
タイトルのイメージとは全然違う、ギスギスと喧嘩ばかりしているビターなジノザキ。気を許した相手にはその偏屈さが出てしまう飼い主と、実は子供のような素直さを持つ飼い犬のいわゆる仲が良いほど喧嘩をする的な、屈折した恋を書きたかったような……でもなんだかくどくてまとめきれず途中で放り投げてしまいました。まだまだ続いている話なんですがすでにおそらくは数年前の作品で、一旦切り上げてUPしました。
「俺達は強くなってきたんじゃなかったのか?って感じ?」
赤崎の仏頂面を揶揄するようにジーノが笑う。今世界大会の結果に愕然とする赤崎にはそれが気に入らなかった。
「なに?怖い顔」
「他人事みたいな顔して言うんですね」
「そんなことないよ」
「そうですよね。あんたは日本国籍を持つ日本人なんだから外様じゃなくて当事者ですよね」
「……」
「お山の大将よろしく、高みの見学って身分でもないでしょう?ねぇ、王子?」
互いのプレイスタイルやサッカー観の話になると必ず相容れない部分が露わになって、こうして沈黙が訪れる。これはいつもジーノが肝心なところで黙秘を決め込んでしまうためだった。衝突してでも相互理解を求める赤崎と、衝突そのものに価値を見いだせないジーノは、そういう意味では鬼門の組み合わせとも言えた。
日本代表選出は選手の誇り。人一倍その思いが強い赤崎には、ジーノの考え方が理解出来なかった。オールスター選出などもお祭り行事とはいえやはり光栄なはずなのに、目の前の男はわけのわからない理屈で辞退を決めもんだりもする。
「おー、こわ。さわらぬ神に祟りなしだね」
首を竦めてカウチから去ろうとしているジーノの腕を捉えて引き留める。
「どこ行くンスか」
「ん?喉乾いたなーって」
「あんたがそうして日頃水とか飲んでるのも体調管理のためでしょう?炭酸系には一切手を出さず、朝は必ず柑橘系の生ジュース。冷水は試合の後くらいでそうじゃない時は内臓を冷やし過ぎないために常温で。しかも一度には沢山飲まずに少量を回数分けて」
「考え過ぎ。単に好みの問題さ」
「嘘だ」
「そんなことに嘘ついてどうす……っ」
急に腕を引っ張られたジーノはバランスを崩し、ソファに片手をつかざるを得なかった。思わずムッとして非難がましい目を赤崎に向ける。
「危ないだろう?」
「あんた前に言ってた……日本人選手はスピードがあり、真面目で、ハードワークを厭わない。でしたっけ」
「……言ったのは僕じゃないよ。そういうこと言ってる他国の監督の記事を読んだってだけで」
「ああ、知ってますよ。でも、あんたも同じ事思ってンでしょ?」
「さあね」
「そんで何でしたっけ?早くプレーしようとする意識が強すぎて、走る事、しかも効率を欠いたそれにエネルギーを費やしすぎる、でしたっけ?」
「それも僕ではなく」
「でも同じ事思っててあんたは。だってそういうプレイじゃないですか。あんたのプレイ。違いますか?」
いつものように素知らぬ顔でジーノは手首を掴んでいる赤崎の手を振り払おうとするが、がっつりと食い込むような握力がそれを許さない。こんな強引なやり方をされた事は今までなかったし、また、当然させてもこなかった。癇に障ったジーノが文句に口を開きかけると、それより先に赤崎がこう告げる。
「この前椿に言ってたの、聞きましたよ」
思いがけない展開にジーノは少し驚く。今日の可愛い飼い犬はジーノの想像以上に、激しく混乱していたのだった。
「言ってたって、何をだかサッパリ」
「普通はそういうやり方90分持たないのにねって」
「ああ、あれ。聞いていたのか」
「そんで……椿に……今の代表にピッタリな特性だ、って」
「……」
「こういう事出来る人間も、いるもんなんだね、って、あんたは……あいつに笑って」
トーンダウンしていく赤崎の姿に、ジーノは呆れたような苦笑いを浮かべながら、やれやれ、という風情で赤崎の隣に座り直した。らしからぬ態度の原因はこれか、とばかりにジーノは赤崎に声を掛ける。
「なんの話がしたいんだかね、困った子だ」
「俺は自分のことドリブラーだと思ってます」
「ん、そうだろうね」
「あんたは俺には……」
「……」
「なんでもかんでもやろうとすんなって」
「ハハ、そんな事言ったっけ?」
「言いましたよ!だからさっきの……今の代表のスタイルを馬鹿にしたような事もわざわざ俺に言ったり」
「別に馬鹿にしてなんか」
「わかってます!」
近い距離で怒鳴られた事でジーノはさも不快な表情で僅かにその身を躱しこう言った。
「少し落ち着こうか」
「俺は至って冷静ッス!」
ジーノは喉が渇いていた。今しがた食い入るように放送中の試合に見入っていたのは赤崎だけでなくジーノも同じ。試合の熱気がモニタ越しに伝わる事で、自分自身がプレイをしていなくとも、時折体が水分を強く欲したりする。けれど、ジーノがそんな厄介な性分を持っている事にも、自分の欲求を最優先に行動しがちな男がそれを抑止して大人しくここに座った意味にも、赤崎は一向に気付けなかった。それはつまり当人の鈍感以上に、説明してまで理解してもらおうとは思わないジーノの、強い秘密主義による結果であった。赤崎は程よくジーノを知らない。だがしかし知ろうとする事を諦めなかった。
「わかってます。俺は椿とは、違う」
「……」
「あいつは、本当にいつもガムシャラで、一生懸命で……名声とか、主役になりたいだとか、そんな邪念も全然なくて……ただひたすらにボールを追うだけで」
「……」
「俺とは違う」
「そうだね」
「!」
「君とは違うね。全然。無垢なんだ」
違うと自身で口にしながら、ジーノがそれを繰り返せばショックな顔をして見せる赤崎。当然ジーノはわかっていながら敢えてそれを口にしていた。赤崎もまたそれを察知してしまう力は持っているので、二重の意味で傷付いた。ジーノはこうして赤崎の同調力を、時々凶器にしてしまう。そこまでわかっているなら自分でその意味を考えればいいじゃないか、と突き放すような物言いをする。
「やっぱり……王子も……」
しかし何故ジーノがそれをやるのかという事に、赤崎はいつも気付かない。そこに込められた思いをジーノ自身が赤崎に説明しないせいだ。手厳しさはジーノの赤崎に対する期待故。肝心な部分はどれだけ妨害を受けようと、自分の力だけでたどり着き理解して欲しい。そう思ってしまう事は、ジーノの傲慢なまでの我儘とも言えた。
「ジェラシーかい?くだらない」
「……」
「いじけた子って不愉快だ。全く、ガキじゃあるまいし」
重なる辛辣。カチンときたと同時に更に傷を深くする赤崎の姿。ジーノは毎回一度これをやってしまっては、ようやく自分のやり過ぎに舌打ちをする。夏木にしろ、椿にしろ、表だって凹みやすい姿を晒せる人間は逆説的に寧ろタフだ。一方、他人に弱味を見せられない赤崎は、その分とてもデリケートだった。また、特にジーノの評価に関して過敏すぎる程反応してしまう事を、ジーノ自身こそがよく知っていた。そこに敬愛と崇拝の意があるからこそ、赤崎はジーノの言葉に耐えられない。なのにジーノはどうしても、赤崎を是正したがっていた。何事も軽くいなすジーノにあって、珍しく解決の芽がない苦悶の種の一つだった。だからそういう時はやれやれといった風情で、弁解のような導きの言葉を僅かに口にせざるを得なくなる。
「僕はバッキーのあの特性を欠損とみるけど、どうやら君はそうでもないらしいね?」
「え?」
「アスリートでもそうじゃなくても。僕はどんな人間でも貪欲であるべきだと思ってる。バッキーに欲がないとは言わない。でも、自覚できない分だけ彼はそれを上手く力に変えることが出来ない。ムラがあるのはそのせいだ。やっぱり欠損だよ。それも結構致命的な、ね」
「そ、そんな事」
こういう話をするのが嫌なジーノの言葉には、嫌さの分だけ棘がある。そしてその棘の鋭さの分だけ、ジーノの中には更に忌々しさが増す羽目になる。しかし何故わざわざこれをやるのか。解はたった一つ存在して、けれど当の赤崎はわからない。その事がジーノにとっての救いで且つ絶望だった。ジーノは自らの真意を掴まれては生きていけない程秘密主義で、なのにそれを理解してもらわねば息詰まる程苦しかった。
「ないと思う?バッキーはいいセンス持ってると思うよ?馬鹿げてるほど体力もあるし、ある意味無神経な程忍耐強いし。環境が整うラッキーがあれば実力を発揮できる場面もあるだろう。でも、常用するにはとても難しい選手だ」
厳しい目をするジーノの姿に、赤崎は言葉も出ない。まさかこんな風な言い方をするとは思ってもみなかったせいもある。ジーノの日常の中の言葉は全て受容の形をして、あの夏木に対する言葉でさえその裏側にほのかな受け入れがある。ジーノの忌々しさは状況に対して向けられたものであったのだが、それが椿に対する攻撃的な姿をして現れる事で、赤崎は戸惑いばかりになってしまった。気のいい番犬がこの反応をする事は、当然ジーノもわかっていた。それでも置いて行くように淡々と言葉を連ね、自らのイライラ(説明不要と思いながら説明したがる自己矛盾)の払しょくを試みる。
「心理的なバランスを崩せば、だから俺は駄目なんだ、で済ませるような選手……果たしてプロと言えるのかどうか。まあそれもこれからの話だろうけど、随分とまあ悠長な、とは思わなくもない。だって、いつまでこれからなんだい?彼はもうサッカーを生業としている立派な成人なのに」
「……」
「根本的な部分の問題だ。普通はもっと早くに岐路に立つものなのに、彼は愚かな分だけ宿題を先延ばしにここまで来たんだ。奇跡だよ。ラッキーなのか、アンラッキーなのかはわからないけれど」
「王子……」
「何?」
「椿の事、嫌いとか、そういうんじゃないですよね?」
「何故?さっきまでヤキモチを焼いてたくせに。違うよ?僕は彼の事を好きだよ?君と同じに」
「俺と?」
「違うのかい?君は彼に心惹かれて、でもその分と等しく辛い」
「……」
「時に憐れにも映る彼の姿。デリケートな子供の心のままであんなところまで行ってしまって。でも、本当に憐れなのはボク達なのかな?ねぇ?ザッキー」
ボク達。そう表現するジーノの真意が赤崎にはあまりにも理解出来なかった。昔も今も、目の前にいるETUの貴公子はその天才性で名声も何もかも欲しいがままにしてきた男。椿と同じ世界の人間。赤崎はずっとそう捉えてきたからだ。欲がないのはこの人も同じではないのか。では、今この男の語る椿の愚かは自身に向けた言葉なのか。
「人は貪欲であるべきだ。そして、その欲を諦めるべきじゃない」
「……」
「バッキーの自分しか見えてない自分本位なところは、きっと君が治してあげられる。ザッキーはとてもよく周りが見える子だから、いい手本になるだろう」
「王子」
「周りが見えすぎちゃって、車の中で一生懸命隠れてたんだって?ハハハ、あの車、そんなに恥ずかしかったのかい?」
「!」
「ま、冗談はさておき」
そう言ってジーノはやんわりと赤崎の肩に手を乗せる。
「もう一度言おうか?ボクのポリシーであり、主義主張であり、そして有名なあの人も言った言葉」
それはもう言うまでもないジーノのスタンス。何度となくそれを矯正しようと監督達は男と戦い、どうしても男を変えられなかった確固たるポリシー。だからジーノの代わりに赤崎が言う。
「“ボールを走らせろ”ですか?」
「そうだね。スプリット回数やチャージの回数に一体なんの意味がある?動くのは相手やボールで十分。なのにそれをやらなきゃいけないって事は……」
そうして、言葉を憚るように赤崎の耳に唇を寄せ、ひっそりと愛を囁く様にこう続けた。
「“無能”って事なんだよ」
残虐過ぎるこの発言は、根底にそれがある事を匂わせながらもジーノが一度も口にしてこなかった言葉だった。
「対策が後手に回っているんだ。つまり、戦う前から負けているって意味」
そういってチュと頬にキスをして、その事にも気付かない程動揺でボンヤリとしている赤崎の様子に苦笑しながら、スルリとジーノは立ち上がった。向かったのはやはりキッチンで、滑らかな動線で水を手にしては再び赤崎の元へ戻る。けれどその間も呆然として何かを一生懸命考えている風の赤崎は、ジーノのその挙動にも気付く事がなかった。赤崎に自分の渇望を察知されないまま喉を潤せた事はつまり、ジーノにとっては先手に回り勝負に勝ったという、日常の中の小さな闘争(サッカーに模した遊び)でもあったが、やはり赤崎はそれにも気付く事がなかった。
「ザッキー。人は何もかもを同時にやる事は出来ないよ」
「……」
「普通はね。同時にやりこなすと言うより、一個一個を小分けに処理する。わかる?」
一口含んではテーブルにそれを置き、ゆったりとソファに座り直しては赤崎の髪を弄る。
「だから、やるべき事から手順よくやる必要があるし、それを制御する能力が必要だ。効率的な意味も含めてね?」
これもまた言い方を変えて赤崎が何度も言われてきた事で、サッカーにおいて何よりも優先すべきは状況判断であり、それを実現する為の体作りであり、それを高めていく為の原動力が情熱だとジーノは何度も何度も赤崎に伝えた。
「選手がトップフォームで居られる期間があまりにも短すぎるからッスよね……」
「まあね、しょうがない事なんだよ。この競技を選んだ宿命だ」
「……」
「タスクを細かく分割して優先順位を判断してチョイスする。そのスピードの向上はそもそものセンスであり、そして訓練でもある」
そう言いながら当たり前の様にもう一度唇にキスして、本人も気付かぬ渇きをかわりにジーノが癒してやる。こうして男は常に己の中に生じた(意識的に生じさせた)タスクを細かく分割しながら、あたかも同時にそれを行うかのような顔をしてみせる。
僅かにかさついていたその唇は水分を得た事で、やや調光の落ちたリビングにツヤリと輝く。ジーノはその様がとても好きで、自分の言葉を意識無く心と体の深部に沁み込ませていく才を持つ赤崎の、その象徴的な光景と考えていた。だから赤崎が受け止めたものを懸命に取り込んでいる隙に、更なる潤いの一口の為にもう一度それに手を伸ばし口に含んだ。
「センスで……訓練……チョイス……」
そう呟く口元に近づけば、無意識ながら赤崎はジーノからの潤いを自ら求めるが如くそれを受け入れる。ジーノはコクリと僅かに動くであろうその美しい喉が、キス中の自分から見えない事をやや残念に思いながら話を続ける。
「君はどうしても意識してしまう。選択肢が見えてしまう事で理想と現実の差異が生じ、そこに混乱と、強い不満が」
赤崎はピッチ上でバックラインの人間に想定通りの動きをしない事を責めたりする自分を思い出す。
「つまり、それが君の中に生じる出来なさ感の正体だね」
もう一度ジーノが潤いの元に手を伸ばしかければ、赤崎はそれを留めるようにスルリとジーノに絡み付いた。もう十分であるらしい。
そして、ジーノの首元に触れる赤崎の耳は、次なる渇望が故に僅かに熱を帯びていた。自らそれを乞うている事も自覚ないまま、赤崎はジーノの手によりソファに沈んだ。言葉と行為と水の記憶。それは最早意味と言うよりも感覚の世界で、こういった繋がり方が出来るのはこの世で赤崎一人なのだとそんな事にジーノは酔った。そして、その稀有な才能を、貴重な現象を、やはり相手に伝える気は一切なかった。
「バッキーは自分が出来た事について、理由や理屈を認識する必要があって、でもそれがなかなか出来ないでいる」
上気する耳はジーノの唇に優しかった。露出する事でいつもそれは少し硬く、でも丁寧に食んでいけば、耳朶はジーノお気に入りの弾力を取り戻す。それに満足を得て、舌先は耳輪の内側へ。赤崎の体の中でも特に執拗なやり方で育てられた器官への刺激は強すぎれば苦痛にも似て、殊更繊細さを心掛けながらジーノはそれを楽しんでいく。
「僕達は自ら見た結論から行動を導いていかねばならない。プロセスが全然違うんだよ」
欲望と渇望があるからこそ、満たされる。そう言ってジーノの指先は赤崎のそれを次々に引き出すが如く体を這う。やや乱れた呼気は頬にキス寄せるジーノの髪を撫で、囁く言葉より奥に広がるジーノの真意が赤崎の耳を擽る。当初こそ赤崎の強引さによって体感させられる思いの不通に不快を示していたジーノだったが、今はそのズレこそが満ちる為のステップであると悦びを見出しているとさえ言えた。
「……ぁ、……んぅ」
働きかければ極自然にジーノに引き寄せられる赤崎の心は今やピッタリとそれに添い、甘い音を口から漏らし、頷く様に従順な様で震えている。
「僕達と別の種であるバッキーに嫉妬するのかい?それはとても無意味なことだ」
心添う毎に去来する赤崎の思いは、
(違う、王子はあいつと同じで、俺には添ってくれているだけで……だから俺は……)
であって、その固いしこりのようなわだかまりの存在もまた、ジーノが赤崎を愛する、男の在り方の一部だった。ではジーノは何故それをやるのか。赤崎はそこを深く突かない。ジーノもまたそれをされるのはまっぴら御免で、真実か誤認かを互いに口にしないまま、二人は延々とこの痛みを心地良さに変えて今日も丸ごと抱え込む。だからこそ二人である事を欲するのだと、二人で居続ける事が出来るのだと、赤崎は無意識に、ジーノは自覚的に知っていたのだった。
「王子、一緒にいてください、俺と」
少しでも体が離れれば死んでしまうとでも言わんばかりに、赤崎は息も絶え絶えに縋りついて、その思いを受け止めるようにジーノもまた抱き返した。
「もっと一緒に……行かないでください……どこにも、誰のところにも、王子」
この言葉を口にするのが誰よりも不釣り合いな赤崎だからこそ、ジーノはそれを得る事に悦びを感じる。気付かれぬ様、満足気に笑う。これが欲しくて、欲しくて、得ても得ても、それでも欲しくて、こうして飽くことなく自らの渇望を満たし続ける存在に対してジーノは、何度も何度も囁き続ける。
「また君はそれを言うのかい?僕が不愉快になるのを知っていて?」
刷り込む他愛無いジーノの嘘を、今日も真に受け赤崎は震える。
「行かないよ。僕は君を手放すつもりなんて、さらさらない」
その後の本音の囁きもまた、繰り返される度に沁み込んでいった。けれど赤崎は慢心する事無く、ジーノの心を測らざるを得なかった。受け止めても受け止めても、結局は何もないが如く、もっともっと心が欲しいと、迷子の子供のように心細く泣く。
「嘘だ王子、俺は知ってる」
「本当さ」
一つの嘘を見抜けないばかりに、全てが虚無になってしまう。
「知ってる、あんたはそう言っては今すぐにどこにでも行ってしまえる。平気な顔で。だから、俺は、」
虚無の中、闇雲にその腕を伸ばし、欲しい男を渇望する。
「いつでも置いていかれるところにいる。だから必死で、力づくでもって、あんたにしがみ付いているしかなくって」
「シッ……もういい」
自らのプライドをズタズタに壊しながら赤崎が乞うて、ジーノはその痛々しいまでの求愛に、罪悪と、官能を同時に得る。出来ないような事をやらせ、弱らせ、縋らせ、その憐れでジーノは己を満たす。
「そんなに僕と一緒に居たいのかい?」
従順なままに震えながら、必死になってジーノを待つ。
「……王子、……、おう、じ、俺のこと愛し、て……く……」
赤崎自身、絶対に言いたくもないような事。ジーノもまた絶対にそれを許さない事。惨めさと、卑屈さと、そうしてまでもと求める心。
「は、やく……王子……」
抑えきれず溢れ出す切望の言葉は、数々の心理的障壁を乗り越え、だからこそ悪趣味紙一重のこの行為こそ、洗練された愛の極みだとジーノは思う。だから更に煽りたくなる。美しい心を持つ自尊心の高いこの男から、素のままの欲望を引き摺り出して、何にも代え難きものとして、恍惚としながら愛したかった。
「一杯愛して欲しいんだったら、もっと……ほら、頑張らないと」
ジーノが、赤崎の右の小さな先端に爪先の刺激を与える。思わず息を呑んで体は跳ねて、けれど赤崎は唇を噛んで必死にそれに耐えていた。この場合の頑張るの意味はまさにそれで、よりよく長く行為を楽しむ事を望むジーノの為に、煽られる欲望の責苦に赤崎は全力で抵抗せねばならなかった。しかしながらそれ故長引く行為の時間が、自らの体を否応なしに開花させて、回を重ねる毎に責苦は責苦として壮絶を増す。
「……ぅ……」
「そう。声なんてものはそう簡単に出しちゃ駄目だよ?面白くないし、下品だものね」
愛玩される事で上昇する体温によって赤崎の肌はしっとりと汗ばみ、その特有の香りを堪能せんがためにジーノは大きく息を吸った。そして吐き出されるその息はやはり赤崎の体を鋭敏にし、ささくれのように己が存在を主張する産毛をジーノは、唇で楽し気に戯れる。これは澄み切った愛の行為でありながらも拷問のそれで、簡単にギブアップをする事を許さないジーノのその目がジッと見ていた。
「何?」
喘ぎを抑制されたその口元からそれは漏れて、ジーノはそれを許可するようにもう一度言う様に優しく促す。実はしっかりと聞こえているそれを、何度も耳にせんが為にわざとらしくやる。
「……、……れて」
「いい子だ。でも、もう少しだけ頑張って誘ってごらんよ」
そうして研ぎ澄まされた体の隅々を、いたぶるように愛撫する。極まらない様に、もどかしいまでに。カタカタと震えながら赤崎は呻くような声で呟く。
「……ゃ、ぁあぅ」
「こういう時はそんなに強く目を閉じているものじゃないよ」
堪える瞼にキスをすれば、赤崎はやっとやっとで薄目を開けて、近過ぎるジーノの顔に驚く様に、再び強く瞳を閉じてしまう。
「駄目。開けて?」
自らの体を熱くしている人間がジーノである事は、現実でありながらも夢のような出来事であり、開けているように強いられる事で赤崎の心音は一気に速まる。
「そうそう。本来これは互いを確認しあう行為なんだ。目を背けている事は失礼にあたるよ?」
眩しくて見ていられないと言わんばかりで、けれど赤崎は必死になってジーノの指示に従っていた。ガラに合わない究極の従順。ジーノは嬉しくなってそれを褒めた。
「いいね。こうやって視線を繋げて、言葉を繋いで……そうして初めて」
「……」
「体が繋がる意味が出来る。そう思わない?」
「ふッ……」
「誘って。もっと上手にね」
この時、ジーノが赤崎の下腹部に手を伸ばしたので、みるみる体がそれを求めて男は無意識に腰を上げた。この無自覚な淫らがジーノの笑みを呼ぶ事も知らぬままに、局部の露出が更に進む。赤崎の目ははやり開きながらも焦点の合わない遠くを見つめ始めて、完全に自我が飛んだ形で次々に卑猥な言葉は繰り出された。
「いいよ、もっとだ」
「王子……」
「ん?」
「おねが……も、……無理」
大きく開かれた足はジーノの体を挟み込んで、早く、それを、とおねだりする。
「うん、そうだね。今日はよく頑張ったよ」
潤滑の剤を手にするもままならぬ事に苦笑しながら、ジーノは焦らす様にその長い指を挿し入れてやった。
「あっ……」
今日の中で一番の嬌声が一瞬上がり、呪文のように赤崎は言う。
「……いい、王子、気持、ち……い、いっ……」
弱々しい獲物の零す言葉は哀願と忍耐のそれで、もう一声、もう一声とジーノが追い詰めるようにそれを求めた。
「もっ……いじっ……俺……王子……」
「嬉しいかい?僕にいじってもらえるの」
「……きも、ちい、いっ、あっ!王子、もっと、し……おね、が……」
「今日は何をそんなに恐がっているの?」
「おね、が……俺の……ああっ」
「大丈夫だよ、うんとしてあげる」
「王子は、おう、じ、は……」
「何?」
「いや、あいつ、には、しな、……で……くッ、ぅあ」
そして快楽の海の中で、自我が完全に崩壊する。赤崎はいつでも捧げてしまう。ジーノには隠し事など何一つ出来ない。
「おやおや。君って子はなんて事を。いいのかい?バッキーはお気に入りの後輩なんじゃないのかな」
お気に入りだからこそ、裏切りを言わせたい。それを何よりも厭う赤崎だからこそ、あえて自分の為に選ばせたい。ジーノは自分の在り方を最低だと思いながら、もっと言えと後押す様にゆるゆると指先の刺激を高めていく。
「これ、俺とだけ、気持ちいい、こと、し……て……」
その瞬間、よく出来ましたと言わんばかりに、ジーノは赤崎にジーノをあげた。
「あぅッ」
「ゴメン、ちょっと痛かったかな」
特段悪びれる風でもない声掛けをしながら、ジーノは抑えきれぬ欲望のままに赤崎をジワジワと貫いていく。それでも赤崎は抵抗するどころか悦びに打ち震えるように首を横に振る。
「そ?今日は乱暴にされたい気分なのか」
ジーノ自身が激しさを欲する状態でありながら、まるで赤崎の願望であるかのように言い放つ。朦朧とし始めている男の顔を見下ろし、悠然とその姿を堪能する。
「あ……、おう、じ、これ、俺……だけ……」
「どうかなぁ、だからそれは君次第なんじゃないかな?だってわかっているんだろう?僕が束縛を嫌う事」
求める程に振りほどかれて、なのに溢れるように与えられる。ジーノの椿と自分への扱いの違いから始まった嫉妬と卑屈は、ジーノ自らの手で大きく煽がれて赤崎を焦がす炎になる。束縛を強いれば失う事を知りながらも、それをせずにはいられない。
「う、……嫌だ、俺、だけ、王子ッ」
「あれ?どんな事も我慢するんじゃなかったのかな。僕が何をしようと君は傍に居させてほしいのだろう?果たしてそんな条件付けなんて出来る立場なのか」
「あッ、!」
いつになく強引で痛切なジーノの仕打ちに、赤崎はまるで自ら痛みを乞う様に激しく体を揺らし、もう堪える意思すら飛ばしたままただひたすらにジーノを貪っていた。
「ああ、そんなに大声で激しく……とっても下品だね、今日のザッキー」
「おね……、ぅあ!もっ、俺だけ、」
「どうかなぁ?」
「王子、ッ、あ、あ」
「気持ち、いい?いつもより興奮しているようだ」
「~、あ……、もっ……おう、じ、もッ、と」
「すっかり飛んでしまっているみたいだね」
ほぼ言葉が頭に届いていない事をしっかり確認した上で、ジーノは更に激しく赤崎を穿つ。可愛い番犬の口端に光るものを蜜のように時々舐めては、我慢しきれないとそれを言う。
「ザッキー、可愛いね。大好きだよ」
言語解釈が飛んだ世界ではやはり感覚だけが全てで、赤崎はジーノの思いを言葉でなく皮膚と幻想の形で受け止めていく。それをジーノが理解するのは、赤崎の体中から溢れ出した歓喜がジーノの全身をも包んでいくからだ。
(ああ、すっごくいい。わかっているかい?ザッキー、こんな事が僕と出来るのは、本当にこの世で君だけなんだ)
窒息してしまいそうな幸福の渦はこうしていつも二人を丸呑みにして、だからこそ互いが互いに、失い難いそれを失う恐怖を強めていく。
「あ、……好き、……おう、じッ、あ、あ、ぁあ、……ぅんッ!!」
そんな中で欲望は一気に高みまで駆け上がって、いっそその高みから身を投じるが如く二人は絶頂の中で思いの全てを確かめ合った。体が強張って身動きもとれない程の強い快感の渦の中で、それでも赤崎はジーノに言った。
「好、き……お、うじ……す……き……」
飛んだような意識の中で、それをどれだけ口にしてもしきれぬみたいに、はたまた迷子の子犬の鳴き声のように、赤崎は延々と言い続けていた。そしてジーノはこれこそが、とこの時最大の充足に至るのだった。
つまり、赤崎を限界まで追い込んで追い込んで、そうしてジーノはようやくこれが得られるという事だった。嫉妬、独占欲、そして相手を顧みない我儘な自分勝手。ジーノも赤崎もこれが嫌いで、嫌いだからこそ相手のそれを互いに欲した。赤崎はジーノを束縛し、ジーノはそんな赤崎を蹂躙する。視線と言葉が繋がる事で、ようやく体が繋がる意味が出来るのだとジーノは言った。けれど、実際は体を繋げたその先に、言葉ではないもので互いの思いをぶつけ合って、やっと“心”が繋がっていくのだ。
(ザッキー、ゴメンね。それでも僕は君に言わないだろう)
これが起きる時、常に赤崎の心は飛んだままで、自分を取り戻した頃にはやはり怯える子犬のようにジーノに縋った。もっと意識がハッキリ戻れば、理性が二人を引き裂いた。
*
そして明日も赤崎の視線はジーノを必死に追い続け、無視するようにジーノは笑った。
天性の才を持つ男はいつも何事にも興味なさげで、ひらひらとあてどなく彷徨う蝶のような所在無さに赤崎は日常的に渇望した。
――人は貪欲であるべきだ。そして、その欲を諦めるべきじゃない
けれど人を愛する事に不器用な男は、今日も己に生じる激しいジーノへの束縛心を踏みにじられて、必死でそれに耐えていた。
(嫌われたくない。一緒に居たい。俺は王子に相応しくありたい。王子の良き理解者でありたい)
そうして赤崎はジーノの本意を見出そうと会話を重ね、言葉による理解を無意味と捉えるジーノはいつもそれをあしらった。何よりも服従を厭う男がジーノの前で屈服を続け、それでも離別を恐怖する赤崎をジーノは一切宥めようとはしなかった。
(言ったろう?僕は君を手放すつもりなんてさらさらないのだと)
無自覚なまま充足しているからこそ、渇望は増す。諦めない“願い”のようなジーノへの愛情は、溢れ続けながらあの瞬間以外は全く癒える事がなかったのだった。
(もっと、僕を好きになって)
二人の思いは殆ど同じで、深まる自分の愛と同じ大きさのものを互いに欲し続けていた。
(僕だけを……)
(俺だけを……)
夜の数が増える毎に、もう離れられないという思いが募り続ける。恋慕も嫉妬もミルフィーユのように、幾重にも幾重にも無限に連なる。
