お花結び

GIANTKILLING二次創作小説同人サイト

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飼い主 1

ジーノ過去編。やりたい放題妄想捏造閲覧注意。1は小学~中学時代。2は高校時代前半、3は高校時代後半~入団まで(予定)です。ジノ→タツ(尊敬)、ジノ+モチ(肉体関係有のお友達)の話がメイン。ゴトタツもちらっと。少しだけどとても重要なシーン。イジメ表現あり。王子、後藤、達海、持田、彼女、大人達、コーチ達、同級生、ジーノ両親など、大人数。ジーノはバイ設定で性的にフランク。ゲイ設定のモッチーも彼女と軽く。

小学時代~アンニュイ

 日本という国の環境に仲良くなりたかったジーノは意思疎通の為に日本語の勉強を一生懸命頑張っていた。でも、構造そのものがイタリア語と全く違う日本語はジーノにとってかなり難しく、咄嗟に日本語が出てこなくてイタリア語が出てしまうこともよくあった。
 ジーノがイタリア語で話すと、うわ、こいつ何言ってんの?とでもいう感じで、周りの同級生達の空気が微妙に変わる。そのことで自分から積極的に話すのが少しこわくなった。ただ、同級生の反応の理由は、カタコトな日本語に比べて流暢なイタリア語で話すジーノの姿が、まるで別の次元の人間であるような美しさを持っているせいだった。思わずドキッとして見惚れてしまうからだった。

 ジーノは同級生のそういった反応が嫌だった。強い疎外感を感じた。だから、特に咄嗟にイタリア語が出やすいサッカーの声だしや指示出しなどについては気を付けて控えるようになった。自分がしゃべるとチームメイトの動きや連携がぎくしゃくとしてしまって、試合が壊れてしまうこともよくあったからだ。

 しばらくしたら、ジーノはいろんなことに対してひっそりと生活するようになっていった。イタリア語が出ないように気を付けるにしたがって、日本語自体もあんまり使用しない感じになった。必要最低限の言葉以外は黙っている方がトラブルにならないと学習した結果だった。
 黙ってどうとでも取れる曖昧な笑顔を傾けるだけでいい。少しでも目立たぬように。少しでも角が立たぬように。そして出来ればほんの少しでも本質的には関わらなくて済むように。奇異な目で見られる場面が減るし、ジーノにとってはその方が楽だった。

 その頃からジーノは前髪を長く伸ばし、まるでその顔立ちの罪悪を隠すかのようにいつも伏し目がちで過ごすようになった。

 そうしてイタリアにいる頃あれほど天真爛漫な子どもらしい笑顔が特徴だったジーノの顔には、深い憂いが刻まれていった。

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 まるで人形のように端正な顔立ちに深い憂いを帯びた表情を持つジーノは、大人の不誠実な欲望を必要以上に刺激した。年齢に不相応なバランスのとれたアンバランスな部分はなんとも魅惑的なものだった。幼いジーノはマンションの住人や家庭教師、その他あらゆる男女を問わない周りの大人達から度々話しかけられるようになる。声を掛けてくる大人達はとても親切で、ジーノを奇異な目で見ないし、とても優しく、同年代の子供たちに比べて一緒にいるとなんだかほっとする気持ちがした。
 そんな風に大人達がいつも親切だったので、ジーノは時々彼らに何かを求められると嬉しくなって必ずYESといった。なんでもYESといった。そしてジーノ人形はその意味もわからずに、自身を切り売りするかのように与え始めるようになっていった。それは凍えた憐れな野良猫が、差し伸べられた手ならなんにでもすがってしまうかのような姿だった。もしくは棚に置き去りにされたままの寂しい忘れられた人形が、ただひたすら遊んでもらえるのを待つような悲しさだった。腕がもげようと髪を引きちぎられようと抵抗しようともしない、そんな憐れな従順そのものであった。

 流れの中でジーノは年齢に不釣り合いな、人肌の温かみから感じる安心感を体験していくことになってしまう。最初は笑顔で話しかけられ、ついでにちょっと髪や顔を触られる程度。ニコニコ笑って受け入れてると、そのうち手を引かれ様々なところに招き入れられ、人目につかぬ場所では頭を撫でられ、優しいハグ。唇の接触、ソフトな愛撫、次第に刺激的な愛撫、そして…。どんどんエスカレートしていく行為。先を想像できない無知なジーノ人形は相手に求められるがままにすべてを委ねていった。

 心のやりとりを必要としない本能的で物理的な快感。触れ合いの中の肌の温かさ。寂しさも哀しさも、それ以外のすべての思考ですら、その時間の中ではなにもかもが停止ししていった。なにもかもなくなり、温かさと気持ちよさだけがジーノの全身を包んだ。ジーノは心の空っぽを忘れてしまうのに、その行為はとても効率が良いものだと感じた。すべてが終わると相手も満たされ素敵な笑顔を置いていく。ジーノ人形はそのこともとても嬉しかった。

 そういう性快楽による忘我の世界を知った幼いジーノは、この行為を大いに気に入った。ああ、この行為はとても素敵、多分救いってこういうこと、そう考えた。

 ジーノは優しい笑顔で彼らの不誠実な性嗜好を次々に屈託なく受け入れる。己の罪悪を感じながらも欲望のまま近づいた男女を問わない大勢の大人達は、ジーノから性快楽以外の抱き留められる慈愛のような無垢な心を受け取り続けた。そうして次々に癒されていった。疾しい心でジーノに近づき、己のすべてを受け入れる綺麗で従順な人形を餓えるがごとく過剰に求めて抱き続ける。その結果、性快楽ではない、心の深い奥底の部分が繰り返し繰り返し満たされていく。己を満たすは目の前にいる無知で健気で幼気な美しい少年。そうして大人達は最後には、そんなジーノに対して不健全な心を抱いてしまったことを恥じ、次第に健全な心を取り戻して日常の世界に戻っていった。

 一方、ジーノの方はといえば、繰り返し複数の人間からかわるがわるそれを求められることで、ドンドンそういうものに溺れていった。ジーノは賢い子どもだったので、大人たちの教えてくれるいろんなことをあっという間に覚えた。ノーマルも受け入れがたい特殊性癖も含めて、快楽を追及するためのありとあらゆる手段と技術を簡単に身に着けていった。その罪、禁忌を意識することなく、安易に、手軽に、なんの葛藤もなく生活の一部として日常化していった。

 人との心のやりとりの拒絶と渇望。その苦痛を肉体的快楽で解消するという間違った昇華の手段。ジーノの不自然で根深い対人的悪癖はもうすでにこの頃からスタートしていた。