飼い主 2
2は高校時代前半。高校時代に起ったタッツミーの「あの出来事」とその前後の話が中心になります。今回のシーンはジノザキ長編の極初期に思いついたプロットで過去編の一番コアな部分。王子、達海、持田、モブ女、平泉、ジーノ両親、トレセン関係者、部活顧問、部の仲間などセリフない人も含めて大人数。ジノ→タツ、ジノ+モチ。
消尽
こいつもう、とても一人で帰せる状態じゃないな
女の家にも戻らない方がいい
人肌が救いにならない以上
からっぽな王子を続けさせるのはうまい話じゃない
持田は足を痛めた自分では彼を送っていくことが出来ないので思案する。持田はこれをいい機会だと感じた。もうこれしかない、とジーノに自宅の連絡先を聞いて迎えを頼むことにしたのだ。持田の選択はジーノを普通の息子に戻すこと。この傷のすべてを包み込む、深くて大きい親にしか出来ないような庇護が必要だと考えた。夢見ることが出来ない男の、全部を支えるたった一つの夢の為の祈り。初めて抱いた強烈で絶望的なこの願いに苦しむ男を支える為に、友達なら、親なら、それくらいやってみせろと覚悟を決める。
持田のかけた電話に最初に出たのは母親だったが、事情を話したらすぐに父親にかわってくれた。不機嫌な様子の父親に、持田は今のジーノの状態を説明した。優しさ、疎外感、自罰的な思い。サッカーへの情熱、親への愛情、繊細で稀有なその才能。知りうる限りの情報を、ジーノが伝えられなかった思いを、丁寧に丁寧に伝えた。
「息子さんはそうやって長い間サッカーだけを心の支えにして、やっとやっと生きてきました。そして今、その理由となった選手が大きな負傷を…。このままではあなたの大切な息子さんは死んでしまいますよ?」
持田は心を込めて言葉を紡いでいく。自分でも柄にもないことをと思いながらも、大切な友人の為にだけそれを行う。直接言葉をやり取りしていたわけでもない想像の域を出ないジーノの内面も含めてわかりやすくゆっくりと。時間をかけて丁寧に丁寧に伝えていく。そして最後に、黙ってそれを聞いている男に、彼を守ってあげてください、と言い電話越しであったが気持ちを込めて頭を下げた。
父親は突然のぶしつけな持田の電話に対して怒るでなく生意気な口をと笑い飛ばすでなく。ともかく今からそちらに向かいますので、とだけ返事をして電話を切った。
* * *
迎えに来た父親を見てジーノは無反応だった。混沌の中の彼は、もはや父親が自身のサッカーの継続のことについて今でも喧嘩を続けている相手だとは認識できないくらいになっていたようだった。逃げ出そうとすることは勿論、反射的に構えるそぶりすら見せずに、ただぼんやりと無言で父親を眺めていた。でも虚ろなその目には何も映っていないように見えた。
父親はそんなジーノの姿に愕然とした。まるで人形のように生気のない、まるで見たこともない他人のような息子の姿だった。つい先日まで、あんなに一生懸命叫ぶように訴え、逃げ続けてしがみついてサッカーから離れなかった息子なのに。今はもうその意思を見せるどころかほんのちょっとした感情表現すら失われて、なにもかも諦めてしまったような姿に父は胸を締め付けられた。
思わず駆け寄って抱きつく男をジーノはやんわりとまるで慰めるかのように抱き返した。腕の中のわが子に向かって、すまない、と涙声でつぶやいた。ジーノは歪んだ悪夢の中に閉じ込められながらも、泣いている可哀そうな愛する父親を認識し始めた。ジーノがポソポソと囁く。
「誰?これも夢?泣いてる?…寂しいの?大丈夫、みんな側にいるよ?寂しくない。家族はみんなあなたが大好き。ボク、あなたの為になにができる?」
ジーノは今この場面で必要だと思われる言葉を選び出してそれを必死で口にしていた。混乱の中にありながらも、自分の世界に埋もれている多重化されたジーノ達の中から親孝行な息子の姿を一生懸命拾い集めているようだった。
父親はかつて幼い頃のジーノが繰り返し繰り返し自分に向けていた言葉を再びこうして口にしているのを聞いて、涙があふれて止まらなかった。持田の説明した通り、自分の状態が最悪にも関わらずどこまでも他者を優先するその姿にこの上もない憐れを感じた。そしてベッドに座る持田に向かってこう言った。
「ありがとう、この子を支えてきてくれて。キミのおかげで目が覚めた。本当に心から感謝する。いつもこうやって生きてきたのだね、この子は。知らなかったんだよ、私は全く。気付くことがなかった。見えていなかったんだ。なのに、この子はサッカーを通じて君のようなとてもいい友人に恵まれて…。本当によかった…」
ジーノはすかさず、
「そうだよ?モッチーは本当にいい子なんだ…。」
と父親に笑って言った。逃げ場を失ってなにもかも喪失した今のジーノこそ、まるで天使のような顔をしていた。持田はここ最近の自分たちの不健全な関係性を思い浮かべながら、それでもジーノがこんな風に言ってくれる事に関して、嬉しくも悲痛な思いが溢れるばかりだった。ジーノはそんなことにお構いなしで、
「あなたはサッカー嫌いだろうけれど。彼はボク達の、この国のスター選手になる人間だよ?ボクの憧れの存在だ。だから…今まで本当に一緒にいられるだけで光栄で…。そう…ボクは幸せ者だったな…。本当に幸せだったんだ…。」
と呟きながら優しく微笑んでいた。一旦、先ほどの妄想的な悪夢が過ぎ去った様子のジーノは本当に幸せそうだった。そしてサッカーのすべてを全くの過去形の話として語っていた。まるでサッカーへの情熱をカットしなければ状態が維持できないかのようだった。ジーノは父親の期待に応えるためと、自身の苦痛から逃げ出すために自分からサッカーを取り上げようとしていた。そうして、もう気が済んだ、帰ろう、とジーノは父に言っていた。視線は相変わらずうつろで、その姿は必死で拾い集めながらも孝行息子に変身しそこなった、あちこちボロボロな状態の脆弱な男だった。どれだけ目覚めたような顔をしていても、結局ジーノは一歩も悪夢からは逃げ出せておらず、今尚、なにもかも破綻し続けているのが明らかだった。
「私は仕事人間で、母親は繊細で優しすぎる女なのでこの子はきちんと甘えることを知らずに育ってしまった。本当はこんなにこの子が傷ついてしまう前に対応できれば良かった。だが、今更言っても仕方がない。思春期ですら通り過ぎるこの遅すぎる時期にあっても、私はこの子にやれるだけのことをやっていきたいと思う。なのに、私はこの子のことをなにも知らないんだ。できれば君の連絡先を教えてもらえないか?」
持田は男が差し出す手帳に携帯の番号を書き、これから色々よろしくお願いします、と言った。
「この子はイタリアに対しての望郷の念を口にしたことは本当にただの一度もなかったんだよ。あまり家にいない私の代わりに故郷に帰りたがっている妻の話を根気よく受け止めていただけだ。ここがどこでも、こうして家族みんなが一緒にいられることがこの世で一番素敵なことだと。夫婦バラバラなんて、そのほうが寂しいに決まってるよと。何度も何度もそういって妻を支えるように…。でも、内心ではずっと帰りたがっていたんだね。」
ジーノの髪を撫でながら父親は話をしていた。その間、ジーノは聞こえているのかいないのか、ぼんやりとした目線のまま父親にされるがままに大人しく体を預けていた。
「そんな親思いのこの子が小さい頃から私に言ってきたことはサッカーをやりたいということくらい。でも、いつもその唯一の切実な願いを私は何度も何度も否定し続けてきたってわけだ。子どもを愛しているつもりでいながら、なんて馬鹿な親だったんだろう。今、この子がキミとどんなプレイをしてきたのか私は知る必要があるのかもしれないね。トレセンや代表選抜はこの子が嘘を付いてまでも、親を捨ててまでも手放したがらなかったものなのだから。出来ればこれからもずっとこの子のサッカーに付き合ってくれたら嬉しいよ。」
そう言ってジーノとよく似た優しくて少し寂しい笑顔を浮かべ、ではまた、と言って立ち去って行った。
* * *
だがその日を境に、ジーノがトレセンに顔を出すことは二度となかった。トレセン関係者と親とそしてジーノ自身を交えた話し合いの結果、U17候補には推薦しないことが正式に決定した。その結果、彼があんなにも熱望していたであろうU17W杯出場は愚か、その代表選抜合宿でさえも参加することが出来なくなった。見ていて周りが日本代表の明るい未来を夢見ることが出来るような、そんな素晴らしい二人の連携が見られたのは結果的には持田が怪我をしたこの日が最後ということになった。
