飼い主 2
2は高校時代前半。高校時代に起ったタッツミーの「あの出来事」とその前後の話が中心になります。今回のシーンはジノザキ長編の極初期に思いついたプロットで過去編の一番コアな部分。王子、達海、持田、モブ女、平泉、ジーノ両親、トレセン関係者、部活顧問、部の仲間などセリフない人も含めて大人数。ジノ→タツ、ジノ+モチ。
悲傷
右足の負傷によりクラブチームとトレセンとアンダー世代の代表から離脱していた持田は、ジーノの父親や母親と話す機会が増えた。ただし持田の足の負傷を自分の悪意からの行為だと錯覚し続けているジーノには会うことはなかった。ジーノ本人の意思と、ジーノの家族と持田が相談した上で決めたことだった。実際、達海や持田の話題が上ると、医務室であったような血まみれの幻覚が強く生じるらしく、ジーノにはそれがとても辛いようだった。だからその症状が少し軽減し、ジーノがもう少し落ち着いてから顔を合わせて話すほうが良いとの判断だった。持田も包帯を巻いた姿をジーノに見せたくなかったので納得した。彼が戻ってくるまでに自分も調子を取り戻しておかなければ、と考えた。
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あの日あんなに混乱していたジーノは帰宅して数日したら表面上はすっかり元の状態に戻った。最初は久しぶりに自分のベッドに戻れたとあって、ゆったりと一日中寝て過ごしていた。少しずつ疲労も抜けて食欲も回復し不意に悪夢が襲ってきても、あの時期のように激しい動揺を起すような場面は減っていった。それを聞いた持田は、女の家では王子をやるばっかりで、眠れもせず喰えもせずにいたんだろう、と思った。それなら、あんな深刻な状態になってもおかしくないし家に戻したのは正解だったと安堵した。
最初はサッカーのすべてを諦める様な発言を繰り返していたジーノだったが、そんな息子を相手に父親は根気よくしっかりと時間をかけて話をした。最終的にはジーノも素直に父親からの正式な許可に喜びを表現するようになった。それからさらに今までしてこなかったような色々なことを家族みんなでゆっくり沢山話し合い、そして笑いあった。ワーカーホリックに近かった父親が家庭にいるということだけでも、ジーノの家はとても穏やかな時間を過ごせる場になっていた。
そんな時間を積み重ねてしばらくしてから、ジーノは休んでいた高校にも行きはじめた。その頃には、トレセンに関してもU17W杯に関してもモッチーがいないうちにポジション奪っちゃおう、体がなまってるから早く感覚取り戻さないと、などと軽口を叩けるほど元気を取り戻していた。悪夢は時々ジーノを捉えていたが、上手にコントロールできるようになり、自分の意識が飛ぶことも減っていた。自分の回復に自信がついてきたジーノは、何事もなかったかのように自身の状態を仕上げてから持田に会いたい、と再会を願うような前向きな発言も父にするようにもなった。
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初めて名実ともにサッカーをすることの許可が下りたジーノは嬉しそうに放課後部活に向かった。だが現実は厳しいものだった。
アップやミニゲームまではこなせるものの、11対11の練習に入るとピッチの中でジーノはしばしばぎくしゃくとしたり棒立ちになった。病気で休んだことになっていたためスタミナが落ちているんじゃないかと最初はみんなそれを見守っていた。だがジーノが思いっきり空振りをして転んだので、初めて見る姿に周りからはどよめきが起こった。事情を把握できていないチームメイトは何度も凡ミスを繰り返す彼を訝り、どうしたんだよ一体、と話しかけた。するとジーノは中々返事をせず、ハッと我に返るとその間の記憶が途切れており不安そうな表情を浮かべ、時には突然イタリア語で話し出す始末。一時プレイから離れると感覚がずれることなどよくある話だったが、立ち止まったまま失神しているかのように動かなくなったり、蹴ろうとしてバランスを失って倒れてしまったりと、ともかく異様な光景が続いた。そんなジーノを見て、監督はこれはただ事ではないと親を呼び出すことにした。
記憶が飛んで説明できないジーノとそれをみていた周りの話をあわせ、ジーノはあらためて精神科に受診することになった。無意識に自分に嘘を付くのが上手なジーノの診察は困難を極めたが、フラッシュバック、幻覚、記憶混濁、記憶操作。体機能の不全。あらゆる症状の発現を取りまとめて急性ストレス障害という診断がおり、その中でも特に今現在強く表面化して問題となっているものを捉え、具体的には急性ストレス障害起因の運動障害、イップスという診断結果となった。
特殊な症例であったため途中で匙を投げるか最初から受診拒否をする医者が多く、ジーノ親子のドクターショッピングがここから始まった。大部分が今の状態のまま騙し騙しやれないのなら、サッカーを辞めるべきだという論調だった。サッカーのプレイ中でだけ問題が生じるとなればそれが一番てっとり早い方法だったからだ。この症状を繰り返し、日常生活にまで派生しては非常にまずいと医者が判断するほど、ジーノの体の動きは悪いものになっていた。突然プレイが中断され、本人はそのまま記憶が飛んで覚えていないという事象が続いた。
投薬や認知療法など様々な治療が施されたが、状態はドンドン悪化した。ジーノのやっていることはもはやサッカーの体裁すら整っておらず、フルコートの練習は愚かミニゲームもできなくなっていた。その原因を追究していくに従って、プレイ中にあの血まみれの悪夢が突然生じ、それで崩れてしまうことがわかってきた。日常ではすっかり夢をコントロールすることが出来ていたつもりだったため、原因を知りそのことに強いショックを受けた。心理的なコントロールが出来ないどころか、その現象が起きている自体に恐怖するためか、その時間の記憶すら飛ばしてしまったのだから。ジーノはその己の信じられない弱さに葛藤を抱え、精神的に衰弱していった。それでもジーノは突然動かなくなる体を動かすべく、一生懸命に努力し、一日でも早くピッチに立てるようになることを願って頑張っていた。治療に関する情報を収集してはいろんな機関に出向き、混乱する自身の記憶と実際に起ったことの比較を丁寧に文書化し、またそれまで行った治療の内容や効果のほどなどもまとめ、新しい治療が始まる度に資料として提出した。
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ジーノの傍にはサッカーがあった。親と和解できたことでいつでも掴んでいいところまで傍に来ていた。だがそれにもかかわらず、ジーノは喉から手が出るほど欲しがっていた最愛のサッカーを、どうしても己の手で掴み取ることができなかった。この時すでに、ジーノの中にあるすべてを支えていた夢が粉々に砕け散ってしまっていたからだった。もう遅かったのだ。
頑張っても頑張っても、知らないうちに体が硬直し、思うようにボールを蹴ることができなかった。そのうち意識の消失を伴わずともボールのインパクトの瞬間、体が強張るようになった。反射的に悪夢出現と記憶消失が起るのではないかという恐怖が生じそのことでイップスが起ってしまう。そんなような二次的に生じる障害も次々にスタートし、最悪に継ぐ最悪の循環の中にいた。達海の怪我をきっかけに始まった崩壊は、もはや身動きもとれないくらいにジーノを無力化させてしまっていたのだった。
時は待ってくれないので、ジーノがそうしている間に選抜合宿も本番のU17W杯も過ぎ去っていくことになった。だが、幸か不幸か、ジーノはそんなことで苦しみを覚えることはなかった。もはや、それ以前の問題だったからだ。砕け散ったサッカーへの情熱と動かない体を抱えてもがきにもがき続けていただけだった。代表とか公式戦とか、そういうことではなく。練習でもなんでもいいから、ともかくサッカーを、自由にピッチを駆ける快感を、大切だったあの時のあの夢を、もう一度自分自身に取り戻したいだけだった。ただただ、それだけだった。
