飼い主 3
高校途中の渡伊→伊大学→再来日して大学編入まで。沢山チート設定。小学生の頃アンニュイだったジーノは大学では反転してアンチアンニュイに。原作にあるようなアクの強いジーノの個性は生まれつきではなく徐々にこんがらがって込み入ってきちゃった結果という解釈です。王子、医療関係者、両親、祖母、その他モブ、セリフない人も含めて大人数。
高校時代~カーサの原型
ともかくサッカーを、自由にピッチを駆ける快感をもう一度自分自身に取り戻したいだけだった。ただただ、それだけだった。
だが、熱望すれば熱望するほどにサッカーはジーノから逃げるようにいなくなっていった。追いかけることに疲弊し、繰り返しどの医者からもサッカーからの離脱を薦められた。袋小路の現状に、ジーノは次第に届かないサッカーに手を伸ばし続けることに疲れはじめた。人が呼吸をするのに空気が必要なのと同様、ジーノが生きるためにサッカーは必要だった。そんなサッカーとの距離がドンドン離れるに従って、ジーノはまた無気力な状態に陥っていった。
* * *
ジーノは母親とイタリア語で話すときだけは少しリラックスした表情を浮かべる。なので最近は父親もなるべくイタリア語で接するようにしていた。ジーノはとても滑らかに日本語を話すけれど、心を自然に表現するためにはイタリア語が適しているようだった。昔からこの家では当たり前のように両方の国の言葉が飛び交っていたが、父親はジーノの態度の微細な変化に今まで全く気付きもしなかった。元々人の心を掌握する才能に長けていた父親は、他人は見えても自分の子どものことは本当に全く見抜けず暮らしてきたのだな、と感じていた。
ジーノの発症は紛れもなく家族みんなを苦しめる出来事ではあった。だが、父親はこの頃、あれがなければもっとひどい未来になっていたかもしれないと考えていた。ジーノのこれまでの人生は彼の友人の話から考えれば、他尊重、自己犠牲を合わせたようないわゆる過服従の選択の積み重ねだった。もうあの頃の、理想のすべてを具現化したような父親のためだけの息子はもういない。おそらくあの選手が負傷した瞬間を見た時に、ジーノの夢と共に消えたのだ。最初、息子と同じ顔をした無表情な他人をみてショックを受けた。だが、その男は今、こうして父の前で自然な笑顔を浮かべ、辛い顔をし、衝動的な怒りを表現し、濡れない瞳で泣いたりする。その姿を見る時、これこそが本物の、自分の一番愛する息子なのだと実感した。気が付かないうちに、いつの間にか操り人形のような息子の顔をしたがらんどうの別人を育てていたのだ。再び本物の息子を手にすることが出来た父親の心には、抑えきれない愛情が次々に溢れかえっていった。これこそが私の自慢すべき理想の息子だ、と感じていた。
屈託なく笑う、再び父親が手に入れた理想の息子。その姿はイタリアにいた頃の幼いジーノを思い起こさせた。小さかったまだヨチヨチ歩きの頃のジーノだ。あの頃のかわいいジーノは父が帰る度に「baci e abbracci!(チューと抱っこ!)」と笑いながら両手を広げて飛び込んできていた。急ぐから時々転んで、それでもすぐさま立ち上がってはやってきて、毎回痛いと泣くのは抱きしめられた後だった。すっかり忘れていた懐かしい思い出が父親の心に何度も浮かび上がり、家族でそんな話で盛り上がる時間も沢山増えていた。ジーノは、恥ずかしい、全然覚えていないよ、と笑っていた。
そんな毎日をジーノ家族は過ごしていた。ジーノの容態は深刻さを増し暗い影を落としていたが、それでも家の中ではこんな風にあたたかい世界があった。家族はそういった形で過ごすこの場所を“私たちの大切なcasa(家)”と呼んで深く愛しながら生活をしていた。
そしてある日、いまだイタリアに帰りたいと絶対に口にしないジーノを見て、父親は母と子をイタリアに戻す決断をする。どんな時も家族が離れて暮らすことを拒絶していた父親の、紛れもないジーノへの愛情表現だった。イタリアはサッカーの国だから、今のジーノになにか良い影響があるかもしれない、と考えたのだ。そうあってほしい、と藁をもすがるような切実な願いでもあった。戸惑うジーノに父親はnonna(祖母)の体調がよくないからしばらく一緒にいてあげて?二人が傍にいるときっと彼女は元気になる、と説明した。ジーノは突然の父の提案に、一人残される父親の孤独を思って心配そうな表情を浮かべた。どこまでも優しいジーノを父親はそっと抱きしめて、
「勿論、長い休みや出張の度には会いに行くよ、離れていてもいつも一緒だ。」
と優しく伝えた。そして、
「知ってるだろうけど私は寂しいのは嫌いだからね。沢山会いに行くし、当然電話も一杯かける。面倒かもしれないけれど嫌がらないで相手をしておくれよ?」
とジーノに笑った。それをみてジーノもまた父親に向かって笑った。父親はそんなジーノをごく自然に抱きしめ、当然ジーノも羽毛のようにソフトに抱き返していた。
男は元々ほとんどスキンシップを行わなかった。日本人の気質は元来シャイなものだが、父親は日本人として考えてさえ堅物の部類に入る人間だった。だが親思いで優しすぎる憐れな息子の姿を見たのをキッカケに、やり残した宿題を終わらせるように機会がある毎に沢山こうしてジーノを抱きしめた。息子の望んでいたであろうイタリア風のわかりやすい愛情表現。日本に来てからはテレもあってやらなくなった、イタリアにいた頃この家では当たり前だった習慣。それを繰り返し繰り返し行うように努力した。ジーノが本当に欲しかった人の温かみというのはこういうものだった。誰と寝ても得られなかった本物の感触に、ジーノは動かない体を抱えてながらも少しずつ救われていた。
* * *
怪我の日以来まだジーノに会えていない持田は、イタリア行きの話を聞いてショックを受けた。だが、再びジーノが笑顔とサッカーを取り戻すことが第一だ、と友達として暖かく見送ることを決意する。そしていつかまた二人でピッチに立つ日を夢見て、自分は自分のやれることをやる決心を固めた。ピッチの上でも、日常でも、どんな場面でも、誰が相手でも、なにが起っても。これから先、己の無力感で放心するのはもう二度とゴメンだったから。
今回の達海とジーノの一件にて、持田はサッカー喪失時の激しい苦痛を生々しく疑似体験してしまった。嫌でも考えさせられる、数年後に確実に来るであろう自身の選手としての命が終わる瞬間。その壮絶な苦痛。持田は日々、少しでも悔いが残らないように己のすべてをサッカーに捧げることを誓った。この思いを強めることで、結果として持田は東京VやA代表において不動の司令塔になる実力を身につけていったのだった。
サッカーに興味のなかった父親は今回の一件でサッカーに対する思いが大いに変化していた。持田に話すたびに必ず感謝の意を示し、息子のサッカーを応援するかわりといってはなんだが、と言ってずっと持田のサッカーを応援し続けるようになったのだ。
持田と父親は今ではジーノが再び思いのままにプレイする日を夢見る同志。手厳しくも真摯な思いで話す持田の言葉は紛れもなく父親のジーノに対する理解を深めるかけがえのないギフトだった。その流れの中、父親は持田という人間に対する理解をも深めていくことになった。ジーノが心惹かれたこの国のスター選手になる男。ジーノをおそらく一番理解している友達。そうして持田の存在は父親にとって、一度も見たことがない息子のプレイを想像するための重要な鍵になっていったのだった。
