お花結び

GIANTKILLING二次創作小説同人サイト

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飼い主 3

高校途中の渡伊→伊大学→再来日して大学編入まで。沢山チート設定。小学生の頃アンニュイだったジーノは大学では反転してアンチアンニュイに。原作にあるようなアクの強いジーノの個性は生まれつきではなく徐々にこんがらがって込み入ってきちゃった結果という解釈です。王子、医療関係者、両親、祖母、その他モブ、セリフない人も含めて大人数。

高校時代~イタリアにて

 イタリアに行ってジーノは徐々に元気を取り戻した。

 日本では比較的無口だった彼も饒舌になり、屈託なく明るく笑うことが増えた。ずっと離れていたイタリアの旧友達ともすぐ打ち解けて仲良くなれたし、毎日楽しく、そして忙しく過ごすことになった。イタリアはカルチョの国なので、当たり前のようにみんなとスタジアムに出かけたり、公園で鳥かご(ボール回し)をやって遊んだりした。ちょっとしたミニゲームなら普通に楽しんだりも出来るようになっていった。
 ジーノの悪夢はまだまだついて回っていたが、日本にいる時に比べてジーノ本人も驚くくらいに不思議と症状が軽くなってきていた。

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 イタリア語でなら少しは自然に心を開くことができるジーノは、少しずつ治療も再開した。いい医者にも恵まれ、前述のとおりミニゲームのようなものならある程度までやれるようになった。ジーノは、堂々巡りどころか悪化を続けていた自分がイタリアに来て回復の兆しを見せはじめたことに感動を覚えた。でも冷静な理性も取り戻しつつあったので、この回復の速度ではプロ選手を目指すのは無理だということもまた、徐々に受け入れ始めていた。

 ジーノは軽くはなっても依然血まみれの悪夢の中にいた。そしてプレイに本気でのめり込みたいという衝動に駆られる度に記憶がジャンプした。

 記憶混濁と記憶の消失については、ジーノも主治医との話し合いの中で随分整理が進んでいた。悪夢の生じるキッカケ、消失の起きやすい場面、記憶のすり替えが頻繁に起きやすい事柄など、現状把握と言う意味ではすっかり理解が出来るようになった。でも現状の把握と、現象そのものを完全に抑えることとは話が別で、避けたり減らしたりは出来ても完治させるという意味ではナカナカ治療が進んではいなかった。ようは対症療法だった。

 主治医はこの悪夢と悪夢による記憶障害はジーノの本能的な防壁である可能性があるので無理に取り外す考えは持たなかった。消失は必要性があるジーノの中のブレーカーのようなものであるし、記憶のすり替えは整理を進めて都度認識変更を繰り返せばOK。ジーノにそう説明していた。そうして少しでも症状に対する焦りや恐怖心といったジーノのストレスを軽減させ、今一番深刻な状態である二次的なイップスの出現を減らしていく方針をとっていた。ジーノの症状はかなりこじれてしまっているので、簡単に取り外せそうな症状から外していくことを主軸に置いた主治医なりの意図のある指導だった。

 主治医は、問題は症状そのものではなくジーノ自身が何を望むのか、何を選択するのかが大切だと繰り返し述べていた。ベストではなくベターに着眼点を置き、治療の計画と実行と検証とリトライという過程そのものを大切にしていく治療方針だと何度も説明した。それはつまり事柄は人それぞれだとしても、如何に生きるかというすべての人間の命題でもある大切なことであると。ゴールと計画を設定するのは人生の主役である患者本人であるとし、医者はあくまでもその支援者であるというスタンスだった。ジーノの主治医は、医学会の中にあって超が付く実力者でありながらもかなり異質な考え方を持つ特殊な存在だった。

 治ることそのものが目指しているゴールなのではない。この治療方針を、ジーノはとても素直に受け止め、指示通り自分の人生を見つめる努力を続けた。

「ボクは今、この悪夢から少しでも遠い世界で生きていきたいと感じています。」

 この言葉は、実質サッカーを諦めるという宣言でもあった。ジーノは運よく症状が完治しても確実にサッカーを失う日が来ると考えた。その時期が早いか遅いかというだけの話であると知っていた。ジーノは自分がどれだけサッカーを愛しているかも、如何に失い難いものであるかも理解していたし、だからこそ喪失の瞬間どれだけ強い衝撃を受けるかも想像出来ていた。よってグズグズと無駄な希望を繋いで問題を先送りせず、少しでも早いうちに手を離す準備をした方が今後の何十年もあるはずの人生の為にはいい、と結論を出したのだった。

 持田は今回の一件でその日の為に覚悟を新たにした。でも弱いジーノはその日の為に下を向いた。同じような情熱を持っていながら、その選択は真逆のものだった。サッカーとは違って日常生活の中ではセイフティすぎるほどセイフティなプレイを好む、ジーノ独特の考え方。実は何を以てセイフティとジャッジするのかという、基準そのものが不可思議なものだった。