飼い犬と飼い主 4
幸せな飼い犬生活を過ごすジーノ。王子に思いを寄せ始めるザッキー。追うものと追われるものが逆転します。ジーノはより良い飼い主を目指し、ザッキーはかわいい後輩のポジションから抜け出したい。そんなザッキー入団1年目の12月まで。以降は徐々に悲惨になっていきます。昼メロ的に。王子、赤崎、世良(ちらっと)、後藤(ちらっと)、モブ女。
スキンシップ1
赤崎は居残り練習が終わって一人シャワーを浴びにシャワールームに向かった。中に入ると今日はもうとっくに帰っていたと思っていた男が脱衣所で服を途中まで脱いだ状態でぼんやりとしていた。赤崎は軽く挨拶をして自分も服を脱ぐ。
「王子、めずらしいッスね。こんな時間に。」
「あれ?ザッキーまだいたのかい?ああ、なんだ結構いい時間になってしまっていたんだね。ぼんやりしていたよ。」
「いつも忙しい人が珍しいッスね。」
「ハハハ。ところでキミ、今日のシュートの前の切り返し、キレがあってとてもよかったんじゃない?」
「えぇ、まあ。最近ちょっと体も軽くて。」
「それはよかった。」
後から来たにもかかわらず準備が先に済んだので、赤崎は風呂に入ることにした。軽く汗を流して浴槽へ。体を伸ばしてジャグジーにあたっていると一日の疲れが溶けるように消えていった。しばらくしてジーノも浴室に入ってきたので赤崎は相変わらずドキドキした。なぜか同じ男なのに彼の全裸はいつまでも見慣れず、なんだか妙に意識してしまうからだった。そんな赤崎の気持ちなどおかまいなしに、ジーノも浴槽に身を沈めた。彼は行動パターンにある一定のルールがあるようなのだが、ジャグジーを使う場所もいつも決まっていて。赤崎は自分が今使っている場所の隣がそうだったことに気付く。案の定ジーノは隣にやってきて、ちょっと失礼?と言って当たり前のようにそこに座った。なんだか自分がワザワザ隣になるように座ったみたいで、とても居心地が悪かった。そんな赤崎の様子を知ってか知らずか、ジーノは普通に話しかけた。
「あのさ、以前話してたオキシトシンってさ。お風呂とか入っても分泌されるらしいよ?」
「へー、あの、絆ホルモンって奴ですよね。人を落ち着かせるっていう。」
「そうだよ、それ。人と一緒に過ごしたり、スキンシップっていうのもいいけど、ゆっくり寝たりお風呂に入るっていうのも結構いいみたい。相手を必要としないからそういうのって手軽だよね。」
「そうなんですかっていうか、王子、浮かない顔してどうしたんですか?」
「浮かない顔?そうかい?まぁ、ちょっと最近色々あるのは確かだけれど。」
「色々って。」
「どうやら最近はキミよりもボクの方がオキシトシンが不足しているようだよ。寝不足気味だし。疲れはたまっているんだけど、寝ようと思ってもどうしても目が冴えちゃってね。だからこうして…ボクはお風呂とかプールが好きだからリフレッシュ。フフフ、湯あたりしなけりゃいいけど。」
「彼女と上手くいってないとか言ってましたもんね。」
「ま、そんなとこ。それだけじゃなくてプレイの方もね。ちょっとずつ感覚にズレが出てきてて、最近どうもうまくいかない。なんかボクはこの頃きちんと集中できていないようなんだよ。」
こんな表情のジーノを見るのは初めてのことだったので、変な居心地の悪さもすっかり忘れて赤崎は彼の顔を見つめた。いつもとらえどころのない人だけれど、無表情でまるで感情の篭らない宙に浮いてしまっているかのような抑揚のない声。泣き言という表現をするのは正しくない。まるで他人事のように自分の状態を冷静に客観的な視点から観察し、分析した結果を淡々と報告しているかのような。そんなムードだった。
ここ最近力づけてくれていたジーノが珍しく不調を訴えているのを見て、赤崎は思わず浴槽に沈む彼の手を取った。以前、自分が焦燥感と閉塞感で一杯一杯になっていたころにジーノがこうして手を握ってくれたからだ。あの時の安らぎは、今でも赤崎の心の中に深く印象的に残っていた。
「ザッキー?」
「ま、またすぐ調子よくなりますよ。王子。」
「優しいね。それはもしかして慰めてくれているつもりなのかな?」
「そんなとこッス。」
「…ふーん」
「…なんかスイマセン。俺がやったって全然ですよね。」
ジーノは口元に少し笑みを浮かべながらもやっぱり印象は無表情なそれで、彼の今の表情が愛想笑いだということがよくわかった。彼の表情はなにを考えているのかわからないものが多いけれど、それは色んな意味を含み過ぎていてどの意味を選択すればいいのかわからないからだ。なのに今は彼の心の状態が本当になにもないように見えて、この人はこんな感情も温かみもない表情ができるのだと赤崎はドキリとした。その口角だけを上げた、なにもない無反応な顔がチラッと赤崎を見る。繋がれた手を握り返しても来ない。その視線と手を経由して、結局はこんなことくらいじゃ彼の力にもならないのだということが、赤崎に伝わってきていた。
「うーん、気持ちは嬉しいけどね?」
「……」
「こんなこと、正直なんの効果もないかもね、ザッキー。」
「そりゃそうですよね。」
「まぁね。」
無関心すぎる言い方で言い放つ。ジーノはたまに失礼な発言をすることはあっても、その言葉の裏にはいつもユーモアと優しさが見え隠れしていて。そんな彼が今日はこんなにばっさりと赤崎の気持ちを無下にする。思いもよらず突然その冷たさに初めて触れることになって、赤崎は彼の中での自分の存在の無意味さに胸が締め付けられた。
それでもジーノはそのままその意味のなさそうな繋いだ手をふりほどくことはなく、黙って再び虚空をぼんやりと見つめていた。
そうして二人並んで、黙って時を過ごした。ふいに天井から落ちた水滴がついっと彼の頬を伝ったので、赤崎はそれがまるで彼の涙のように見えた。
その途端、いきなりつないだ手を引っ張られて赤崎の上半身がジーノの胸に引き込まれた。あっという間に背後からギュッと抱きこまれてそのまま身動きがとれない状態になる。密着した素肌。二人の動悸が同じ速いリズムで鳴り響く。
「ちょ!なにす」
「実験、実験。ちょっとだけこのまま。ごめんね?」
赤崎の背中にジーノの声の振動が直に伝わる。耳元に彼の低い音楽のような声が響く。
「いや、でも!!」
「お願い。ザッキー、ちょっとだけ。」
さっきまでの無表情とはまるで違う印象を持つ、背後から響くジーノの激しい心音。使用している言葉とは雲泥の、どんな相手でも用意に屈服させる強引なまでの威圧的な言葉の力。不意を突かれて圧倒される赤崎の首元に彼は背後から顔を沈める。ぴったりと密着した彼の体の熱さを背中全体に感じる。お湯の中にあってもその滑らかな触感は生々しいものだった。首元にあたる彼の呼気が赤崎を益々変な気持ちにさせた。紛れもなく、強い性衝動だった。
実験?なんだ一体?
今あの王子が、俺のことを抱きしめてる?
いつでも先輩と後輩というスタンスを崩さなかったこの人が。
一体彼に今なにが起っているんだ?
だが、赤崎はジーノの行動の理由がわからなかった。彼が性的な意味を持って自分を見ているなど、一度も考えたことがなかったからだ。そうであれば…などと考えることはあっても、その実感は、その予感でさえ一度も感じたこともなかった。大いに戸惑いを覚えて頭がフリーズし、自分がこのままどうしていいのかもさっぱりわからなかった。
「王子、あの」
「しっ黙って。」
「いや、でも」
「……」
そのままジーノは黙り込んでしまった。巻かれた腕できつく体をしばられているわけでもないのに、赤崎は暴れて振りほどくこともできずにそのまま体を固くして時が流れるのを待つしかなかった。密着したジーノの肌が熱く、彼の体をすり抜けたジャグジーのお湯が赤崎の体を撫でまわす。それなりに長い時間そのままでいたので、赤崎は自分が少しのぼせてきている感じがした。クラクラとするような、自分の体がなくなっていくような、なんともいえない感覚だった。
「俺、いつまでこうしてれば?」
話していなければまるで意識がなくなってしまうような気がしたので、思わずそう問うた。
「実験だから。できればもう少し我慢して?ザッキー、ボクくらいになるとあんな程度じゃ足りないんだよ。ごめんね?」
2回目に口にしたジーノの謝罪の声はさっきの威圧的なモノとは違う、消えるような細いものだった。
裸の男二人が職場の風呂場で全裸で抱き合っている。その異常性。チームメイト同志としては行き過ぎた接触のこの状況は、冷静さを取り戻してみれば赤崎に触れ合いの安心感よりもはるかに大きい不安と苦痛をもたらした。混乱と恐怖、強まる性的快感に似た衝動的感情、熱すぎる肌とお湯とねっとりした湿度の高い浴室の空気。赤崎の内面に渦巻くその恐怖と苦痛を察知してか、ジーノの手が緩む。
「ごめんホントに調子が悪くて。つい手近にいるキミに甘えてしまったよ。」
そうして少し嘲笑するような冗談めかした笑顔を作って体を離した。でも笑って見せようとするその顔もやっぱりまるで人形のように生気のない無機質なものだった。それを見た赤崎はいつも彼が当たり前のようにやっていることが出来なくなってきていることを感じた。だが、彼の何を知っているわけでもないくせに、どうしてそんなことを思うのかはわからなかった。でも赤崎はそうにしか感じられず、心細そうな寂しい人形のようなジーノに、かつて彼が自分にしてくれたことをやってみることにした。自分が苦しかったとき、心を癒すからと赤崎の手を取り、その後、食事に誘ってくれたことを思い出したのだ。あの時の彼は赤崎に、誰かと食事をするだけでも気持ちが安らぐ、と確かにそういった。
「今日、メシ喰いに行きましょう。終わったらあんたんち送ってきます。」
「ぶしつけになんだい?」
「まぁ、そういう時って一人で飯食うのしんどいッしょ。」
「家にくる必要はないだろう?」
「体調悪いんでしょ。入らなくても家まで送りますよ。それで少しでもあんたの力になれるなら。」
「フフフ、今さっきキミはボクに少し欲情してたよね?まさか勘違いして変ないたずら心を起してるんじゃなかろうね?」
「な!あんたいきなり何言って!」
「確かにボクはバイで雑食だけど…、でもキミ相手に立つかなぁ。ねぇ、ちょっと試してみよっか。」
冗談めかしていながら、気持ちが全く入っていない。無表情で口角を少し上げて、無理をして悪趣味な冗談を言おうとしているのが赤崎にはすぐわかった。本気っぽいとも、嘘っぽいとも、そういうどちらも感じられない薄っぺらな言葉。日頃のように俺をからかってみせる姿勢を維持しようと、そう思いながらも適当に口をついて出たであろう安易なセリフ。
何事も緩急が必要だと、負荷トレと休養はセットなのだと、いつもあれだけ彼はそのことを赤崎に何度も言ってきたはずなのに。なんでもコントロールできる知的で万能なはずのジーノが今日は沢山の無理をするので、赤崎は見ていられなかった。だから見ないふりをして流すことにした。多分、今のジーノはそういう無理がかかっている自分の姿を見て欲しくないと思っているだろうと考えたから。
「ハァ…。アホらしい。すべってますよ。そのネタ。」
「あれ?そんなことを言ってしまっていいのかい?本当はドキドキしているんだろう?」
「もういいですって。」
「ハッ、ボクがキミで遊び足りるとは到底思えないけど、キミは満足させてあげられるかもしれないね。」
「まぁ、それは置いといてとりあえず支度しましょ。」
ジーノが大人しく手を解いたので、赤崎はそのまま立ち上がって浴槽を出る。シャワーのところまで歩みを進めた赤崎の背後からジーノが声をかけた。
「…キミは優しくて思いやりのある子だね。ボクは今キミにひどいことを言っているのに。からかっているんだよ?」
「わかってますよ、あんたいつもそうじゃないですか。慣れてます。」
「どうしてそんなこと我慢できる?ボクにはとても真似できないことだ。」
「だってあんたは俺の仲間なんでしょ。仲間が困ってるなら助けるのが当たり前。」
ジーノは少し目を細めて赤崎を見た。無表情な顔に、少し感情が戻ってきていた。だが、それはいつもの優しい気紛れ王子のそれではなく、冷淡なものだった。
「そうか。キミはおそろしくバカなんだね。ある程度は理解しているつもりだったけれど、そこまでとは知らなかったよ。」
抑揚のない、だが凛とした声。赤崎を容赦なく切り刻むように浴室に響く。赤崎は湯あたりしてなのか、彼との過度な接触の後だからなのか、全然頭が働いていなかった。今のジーノの言葉はいつものように赤崎をからかうものではなく、明らかに侮蔑を含んでいた。夏木に不機嫌そうに切りつける言葉を吐いていることはあっても必ず冗談じみている。たったこんな一言が、こんなに自分にショックを与えるなんて、赤崎はそのことがまたショックだった。こんなにも自分が彼に嫌われたくないと思っていたとは思わなかったからだ。誰にどんなことを言われても、腹が立つことはあっても傷つくことなんて一度も経験がないことだった。
この人は本当に不調で余裕がないんだろう。
でなければこんな風に意味なく人を傷つけるようなマネをするわけがない。
赤崎は自分の動揺を少しでも抑えようと、そんなことを考えながらさっさとシャワーを終えた。
