飼い犬と飼い主 4
幸せな飼い犬生活を過ごすジーノ。王子に思いを寄せ始めるザッキー。追うものと追われるものが逆転します。ジーノはより良い飼い主を目指し、ザッキーはかわいい後輩のポジションから抜け出したい。そんなザッキー入団1年目の12月まで。以降は徐々に悲惨になっていきます。昼メロ的に。王子、赤崎、世良(ちらっと)、後藤(ちらっと)、モブ女。
スキンシップ2
二人で言葉少なな食事をしてから王子の家へ。残念ながら食事をしたからといって、ジーノが元気になることはなかった。立ち寄るとも立ち寄らないとも、なんの声掛けもなく、ジーノは無言で自宅に向かい車を駐車場に入れた。赤崎は黙って彼と一緒に車から降りた。さよならの挨拶をするわけでもなくチラリとジーノが赤崎を見るので、赤崎はそのままスタスタとエレベーターのほうへ歩いて行った。
赤崎は週末ジムを借りるのにもう何度もこの家には来ていた。いつも笑っている彼のいるこの部屋は暖かくて明るいものだったが、今日は一転して暗くて居心地の悪い空間となっていた。彼一人の心の動きでこれほどまでに印象の違うものになってしまうのかと驚いた。
カバンも鍵も上着もみんな、その辺にポンポンと投げ捨てて、カウチにぐったりと体を預けてジーノは突然口を開いた。
「フフフ、今日は驚いたろう?色々悪かったと思っている。」
ジーノが赤崎に謝るのはこれで3度目だった。一体何にこれほど謝ろうとしているのか。果たしてこれは謝罪なのか。人に甘えるのが恥だとでも言わんばかりに、彼のプライドが謝罪の言葉を繰り返させているのか。赤崎は無言でその言葉を受け止めた。
「ボクはちょっと変なところがあってね?スキンシップが足りないとこうして時々体調がおかしくなるんだよ。最近彼女とうまくいってなくて…。多分セックスとかそういうものにちょっとした依存傾向があるのかもしれないね。禁断症状とか言うとなんだかアレな感じだけど、ま、要するにそういうとこかな。でもこれだけ調子が悪ければやろうにももう立たせる元気もないよ、ハハハ」
また無理矢理冗談のようなことを言っているけれど、赤崎は全く笑えなかった。らしくない顔、らしくない言葉。カウチに沈むジーノの体が、もはやほんの少しも身動き出来ないほどに重たそうに見えた。
「どうしたんだい?そんなところで立ったままで。さすがにキミを襲おうなんて思ってやしないよ。ヘテロで未熟なキミを性欲処理の対象にしたって快楽も薄いし弊害が大きすぎるだろ?やるならもっと後腐れのないこなれた相手でやるさ。互いがWIN-WINになれる相手でね。さっきはイラついてつい意地悪を言ってしまった。でもキミは冗談を聞き流してくれたようで正直助かったよ。」
「なんか様子おかしかったし、あんたらしくもなかったからね。」
「フフフ、おかしかったかい?」
「……」
「今日あんなにひどい冗談を、そしてあきらかに侮蔑の言葉を投げたのに。優しいキミは握手じゃ足りないボクのために、こうしてこの家までついてきてくれた。ほんと、キミっていい子だね。警戒しないでいいよ?大丈夫、そういうんじゃない。ボクに力を貸したいなら簡単さ、さっきみたいに体温を感じさせてくれるだけでいいんだ。ほら、こっちに。ね?」
重たそうに両手を広げて少し笑う。変わらない口元だけの無理な笑い。さっきはおかしかったと言うが今も十分おかしかった。赤崎は広げた彼の腕の中には飛び込まずに左隣に座った。ジーノはため息をついてそんな赤崎の肩に手を回し、ゆっくりとカウチに沈めていくように押し倒した。バランスを崩した赤崎は、やっぱり少し緊張していた。勿論ジーノの発言は冗談だといこともわかっていたし、彼の言うようにデメリットの高い相手と寝るほど彼が相手に困っている人間ではないことも知っていた。だがそういう意味ではなく、彼のこの妙な不調な状態が、不思議な危機感のような何かが、赤崎の心に悲しさや不安のようなものを感じさせていた。赤崎はこんな状態のジーノを見ているのが本当につらかったのだ。
手をつなぐだけでは足りないと言ったジーノが、赤崎の全身から何かを吸収するように腕を、足を、体全体を密着させる。あんなに重たそうに見えた彼の体重を赤崎は今、ちっとも感じていなかった。押し倒すと同時にそのまま彼がカウチに体重を逃がすように横抱きの形になったからだ。ジーノの横に座ったはずなのに、いつのまにか自分では全く意識することなくこんな体勢にさせられていた。
こんなに体が重そうなのに、本人も自覚していないであろうジーノの抱く相手への労わりと優しさ。彼の身に付いたマナーが、そこに至るまでの数えきれないキャリアが、ジーノと赤崎の日常がかけ離れたものであることを感じさせた。傲慢で我儘なはずなのに、こうして常になにかを与え続けている男。いつも自分のことで精一杯な自分とは大違いだと赤崎は思った。
カウチの背もたれとジーノに挟まれて、楽な体勢ではあったけれど赤崎は身動き一つとれない状態になっていた。ジーノの一連の動作はソフトでいながらも圧倒的な支配の力を持っていた。すべてを簡単に彼の意のままにしてしまうような、そんな彼のテクニック。優しい甘い抗いようもない束縛。
* * *
「ごめんね、ちょっとキミ借りる。こうして触れているだけだから。それで十分。」
「…ッス。」
「お願い、そんなに緊張しないでよ、抱き心地悪くて困っちゃう。」
ジーノが冗談めかして耳元で囁く。謝罪はこれで4回目。それを受けて赤崎が意識して体の力を抜くように努力した。すると彼はまた猫のように滑らかに赤崎を抱き直してそのまま口を閉じた。服を通して互いの体温が交流する。赤崎は静けさの中で互いの心音と呼吸に耳を澄ましていた。しばらくするとジーノがふと気が付いたように赤崎に声をかけた。
「置き場に困るよね?こうすればいい。」
クスっと笑って手持無沙汰だった赤崎の右手を自身の腰に回すように置いた。そうして、キミはウブでぎこちないね、と笑った。以前王子は“人との触れ合いは心を落ち着かせる”と俺に言った。なるほど、日頃の軽い接触とは段違いの、すばらしい心地よさと癒しがそこにはあった。赤崎は以前彼女と少しは寝た経験もあったが、人の肌の温かみがこれほど人を落ち着かせる効果があるとは思っていなかった。他人に対してこんなにまでの近さと充足を感じたのは初めてだった。
* * *
しばらくして、放り投げたカバンの中からジーノの携帯の振動音。
「出なくていいんですか?」
「うん。」
「え?でも…。」
「多分彼女。今日デートすっぽかしちゃったしね。」
「ちょ、こんなことしてていいンスか?喧嘩ならちゃんと仲直りしないと。」
「フフフ、喧嘩なんてボク言った?ボクらはとても仲良しだよ?」
「さっき、うまくいってないって…。」
「うん、終わったのは今のところボクの中だけだからね。」
「え…。」
「言っとくけどデート無断でキャンセルなんて今回が初めて。でも今日はなんかもう駄目。大丈夫、あとでちゃんとフォローしておくし。」
「……」
「なんでかな?気持ち冷めちゃった時にはいつもだけど今日は一段と…。いろんなことが駄目になっちゃって。プレイが乱れ、体調もガタガタ。この瞬間が一番つらいんだ。体を置き去りにして心が逃げ出して自分がバラバラになっていくんだよ。でもちょっと休めば大丈夫。きっとすぐ元に戻る。」
「王子…」
「…フフフ、ボクは本当にどうしようもない。なんなんだろうね?」
そう言ってまたジーノは黙ってしまった。気持ちが冷めるという言葉の影響かジーノの体がドンドン冷たくなっていくように赤崎は感じた。人肌に依存傾向があると自らが発言する理由は、そうして他者から暖を取っていないとそのまま凍えて死んでしまうからではないのか。そんなおかしな錯覚に陥ってしまった。
* * *
「…ただこうしているのは退屈かい?何か話でもしようか。」
「いや、別に退屈とか感じませんよ。男同士なのに意外と落ち着くっていうか。変なもんですね。こういうの。」
「…そう?いい子だね。キミは気持ちがとてもフラットで。淡々としてて気楽でいい。」
そうして冷たいジーノの左手の指先が赤崎の右耳に触れる。
「耳介が随分固いね。お礼にせめて耳マッサージをしてあげるよ。リラクゼーション効果もあるし、気持ちいいんだよ?」
「ッ!」
「あ、くすぐったかった?ゴメンゴメン。でも血流悪くて可哀そうだね、キミの耳。」
ジーノはクスクスと笑いながら耳をひっぱったり、ひねってみたり、くるくると回してみたり。幼児が母親にじゃれるかのように赤崎の耳で遊び始めた。冷たかったジーノの指先に温かみが戻ってきていた。赤崎はその手の温かさと彼の口調の柔らかさに安堵を感じ始めていた。心地よさについウトウトと赤崎は居眠りをしてしまう。
「はい、反対。」
「……?」
どれだけそうしていたのか、ジーノに声をかけられて、あれ?今どういう状態なんだっけ?と赤崎は眠りから覚めた。あっち向いてね?とジーノはやんわりと赤崎の体を誘導し、今度は後ろ抱きの体勢にさせた。流れる動作で操られる赤崎。ジーノから離された体の前面部分の心細さ。それにかわって背中全体に大きな安心感。ジーノは今度は左耳のマッサージを始めた。いつもの優しいジーノの言葉が徐々に増えていく。
「ああ、そうか、キミは髪の毛がうんと短いからね。守るものがない分、キミの耳は随分一人で頑張ってるんだねぇ。たまには自分でもこうしてマッサージしてあげるんだよ?血流よくなったら免疫上がって風邪とかひきにくくなるからね。」
「まるで生き物みたいな言い方ッスね。」
「おやおや、キミの体のすべてはカルチョの夢に必要な大切なチームメイトじゃないか。大事にしないで罰が当たっても知らないよ?」
そうしてまたクスクスと笑いながら耳マッサージ。キミとこうしていると、まるで大型犬とじゃれているような気分になるよ、とジーノは言った。長い間そうして耳で遊んでいる。赤崎は左耳も右耳同様血流がよくなってきているのを感じていた。それと同時に体全体までなんだかポカポカしてきて。なんだかすっかりお風呂上がりのように気持ちよくなって、また少し眠くなってきた。そんな時、耳に触れている王子の指先から次第に力が抜けていく。
「……?」
首筋にあたるスースーとしたひそやかな空気の感触が、これは彼の寝息なのだということを俺に知らせた。彼がこんな風に眠ってしまうなんて考えてもみなかった。でも、そういえば最近寝不足気味だっていってたっけ。
この人ってどんな寝顔なんだろう?見てみたいけれどちょっとでも動いたらきっと目を覚ましてしまうかな。そんなことを考えていたら、なんだか急に目が冴えてしまった。
手持無沙汰な気持ちになりながら、なんとなく腕枕をしている彼の右手に目をやった。びっくりした。少し青いと感じてしまうくらいにまっしろで、思わずそれを手に取った。温かみを戻した左手とは随分違ってとても冷たかった。腕の付け根に収まっている俺の頭が、王子の右手の血流をとめていたのだ。腕枕なんて今までされたこともなかったから全然わからなかった。思わず反射で頭を上げると、やっぱり案の定そんな軽微な反応で王子は安らぎの世界から戻ってきてしまった。
「…ん?」
「あのスミマセン、王子この腕。痛かったですよね?」
「なんだそんなこと。フフフ、かわいいねぇ。慣れてない子はみんなこうだから、別に平気だよ。」
そういってクシャクシャと左手で赤崎の頭を撫でた。その余裕な態度に急に赤面してしまう。俺にとっては不慣れなこの状況も彼にとっては当たり前の日常生活の一部でしかないのだと気付いて。恥ずかしくなって体をうつぶせの状態にして起き上がろうとする俺に向かって王子が言う。
「もう時間切れかい?」
一瞬、クッと俺を抱える左手に力を込められて引き留められた感じがしたが、すぐにその手を緩めて反対に王子の方が先に起き上がった。時間切れとかそんなつもりは毛頭なかったのに彼の穏やかな表情が、もうこの時間はおしまい、ということを示していた。
前髪をかき上げていつもの優しい王子の顔に戻った彼を下から見上げつつ自分も起き上がる。
「ありがと。随分長い間甘やかしてもらっちゃった。あんまり遅くなると明日に差し障るね。」
そう言いながら俺の髪も手で梳いて整えてくれる。甘やかしてもらったのは俺の方。彼の離れた俺の背中がスッと寒さを感じたから。王子との奇妙な時間が終わっていく。彼は今日本当に様子がおかしかった。プライドの高いこの人が、俺みたいな後輩にすら寄り掛かってしまいたいと思うほどに。もうこんなことは二度とないのかもしれない。
「フフフ、マッサージで耳が真っ赤。まるで赤ちゃんの耳のようにやわらかになったよ?自分でも触ってごらん?」
優しい笑顔できゅっと俺の両耳をつまむ。先ほどまでとはまるで別人の、いつも通りの艶やかな彼の顔が間近にあるのを急に感じて、耳だけでなく頬まで熱くなってしまった。それをごまかすかのように、そして時間を稼ぐかのように俺は言った。
「あの!俺もあんたに耳マッサージしますよ。」
え?とちょっと戸惑う彼の返事も聞かずに両手でおもむろに両耳をつまむ。すると彼はまたクスッと笑って自分の両腕をゆっくりさげて、俺の腰にふんわりと回した。王子がやったように耳を指先でつまんでキュ、キュとマッサージをすることにした。王子が正面からマジマジと俺の顔を見ているのでやりにくくて仕方がなかった。
「ちょっとやりにくいんで目つぶっててくれませんか?」
「え?どうして?ボクはキミの顔をみていたいんだけど。」
「あんたの顔こんな距離でまともに見てられる人はそんなにいないッスよ。」
「フフフ、なにそれ、見るに堪えないってこと?キミが目を閉じればいいじゃない。」
少し茶化してそっと目を伏せてくれる。長くて濃い上瞼のまつ毛がとても強調されて、彼の寝顔はこんなに美しいのかとまたドキリとしてしまった。気持ちがいいのかやんわりと笑っている。リラックスした柔和な彼の顔。
思えばこの人のことをこんな風に触らせてもらうのは初めてのことだった。人には簡単に触れてくるくせに、他人には絶対に触れさせない意思を常に感じさせる人だった。なんだかずっとこうしていたい。あと5分、あと3分。もう少し、もう少し。
「まだかい?」
「あ、スイマセン。どれくらいやってればいいのかわかんなくて。」
「いや、そうじゃなくて。普通は目を閉じさせるっていうのはキスの合図じゃない?」
「は??」
「ハハハ、面白い!本当にキミは単純だ。冗談だよ冗談、ありがとう、もういい。」
憮然とした俺の頬をまるで犬をかわいがるかのように両手で数回撫でて、彼はスイッと立ち上がった。送っていくよ、と王子が言うので、それでは本末転倒なんで、と断ると、そう?と笑う。ちょっと残念だった。
* * *
「じゃあ気を付けて。出来れば今日のことは忘れてもらえると助かるよ。」
帰りがけに彼が言う。強い有無を言わせない目の力。お願い事のようでいて、やはりこれは威圧的な命令以外の何物でもなくて。彼が今、本当に今日の自分はどうかしていたと思ってることがよくわかった。はい、だけ返事をしてそのまま彼の家を後にする。俺は何もなかったことにはできるわけもなかった。王子に抱きしめられた感触がまだ全身に刻印されるがごとくしっかりと残っていた。
