飼い犬と飼い主 8
飼い犬に溺れて混乱状態のジーノと強引なしつけの生活に翻弄されながらも徐々に気持ちがはっきりしていくザッキーのお話です。ザッキーいないと、このシリーズはもう大変です。でも、この時点ではザッキーはジーノの事情を全然知らないので力になれません。ただ、少しずつ夢の形でジーノの混沌に接触し始めます。まあそれには関係なく説明能力のないジーノは一人勝手に転落していくという鬼展開。6の「裏と表」で本音を諦めたジーノが「表と裏」で再び本音を口にしますが言い方が下手でどっちにせよ蹴散らされ。夜を求める度悲しみに溢れて益々渇いてしまうのは勿論ジーノ。
表と裏1
ジーノはともかく赤崎に対する態度が変になった。この前の試合が終わった直後から突然にだ。
チームは薄氷を踏むような思いをしながらも勝利したというのに、彼は大いに不機嫌だった。終盤、FKが壁に当たって弾いたのを、ジーノはそのまま華麗にゴールした。絶対的なエースの力をまざまざと見せつけたシーン。MOMにも選ばれた。なのに、試合終了直後に赤崎がジーノの元に駆けつけたら、喜びもせず笑いもせず不愉快そうに手を払いのけていた。
あの時から二人きりでいる時は特に投げやりで、乱暴で、出鱈目な態度になった。からかったりするのはいつものことだったけれど、やり方が陰険だったり、本気で嫌がるようなことを無理矢理やらせたりした。
俺、なんかやったのかな…
でも自分で考えても全然心当たりがなかった。でも、赤崎から見える今のジーノは、なんというか、突然なにかがぷっつりと切れてしまったかのような、そんな印象だった。かといって、嫌われているのかと思えばそうでもないらしく、相変わらず彼の“お手”遊びは続いていた。赤崎はよくわからなかった。
* * *
赤崎は飼い主の家に来て早々、夕飯も食べないうちからクタクタになるまで沢山沢山その体を弄ばれた。
シャワーを浴び簡単に食事を済ませて時計を見ると、すでに随分遅い時間。赤崎は結局今日も帰宅するのを諦めた。もう疲れて寝てしまってもいいくらいだったけれど、二人でなんとなくカウチに座って見るともなしに深夜のスポーツニュースを見ていた。映っているのは番組の1コーナー。現代サッカーにおける前線の選手の守備の是非について考えるという特集だった。赤崎は自分の守備力については不満があったので、コメントの内容がイチイチ甘さの指摘となって自分の心に突き刺さってしまう。正直さっきの疲れもあるし、内容も気分のいいものでもなかったけれど、赤崎は逃げ出さずに番組を真面目に見ることにした。ジーノは特集なんてそっちのけで、そんな赤崎を少しニヤつきながら見ていた。
「…なんスか。文句でも?」
「いや?別に。なに考えながら見てるのかな?って思ってね。」
「前しか向かないってあんたにもよく言われるじゃないッスか。後ろを見る練習もしたいって話ですよ。なんかわりぃかよ。」
「フフ、熱心だね?」
「…他人事かよ。」
「うん。他人事。」
この頃赤崎はジーノと会話をしていて腹が立つことがある。自分はやれないことが沢山あって、なんでもがむしゃらになってやっていないとちゃんとできない。でも横に座るこの男は、本気になれば代表だって移籍だって多分思いのままな実力のある選手だ。なのになんだか不真面目で、いい加減で、不自然なまでに上を目指そうとしない。以前、不調なんだ、悪いと思ってる、なんて説明されたこともあったけれど、最近のプレイはそれにしてもあまりに不謹慎すぎで。赤崎はつまんなそうに凡プレイをする王子の姿を見ていると何度でも彼に一言言いたくなってしまうのだった。
「そういう態度どうかと思いますけどね。人が一生懸命頑張ってる横で、あんたはやれるくせにやらないでブラブラしてる。そういうのって怠慢って思いません?態度悪いッスよ?」
「ハッ、偉そうに。」
ジーノは鼻で笑ってそう答えた。赤崎はめげずに続けた。
「なんで真面目にやんないんッスか?俺みたいにあっちもこっちもって能力的に無理だからってんじゃないんでしょ?あんた集中すればもう少しやれんのに最近益々テロテロさぼってばっかで。この前の試合でFK壁に当たって決められなかったのがそんなに癇にさわったんッスか?あんな程度のことでこんなに腐るとかありえねぇよ。」
「…覚えてないなぁ~。なんの話?それ。…ETUの貴公子は狙ったら100%外さない。絶対決める。そういう存在。そうでしょ?違ったっけ?」
「なんだよその糞みたいなプライド。あの後明らかにあんたのさぼりのせいで失点しかけたじゃないッスか。せめてディレイするそぶりぐらいやれってコシさん怒鳴ってたの忘れたわけじゃないッショ?今チーム順位最悪なんッスよ?ああいう空気って周りに感染すんだよ。」
「…そんなことあったっけ?」
赤崎はしらばっくれているジーノの態度にカチンときた。
「あんた勝ちたくないの?サッカーやんのつまんないわけ?」
「どうかな~、微妙かな。ボクの人生はサッカーの為だけにあるわけじゃないってのはそうだけど。」
「それでもプロかよ。」
「契約がある限りはね?ともかくボクがやってることに関しては、あんまり深く考えない方がいいよ。そのかわりみんなも好きにすればいい。どうぞご勝手にってやつ。」
「スポンサーとかファンとかに恥ずかしくねぇの?」
「おや?キミは他人の評価が欲しいのかい?そんなくだらないもの、別にいらないだろ?」
「くだらないって…。あんたは周りに迷惑掛けようが、どう思われようがどうでもいいとでも?」
「そりゃそうさ。周囲へのおべっかの為にボール蹴ってるわけでもあるまいに。自分が楽しいか楽しくないか、それがすべてだ。」
ジーノのイチイチ神経を逆撫でする表情や言い方。赤崎はそれが本当に気に食わなくて。イライラしてイライラして我慢ならなくなって、今まで誰にも言ったことのないような自分の中の不毛を吐き出すようにジーノにぶつけ始めた。
「くだらないなんて…。あんた当落線上にいたことなんてきっと一度もないでしょ?10番背負って当たり前。スタメンで出て当たり前。」
「ん~、まあ確かに控えの経験とかはないかな。」
「すげぇなとは思うけど、やっぱり俺からしたらちょっと傲慢に見えますよ。」
「…傲慢?」
「あんたはベンチで指を咥えてる人間の心情を理解しない。理解できないんじゃなくて切り捨ててる。そうやって俺らの気持ちなんて全然見ようとしねぇから無責任な態度が出来るんだ。そんで、平気でそんなこと言えたりもするんだよ。評価はどんだけ綺麗事言ってても必要なものだ。くだらないっていうあんたにも実際には必要で、それがなきゃ俺らまずプロにもなれねぇ。」
「責任感の強い選手だけ、魂のある選手だけがピッチに立てばいい…、ってキミの言いたいのはそんなとこ?ま、綺麗事だけど正論ではあるよね。監督に進言でもしてみれば?王子を引きずりおろせ!ってさ?それともボクが自分から降りろって?ま、そんでもいいけどね。キミが…そう思うならボクにしたってどっちでも同じことだし。今はもう単に出ろって言われるから出てるだけだしね、大した話じゃない。」
「…あんたさ、今日なんなの?一体。いい加減な事ばっかやって甘えてないで、もう少し必死になること覚えた方がいいんじゃないッスか?みていてなんか安牌狙いっていうかそういう感じしますよ。だからいつもそんな楽勝でだらけた生活になるんだと思う。ぬるま湯だよ、そんなの。切磋琢磨しないで慢心してると成長とまるって。」
「……」
ジーノはそんな赤崎の顔をじっと見ていた。赤崎はさすがに言い過ぎたと思ったが、負けん気が強くて意地っ張りだったのでジーノを睨み返した。
「あのさ?…キミってさ、本気で世界目指してる?」
「なんだよいきなり。当たり前っしょ?本気ッスよ!」
「フフフ…だよね。いいじゃない?過酷な人生。努力、修練、鍛練、切磋琢磨。とってもキミらしいよ。頑張ってね?ボクもボクなりにいつでも応援しているから。ハハハ、キミの好みそうなチャントでも作って歌ってあげよっか?どんなのがいいかな?」
「…俺の話、聞いてたンスか?そうじゃないっしょ?一緒に頑張ろうとかたまには言えねぇの?責任感ない奴は降りろって話じゃなくて責任感持ってピッチに立てって話でしょ?」
「責任感を持って?そんなのゴメンだね。出来るわけないだろう?ボクはそういうガンガン上を目指したり堅苦しく考えながらプレイするタイプじゃないんだ。キミみたいな生粋の江戸っ子は熱いお風呂が大好きなんだろうけど?ボクは違う。ゆっくりと適温の長風呂を楽しみたい。しかもサッカー以外のいろんなお風呂もね?ボクはそんな風に好きなことを好きなように好きな分だけ…。そうやって自分の出来る範囲で…。無理なく楽しめる程度にやるのが好きなんだ。そうだよ、ボクはそもそもそんなタイプだったはずで…。もうさ?そういう暑ッ苦しいのは全部キミにまかせるよ。そんでいい。もう、それでいいんだボクは。」
「暑苦しいってどういう意味だよ!」
赤崎は真剣な自分の言動に嘲笑するかのような返事をするジーノに思わず声を荒げた。今日は本当にこの人どうしたんだ、と赤崎は疑問が起きる。それくらい今日のジーノは、突っかかった物言いをしてみたりしていびつな態度だったりとおかしかった。日頃ストイックすぎるくらいに自己管理をしているくせに、その向上心を隠そうとするのはいつものことだ。だが、今日はあまりにも投げやりだ、と赤崎は売り言葉に買い言葉を返す。
「上を目指さない男が、上を目指す男を育てることはできねぇよ。」
イライラした赤崎は睨み付けるようにジーノに続けざまに強い言葉をぶつけた。ジーノはそんな赤崎を見て笑う。
「…まあね。そのとおり。」
そう、赤崎は売り言葉に買い言葉のつもりだった。王子を強く侮辱して、彼の中の怒りを引っ張り出そうとしただけの話だったのに。受け止めた言葉を王子はそのまま抱き留めて笑いながらぺチャリと座り込んでしまったかのようだった。らしくない。あまりにもらしくない姿だった。遠慮のない言葉をお互いすっかり吐き出して、そして前を向こうと、そんな時間を作っているつもりだったのに。これはあまりにも卑怯だ、フェアじゃないと赤崎は怒りを通り越して悲しくなった。
「な…!受け入れんな王子!こんな言葉!」
「今更なんだけどさ、ボク達、価値観が根底から違うんだよ。だから、本当は一緒にいるのって現実的な話メリット一つもないんだよね。」
「俺はそういう意味で言ったんじゃ…怠惰だっていっただけで、あんたも素直に上目指せばいい話だろ?」
「フフ、まっぴらだね。さっきから言ってるだろ?」
「なんでだよ!」
「ボクはキミの価値観を否定しないよ?だからキミもボクの価値観を否定しないで欲しい。傲慢っていうのはキミのやるような、そういう本人の意思を度外視して他人に指図をするようなことを指して言うんだ、ザッキー。」
「俺は別にそんなつもりじゃ!」
「まあいい。そういうのはどうでもいいことだ。ボクもまたそういう部分を持った男だしね。ある意味ではボクも傲慢。キミの言うとおりだ。結局話し合ったって無駄な事。人間、ようするに自分のやりたいことしかやれないように出来てる。キミはキミの傲慢を、ボクはボクの傲慢をやめられない。形が違うだけで同じ話だ。キミがボクを否定しようがしまいがボクにはあずかり知らぬこと。勝手にすればいいさ。でもボクは変わらない。キミの傲慢に寄り添う気はない。全くね。」
* * *
ジーノはふいに真面目な顔になった。不謹慎でイラつくような態度が一変して、急にまるで肩の荷が下りたかのような笑顔を浮かべた。
「でもザッキー、キミはもう少し赤ちゃんだと思ってた。意外に賢い飼い犬だったね?無意味さに気付いて自分からそれを口にするなんてちょっと驚いてしまったよ。でも…成長して自立していく愛犬をみるのはやはり感慨深い。飼い主としてはちょっと寂しいけれど、さすがボクの自慢のペット。素晴らしい巣立ちへのプロセスだ。そう思うよ。」
「なんだよそれ…巣立ちってなんだよ。なに言ってんだよ、やめろよ…」
「…なんでだい?ザッキー?自分で言ったことじゃないか。上を目指すキミが上を目指さないボクから学べるものなんてもうないんだよ。無駄しかない。それに気付いたならやることは一つだろう?それに対してYESというのがボクなりのキミに対する応援だ。」
「おい、王子!ふざけんなッ!だから違うって言ってんだろ?」
「ちょっと落ち着いてよ。それをやり始めると堂々巡りだろう?ボクは堂々巡りって本気で嫌いなんだよ。今の話の流れを自分自身で理解出来ていないのかい?それじゃせっかく褒めたのが台無しだ。益々愚かしい。互いの傲慢を貫いてるだけじゃないか。」
「落ち着くのはあんたのほうだろ?」
「ボクは変わらないよ?暑っ苦しいことはしない。どれだけキミがそれを望もうとね。なのにキミはずっとボクが変わることを期待しながらセックスに溺れてこのまますべてを棒に振っていくつもりなのかい?それは違うだろう?キミが本気で世界を目指すと言うなら。時は止まらないんだよ?」
「棒に振るとか、そんなつもりは」
「言うと思ったよ、本当にキミは赤ちゃんで…。それもまあ、想定の範疇だけど…やっぱりキミに手を付けるのは失敗だったなぁ。」
「失敗?」
「美味しそうだったからつい手を出しちゃったけどね?ほら、ボク楽しそうなことに目がないからさ?」
「つい?そんな出鱈目を…俺達はずっと一緒に…」
「そういうところがいつまでもネンネなんだよキミは。再三に渡り遊びだって念を押してきたというのに。ボク達は過去、一度でも一緒だったことがあるかい?まあ、キミを食べるために多少の嘘と演出が必要だったわけだけど…もう少しそのあたりの件についてはキミも理解していると思っていたんだけどね?まさか都合のいい事だけ信じて本気で騙されきっている?ボク達のやっていることは物理的な性欲を埋め合わせる自慰行為の延長でしかない。何も生み出さない一過性の消耗品のようなホビーだよ?本来キミはこういうややこしいことには向かないタイプだ。すっかり混乱してしまっているのだね。やっぱりさ、普通の女の子を相手に普通の恋愛を楽しむのがいいんじゃない?きっとその方がなにか大切なものを育んでいけるし、人としての質も伸びる。」
「なんで?何も生み出さないなんて!そんな…」
「ほら、自分で言ったことを忘れないでよ。一緒にいる意義の話。キミはさっき気付いちゃったじゃないか。ボクとの時間がキミの成長の糧にならないということを。違うかい?いろんなことがごちゃまぜで切り分けられないキミは現状に対してちゃんと考えたみた方がいい。」
ジーノは話をしている内容とは裏腹に、赤崎を労わるような表情を浮かべて。赤崎はジーノのあんまりな物言いと提案に唖然として。
「傷ついてる?でもキミはボクの演出に酔ってぬるま湯に浸かるような怠惰な人生を選択するのは嫌だろう?何度も伝えてきたはずだね。ボクはキミのことをこの上もなく大切に思っている。若くて不安定なキミがある種の支えを必要とした時期があったことはボクも事実として認める。そして実際、ボクがこうしてキミの傍にいることが確かにキミの力になれた場面も時々はあっただろう。でも今は違う。キミは成長し、ボクのような存在は不要になった。ライナスの毛布のようにこの関係が名残惜しいのは理解するけれど、こんなママゴト遊びからは少しでも早く卒業することが大切なんだよ。キミの自転車にはもう補助輪はいらない。ぬるま湯からでて、過酷な人生を選んで生きる。それがキミだ。」
「聞きたくない、そんな話。やけくそになんなよ。あんたは俺の補助輪なんかじゃない。ぬるま湯でもない。違う。俺にとって王子っていうのは…」
動揺する赤崎の声は震えていた。なんとも哀しい顔をしてジーノはそんな赤崎の手を両手で包み込むように握る。これは彼が今日みたいに変じゃない、普通の優しい彼の時にする癖だ。不安定な状態に陥った赤崎を落ち着かせるための思いやりの行為。
「知っているよ?キミのこと。キミはボクのことがとても好き。そうだよね?」
「ならなんで?なんでわざわざそんなことを俺に言う?傍にいたいから傍にきたんだ。王子。」
「うん、そうだよね、ザッキー。知ってるよ?演出に酔わせてきたのは間違いなくこのボクなんだから。」
「だから演出なんて、そんな!王子!」
「ねぇ、いい機会だ。ふざけないで真面目に話すからちゃんと聞いてくれないか?演出も嘘もない、正直なところのボクの気持ち。」
「……正直な?」
「そう、正直なボクの気持ち。知りたいだろう?態度が悪かったことについては謝るからさ。ね?たまにはボク達、そういう話をしてみてもいいかもしれないよね?なけなしの誠実を、受け取ってくれる?」
「……」
赤崎は思わず息を飲んだ。ジーノがイライラしてつっかかるような態度をとるのも初めてなら、正直に話すと自ら言い出すのも初めての事だった。
「いい子だね。さあ、整理しようか。今ボク達は二つの件についての話をしているよ?それについての価値観の違い、立場の相違を一緒に見ていこうよ。」
