飼い犬と飼い主 8
飼い犬に溺れて混乱状態のジーノと強引なしつけの生活に翻弄されながらも徐々に気持ちがはっきりしていくザッキーのお話です。ザッキーいないと、このシリーズはもう大変です。でも、この時点ではザッキーはジーノの事情を全然知らないので力になれません。ただ、少しずつ夢の形でジーノの混沌に接触し始めます。まあそれには関係なく説明能力のないジーノは一人勝手に転落していくという鬼展開。6の「裏と表」で本音を諦めたジーノが「表と裏」で再び本音を口にしますが言い方が下手でどっちにせよ蹴散らされ。夜を求める度悲しみに溢れて益々渇いてしまうのは勿論ジーノ。
幻とのつきあい方1
「ね、キミさ、本当はボクのこと…どう思ってる?」
ここは夢の中。
知っているはずなのにまるで見たこともないような顔の男が、ベッドに横たわっている俺の横で俺に呟いていた。俺は俺のすべてを手中に収める俺の飼い主、王子の手によって弄ばれて、すべてが終わった後でも快楽の波に酔わされたままでいた。なので、その男の問に返事の一つも出来ないでいる。
男は続けて言う。
「ボクは、本当はキミのこと…どう思ってる?」
どこも見ていない虚ろな瞳。男は迷子の子どものような不安げな目をしていた。
「わかりたいのにわかりたくない。そうこうしているうちに、いつもいつも…こうして時間が流れていくんだよ、勝手にね。時は止まってくれない。そして決して戻らない。…どうにもならない。ようするに…、そういうことなんだ。わかるかい?」
男の言葉の意味がわからなかった。俺はどうにかするためだけに生きてきたので、どうにもならないという結論に至る意味がわからなかったのだ。
波に揺られた俺は心の中で呟いた。
それはどういう意味ですか?…王子?
当然、男は質問に答えることはなかった。ただ、かわりに言った言葉はこうだった。
「王子?それは一体、誰のことなんだい?ザッキー…」
なんだかすべてがあやふやでとりとめもなくて。だからもう少し男の話を聞きたかった。
なのに、気が付いたら朝になっていた。夢の中の男にもう一度質問をしたかったけれど、夢の続きを見れる保証はどこにもなく、なんだかとても残念に思った。でも、意識がはっきりしてくるに従い、男の顔も、男の言葉も、ふわふわと空気の中に霞かなにかのように溶けてしまったのだった。
* * *
「王子…」
「ああ、おはよう、ザッキー。」
「…おはようございます。」
王子が返事をしたことに何故か安堵した。返事をしないなどとなぜ考えてしまったのか。
朝、目が覚めると大概王子はこうしてリビングで一人、雑誌を読みながらコーヒーを飲んでいる。寝乱れた夜が嘘のように綺麗に身なりを整えて、高貴で涼やかな姿に戻っている。
最近、俺と王子の間では殆ど会話がない。だから俺はこうして目が覚めたら挨拶だけを済ませ、シャワーを浴びて帰りの支度をする。家を立ち去る時の挨拶の時、彼が「またね」と言わなくなったのはいつからだろう。
この頃の口数の少ない王子は、王子ではあったけれど王子ではない様な変な気がした。俺の知っている昼間の王子はもっとチャーミングで子どもっぽいところがあり、そしていつも笑っていた。その時々で、あまりにも違う印象の王子。昨日見たはずの気がかりな夢の中身が思い出せない。
支度が終わったのに立ち去らないでカウチの後ろに立っている俺に向かって、王子がめずらしく声を掛けた。
「…なんだい?」
最近はどれだけこうして王子の傍にいようと、まるで見えていないかのように無視をしていることが多かったのに。不思議なこともあるもんだな、と感じた。カウチに座りながら振り向いて、俺を見上げる王子の目が何かを思い出させる。
「王子は…。俺のことをどう思ってるんですか?」
表情一つ変えずに王子は俺を見上げたまま、じっと俺のことを見ていた。その視線が俺を素通りして遠くに流れていて、ああ、これでは返事はないなと感じた。案の定、王子はしばらくするとそのままいつものように俺がここにいないものとして雑誌を読み始めてしまった。まるで何事も無かったかのように。
だから俺も、失礼します、と小さく言って、いつものようにこの家を後にしたのだった。
