飼い犬と飼い主 8
飼い犬に溺れて混乱状態のジーノと強引なしつけの生活に翻弄されながらも徐々に気持ちがはっきりしていくザッキーのお話です。ザッキーいないと、このシリーズはもう大変です。でも、この時点ではザッキーはジーノの事情を全然知らないので力になれません。ただ、少しずつ夢の形でジーノの混沌に接触し始めます。まあそれには関係なく説明能力のないジーノは一人勝手に転落していくという鬼展開。6の「裏と表」で本音を諦めたジーノが「表と裏」で再び本音を口にしますが言い方が下手でどっちにせよ蹴散らされ。夜を求める度悲しみに溢れて益々渇いてしまうのは勿論ジーノ。
幻とのつきあい方2
ここは夢の中。
王子と二人の夜を過ごして、俺はいつも自分で気が付かないままに寝てしまう。そして目が覚めると王子が隣にいない朝が来る。彼の演出する快楽の波は強烈で、俺はいつも起きていながら夢幻の世界に行ってしまうような感じがする。この世界が彼の作った夢幻なのか、俺の見ている眠りの中の夢なのかいつもあやふやでわからない。
「…だからね?ボクは…」
誰かが独り言を言っている。この世界にいる俺は目がよく見えなくて、フワフワと淡いシャボンのようなまぁるい虹色の大きな球体が真っ白な空間に沢山沢山浮かんでいる。綺麗な、でも儚いフワフワ。いろんな色がキラキラと何かに反射して光ってる。
「こんなに沢山…真っ赤に染まって。…気持ちが悪いでしょう?」
「沢山?赤い?」
目の前にいつの間にか立っていた男が、下を見てそう呟いた。足元には空から落ちてきた虹色のシャボン玉のような球体がフワフワと沢山転がっているばかり。
「だからボクは…赤い色が苦手なんだ。どうせ赤いなら空が赤ければいいのに。夕日は好き。とても綺麗だから。水面に反射してキラキラするんだよ?キラキラ…光るんだ…でも眩しくなくて、優しい色で…」
そこにいるのは、そうか、王子なのか。自分で話しかけておきながらそんなことを考える。よかった、王子、そこにいたんだと俺はホッとする。だって目が覚めるとあなたはいつも俺の横にいないから。
「赤い色、前は苦手じゃなくて、何故か惹かれると言っていた気がします。」
王子の大好きな赤いサボテンの話をしていた時のことを俺は思い出していた。車も赤だし、王子は赤い色が好きなんですねって俺は言ったのだ。いつのまにか俺は右手にサボテンの鉢植えを、左手に王子の部屋に飾ってあった小さいマセラティのレプリカを持っていた。王子が初めて見るみたいに不思議そうにしながらその二つに手を伸ばした。
「そうだった?ボク、惹かれるって言ってたの?」
それを手に取り、光にかざすように眺めている。目を細めている。
「それに、二人でいる時に一度、赤崎って名前に赤がつくねって。だから俺を色に例えたら赤そのものだねって言っていませんでしたか?王子は赤が好きだと前に言っていたから、俺、その言葉がとても嬉しかったんですよ?でも王子は…本当は俺が苦手だったんですか?」
「キミが赤?…そうか、そうだねぇ。ボクはキミに惹かれているのではなく、苦手なのかい?」
「俺に聞かれても…。王子、あんたの言っている意味がよくわかりません。」
「ボクもだよ。よくわからないね、笑ってしまう。フフフ」
笑ってしまう?違うよ、王子。あなたはそんなにも泣いているじゃないか。王子はサボテンとミニカーを両手に持って、小首をかしげて目を伏せた。そうしてここではないどこかを見ていた。そんなに下を向くから、沢山の涙がポロポロとこぼれ落ちている。
「サボテンに涙がかかっていますよ?」
王子の涙がサボテンの棘に触れる度に高い音が鳴り響く。まるで音楽。耳と心に浸みわたる。とても澄んだ綺麗な音、でも少し悲しげにも聞こえる音色のハーモニー。あの有名なTHE CASCADESのRhythm of the Rainの中にある雷鳴と雨音の後に続く印象的な鉄琴の響きにとてもよく似ている。嵐を思わせる豪雨にもかかわらず、彼の涙が優しい小さなかわいい雨粒になって、パラパラ、キンコン、愛くるしい音を立てて撥ねている。
「サボテン?なにを言っているの?」
「だって、ほら、王子。手に持っているじゃないですか。」
「ああ、なんだキミ、寝ぼけているんだね。」
「違いますよ、ほら、そこに。涙って塩水だけどそんなものあげて枯れたりはしませんか?」
「涙?誰か泣いている人がいるのかい?ああ、本当だ、泣き声が聞こえる。思い出した、ボクはハンカチを探している最中だったんだ。大きな大きな、シーツのような、とっても大きなハンカチが必要なんだそうだよ。」
王子はそう言うと、空間から真っ白い大きなシーツをふわりと取り出した。王子はこの虹色の世界の中でまるで羽を広げた天使みたいに綺麗だった。なのに、その途端シーツの端が彼の体を束縛するように絡みついてしまったので、王子は俺に不安そうに戸惑いの目を向けた。
「あ!王子、待っ!」
嫌な予感そのままに、王子はシーツとともに風に吹かれてフワリと舞い上がり、遠い空まで飛んで行ってしまった。
* * *
そんなところで目が覚めた。
目が覚めると隣に王子がいない。一夜を過ごした目覚めの朝に、毎回こうして一人ベッドに残されていることが怖いから。だから俺はこんな変な夢を見てしまったんだと思う。気がかりなくせに忘れてしまう夢。中身は違うのに、もう何度もこんな夢を見ている気がする。王子がいるのにいない夢。
コーヒーの匂いがする。王子がリビングにいる証拠。ほんの少しホッとして、俺はゆっくりベッドから起き上がったのだった。
