飼い犬と飼い主 9
今回は一直線のザッキーを書くのがテーマでした。どんな時も逃げ出さずにあくまでも冷静に問題点を突き詰め立ち向かっていく。この突き詰め→努力→解決で今まですべてを乗り越えられてきたザッキーが今回初めて解決しきれず少しずつ空回りの絶望の世界を知っていくという。ジーノ失速を曲解したせいです。時系列は9と8で重複。ちなみにこの頃のザッキー、実際にはサッカーへの集中力は半端なく、選手としてグングン成長し始めているけれど、一段と向上心が強まりちょっとやそっとの達成感じゃ満足できないようになってきただけです。
祈るなら今は「願いは叶う」と
FKを外して不貞腐れた王子は前にも増して不真面目になった。だからとうとうコシさんだけでなく俺もすっかり頭にきてしまって。イライラが募ってつい彼を叱責してしまった。
彼に対してこんな言葉をぶつけるのはもう何度目かも覚えていない。なんで真面目にやらないんだ、10番の自覚はあるのか、といつもそんな風に彼に文句を言ってきた。夏木さんがどんな気持ちでいるかを考えれば、なんて言ったこともある。そして今回は、ベンチで唇を噛んでるしかない俺の気持ちを考えれば、そんな失礼な事やれるわけがないだろう、とそんな風に言葉を加えて。
俺はその時もどうせ王子はいつもの通り適当に受け流すか“こう見えてもそれなりにはやってるほうじゃない?”とか“あんまり大きなものをボクなんかに求めない方がいいよ”なんて傲慢な返事をしてくると思っていた。そうやって限りなく行ってきた不毛な口論がまた始まるんだと思っていた。俺達はそういう時間もたまに必要な関係だと思っていたから。我慢しあわないで言いたいことを言いあう時間もお互いにとって大切だと感じていたから。素直になれない俺達は、そうやってぶつかり合い研磨し合いながら互いの本質に近付いていく他ないのだと信じて疑わなかったから。
気性の激しさで感情をコントロールできなくなる時がある自分の性質は以前から王子に選手にとっての欠点だと指摘されてきていた。そういう王子は大変コントロールが上手で、親しくなるにつれ気軽に噛みつく回数の増え始めた俺のことを最初てんで相手をしなかった。けれど、彼もまた俺の叱責の繰り返しの中で少しずつ言い返して来たりムッとした顔をしてみたりするようになってきていて。喧嘩は疲れるけれど、本当は関係が深まっていく実感すら俺にはあったんだ。
なのに、あの日。いつものように噛みついた俺に対して王子はなんと別れ話を切り出した。ボクは変わらないと言い、それを望むのは無意味な事なのだと切り捨てた。俺がいいことだと思っていた口論の時間は、彼にとってはイライラを募らせるまさしく不毛以外のなにものでもないものだったようだ。
研磨し合う痛みに耐えられない彼はそうして逃げ出そうとし、俺は驚いて咄嗟に彼の髪の毛を掴んで引き摺り戻すかのような真似をした。絶対に別れないし、傍から離れない、と彼に駄々をこねて居座った。
そうして今、憐れな囚われの彼は俺という重い足枷をはめられて。ほら、またこうして以前と変わらず彼の寝室で俺を抱いている。暗い目をして奴隷のように、俺を抱き続けている。彼は嫌なことを絶対にしないタイプだ。だから本気で追い出そうとすれば用意に出来たはずだ。でもそれをしなかった。こんな皮肉な形で、彼の言うところの“キミはボクの大切なペット”であることが証明されたことになった。一度飼い始めたペットを捨てるなんて無責任は許されないってわけだね、困った事だどうしようか、なんて苦笑していた。司令塔としての責任感の是非について口論していたというのに、彼はその彼の厭うべき責任感を口にしたのだ。ちぐはぐな現象だった。
彼の手は今日もまた優しい。なのに瞳が揺れてとても暗い。なんてあったかい手。なんて気持ちのいいセックス。そう感じながら俺はその分だけ強く感じるであろう明日の朝の痛みの恐怖に怯える。楽しいことが大好きと言った王子が苦い顔をしながら責任を果たしている姿に、俺は自身の強い業を感じて泣きそうになる。
あなたが俺に手を離すんだよと言った時、
俺があなたの手を掴んで離さないよと言った時、
あなたのその暗い目には、一体何が見えていた?
そんな顔しないで、不安なんだ、足元がぐらつく
問いかけても返事がないから
俺はただ、こんな翌朝必ず罰を受けるように
引き裂かれるこの体を抱えて途方に暮れる
でも我慢できない、どんなに痛くとも王子の傍に居たい
* * *
「ね、何考えてる?」
「……」
「ボクとしてる最中に上の空だなんて…キミも随分偉くなったものだね?」
珍しく口を開いた王子が怒っている。最近彼の感情表現は非常にあいまいなのに、急に王子が傍にいる様に感じた。なんだか久しぶりに彼に会えた気がして、今度は嬉しくて泣きそうになった。なんて我儘な俺。
「ちょっと怒られたからって、泣いて誤魔化すつもりかい?そんなことでボクが許すわけがないだろう?こっちを向いて、全部ボクに寄越すんだ。」
「王子…」
「全く不愉快だよ、ザッキー。まさかこのボクが物足りないってわけ?まさか遊びに熱中して他でもやり始めたとでも?誰?女?男?それとも自分?ボクの手を欲しがったのはキミだろう?なのにいらないなんて傲慢だね。」
「…ちがっ…痛ッ!」
「ボクの道具のくせに。…キミはボクの手の中だけで喘いでヨガって、イキまくってればいいんだよ?飼い犬は一滴残らずボクに寄越すのが当たり前。お仕置きを考えなくちゃ…そうだねぇ…今度から物足りなくて上の空ならもうボクをあげないよ?出したくなったらボクの前で馬鹿みたいな顔して自分で自分のを擦って射精すればいい。フフ、それもクラブハウスのどっかでね?とりあえずは今日からボクがいない自宅とかトイレとかで無断で処理するは禁止ね。お預けが苦しくても絶対に勝手は許さない。ボクが許可した時だけそれ弄っていいから。バレないだろうとか思ってボクのルールを破ったら一体どうなるか、賢いキミにはちゃんとわかるよね?」
「そんな…あぅ!」
「うるさいなぁ。集中しないと本気で明日ロッカールームでやらせるよ?気を付けてても誰かに見られちゃうかもね?さあ、それが嫌なら今すぐボクにもっと感じて惨めな姿でヨガるんだ。馬鹿で愚かなキミは黙ってボクに使われていればいい。キミはボクから離れないつもりなんだろ?ならしがみついてでもついてこないと。わかってるよね?ボクは気紛れだからいつでもキミを処分する。ボクが優しい飼い主だからって、いつまでも簡単に餌がもらえると思ったら大間違い。欲しいならお利口にしてなきゃ駄目だよ?」
「んッぁ!くッ!」
「そう、もっと鳴くんだ、もっとだよ?ザッキー、もっと、もっと!ほら、もっと!アハハ、愉快だ。なんて楽しいんだろう!」
激しい言葉とは裏腹の、甘くて眩暈をおこすような彼の愛撫。彼の手は常に優しく、俺のすべてを包み込んでいく。
今の言葉は俺の疑問に対する彼の答えなのだろうか?この前、離れることが出来ないと言った彼は、今、いつでも処分すると言ったけれど。もっと王子のことを見て、しがみついてでもついてこいと言ったんだ。彼はちゃんと俺にそう言った。俺ははっきりとそう聞いた。
暗喩的でわかりにくい彼の言葉はやっぱり相変わらず複雑なもの。けれど、人は見たいものを見るくせがあるから。最近わかってきた、俺にはそういうくせがあるから。ほら、こうしてまたあやふやな言葉の中で、自分に都合のいいものを俺は必ずチョイスする。
でも、今はこうして自分を騙しておきたい。目を、耳を閉じておきたい。王子の手が差し伸べられる限り。その手が俺を包む限り。だって俺はまだまだこうして王子の虜のままで生きていたい。俺は確かに傲慢だ。彼の言うとおり、そのとおりだ。何故こんなにも自分の都合のいいことばかり。彼が欲しい。この手に掴みたい。掴んでもう二度と離したくない。これほど今がつらくとも、彼を失うことなどほんの少しも考えたくない。
王子は以前からベッドの中でだけある言葉を繰り返す。何度も何度も。
“全部ボクに寄越すんだ”
これは俺のたった一つだけ知っている、彼が口にする彼のためだけの欲望、願望、願い事。おそらくこうして夜を共にする者だけが触れることの出来る、彼の秘めたる強い渇望。求めることなく、なにもかも捨て去るばかりの無欲な彼が、触れ合う皮膚と皮膚の刹那でだけ絞り出すように吐き出す絶望。これは生きることに適さない繊細さを持つ彼の、チラリと見せる生存本能。冷え続ける体を抱えて彼はまるで助けを乞うように体とその体温を求め続ける。誰でも抱けるという彼の言葉は、誰でもいいから助けてくれという切望の台詞ともよく似ている。そんな形でもう何人もの人とこうした夜を過ごしてきたのか。そう考えると俺はたまらなくなる。
彼は自分の中はからっぽでなにもないと思っているから、その幻の空洞に吹きすさぶ風に震え凍え続けている。彼も無意識のままにその空洞を埋める何かを欲している。だから俺は都合よくそれを利用する。では、俺の中にあるこの傲慢も、この愛と呼ぶにはあまりにも自分本位な欲望もまとめて一緒に受け取ってくれと。俺は全部あなたのもの。いつでも、どれだけでも、どうぞどうぞと、そう言ってすべてを彼に押し付けていく。強引に。
本来はそんな空洞などないのだ。あなたははちきれんばかりの瑞々しい葡萄のような甘い果実で、貪欲な獣に狙われ貪られるがために沢山の傷をその身に受けているだけだ。獣に助けを乞う過ちを繰り返すことさえやめれば、あなたは救われる。でも獣はそのからくりを絶対に教えない。
俺もまた彼の悲劇の秘密を口にせず、ただひたすら幻の空洞に潜り込んでいこうとしている。助けてという彼の言葉を受け、その水蜜のような甘さを堪能しながら傷つけ、貪り、さらにおかわりを彼に求める。彼という果実は求めるほどにたわわに実り、傷が深まるほどに芳醇さが増す。俺は彼を逃がさない。傲慢な強欲。信念を貫き通すことだけを目指してきた俺は、いつの間に、こんなにも醜い我を押し通すだけの我儘人間になってしまったのか。その中で繰り返される彼の殉死にも似た深い深い慈悲の行為。
俺はあまりにも彼にふさわしくないと我に返る瞬間だって勿論ある。でも、いつまでも俺が自分の目と耳を塞ぐのと同じように、彼の目と耳を塞ぎ続けて二人で一緒に眠りたい。部屋の明かりはうんと暗くしていたい。ドアに鍵をかけ、カーテンを閉め、窒息するような密閉空間で二人思考の一切を閉じて体だけになって過ごしたい。そうやって俺の醜さが彼に見つからないように。もしくはもうすでにそれを知りつつも見逃し続けていてくれる彼がある日いきなり愛想を尽かさないように。彼が正気を取り戻して逃げ出す日が来ませんようにと願うことをやめられない。
俺は自分がこんなに恐ろしい人間だったなんて、今まで一度も感じたことがなかった。いたたまれない。でもこの強い強い欲望が抑えられない。
王子、もう少し待ってて
もう少し、あと少し待ってて
俺はきっと成長してみせる
今は我儘な子どもだけれど、獰猛な獣だけれど、
そうしてあなたが仕方がないなと
傷を負いながら待っていてくれた分だけ大きくなるから
この生活を俺は無意味な結末として終わらせはしない。未熟で愚かな自分を知って知って噛みしめて、俺はその分前を向く。俺の弱さに付き合せた分だけ、二人で苦しんだ分だけ、絶対最後にこの痛みを全部笑い話に変えてみせる。そんな風に俺は俺の心を奮い立たせる。俺はずっと今までこうして生きてきたから。立ち止まることが怖くて怖くて、前を向いてしか生きてこれなかったから。
だからもう少し、待ってて王子
俺はそんな風に、自分で間違えて、
人を傷つけ、自分を傷つけ、そんな形で痛みを覚えて
自分の駄目さを痛感しないと次の一歩を踏み出せない人間だから
説明されても説明されても、結局は実体験するまでわからない子どもなんだ
今やっとわかりかけてきたところだから
この年になって今更キミは、なんて笑わないで?
俺はあなたと違って、恋に不慣れな小さい子どもなんだ
俺は彼に、もう少し時間を猶予を、と心の底からお願いする。この我儘な祈りを聞き入れて、と。ずっとそうやって優しく待っていてくれ、と。俺本当に絶対に変わるから、と。そんな風に厚かましい自分勝手な願いを彼に押し付ける。それでも本気だった。本気中の本気だった。自分を奮い立たせて奮い立たせて。
俺はいつか、あなたを傷つける獣の自分を卒業して、
あなたを癒すあたたかい日差しと、
渇きを払拭する綺麗な湧き水になる
絶対そうなってみせるよ?大好きな王子
だから、お願い、お願い、もう少し待っていてほしいんだ
ごめんね?本当にごめん、でももう少し、あともう少し、
こうして俺の傍にいて?もう少しあなたの悲しい甘さを味あわせて欲しい
本当にごめんね、愚かなほどに優しい俺の王子
