飼い犬と飼い主 10
ザッキー頑張っているのにジーノの心はドンドン明後日の方向に飛んで行ってしまっています。二人の明るい未来を切望するザッキーが少しずつ不毛を感じ始め今の関係を続けていくことに自信を喪失。達成感が手に入らない時期って自己評価下がりますよね。ジーノの不調を前に自分を責め始め、状況の誤解曲解も増えます。ですがそれでもザッキーところどころ問題の本質的なものがキチンと見えており、そのことを察知してしまうジーノはさらに追い詰められていきます。10は8「滑落」直後に繋がる話になってます。王子、赤崎、後藤、ジノ→←ザキ、ゴト+ジノ。
GMの決意と飼い主の逃亡
王子がなにやら後藤さんとすぐ傍で立ち話をしていたので、給水中の俺はなんとなくそれを聞いていた。
* * *
この二人はGMと選手という間柄ではあったけれど、飲み友達のような関係だ。二人が仲良しだということは俺がユースでここに出入りしていた頃にたまたま知った。二人が飲みに出かける現場に偶然遭遇したことがあったのだ。彼らがプライベートでも懇意な付き合いをしていることは、おそらく俺以外誰も知らないと思う。
入団したての頃に、後藤さんをからかいながら王子が歩いてきた時のことを思い出す。そう、あの時俺は冗談で二人の関係を訝ってみたところ、王子が大爆笑していたのを覚えている。
「へー、今からまた飲みに?二人、仲、いいンスね。でもこそこそとこんな風に…もしかして、あんたら怪しい関係なんッスか?」
「ねぇ、この子面白いね?飲みに行く男二人が恋人同士に見えるらしい。ハハハ!なんか今年はすごい変わった子と契約したんだね」
「赤崎、いくらなんでもその発想はあり得ないだろ!?」
「…なんか…ほんの冗談だったンスけど…流しゃいい話でしょ?過剰反応したら逆に変ッスよ?やましいんッスか?」
「や、やましい?なわけないだろ?」
「何?ボクこんなくたびれたオッサン相手に愛を語らなきゃいけないの?笑える!」
「オ!オッサン!?」
「まあボク年齢気にしないタイプではあるけどさ?でもねぇ?」
「年齢よりまず性別だろ?それに30代は別にオッサンじゃ…」
「オッサンだよ?」
「おい!オッサンはともかくお前俺の年知ってるならもう少しリスペクトしろよ!俺GMだぞ?」
「えー?GMったって契約サインする時以外はキミってただのユリーの下働きじゃない?えっらそー!」
「失礼だろ!王子!」
「ハハハ」
「なんか、夫婦漫才みたいッスね。」
「ちょっとちょっと、なに?夫婦?どっちが嫁なの?っていうかこの人が結婚?ねぇキミ知らないの?この人ホント、すっごくマヌケなんだよ?結婚なんて誰相手にも無理無理」
「…な、なんだよ!いくら俺がチョンガーだからって馬鹿にすんなよ!」
「チョ、チョンガー!?!なにそれ、どういう意味?聞いたことないよ!変な言葉!ハハハ!」
「王子!お前笑いすぎだろ!独身男性って意味だよ、使わないか?普通だろ?なぁ、赤崎?」
「…スンマセン、聞いたことねぇッス…」
「ハハハ!今度からキミのこと、チョンガーって呼ぶことに…ブッ!!ハハハ!駄目!笑い止まんない!」
「いい加減にしろ!王子!」
「クスクス、ゴメンね、チ…チョンガー…ハハハハ!駄目、無理だ!ハハハハ、苦しい、助けてー」
涙を流して笑う王子と真っ赤な顔して動揺している後藤さん。俺は苦笑い。その後後藤さんから何回か3人で行こうか、なんて声を掛けられたけれど。俺は遠慮させてもらってた。この面子で一体なにを話していいのか見当もつかなかったから。
あの日、あんなにありえないとでも言うように爆笑していた王子。実はバイであることを後から知った。でも、この二人はなんでもないんだということは不思議とわかる。王子は後藤さんについて、いい人なんだから恋人出来て幸せになればいいのにな、なんてちょくちょく言っていたから。とても気に入っているんだとは思うけれど、友達とか兄弟とか、多分そういう関係なんだろうと思う。
* * *
ともあれ俺のすぐ傍で今、王子は後藤さんと二人笑顔で話をしている。王子がこんな風に笑っているのを見るのは久しぶり。嬉しい反面そういう顔するなら俺相手にしろよ、なんて拗ねるような気持ちも少しはあった。相変わらず俺はちっぽけで身勝手なガキンチョだ。
「だから王子、今度行って来ようと思って。」
「あぁ、この前飲みに行ってた時の話?」
「もうそれしか思いつかなくて。」
「キミって今解任間近だもんね。まさに破れかぶれって感じだ。」
「お前、ほんと手厳しいな。」
「ハハハ、振られたら弔ってあげるよ。」
「なんで駄目な前提で話してんだよ。」
「なに?大丈夫だって自信あるんだ?10年ぶり~!なんて声かけても、あっちはどう反応するかとか怖くない?」
「やめろよ、いつもそうやって不安煽って俺のことからかうの…。今ホント俺ナーバスなんだから。」
「ホントにナーバスになってる人間はそんなこと言わないから絶対。キミはバリケード並みに無神経だから安心していいよ?どんだけ殴っても壊れそうにないもん。ホント馬鹿みたいに頑丈だよね?」
「おいおい、勘弁してくれ」
「フフ、ホメてるんだけど?」
楽しそうに笑っている。王子は言葉の語彙も勿論だけれど、身振り手振りが結構多い。しなやかに動く手、首をかしげて流す目線。どれをとってみても本当に優雅で美しい。ちょっとした仕草。彼のあのふわっとした爽やかで甘い香りを感じさせる。
本当に信じられない、こんな綺麗な男と俺は。あっけらかんとしたこの秋空の下で、俺は無意識に俺達の卑猥を連想する。ゾクゾクと身震いをしてカッと体が朱に染まる。穴があったら入りたい心境。
「しかし、お前が達海知らないなんてな。あいつがプレイしてた頃に日本にいればよかったのに。きっと一目で気に入ったと思うよ?」
「フフ、でもプレイと監督の才能は別物じゃない?」
「いや、あいつは絶対そっちの才能も有ると思う。」
「えー?そう?期待外れでこれ以上ボクのヤル気失せちゃったらどうする?」
「いや、それは自信ある。お前ら絶対合うよ。」
「ふ~ん。その人にセクシャルな魅力があれば少しはマシかもしんないね」
「おい!達海は男だぞ?セクシャルって…」
「ハハハ、amoreの世界に性別や役職なんて関係ないデショ」
「マジで?」
「…ちょっと、マジなわけないでしょ?ボクそんな無節操な人間に見える?」
「お前の冗談は冗談に聞こえないんだよ」
王子がバイであることは知られていない。俺も彼とこんな関係になるまで全くわからなかった。今みたいにそれを匂わす話をわざとすることもある彼だけれど、すべて冗談めかしていて有耶無耶にさせられる。俺自身、体調管理だと手淫されても、彼に抱きつかれても、さらにキスされたとしても、あの頃やっぱり信じられなかった。実際にこんな風に簡単に男とも寝れる人間だったなんて一度も感じたことがなかった。いや、何回も夜を過ごしている今でさえ、ふとした拍子にあれは夢なんじゃないかって思ってしまう時がある。彼に関することは本当になにもかも現実味がない。
王子という非現実性、違和感、異質。現実として地に足を付けてしっかりとそこに存在しているにもかかわらず、時々そこから浮き上がって立体映像の幻みたいに思える時がある。王子はあまりにも他人にプライベートを晒さない。足しげく自宅に通っている俺ですら、彼に生活を感じたことがない。
「フフフ、カルチョは騙し合いの世界だからね。ボクってやっぱり選手の才能あるのかな?」
「厄介な才能だよ」
彼はこうしてなにもかもを冗談にしてしまう。あまりにも上手なので俺は戸惑う。彼のこの明るい笑顔。簡単に二人の夜を嘘にする。虚ろで無表情な彼を嘘にする。みんな嘘にして今の彼はまるで自らが光を発しているかのように輝いている。彼はこんな風に彼に関わる全てを嘘に、幻に変えてしまう。王子はそういう圧倒的な力と知性を無駄に沢山持っている。
「味方は騙す必要ないだろ?ホントに全く。」
「あれ?キミって味方なの?」
「当たり前だろ!」
「そう?じゃあ、やっぱり振られたら美味しいもの御馳走してあげなきゃね?どこ行く?好きなところ、連れてってあげるよ?」
「お前なぁ、また駄目前提で話してるし。もういい、心折れる前に準備進めるよ」
「骨拾ってあげるからね?」
「いらないよ!あとで吠え面かくなよ?絶対連れてきてやる!」
それにしても、今この場面で重要なのは王子の嘘が巧みなことではない。そんなことはどうでもいい。俺は今、二人の会話の内容に驚いているのだ。まさかあの達海選手を監督にする話があるなんて。でもそれもまたすごいことだけどどうでもいいっちゃどうでもいい。問題なのはこのシチュエーションだ。この話題。これはGMが一選手にお気楽に日常会話として話していいようなネタではない。しかも誰にでも聞こえてしまうようなこんなオープンな場所で。あまりにも不用意だ。
後藤さんはああいう人だからともかく、繊細過ぎるほどに神経質な王子がこんな無神経で迂闊なことをしているなんてありえない。なぜ話を止めない?逸らさない?こんなに近くに俺がいるというのに聞かれてもいいと?まるで周りの状況を把握できないかのように、話に巻き込まれるように。話題を変えるどころか軌道修正する気配さえみせなかった。あの言葉巧みな王子ともあろう者がだ。
俺は驚きを隠せなかった。だから後藤さんが立ち去った後、思わず王子に声を掛けようとした。
「!」
俺はさらに驚いてしまった。後藤さんの背中を見送る王子の顔。あんな顔を見たのは初めてだった。不安、不愉快、恐怖、悲哀?なんとも表現しがたい複雑な顔。複雑でありながらその一切がなんの意味も持たないくらいに背後に真っ暗な空洞のような虚ろさを抱えていた。物は愚か色や光でさえなにも捉えていないかのような焦点の合わない瞳が揺れに揺れ、王子の全身からはまるで今にも崩れ落ちそうなほど脆い儚さが漂っていた。物悲しげな王子ともまた違う、足元からゾワゾワとしたものが這いあがってくるような、違和感、胸騒ぎ、なんともいえない心許なさ。よくわからないけれど、ともかくヤバい!と、なぜかそんな風に感じた。
王子の姿に目が離せない状態で俺はそのまま凍り付いた。身じろぎひとつとることが出来なかった。
すると儚い王子は今更ながら俺の目線に気付き、そして強く強く眉をしかめてありえないくらいに苦々しい顔をした。いや、忌々しいと表現したほうがあっているかもしれない。一瞬見せた彼のそれは、まるで一気にナタを振り下ろしたかのような恐ろしい断絶を思わせる表情だった。
そして王子は一言も言葉を発しないまま、すっとその場を立ち去ってしまった。ちょっと話しかけにくかったので後でと思ったら、どうやらそのまま誰にもなにも言わずに帰ってしまったらしかった。
* * *
それっきりだった。彼は二度と俺の名を呼ぶことはなく、俺に手を差し伸べることもやめてしまった。先日の王子の言葉をまた思い出す。
“ボク、そういう無神経な能力は犬にはいらないんだよ”
見てはいけないものを見てしまった飼い犬を、あの日、彼はとうとう処分したのだ。
何がそんなにいけないことだったのか、あの顔は一体どういう意味だったのか。彼からの説明が一言もない俺には、なんのことだかさっぱりわからなかった。ただ、何だったのかは理解出来なかったけれど、あの出来事は多分あれだ。あの瞬間、俺は俺のわからないままに二人で作り上げていたあの世界を粉々に砕け散らせてしまったのだ。きっとそんなところだ。限界を超えて俺に寄り添い続けていた王子。意図せず俺は彼が繋いでくれていた繊細な最後のクモの糸のような繋がりを、あっけなくプツリと自分で。ようするに最後の最後まで王子のことを何一つ理解出来なかった俺は本物の正真正銘の馬鹿だったというだけの話。
謝りたくてもなにが悪かったかなんてわからないし。そして翌日以降俺と顔を合わせた王子はもう理由を説明することは愚か、単純にお別れの挨拶をするチャンスすら与えてはくれなかった。
