飼い犬と飼い主 11
達海就任直前の2006年12月頃。色々間違えて噛み合わず結局バラバラになっていくジーノとザッキーの生活と心理描写が中心。 ほぼずっと1人称視点。お別れの方法と解釈、トラブル時の対応の仕方。同じように繊細さを持ちながら、土壇場での弱さと強さ、それぞれ典型的な形になって事態が一歩ずつ変化していきます。それぞれ前進したり後退したりとそんな感じで。「淪落」は描写にモブ男(受)との絡みあり。依存傾向のあるジーノのひ弱さと不完全さを象徴する話です。王子、赤崎、モブ男(受)、世良、夏木、後藤、ジノ→←ザキ、ゴト+ジノ、ザキ+セラ。
羽化は悲嘆をキッカケに
気のせいじゃない、イライラが募って自分の言葉尻がいつも以上に強くなっている感じ。
今、去年と同様に降格圏内をうろついていてチームのムードは最悪だ。入団前の無責任なサポーターの頃もしんどかったけれどあんなの目じゃない。去年はデビューもしてないちっぽけなルーキーだった俺。それでもあまりの重たさに愕然とした。
今年は俺も少し試合に出た。華々しいデビューではなく単純にターンオーバー用の選手という感じではあったけれど。それでもやっぱり実際にピッチで勝敗を背負う重みは想像以上にキツかった。勝って嬉しい、負けて悔しい。単純に言ってみればそういうことだ。だが、負け試合はまるで命を削り取られるかのような苦しさと悔しさだった。
時々試合に出てはみても、今季の俺はまだスタメンでもなんでもなくて。だからこんなにキツくたって要するにまだ無責任な立場で。そのうち俺がもう少し成長して奮起すればなどとまだ明るい世界を考えることが出来きていて。
では、ピッチに立つのが当たり前の、そして責任を負うのが当たり前のメンバーの心理は?立食パーティの悲しげな王子の顔が忘れられない。王子、俺はなにもわかっていなかった。そして今でもまるでわかっていない、きっと。王子。傍に居る気がしていただけだったのだ。王子が口にしていた通り。それが現実だった。
俺が王子に責任の話をしたとき、彼は一体何を思っていただろう。あの時の彼はあまりにも王子らしくなかった。やけっぱちで、自暴自棄で。今思えば完全に変だった。
離れてみると見える気がする。さぼりでもなんでもなく実際には不調真っ只中の王子が、背負わざるを得ない責任の重圧に耐えている姿。あの時の少し変な王子の発言。もしかしたらもう降りたい、苦しいとほんの少し弱音を吐いていたものだったのかもしれない。プライドの高い彼なりの精一杯のアラートだったのかもしれない。わからなかった。俺は王子のことを無敵の超人か何かだと思っていたから。彼の優しさを彼の強靭さだとすっかり信じ込んでいたから。だから俺はあの時図々しくも自分の事だけを見ていた。甘えることが当たり前のように、しがみつくことだけを考えていた。
俺は馬鹿で、いつも調子っぱずれ。頭であれこれ理解した気になっていても、結局こうして転んでみないと理解出来ない。人生に巻き戻しボタンがあればいいな、なんて。でも結局は馬鹿だから同じことを繰り返してしまうことしか想像がつかない。だって俺のやったことといえば。転んだのに気付いた後ですら、王子が手を振り払うその瞬間まで彼の手を掴んで離すことが出来なかったから。
それでも俺なりに去年見えていなかったいろんなものが今年は少し見えてきた気がしている。このチームは変わらねばならない。俺も変わらねばならない。窒息しそうな空間を打破する、風穴をあけるような何かが必要だ。
でも、大事なことを考えようにも今の俺は王子が視界に入るだけで動揺してしまう。あっという間に頭が彼で一杯になってしまう。頭に隙間がなくて、何もかも閉塞感で満ち満ちていた。今この場でなにかを掴まなければいけないという直感が働くのに、自己嫌悪のモヤモヤでちっともうまくいかなかった。
* * *
もう、この状態から抜け出せないんじゃないか
このままではもう生き続けていくことすら困難だ
しばらくの間そんなことを思っていたのに実際にはそうでもなかった。基本的に俺は深く物事を考え続けることが嫌いで、いつもある程度になると勝手に見切りをつけてしまう癖があった。大した話ではないさ、なんて言える心境にはとてもなれなかったけれど、時間が経って冷静になってきたら気持ちが少し変化した。そう、自分のつらさ、醜さ、惨めさにはある程度見切りがついて、ちゃんと王子の状態の方が気になるようになっていったのだ。
俺を避ける王子は次第に練習のさぼりも増え、全体的に怠慢な感じになった。ここ最近ぼんやりとしていることが多かった彼は、ピッチに立つとまるでハリネズミのように神経が立っているような印象だ。キャプテンはチームを盛り上げようと必死で声を掛け続ける。ようやく出来た少ないチャンスを王子が潰す。彼は柄にもなく時々無謀に思えるようなやけくそじみた攻撃をしてみたり、びっくりするくらいの凡ミスをしていたりしていた。
降格ギリギリで勝ち点の奪い合いの最中、なにもかもがチグハグで誰しもがイライラしていた。ピッチの中でもピッチの外でもみんなフラストレーションを溜めていた。けれど、いつもと様子がガラリと変わってしまった彼に対してだけは誰も何も言えなかった。それほど王子の様子はすべてを切り捨てるがごとく冷たく、やっぱりなんだか変な調子だった。
王子、一体どうなってる?
過去、これほどまでに王子のプレイが荒れているのを見たことがない。心配しながら眺めていると、そのうちマークも外すような動きを見せることも減り、セットプレイのキッカーすら拒否し始めるようになった。王子、大丈夫なのかな、と思った。
自分の不調を徹底的に隠す彼が、今はもうこんなにボロボロになっている。態度が悪いので相変わらずチームのメンバーは誤解をしている。王子がわざと腐った態度をとっていると勘違いをしている。真剣みの足りない集中力を欠いた状態を言葉もなく無言で批判している。彼のミスリードはいつも本物で、誰も彼の苦しみに気付く者がいない。なのに今は俺にはこれほど赤裸々に、そして周りもやんわりと王子の異変を察知するくらいにまで綻びが。
今回の別れの件に関しても。あらためて考えてみればありえない話だ。あんなに先を見て、何事にもスマートで人の心を読みすべてを自然に軟着陸させていくタイプのくせに。俺みたいな厄介なポジションにいる人間をこんなにも乱暴に扱って切り捨てるなど、どう考えても異常事態にも程がある。よっぽど彼は切羽詰まっている。そう、王子は俺と一緒にいる時からとてもとても弱っていて。無理に無理を重ねていた。無理をさせていたのはこの俺だからよくわかる。
人肌を常に欲する王子は俺の体を欲した。俺はあげると言った。俺は王子の心を欲した。だけど王子はあげられないと言った。無理だと言った。俺はそれでもいいと言い王子にしがみついて、その実ずっと心を欲し続けることをやめなかった。彼はなにもかもお見通しだったろう。俺達二人の同床異夢を。でも、黙ってそれに付き合った。そして彼は次第に壊れていった。体を欲していた王子は次第に求めるのは触れ合い程度になっていき、徐々に触れ合いすら求めることが出来なくなっていった。彼の中にある一緒にいる意義を失っていく中でも俺の見る夢を支えていた。
最後に彼と過ごした晩。彼の体温はいつものとおり温かいモノだったけれど、俺達のセックスは恐ろしく冷たいものだった。まるで凍えてしまうかのような寒さだった。なんの熱もなく、生み出すものもない本物のがらんどうな交接。どこまでもバラバラな二人。粉々で。
でも。翌朝の王子の優しさ。ない力を振り絞る、彼の思い。あれは紛れもなく王子の心そのものだった。俺の夢に沿う、彼の努力と忍耐。責任感でも。大切だと思う気持ちでも。そして信頼感だとしても。馬鹿な俺が見ていなかっただけだ。俺はあの時、確実に王子から心をもらっていたのだ。
王子の用意したものは俺が上手いと言ったサンドイッチ
俺がコーヒーが苦手だと言ってから
こっちのほうが確かに体作りにいい栄養素が、と言って
王子は飲まない俺の為だけに用意してくれたお取り寄せのホットショコラ
使った器は俺のあげたペアのマグ&ディッシュ
以前、使う理由をからかうような口調でこう説明していた
この食器とキミの笑顔は全部がセットだから、なんて
この食器を使わない時もおんなじように笑いかけてくれたらいいのに、なんて
笑ってないッスよと、意地を張れば
彼は満面の笑みを浮かべながら鏡見ておいで、なんて言っていた
そう、あの朝の彼の行動は、何もかも俺の笑顔の為に。おそらくはありったけの気持ちを込めて、俺をあたためようとしてくれていた。あんなに寒い夜を二人で過ごして、凍えていたのは俺だけではなかったというのに。精一杯。やってくれていた。なのに笑顔を望んだ王子に向かって、馬鹿な俺は号泣していた。
あの時間を思い出すだけで胸がこんなにも苦しくなる。痛くて痛くてもう呼吸もしたくないほどの後悔、悔恨。でもこんなもの、王子に比べれば。
そう、王子は明らかにおかしい。細かいことを言い出せばきりがない。飲み差しがまだあるのに自販機で新しいモノを買ってきたり。携帯をロッカーに放りっぱなしで帰ってしまった時には、気付いたメンバーの中でどよめきが起こっていた。とてつもなく早くやってきたと思ったら練習時間を午前と午後で間違えていたりもしていた。
今までにない奇妙なことが起き始めている現実に、俺はいっそ自戒の念がふっとびいっそ冷静になれたような感じでもあった。このままの彼は危険だ。俺の中に激しい警告音が鳴り響く。なんか出来ることはないのかと。そんなことばかりを考えた。でも俺にはなにも出来ることがない。気が付くのが遅すぎた。もう俺は彼の隣にいられない存在になってしまっていた。
人肌がないと生きていけない寂しがり屋な王子。今こそ彼の傍に誰かいて欲しい。きっと彼は凍える体を抱えて震えているはず。泣き言を言うのが下手な彼の、言葉にならない声を誰かきいてあげて欲しい。どれだけ大切に思ってくれていたとしても俺みたいな馬鹿なペットでは駄目だった。優しい人。傍に居てあげて、王子の傍に。悲嘆と悔恨と自責を抜けたその先に。こんな自然な祈りが心の中に存在していた。
俺じゃなくていい、もう欲しがったりしない
だから誰か、王子の傍に
あたためてあげてください、あの人のことを
身も心も凍えきって震えるばかりのあの人のことを
暖かい体と、優しい愛で、彼を包んであげてください
誰か、お願いします、誰か
