鎖に繋がれて 1
2007年1月いよいよ達海監督就任。閉塞感満載だったETUに新しい風が吹き込み、それと共にジノザキ二人の関係性にも大きな変化が訪れます。公私共に大混乱!みたいな。そんな感じ。話の中で心理学系専門用語やイタリア語がちらつきますが勿論ナンチャッテで出鱈目です。王子、赤崎、椿、達海(気配だけ)など。
Separately、別々の
ふと気が付くと俺は王子を目で追っている。最近そんな時には、王子の目は大概監督か椿に向いていた。彼は俺の視線を敏感に察知するので、見られているという刺激を受けて、その度にふわふわと己の視線を彷徨わせて誤魔化そうとする態度をとる。その姿は気のせいかとてもバツの悪そうなものに見えた。
そのことで痛感する。彼のプレイのめざましい変化の原因が、監督だけでなく、あの新人の椿にもあるという現実を。ちょっとした仕草、ちょっとした表情。今、彼の美しい色のついた言葉は彼ら二人相手にこぼれ落ち始めていて、それはもう、彼自身にもどうにも止まらない溢れかえるようなもののようだった。
* * *
かつて俺の頭を撫でていた彼の手が、今は椿の髪に触れる。頻度高く、そして執拗に。いつか俺に向かった彼の愛玩は、今、その大部分が椿に注がれていると言ってよかった。
確かにあいつはなにか特別な才能を感じさせる瞬間があって、王子の感性が刺激されるのも当然のことだとは思う。王子は俺に王子のフォローを頼み、椿には自由に駆けろと言う。そんな感じで、まるで椿のセンスに王子は寄り添うかのようなプレイをし始めている。椿相手に感覚が通じて満足そうに笑っては、その反対に俺にはなにをやってるのだ、ちゃんとしろとでも言いたい目線をくべていたりする。
俺は今、下に子供が生まれて母の愛の半分を取られてしまった幼児のように、深くて奇妙な喪失を感じていた。どうして?選手として俺が劣ってるから?それとも犬として俺が劣っているから?醜い感情が湧きあがり、その度俺は焦れて、知らないうちに強く強く歯を食いしばっていた。
王子と俺はチームメイトの知らないプライベートタイムで、何度となく人には言えない夜を過ごした。そんな過去を持つ二人だから気軽にスキンシップをやれる関係にあるわけがない。かつて日中一切話をしたがらなかったほど警戒心の高い彼が、今こうして話をしていること自体大きな歩み寄りであり奇跡にも近いことなのだ。だから、それ以上の事を望むなど。椿と俺は根本的に違うのだから。俺も頭ではちゃんと理解出来ている。
それでも。寂しい、王子。椿に触れるな。俺だけに触れて。そんな思いに心が乱される。俺は相変わらず馬鹿野郎のままでしかなかった。俺という人間は元々そう長くクヨクヨ出来るような構造になっていない。だからとてもとても、苦しかった。王子の他人に対する行動に翻弄され続けている自分がとても嫌だった。これは嫉妬だ。なんて醜い悪感情。
* * *
「どうしたの?バッキー」
浮かない顔をしている椿に気が付いて、王子がそんな優しげな声を掛ける。聞いているこっちの胸がキュッと音を立ててしまうような、たまらない甘さを持っていた。何度となく過去俺に向けられてきた彼のそんな言葉は、もう俺に降りかかることがない。この気持ちは、嫌いだ。自分の了見の狭さを痛感させる。
「俺、7番なんて元々びっくりだったんですけど、ETUの7番ってただ7番ってだけじゃないこととかも全然知らなくて。そんな重大な意味があるなんて、俺…」
ずっと返事をしはぐっていた椿がようやく訥々と俺と王子に話をしはじめた。
こいつがこの話を耳にした瞬間を俺は見ていたから、番号に負担を感じていることには気が付いていた。監督の存在すら知らなかった男が、こんな意味深な番号を背負わされるなど確かに酷な話だ。でも、実質欠番状態に陥っていたこの番号を再び誰かがつけるとなれば、椿のような何も知らない人間か、そんなことを知っていながらも全く動じないメンタルの持ち主でないとやっぱり無理だっただろう。
落ち込んだ表情でうつむく椿の代わりに、椿同様監督の過去を具体的には知らないであろう王子のために、俺は簡単にETUの7番の持つ意味を説明した。王子は興味があるんだかないんだか、明後日の方向をぼんやりと眺めながら俺の話を聞いていた。そして少々の沈黙が続いた後、ようやく彼はこんな何気ない受け答えをした。
「バッキー、やなの?その番号」
「あ…あの、嫌っていうか…荷が重いっていうか…」
おそらく椿は入団後この若い番号をもらう際にすでにかなり喜びと葛藤を持ったはずで、今更文句を言ってどうこうしてもらおうなどとは考えていなかっただろう。ほんのちょっと、今の心境を俺らに理解してもらおうとしただけの話かと思う。俺からしたら考えられないこの行動。俺は、俺の悩みをこうして素直に他人に話すなど到底できそうにもない。俺はこういう態度の人間が元々嫌いだったが、椿を見ていると不思議に否定的な気持ちが湧いてこなかった。俺の持っていない物を持ってる。そんな妙な羨望に似た感覚。俺は椿のような伸びやかな素直さを持たずに生きてきた。こういうやり方を否定しながら歩んできた自分の道が今ある王子と自分との遠い距離を作り出す結果となった気がしていた。王子と椿の距離は、日に日に接近していくように感じられる。椿がかわいいと思う度、変に胸が痛んだ。この感覚も、俺は苦手だ。
「重たい…かぁ…」
王子の手が、椿の胸元にある番号に触れる。椿が少し驚いて身を固める。たったそれだけのことなのに、体に生々しい感覚が過ぎってしまって俺は思わず二人から目を背けた。とても見ていられなかった。これはそういった意味を持つシーンではないことは重々理解しているのに、俺の胸の響きがドンドンその動揺の色を濃くしていく。二人に悟られないように静かに深呼吸をしながら何気ない顔を一生懸命装っていた。
そんな俺のことなどおかまいなしに、王子はふいにこんなことを口にした。
「7番、いい番号じゃない」
「よすぎるのが問題なんですッ!」
「…じゃ、交換しよう?7番にどんな意味があったってボクは全然に気にならないし」
「え!?」
驚いたのは椿だけでなく俺もだった。彼はそもそも10番にとても強いこだわりを持っていて、全く持ってありえない提案だったからだ。
「番号なんてただの番号さ。でも気になるならさ?」
「え!そ、そんな!駄目ですよ!」
「どうして?」
「俺が王子の10番を譲り受けるなんてとんでもないッ!」
「そんなことないよ。言ったろう?番号なんてただの番号なんだし。レジェンドの意を持つ7番と単なる10番なら、まだ10番の方が気楽でしょ?」
「気楽じゃないですよ、全然ッ!」
「そう?」
「当たり前ですッ!」
「変な子だね」
俺は衝撃のあまり少し眩暈がした。椿は王子の言葉の持つ意味を理解していない。彼の言葉の中に潜む、彼の椿へのあまりにも深い親愛の情に全く気が付いていない。
* * *
王子は入団当初これといって実績も何もないちっぽけな無名選手でしかなかった。なのに入団の条件としてわざわざ10番という番号を指定してきた男なのだ。今度なんかすごい性格の選手が入団するらしい、と王子の噂が彼の名前を知る前から俺の在籍するユースにまで伝わってくるくらいだった。
初日の挨拶の日に遅刻してきた王子は私服でふらりと練習場に現れて、口にした最初の一言がこれだった。
「今年からこのチームの10番を背負おうことになったルイジ吉田だよ?どうぞよろしく」
生意気な、まるで新人らしくない王子の態度にそれを聞いていた全員が凍り付いたらしい。笠野さん経由で伝わっていた“10番じゃないと入団しないから”という王子の言葉が冗談でもなんでもなかったことが判明したのもこの時の事だった。
イタリア人ハーフの美形。ヘラヘラとした緊張感のない笑顔。ふざけきった王子のナンパな態度は当然反感をかうものだった。今年の補強はハズレだと誰かが呟き、何言ってんだ吉田お前が10番?馬鹿言ってろよ、と誰かが言った。
そんな逆風の環境を自らわざわざ作り上げておきながら、王子はその日の練習試合で己が10番をつける必然性をその場にいた人間すべてに叩きつけた。トップ下の10番の選手に渡るはずのボールは出した瞬間ことごとく王子にインターセプトされ、王子がボールを手にしたが最後、必ず決定的なシュートチャンスを作ってはゴールとアシストを量産した。
王子は試合が終わった後、スタメン組サブ組関係なく、そこにいた選手全員に対してプレイの弱点をわざわざ辛辣な言い方でズバズバと指摘した。続けてそれらの弱点に対して自分ならどう対応するのか簡単に説明し、そのやり口があまりにも的を射ていてみんながみんな茫然とした。王子はそれら説明が終わると最初の時と同じような不謹慎な満面の笑みを浮かべて
「ねぇキミ達さ。こんなお粗末な有り様で今日の今日までそうやって…ん~…なんていうか…のん気にお金もらって…お気楽にプロ選手の顔して生活してきてたってわけ?随分な話だね?笑っちゃうよ全く」
と言い放ったらしい。入団の際に吹き荒れた強烈な王子旋風はこれだけではなく、今でも色々と語り草になっているものがあったりする。本当にこの人は昔から大したじゃじゃ馬だった。あの頃のコシさんの老け込みようったら見てられないくらいだった。
「フフフ、これからはボクのことを王子もしくはジーノと呼んで?あらためて、どうぞよろしく」
ともあれ、こういう流れで入団初日に王子は10番と王子という呼び名を強引な形で手に入れたのだった。
* * *
そんな男が今、番号など意味はない、といい、交換しよう、と気楽に持ちかけている。それほど椿に心酔しているのか、と思うともうどうにかなってしまいそうだった。俺の知ってる王子はこんなことを言う男じゃない。王子に限って絶対こんな発言をするはずがない。この人は自分の背負う10番という番号に人並み以上の思い入れと誇りを抱いている人間だ。選手全員に喧嘩を売る形で手に入れる真似をするくらいに。
「へ…変なのは王子のほうですよ!このチームで10番をつけられる男は王子しかいませんッ!俺なんか無理ッス!」
「大丈夫だよ、キミなら」
俺はたまらず声を荒げ、椿に優しく語りかけている王子を睨み付けてしまった。
「何無責任なこと言ってンスか!あんた!」
優しい仕草がすっと消えて、眉を寄せ少し鬱陶しいような顔になる。俺はそんな彼に傷つきながらも、口から出てくる言葉をとめることが出来なかった。俺は馬鹿だ。
「あんた10番にこだわり持ってたはずだろ?今更あんたが7番もらって一体どうするつもりだよ!」
「…何?どうするって…どうもしやしないよ」
鬱陶しい表情がすっと消えて、無表情になった。王子は不愉快な顔より表情がない時の方がより不機嫌な場合が多い。
「ん?何がいいたいの?」
口調はあくまでも丁寧にのんびりやんわりといった感じで。そんな風に全くピリピリとしたものを感じさせない風情でいながら、誰にもわからない極微細なニュアンスの変化を見せた彼に俺は戦慄した。知ってる。これはあの、俺の何もかもを飲みこんで完膚なきまでに叩き潰し頭を地面にこすり付けるかのような服従を強いる激情の王子。喧嘩を売ったのは俺の方だというのに、あまりにも突然に人知れず劇的な反応を見せる王子に俺は動揺を深める他なかった。
「ッ……」
俺達二人の関係はすでに遠く離れてしまっていたはずなので、軽くなだらかに、そして適当な形で穏便に事が運ぶと勝手に思い込んでいた。蛇に見竦められた蛙のように、言葉も発することが出来ないくらいに体全体が凍りつく。息が詰まる。どうすることも出来ない。これは何度も屈服させられ続けた俺の条件反射だ。
椿は当然俺達二人のこの状況の意味を認識していない。そんな中、練習開始の号令が響いたので、それを耳にした王子は再び急激に態度を軟化させてニッコリとした笑顔で肩を竦めた。
「番号の交換だなんてほんの冗談だよ。ボクは10番が好き。7番を身に付けるなんてとてもじゃないけどボクには…」
「そ!そうですよね?王子は10番が似合います、誰よりも!」
椿がそういうので、王子はもう気持ちが俺から椿に戻っていってしまっていた。なんだか居場所がなくて二人を置いて足早に練習に合流しようと歩き出す。そんな俺の後ろから、ゆっくりと寄り添いあうように会話をしている彼らの声が聞こえてくる。
「…そう?別にそんなことは…」
「いえ、似合いますよ?王子。王子は10番ですよやっぱり。ぴったりだと思います。見ているとなんか安心するし」
「…ねぇ、それを言うならバッキー。ボクだって同じように…7番ってキミにぴったりって感じがしているんだけど」
「え?俺なんかッ!」
「そうだよ?すごく素敵だ。とてもよく似合ってる」
「いや、素敵とか全然!」
「素直に聞いてよバッキーったら。ボクはキミの7番、とても好きだよ?ぴったりだと思う」
同じことを繰り返して説明することが嫌いな王子が丁寧に椿に話しかけ続けている。聞いていたくないのに彼の声を俺の耳が捉え続けて自分自身を苦しめる。
「……」
「キミが違う番号になっちゃったらボク寂しいよ」
「でも…」
「番号は自分からは見えないんだし、気にすることないよ。ね?」
「……」
「いいかい?キミは7番を着て、そしてピッチを自由に駆け廻ってプレイするんだ。ボクは10番を付けてキミのそういう姿をずっと見続ける。ずっと…ずっとね?どうかな?そういうの」
「王子…」
「キミがピッチ上で10番の存在に安心するのと同じように、ボクは7番を見て安心できるんだよ。さっき言ったろう?自分の番号は自分で見えないんだよ。ボクにはボクを安心させてくれる10番がいない。だからボクには7番が必要なんだ」
「あ…」
「バッキー、そんなボクの気持ち理解してくれたら…とても嬉しいんだけど…駄目かな?」
椿は王子の言葉に少しだけ勇気づけられて元気を取り戻し始めていて、俺は背中に目があるわけでもない癖に優しく笑いかけている王子がまるで目に浮かぶかのようだった。
欲しかった言葉だ、これは俺がずっと願っていた彼の言葉
俺こそが王子の、安心の15番でありたかった!
それに、そうやって零れ落ちる様に溢れた王子の理解を乞うような語りかけは
特別な関係だった俺だけのものだったはずなのに!
なんでそれを王子は二つとも椿に?俺ではなく椿に?
なんでこんな形で関係ない第三者の立場で俺が聞く羽目に?
早く来い!と遠くから檄が飛ぶ。そんな掛け声のせいなのか、それとも二人の暖かなイメージを払しょくしたくなったのか。気が付けば俺は逃げ出すように全力疾走でその場から走り出してしまっていたのだった。
