鎖に繋がれて 3
キャンプが終わってから開幕までの練習風景。練習なんで選手みんないますが、しゃべっているのはほぼジノザキ二人だけです。前回UPしたバレンタインデー物は一応時系列的には「逢魔時」の手前あたりになります。ちなみに「幻9」と「幻10」の間に東京V戦が挟まっています。
逢魔時~馬鹿なのは
「…そうだよ、馬鹿なのはボクで」
赤崎がロッカールームを立ち去った1時間後、夕闇は闇夜へと変化していた。人工的な蛍光灯の光が煌々と室内を照らしてはいたのだが、ジーノはその明るさを感じることが出来なかった。暫くして、もはやなすすべもなくボロボロになっていた男はやっとの思いで言葉を吐き出す。
「…ゴメンね?…ボクはどうしようもない馬鹿で…ホント、ゴメ…」
声を詰まらせ、同時に息まで詰まらせてしまったかのようにゆっくりと深呼吸の努力をしている。そしてノロノロともたつく手で帰宅の準備を始めた。
「これでもう…」
震える指先が赤崎のロッカーに触れ、声にならない声で別れを告げる。
「ザッキー…」
そして、その後ジーノが部屋を立ち去るときに無機質な空間に向かって呟いた一言。
「 」
この部屋には誰もおらず、本人ですら咀嚼できない愚かな呟きと、その陰でジーノの中の何かがプツリと切れてしまった音を耳にする者はいなかった。
* * *
その日の昼。今年の冬はとても寒い。暑さも寒さも雨も嫌う遅刻王子が白い息を弾ませながら練習中にのん気な顔して笑っていた。
「あ、王子、そういえば」
「ん~?」
「夏木さんの合流もうしばらく後になるって今朝ミーティングで」
「はー眠い…。朝から取材なんてたるくってさあ?なんでボクばっかり。ホント困っちゃったよ、フフフ」
赤崎の話を無視するかのようにジーノは生あくびを噛み殺しながらクスクスと笑いだす。練習に合流早々疲れ切っているかのような男の顔を眺めながら赤崎は寝不足の原因となるような男の淫らな夜を想像して心がチリリと痛んだ。けれど、彼がそういうものがないと窒息してしまう種族なことを知っていたので、葛藤の中意地を張ってこんな言葉を返すのが精一杯だった。
「ったく、あんたホント毎日充実した生活ッスね」
「ハハ、ザッキーそれ嫌味のつもりかい?」
「勿論」
「そんなに羨ましいの?」
「べ!別に俺は!」
「いっそボクは変わってもらいたいくらいだよ…あーダル…」
「自慢かよ!」
「あとで広報女史にもっと若手の売り出しかけたほうがいいって言ってみようかなぁ?もう、うんざり。こういうのは楽しんでやれる人間がやるのが一番いいに決まってる…」
そこまで話して赤崎は自分達二人の話が全く噛み合っていないことにようやく気付いた。度重なる取材の多忙を愚痴るジーノには赤崎があらぬ想像をしていたことがわからなかった。そんなことにも気づきあえないのが今の二人の距離感だった。これを体感する度、赤崎はひやりとする冬ならではの冷たさを感じた。
* * *
ジーノは今日も楽しそうに笑いながら椿に毒舌を吐いてからかい、その度に気の毒な新人はオドオドと泣きそうな顔をする。不安な椿が小さく小さく縮こまりながら赤崎にいろんな相談事を持ちかける。それが面倒くさくも可愛くて、飼い主なりの屈折した愛情表現を可哀そうな後輩にその都度説明した。すると椿はホッとした顔をしながら去っていく。猟犬と名付けられた初々しい新しいジーノの飼い犬はとても素直で正直で、彼ら二人の間に人には言えない後ろ暗い世界がないことが全部筒抜けだった。そんなことにこっそり安堵を覚える自分を赤崎は厭うたが、椿と過ごす時間はここ最近の楽しみの一つになり始めていた。自分に正直で透明な椿。向き合うのがきついような自分の脆さを、常に真摯に見つめ続けている。その都度落ち込んでは小さく委縮して後ろを向いてみたり、それではいけないと勇気を振り絞って前を向いたり。時々それが空回る時もあるけれど、歯車がかみ合った時の後輩は目が離せない程光り輝く。椿がそんな風になりながら目が覚めるようなプレイをする時のジーノの表情も格別で、楽しそうにしている彼らを見るのは嫉妬もあったが楽しくないわけでもなかった。
一方、ジーノは赤崎にとても冷たかった。ちょっとした反応の遅れに、そんなことも出来ないのかと恐ろしく鋭利な視線を投げたりする。四六時中、自分と番犬との感覚のミスマッチに苛立っているようだった。フォローが遅い。気が利かない。その度、だからキミは駄目なんだよ、と目が言っていた。自由に駆け回る猟犬に目を細める飼い主は、不出来な番犬には絶対的服従と規律を求める。そのくせ出来たときに微笑みひとつ、優しい声かけのような餌の一つも与えない。それでも赤崎はジーノを追うことを止められなかった。願わくば、再び俺にあの顔をして見せてくれますように。そう思うことを止められないでいた。社交辞令でない、あの、二人だけの時間に見られたジーノの顔。赤崎は途方もなく飢えていた。自分がもう飼い主にとってそういう存在ではないことを身に染みてわかっていたとしても。
(俺達はチームメイトだ。俺は間違っている。わかっている。もう俺達はそんなのではない。集中しろ、サッカーに。それだけが俺とあの人を繋いでいるものなのだから)
そう、わかっているのだ、頭では。でもわかっているのは頭だけだった。心と体は常にあの温もりと優しさを追い求め続けていた。この冬はまた格別に寒いもので、だから尚更それを欲してしまうのだろうと、そんな風に無理矢理解釈していた。
* * *
自主トレの支度をしている最中、赤崎がふと気付くとジーノがロッカーでぼんやりとゼリー飲料を飲んでいた。消化吸収がよく即効性がある栄養補助剤。体に効率がいいのはわかってるけれどどうにも苦手で、といつも彼が顔をしかめて敬遠していたあれだ。
「へー、めずらしいッスね」
ゲンナリとした顔をして溜息をつきながら休み休み飲んでいる姿が、赤崎にはまるで居残りで給食を食べさせられている小学生のように情けなく見えた。
「不味い…」
思わず、プッと吹き出してしまった。なんでこの人、そんなに嫌なのにこんなものを今更、と。おそらく随分長く時間をかけているのだろう、ぬるくなったゼリーはおそらくパウチの中で水に戻ったかのようにだらしなく緩み、男の不快に拍車をかけているに違いなかった。
「ザッキーさー、これ本当に体にいいのかなぁ?」
赤崎はおかしくて、笑いながらこう答えた。
「どうですかね?あんたの場合はストレスの方が多そうだし寧ろデメリットの方が多いかも?てかどんだけ嫌いなんだよ」
「ん~…どうにもダルいって言ったらタッツミーがさ~?だから最近挑戦中なんだけど…やっぱ無理あるよこれ」
なるほど、新監督にはどうやら頭が上がらないらしい。
「まぁ、頑張ってください。なんかそんなつまんないことで困ってるあんた見るの、ちょっと面白い」
「ひど」
大丈夫、今、自分達はチームメイトだ。この会話にはなにもおかしいところはない。大丈夫。そう心で確認をしながら、じゃ、俺行くんで、と赤崎が挨拶をすればジーノはションボリ顔をしながら力なく指先だけのさよならの合図をしていた。大丈夫。大丈夫。
* * *
「あれ?」
赤崎が誰もいないはずのロッカールームに戻ると、そこにはポツンと人影が。部屋を出た時と同じ姿勢でロッカーにもたれるジーノの姿。赤崎にはゼリー飲料片手にうたた寝をしているように見えた。
「んだよそれ、まだチマチマ粘ってるンスか…ハ…ハハ!」
「…失礼な、笑わないで?」
「もう諦めたほうが」
「ん~…」
ジーノが小さく返事を返したがその虚ろな瞳はまるで寝ぼけている感じで、大晦日の子どもかよ、と赤崎は笑いながらシャワールームに引っ込んだのだった。
しかし、赤崎がシャワーを浴びて戻ってきても、ジーノは相変わらずコートを羽織りながらロッカーにボーっと座ったままだった。だからゼリー飲料の件はただの理由付けで、もしかして自分を待っていたのかな?などと少々期待してしまった。だが、赤崎がすっかり帰り支度を済ませてみても、ジーノはまだロッカーで項垂れているばかりだった。
「王子?」
「……」
「え?なんて?」
「…頑張って飲んだんだけど…立ち上がれないんだよね。困っちゃった」
ジーノはそう言うと赤崎に見て見て、といわんばかりに左手に持っていたものを自分の顔の前に掲げた。確かに本人の言うようにパウチはぺちゃんこで空のようだった。だが、赤崎はそれよりもジーノの顔が真っ白だったことにとても驚いた。さすがに様子がおかしいと感じた赤崎はツカツカとジーノの傍に歩み寄る。
「大丈夫ですか?熱でもあるんじゃ…」
咄嗟にジーノの額に触れてみたけれど少し冷たく感じるくらいで熱はなかった。ピクッと反応し赤崎をじっと見上げながらもされるがままのジーノに気付いて、どさくさになんてことをしてしまったのかと反対に自分の方がカッと熱くなる始末。いや、チームメイトの心配をするのは普通のことで、なにもおかしいことはない。これは当たり前の動作で別に深い意味など持たない。頭でそう確認しつつも、なんとなくバツが悪い赤崎はさりげなく手を下ろす。すると離したそばからジーノはゆっくりと項垂れた。さらさらと長い前髪が彼の気怠い表情をさりげなく隠していく。
「……」
赤崎はその時突然羽織っていた上着の襟元のボアに隠れたジーノの首筋に目が留まり、そこになにがしかの夜の痕跡が残っているのではと疑った昼間の自分を思い出した。その身勝手な不愉快を振り払うべく、チームメイトに相応しいであろう軽口を意識して声を発する。
「あれでしょ、あんたの場合はそんなもん飲むより」
「ん~?」
「彼女でも何でも呼び出して恋人ごっこの続きでもしてたほうが元気出るんじゃないッスか?」
「そっかな…」
赤崎が自身の動揺を隠すように嫌味ったらしく毒づくも、ジーノは俯いたままだった。飼い犬の乱暴な言い草をからかうように窘めるだろうと思ったのに、覇気のない姿は赤崎をさらにイラッとさせた。
おそらく今彼の脳裏には生々しい女性達の気配が。この沈黙の中で、彼はきっと自身の中にある数限りない選択肢の中であの子はこの子はとピックアップを?匂い、吐息、湿度。自分が作り出したジーノを取り巻く女性達の嬌態の幻がどうしようもない嫉妬と苦痛を呼んだ。赤崎はうっかり自分を待っていてくれたのではと思ってしまったせいもあって、この自業自得が招いた羞恥にいたたまれない気持ちになった。
「ダルい…」
ジーノが呟いたその拍子に、思わず手の力が抜けてしまったのかパウチがポトリと床に落ちた。
「「あ…」」
赤崎が反射的にしゃがみ込んでそれを拾う。そのままなんとなく顔を上げると、同じく拾おうとしていたジーノの血の気の失せた顔が目の前にあった。その瞳は虚ろで何も見えていないかのようにくぐもっており、赤崎はざわりと不安を覚えて何かを言いかけた。
その時、ほんの少し開きかけた赤崎の唇にジーノの冷たい指先が触れた。いきなりのことで赤崎が少し身を固めるとジーノの指先は極当たり前のようにくるりと唇から頬、頬から顎をつたった。そしてやんわりと赤崎の首の角度を変えた。それはいっそじれったいと思える程ゆっくりとした仕草であり、まるで映画のワンシーンのように非現実的であまりにも何気ない自然な行為だった。これは時折ジーノのプレイの中でも出現するあの現象だ。一瞬周りにいる全員の時の刻みを止めて一人だけ優雅に舞い出すような、いわゆる魔がさすという表現のぴったりくる時間。あの、陶酔の時間。
こうなってしまえば説明するまでもない。次に訪れるは貴公子であり飼い主である男の口づけ。狂おしいほど赤崎が待ち望んできた恍惚の瞬間だった。
