鎖に繋がれて 4.5ある兄弟猫の怯懦
3月下旬~4月下旬のジノモチ視点のお話。ザッキーを切ってフラフラなジーノがひょんなことから退院後の持田の家に転がり込みます。(同居です。やってません。この先もやりません)転がり込んだことさえ押さえとけばこれも読み飛ばしてもほぼ大丈夫にしたつもりです。
ややこしいですが、幻11(ザキ視点での夢)と、持田の日々(モチ視点)と、休憩・傷猫子猫・夢うつつ・遭難(ジノ視点)は、ほぼ同じ時期のことを違う角度から書いてます。
持田の日々1
日頃周りに無頓着に見える男が、こんな情報を嗅ぎ付けるのだけはやたらと早い。あいつは何も出来ないくせにしつこく何度も連絡を入れてくるのが厄介で、鬱陶しいから無視するのがセオリーだった。俺が少し時間を置いてあいつが落ち着いてから何食わぬ顔をして電話かメールをすればいいだけの話。
なのに今回は珍しくそうはならなかった。何故ならあいつが故障していたからだ。俺が負傷で戦線離脱したニュースが流れたその夜、そして翌朝。これほど大々的に報道されているにもかかわらず、あいつからは一切の連絡がなかった。その時に俺はあいつの状態に気付くべきだったのかもしれない。だが、今更言ってもしょうがない。
* * *
そしてあれは3月には珍しい季節外れの雪がちらつく日のことだった。
来るはずの面倒くさい電話がない毎日。気楽ながらも少し拍子抜けしながら病院帰りタクシーで家の近くまで来た時、俺はあいつが歩道で黒山の人だかりに囲まれて立ち往生をしているのを見つけた。最初、俺は信号待ちの車の中で面白半分にあいつを馬鹿やってんなぁ、と眺めているだけだった。柔和な顔をしながらも上手に人を近づけなくするあいつがいつになく逃げそびれるようなヘマをしている。写真でも撮って後で送ってからかってやろうか、そんな気分だった。しかし、それどころではなくなった。全くあいつはどうしようもない奴だ。
興奮しながら話し続ける女性達のテンションはとても高く、あいつは珍しくそれに根気よく付き合っていた。握手をねだられればそれに応じ、ハグを求められればそれを行い。俺がはっきりあいつの異変に気付いたのはとある女性があいつに何かを言って周りの連中から黄色い歓声が鳴り響いた直後、あいつが少し困った顔をながらも笑ってファンに軽いキスをしやがった瞬間のことだった。当然その時、黄色い歓声は凄まじい金切り声に変わった。
あの馬鹿やり過ぎだ!
「ジーノ!」
タクシーの窓を開けて俺が鋭く名を呼んだ時、人々は息を飲みその視線は一気に俺に向いた。まあ、当たり前のことだが俺の知名度はジーノのそれとは桁が違う。
「悪いけどあんたらちょっと道開けてやって!」
有無を言わさぬ物言いを号令に、人だかりはキレイにあいつと俺までの美しい一本の道を作り出した。まるでモーゼにでもなった気分だ。
「なにしてんだよ、早く!信号変わっちまうだろ?」
呼ばれたあいつが駆け寄り俺の傍までやってくる。
「じゃ、申し訳ないけど俺達用事があるんでこの辺で」
ジーノが慌ててタクシーの助手席に乗り込むや否や俺が威圧的にニッコリと笑って見せれば、水を打ったような静けさを保っていた人々はそのまま大人しく俺達を見送った。
「何やってんだよ全く世話の焼ける。こんなくだらねぇことで現役の選手がパニックにでも巻き込まれ…」
非難がましくジーノを睨みつけると、ゆっくりと振り向いたあいつは目を開けたまま眠っているかのようにぼんやりとしていて、とても虚ろな表情を浮かべていた。成程駄目だこれではまるで話にならない。普通じゃない。
、
取りあえずそのまま俺の家に連れ帰ることにした。
別に俺は少し話をしてからすぐにあいつを放り出すつもりだったんだ。この時点では。これまでの経緯であいつについて多少は心配していた部分もあったけれど、何をどうこうとかそこまでは全然。そう、全然。そん時のフィーリングだけであいつに声かけて、まさかこの先どうにもならない状態にまで落ちていくことになるなんて一つも考えていなかった。退院直後で気持ちが目一杯で、対外的な自分のリスクを周りに隠すことばかり中心に考えていて。なのになんであいつに声を掛けたんだろう?どう考えてもまともじゃなかった。これが星めぐりってやつなんだろうか。
* * *
あいつはいかれた様子にも関わらずタクシーを降りるや否や荷物を持ちさりげなく完璧なエスコートを買って出たので、さすが伊達に長年王子様やってねぇな、と感心した。だが、こんなことよりてめえが今気にかけなきゃいけねぇことが他に沢山あんだろ、このくそったれ、と俺は心の中で意識がお留守状態になってしまっているあいつに向かって悪態をついていた。
「拭けよ。まあ、お前そういうの変に似合うけどさ」
今更な話だったが、俺は家に着いてジーノにティッシュを差し出した。唇に先ほどの女性のグロスであろうものが薄らとピンク色に光っていたので。けれどあいつは俺の嫌いな女の匂いをさせたまま、ぼんやりと返事の一つもしなかった。おやまあ、全くもって重症だ。いつも俺の前では特になのか神経質なくらいにこの手の気配を隠すタチなのに、あまりにも無神経なあからさま。こんな状態で何をフラフラとその辺をふらついている?全く自己管理も出来ずファンにも振り回されて、まともじゃない。
コートも脱がない男は座らせてもしばらくすると立ち上がって何かを探す素振りをする。俺が引き留めるように座ったまま手を引けばハッと体をこわばらせる。それでも相手が俺だと気付いた瞬間、
「あぁ、モッチー…?」
と言って少しホッとした表情を浮かべた。それでも暫くすると視線が彷徨いソワソワと目が何かを探していた。まるで夢遊病患者のようにすぐにどこかに飛んで行ってしまいそうな、そんな淡い気配だった。
* * *
街で拾ったジーノは家に来てから、いや、あのスタジアムで会ったあの日から、もっと言うなら冬に沖縄で過ごした時点からずっとこんな様子だった。ポツポツと話してはそのまま黙りこくってしまう。
「いいから大人しく寝てろ。ドラ猫」
独りでいると眠れない。独りでいないと眠れない。こいつの厄介なこの性分。何年も前こいつは俺に、いやだな今はすっかり良くなったよ、なんて言っていたはず。なにが良くなっただ。いつまでも子どもなわけじゃない、とか嘘つきやがって随分悪化しているじゃないか負けず嫌いめ。
蓋をあければ、こいつはあいも変わらず弱ると同じ。ある段階を超えてしまうと、誰かが距離を置いたまま傍にいて、そうしてほっといてやらないとこいつの神経は少しも休まることがない。例えば親とか、それとか、俺とか。それ以外の人間にはお前のこの奇妙な回復手段など理解出来やしない。だってお前は説明の一つもしやしない。俺と別のチームに所属することを決めたその日から、こいつは黙って独りで耐えると心に決めてしまったというのだろうか。
説明したくない。わかってもらいたくもない。何故ならとても怖いから。そりゃそうだろ。だからといって、そう、だからといって、お前はプロで、何よりも大事なものがあるはずで、自分について最善の管理を行うべきで。断じてそれを放棄すべきではなくて。シーズン真っ只中にまともに眠れもしないとか、全くお前は何をやってる?わかってるよ、俺も同じだ。いつだって俺達はこうやって、何をどうすべきなのか最善の策を頭では理解しながら、どうしても譲れないんだ。そこの部分を。俺達はとてつもなく弱いので、どうしようもなく弱いので、この腹を易々と人に広げて寝ころぶ真似など出来はしない。如何に優秀なサポートスタッフが周りに居ても、そんなことも乗り越えられない俺達は全くアスリート失格だ。
プレシーズンマッチのあの日も電話を掛けると言ってきてこいつは結局それをしなかった。俺もそれをやらなかった。俺たち二人、一緒に居ることを望まなかった。会いたくても、気になっても、結局迷いに迷って会えなかったんだよな?相手の今を覗けば同時に自分の今を必ず見抜かれるに違いないと、俺達はそれが怖くて仕方がなかった。ついこいつを街で拾ってしまったけれど、これは俺のしでかした過ちか?ジーノ?今、お前はひどく苦しんでいるだろうか、俺に見られて。それとも見られている事にも気付かないほどに、お前は弱ってしまっているのか?お前は疲れて俺のことを見ることが出来ないけれど、ゴメンな、俺はそんな壊れたお前を見つけてしまったよ。
生まれ変わるには一度はまな板の上でどうぞお好きなようにと腹を見せて思う存分他人に探らせる真似をしなければならない。
だというのに俺達二人はこの段になってさえも、やっぱりこうして減らず口を叩きながらブルブルと震えて足を竦ませて立っているだけなのだ。往生際が悪いことを称して周りは気丈だとか忍耐強いだとか。馬鹿げた話だよな、ジーノ?こんなこと、何の足しにもならない。踏み出すべき一歩が怖くて動けないだけなんだ。俺達はよくそのことをよく理解している。自分を知っている。痛いほど。
* * *
少し休めたのか暫くしてからおずおずと寝室から出てきたジーノの顔色は悪かった。まだまともではなかったけれど、ほんの少し自分を取り戻しつつあるようで、それなりの食事も一緒に取ることが出来た。あいつの混乱に乗じて色々話を聞いた結果、暫くここに置くことに決めた。名目は俺の介護。生活の面倒を見てもらうことを申し出たのだ。全く俺らしくもない提案ではあった。どうかしてたんだろう。
でも今のジーノは何かのタスクを負わせなければ人として生活することすら難しそうな状態ではあった。弱り切ってフラフラなこいつに何かしてやりたかった。大義名分があるのは幸いだ。まあ一緒に過ごすのはあまりよくないことではあったのだけれど、一時的にでも食事すらままならなかったであろうこいつの衰弱を遅らせたのだから。うん、結果オーライではあったのかもしれない。でなければあの日が訪れてしまった段階で体力的にももっと悲惨な状態になっていただろうから。
俺も他人とは一緒に居たくない心境だった。でも物理的に誰かの世話にはならなきゃいけないのも現実で、あの頃いかれたこいつが傍にいなければどうなっていたのかわからない。いかれた俺がいかれたあいつにあの日ほんの少しだけ弱味を見せられたのは、果たして俺にとって勇気だったのか、それとも情けなさだったのか。その辺のことについても未だによくはわからない。何故か素直に居着いてしまった壊れていたあいつもきっとわからないだろう。
* * *
オンシーズン中の他チームの選手同士とあって俺達は供に過ごせど特段これといってサッカーの話をすることもなく、それでもジーノは練習から戻れば甲斐甲斐しく俺の世話をした。家のことをやったり、時には一緒にリビングで寛いだりすることも増え始めた。共同生活による規則正しいリズム。適切な食事、適度な会話、そして穏やかで静かな就寝タイム。単純なことだけれど、そんな時間を過ごせたことがこの頃のジーノの疲労を回復させたのは確かだ。自宅で独りで過ごしていると眩暈が酷く何も出来なくなって、ここ最近ずっと困っていたんだとジーノは笑った。もともと食生活にうるさいタイプのこいつだったので、自分でも自分の思うような食事をとれなかった生活は確かに頭痛の種だったのだろう。
「誰かと一緒の食事っていいよね。そのことを考えることも、準備するのも、勿論実際食べるのも。後片付けに至るまで全てがホビー足りえる感じ」
他人との時間を楽しめる。そんな言葉が出てくるのはいい傾向だ。頭痛と眩暈は少しずつ収まってきているとも言ってるし。だから二人一緒の生活の中で、あいつは少しずつよくなってきていると俺はすっかり思っていたんだ。でも本当は、そう言ったあいつが遠い目をしていたのに全く気が付かなかったわけじゃない。
今思えば、あの時俺はやはり見て見ぬふりをしてしまったのかもしれない。根本的な解決ではない、単なる気休めにしかなりえなかったこの穏やかな淡い日々の中に、淋しさではなくあたたかさを感じたくて。見れば見るほど遠いところにいるような、そんなあいつを俺は少し受け入れられないでいたんだ。
