鎖に繋がれて 4.5ある兄弟猫の怯懦
3月下旬~4月下旬のジノモチ視点のお話。ザッキーを切ってフラフラなジーノがひょんなことから退院後の持田の家に転がり込みます。(同居です。やってません。この先もやりません)転がり込んだことさえ押さえとけばこれも読み飛ばしてもほぼ大丈夫にしたつもりです。
ややこしいですが、幻11(ザキ視点での夢)と、持田の日々(モチ視点)と、休憩・傷猫子猫・夢うつつ・遭難(ジノ視点)は、ほぼ同じ時期のことを違う角度から書いてます。
持田の日々3
ある日、血相を変えて帰宅したジーノがガタガタと全身を震わせながら必死で俺に何かを言おうとしていた。
「どうしよう…」
こいつは今なんて恰好をして。着替えもせずに着の身着のままの練習着のジャージ姿で。部屋の中まで上がり込んで来た足にはそのままご丁寧にスパイクまで履いていて。汗だらけで泥だらけで、髪の毛には芝までついていて。ジーノ、何があった?でも、さすがにこれは言わなくてもわかるよ。
「もう…どうしよう」
ジーノは小さく呟いて、おずおずと弱々しく震える両手を俺に差し出した。だから俺は痛む足も気に掛けず軽く駆けて、そのまま弱ったあいつを抱き留めた。耳元でカタカタと歯が鳴る音と、こんな一言が響いた瞬間、俺はジーノに何が起こってしまったのか具体的に把握した。
「バレ…た…」
ぽっかりと現実から抜け出したような二人のちっぽけな日々が終わりを告げようとしていた。
新体制のETUにも随分慣れて次第によくなってきていたと感じ始めていた矢先だったのに、ジーノはやっぱりジーノであって、全然大丈夫も糞もありはしなかった。バレてこんなに困ること。バレてこんなに困る相手。まだまだ準備が出来ていなかったよな?知ってるよ、ジーノ。お前はやめなきゃいけない悪い遊びですらコントロール出来ずに苦しんでいたところだったのに。俺は勘違いをしていた。耐えられてたわけがないじゃないか、なあ、ジーノ?お前はやっぱりあまりにも弱くて、弱すぎるから。だから弱味を、相変わらず誰からも隠してみせ、自分でも忘れてしまうことしか出来ないでいただけだったんだ。
何を思って暮らしてきた?大事なことは何も言わない、寡黙な寡黙な、独りぼっちのジーノ。過去にはわかり合えたと思えた日もあった。淋しさが紛れる夜もあった。でもそれもまた全部幻だったのだろうか?ジーノはいつも、何も言わずに俺の為にそこに立っているだけだったのかもしれない。俺はあいつの傍に、一つもいてやれなかったということなのかもしれない。それは正解だ。だってお前がこんなに困っているというのに、今の俺はお前に何もしてやれない。俺が何も出来ないことをわかっていながらそれでもこうして俺のところに飛び込んでくるお前を、俺はどうやって救ってやれるというのだろう?
何故?知らぬながらも俺はあの人のことを理解出来ている気がしていた。それも勘違いしていた。こいつがこんななら、こいつの奇妙に気が付いても本人には素知らぬふりを決め込むとばかり思ってた。ある意味あの人を信じてた。
何故?どうしてこんなことを?しかも今やる?あんたんとこの選手だろ?達海「監督」。なんで今こんな状態のこいつを追い詰めるような真似をしてみせる?チーム作りのテコ入れの一環で、こいつの「弱さという問題」に触ることはどうしても必要だったこと自体は理解する。でも、それは今じゃない。そんなことがわからないあんたじゃないはずだ。まだ日が浅すぎる。こいつは突然の再会についての折り合いすらつけられていなかったのに。信頼という関係性がまるで構築できていないこの段階で、おそらくは荒療治にも近い強引なやり方であの人はこいつの中身を引きずり出したんだ。こいつの今を知らずにやった?それとも大丈夫だと踏んだのか?まさかそんな。いや、でも俺ですら騙されかけていた。でも、まさかそんな馬鹿な。あの人に限ってそんなこと。達海さんはこいつのことを俺程はよくわかってはいないだろうけれど、俺よりも真実を見通す力を持つ目を持っているはずだ。
「どうしよう…ねぇ。どうすればいい?」
動揺して震えるジーノにそんなことを言われても俺はどうしてやればいいのか皆目見当がつかなかった。こいつが自分のひ弱を隠すためにどれだけのことをしてきたか俺は知ってる。何故こいつがこうも弱くなってしまったのか、その直接的な原因がどこにあるのかもおぼろげながらわかってる。おそらく誰にも口外したことのない、俺にも言ったことすらない、こいつの中のタブー中のタブーだ。その痛みを口にすることすら憚られるこいつの根本を歪ませた致命傷を、それを感じながらも同じひ弱を抱えた俺では一緒にうずくまることしか出来なかった。俺は自分がその程度でしかない存在だったことをよく知ってる。ジーノも十分知っていた。そこに痛みを感じさせずに痛む箇所を見ないままに手が届いた人物は、この世にたった一人しかいないから。だからこそあいつはあの時期あんなにもあの人に心酔してみせたのだから。
誰か、こいつを。誰に?こいつを?思いつかない。どうすればいい?
今ジーノを助けてやれるのは?俺にはたった今無残にこいつを踏みにじる真似をした達海さんしか思いつかない。頼んでみる?助けを乞うためにこいつの構造を説明する?わざわざ?なにを?一体どこまで?そんなことは駄目に決まっている。だってあの人は平気でこんなやり方出来ちゃう人だったんだから。変にこじれて牙を剥かれれば、俺はあの人に敵うわけがない。あっという間に飲み込まれてこいつと同じ目に俺もまた。あることないことなにもかも全部引きずり出されてズタズタにされるに決まってる。あまりにも強引で、無理矢理で、無茶苦茶なやり方だ。こんなの過敏で弱すぎる俺らが大丈夫なわけないじゃないか。わかってるくせにあの人はそれをやるんだ。やれる力と強靭な意志を持ってる人なんだ。
「わ…わかんなくなっちゃった…怖い…また…わかんなくなっちゃったんだ…どうしよう」
今すぐだ、ジーノが怖がらずに自分で腹を見せられる相手が必要だ。そして癒してもらうことが必要だ。こんなに怯えている状態じゃ達海さんではやっぱり無理だ。こんなに閉じるのに必死になっているのに、任せたらあの人はまた簡単にこいつを無理矢理こじ開けてしまう。何度も何度もそんな目にあわされたらこいつは。駄目だ。絶対任せられない。
でも俺はこいつが安心して心を開くような、そんな存在、見たことがない。もう10年を超える付き合いのある俺相手ですら無理だったんだから。今は思い出の中だけに存在する物言わぬ憧れの達海選手にしかこいつの心は自然には開かなかった。そんなのもうこの世にいない。今、本物がやってきて、こいつの中にだけあった儚いなけなしの残像を完全に壊してしまった。もう世界中探してもこいつのお守りはもうどこにも。
「どうなるの?これからボクは…モッチー、どうしよう、わかんないのバレちゃった…どうし…」
俺に話しかけているようでいて全くその意思のない独り言。ジーノはそう呟いた後、完全にスイッチを切ってしまった。この様子ならもうどことも、誰とも、何とも繋がってなどいないだろう。今度こそ本当に、誰にも届かない遠くにこいつは独りで逃げ出していってしまった。追い詰めたのは、もしかしたらそこにたどり着く力があったかもしれないはずの達海さん。ジーノは今、痛む腹をかけがえのない人間に弄繰り回されて、そのあまりの痛さに悲鳴を上げてその人間から一番遠くに行こうともがいている。絶望的だ。あまりにも絶望的な世界だ。
震えが止まらないジーノを取りあえず浴室に誘導しながら、俺も一緒になって途方に暮れる他なかった。廊下の泥を掃除する時、気が付いた。俺の足までその恐ろしさに震えていた。あの夜二人で迎えたあの事故のあった夜よりも、こいつとぶつかって致命的な傷を抱えることになってしまったあの日よりも、なによりも今が一番、とてもとても恐ろしかった。俺はこの時ジーノの不安と絶望に共鳴し、引きずり込まれるように闇夜に丸呑みされていく自分が見えた。
「ヤバい…ジーノ…駄目だ…どうする?これは…無理だよ」
