鎖に繋がれて 4.5ある兄弟猫の怯懦
3月下旬~4月下旬のジノモチ視点のお話。ザッキーを切ってフラフラなジーノがひょんなことから退院後の持田の家に転がり込みます。(同居です。やってません。この先もやりません)転がり込んだことさえ押さえとけばこれも読み飛ばしてもほぼ大丈夫にしたつもりです。
ややこしいですが、幻11(ザキ視点での夢)と、持田の日々(モチ視点)と、休憩・傷猫子猫・夢うつつ・遭難(ジノ視点)は、ほぼ同じ時期のことを違う角度から書いてます。
兄弟猫の遭難
それはある日の出来事。馴染み深い匂いの中にある一室で目を覚ましたボクはそのままベッドにうつ伏せの状態でぼんやりとカーテンのない窓の向こうを眺めていた。誰もいない。音もない。でも、差し込む光は少しずつ形を変え、そのことだけがこの部屋の中の時の流れの存在を知らしめていた。
「……」
カーテンのない窓からは月明かりが差し込んでいた。眠っているのか起きているのかも自分でよくわからないまま、じれったい動きでドンドン部屋の奥まで侵入していく月の光を眺める。もう少しであのフローリングの木目のところまで届く。でもそんなことどうでもいい。あそこに投げ捨てられている雑誌のところまで行くには?でもそれもまたどうでもいい話だった。
横たわるベッド。背後にごそごそと人の気配。しばらくして感じたのは優しく髪をなでる感触。時折クルクルと指に巻きつけたり、時々ツンツンと引っ張ったりなんかもしている。ボクは他人に髪を触られるのがとても苦手で、実は美容師にもスタイリストにもあまり好んでは触らせない。だからボクにこんな真似をするのは、そしてそれをボクが許す相手はこの世にたった一人しかいない。癖毛な男はボクのこの黒髪を弄ぶのが昔から好きだった。でもそれもまたどうでもいい話だ。
* * *
夜だ。頭がガンガンする。しかも外は雨だろうか?外から差し込む光が弱々しい。電気もつけないこの部屋はとても暗くて、いつも勝手に光のゴールにしていたフローリングの木目など今は益々意味のないものになってしまっていた。それに、その向こうにもうずっと長い間床に転がっていた雑誌。もう一つのボクの中の勝手なゴールもまた気が付かないうちに姿を消していた。結局その意味のない雑誌なんの雑誌だったのかすらわからず仕舞いだった。今同じ場所には雑誌の代わりに見覚えのある愛すべきワインボトルの数々が転がっている。
「……」
酒を飲まない彼の家にボクは一体どれだけ貴重なストックを置かせてもらっていたことだろう?それは全て献杯の日のためのボク達二人の秘密コレクション。勿論それを保管するモッチーはあずかり知らぬこと。
献杯だって、フフフ。変なの。やっぱり彼は飲めないんじゃなくて自己管理で飲まなかっただけなんじゃないか。とっておきの、二人の、終わりの、そんな時が訪れた日にボク達二人は特に何も言わないままにこうしてグラスを交わして過ごすもんだと思ってた。伝えずとも、多分彼はそうするだろうとボクはとっくに知っていた。
そうか、もう、そんな時期なのか
でも今はそれもまた、どうでもいいことだった。変だな、なんなんだろう不思議。なんの感慨もないんだ。呆気にとられているのかな?なんだか思っていたのと全然違う感じ。
横たわるベッド。既視感。背後に人の気配。おそらくこの人肌はそこはかとなく冷えたこのボクの体をあたためてはいるのだろう。でもその一切をボクは感じるとることが出来なかった。今はもう頭が痛くて、吐き気もして、指先すら動かすことが出来ない感じ。でも気分までは悪いわけでもないよ?勿論、いいわけでもないけどね。
ねぇ。モッチー。こんなの変だよ。なにか辛いことでもあったのかい?キミがそんな風になるところをボクに見せたこと一度もなかったね。可哀そうに、またいつものようにキミの足にキスしてあげたい。キミにかしずくように癒したい。キミの誰にもぶつけられないその慟哭を、全身殴られるように受け止めたい。なのにボクときたら。寝返りをうつことも、キミに一声かけることも今は、なんだろう、どうでもよくて。なにもやれることなんてないんだ。ヤル気が、ないのかもしれない。どうしてかな、変だよね?こんなのボクらしくない。なんだか冷たいよね。ゴメンよ?
* * *
ある時、気が付いたらボクはヒステリックに笑ってた。楽しくって楽しくって、仕方がないようだった。とてもとても、人には言えないろくでもない馬鹿げた遊びを二人でずっとやっていた。何がそんなにおかしいというのだろう?楽しいね、楽しくもなんともないのに、とても楽しい。一体なんなんだろう?こんなの変だよ。
ある時、気が付いたらボクは膝を抱えて貝のようにうずくまるモッチーを叱責していた。ボクは彼が塞いでいる両手を無理矢理引きはがそうとしながら何か彼に怒鳴ってたようだった。だけど、ボクは自分が何を言っているのかさっぱり理解することが出来なかった。
なのにある時、気が付いたらボクは膝を抱えて貝のようにうずくまるように座っていた。自分の耳を塞ぐボクの両手をモッチーが力を込めて引きはがそうとしている。耳を塞いだところで勿論音なんて防げやしない。でも彼が何を怒鳴っているのか、そこにはあやふやな音があるばかりでてんでその意味が頭に届かなかった。
ねぇ、おかしいよね?耳を塞いで固まっているのはキミではなかったの?よくわからないんだ。なにがどうなっちゃっているんだろう?なんだかキミとボクの区別がつかないんだ。どこからどこまでが、ボクとキミとの境目なのかわかんない。ほら、なんだか不思議なんだよ、ボクの足がとても痛い気がする。まるで全身が足になってしまったみたいに、ズキズキ、ズキズキ、もうバラバラになってしまいそう。この痛みはキミの痛みなのかい?キミはいつもこんな足でずっとプレイをし続けていたの?なんて大変なんだろう、よく今まで我慢してきたものだ。ボクは全然わからなかった。痛い、とても痛い。
ねぇ、なんかこんなの変だよね?ありえないよ。ひどく混乱してるんだ。でもそれもまたどうでもいいのかもしれないね。大切なことがなんだったか、今のボクにはさっぱりわかりゃしないんだから。
* * *
ああ、また今日も取り調べかい?もういいだろう?あれ?何だろう、取り調べって。記憶もないけれど無理矢理引きずり出されてボクが声にならない叫びを上げ続けていたことがよくわかる。ほら、今また、苦しくてたまらない、やめて、モッチー、なんでキミまでボクにこんなことをするっていうの?聞こえているんだろう?お願いだ。やめてよ、やめろ!ボクを放して!
キミはいつもいつもボクに嫌なことをする。ボク達は友達のはずなのに、どうしていつもいつも、こうなってしまうんだろうね?知っているよ、ボクがキミにそれをやるからだ。ボクはいつもいつもキミに嫌なことをする。ボク達は親切面をしながら、いつもこうして相手を追い詰めるのが楽しくて楽しくて仕方がなかったよね。笑える。キミの叫び声が聞こえる。鼓膜が破れそうだと、やっぱりボクは強く強く耳を塞ぐのがやめられなかった。
なのにキミは、黙っているボクに向ってこう言うんだ。お前の悲鳴がうるさすぎて鼓膜が破れそうだと。叫んでいるのは一体誰だと言うんだろう?
* * *
陽の光が眩しくてボクは布団を頭から被って震えていた。とてもとても怖かった。だってあれはどれだけボクが身を隠そうとしても全て見透かすようにボクを丸裸にする。怖い。ボクを見つけないで。誰か、誰か、なんとかして!ほら、モッチーだって叫んでる。もうやめてって、ほら、ボクと同じように叫んでるでしょう?
耐えかねたモッチーが痛い足を引きずりながらカーテンを買いに行ってくると出かけた。あれは一体何時間前の出来事だったろう?そういえば今日は何日?こんなにぐうたら過ごしては、せっかく開幕前に負荷をかけた体が台無しだ。次の試合っていつだっけ。あれ?変だよ、ボクはもうそんなこと関係ない。あれ?なんで関係ない?なんだかよくわからない。わからないんだ。でもやっぱり、それもまたおよそどうでもいいことだ。
* * *
モッチー、あのね?聞いてくれる?ボクってすごいんだ。褒めてくれる?
「うん、偉い。お前はすごいよ」
でしょう?頑張れないと思ってたんだ。でもキミが素直にボクを褒めるなんてとてもとても珍しいことだね。珍しいというよりも初めてだろうか。自分が笑っているのに自分で気が付く。キミには悪かったと思ってるよ、こんなことになってしまって。でもボクは今幸せなのだろうか?苦しいけれど、なんだかとても満足そうな感じもするよね?ボクはボクがよくわからなかったのでモッチーにそのまま、ボクは今幸せなんだよね?と尋ねた。すると、彼はギュッとボクを締め付けるように抱いた。痛いよ。馬鹿。
「幸せ?お前は本当にいつもそうやって…どんだけ馬鹿なんだ…俺はお前のそういうところが大っ嫌…」
馬鹿はキミだろう?まぁ、確かにモッチー、そっちのほうがキミらしい。ボクはキミにけなされるのも嫌いじゃない。そのまま憎んで怒って、ボクのあばらを折ってもいい。ボクの醜さを知るキミにだけはその権利がある。キミは被害者だ。ああ、でもキミはボクだからそんなことをしてはキミのあばらが折れてしまうのかな。
キミとボクの区別がつかない。なのにここ最近、キミの言うことがわからないんだ。ずっとだ。なんでだろうね?宙ぶらりんで、出来てたことが出来なくなっていく。とても淋しいことだね。キミともこんな風にお別れしていく羽目になるとは、あんまり今まで考えたことがなかったんだよ。何年も離れてたって、今まで別に平気だったのにね。会った途端まるで毎日顔を合わせていたかのようにずっと互いを理解出来た。とても自然に。もしかしてボクはもう、誰もいないところに来ちゃったのかな?ここにいるのは、ボクだけだというの?
モッチーが肝心な部分をきちんと説明しろという。苦しいから怖がらずにちゃんと言えと言う。何を求められているのか、ボクにはそれがよくわからなかった。とても苦しい。ボクは今とても満足しているんだよ。どうしてそれじゃいけないの?辛いよ。それがボクの全部だよ。もうないよ?なにも。キミはボクなんだからそんなことくらいわかるだろう?
* * *
布団の中の真っ暗闇。ふいに聞こえるモッチーの声。何?キミはそう何度も何度も、一体何を言っているの?ボクはいらないって言ってるだろう?欲しいものってなんの話?強情ッぱり?キミがじゃないか。お願い、ボクをそっとしておいて?そんなものなんにもないよ。え?俺はここから出たいんだって?心配しなくても大丈夫、もう少しでちゃんとボクのほうがこの家を出ていくから。知っているだろう?ボクが時々こんななのはいつものことじゃないか。珍しくもないほんの一時の話なんだから。お互い疲れた時はこうしてちょっと一緒に遊んでさ、そうしてまたそれぞれの世界に帰っていくんだよ。もうちょっとの辛抱だよモッチー。
なにをそんなに動揺しているの?キミらしくない。お前は今の状態を理解出来ていないって?全くもう。ボクを馬鹿にして喧嘩を売ろうとしてもそうはいかないよ?キミのそういうやり方、飽き飽きしてる。
そうだよ、そんなことよりカーテンは?欲しいものって言ったらそんなものくらいかな?随分遅いね、一体どこまで行っちゃったのかな?まだ気に入ったモノが見つからない?
まあ、いいんだ。日差しを我慢できないわけじゃない。そもそもボクが欲しかったわけでもない。そうだよ、キミが勝手にボクに与えたかっただけのものだろう?そんなものもキミは調達出来やしない。キミがいらなかったカーテン、キミが欲しかったカーテン。ボクはカーテンが欲しかったけれど、ボクはカーテンなんかいらなかったよ?
なにを言ってるの?さっぱりわからないよ!モッチー!
ボクは悪態をつきながらキョロキョロと周りを見回したつもりだったけれど、やっぱりボクの体は重たくて、奥歯は勝手にカタカタと音を鳴らし、同時にフルフルと体も一緒に震えるばかりだった。ちっとも自由に動けやしない。とても不便だ。全くたまらない。
昼寝て、夜寝て、気が付く度に増えていく酒瓶、ゴミの山。ボクが見つめていたフローリングの木目はすっかりそれらで隠れてしまった。全く、ボクはこういうだらしないのがとても苦手で。あぁ、なのになんだろう。これはとても落ち着く感じと言ってもいいだろう。変な感じだ。そう、とても自堕落。ボクの居場所だ。
「飲むか?」
「あぁ、モッチー、そこにいたのかい?いつのまに?」
しかしキミはなんて馬鹿なんだろう。差し出されたそれをみてボクは呆れる。
「もう、それはそんな風に冷やして飲むものじゃ…」
そんなことを言いながらもボクは氷入りの赤ワインを受け取った。まあ、今はどっちにせよ味も匂いもわかりゃしない。ボクが夏に友達の家で出されたブドウジュースのようなそれを飲みながら、これにはストローがぴったりだな、と心の中で呟いた。
「ストローあったほうがそれっぽいよな」
ボクの思ったこと、聞こえやしないくせに。でもキミはまるでわかっているかのようにこんなことを言って笑うので、
「そうだね、あったら持ってきて?」
とだけ返事をした。やっぱりキミはボクなんだろうか?それともボクがキミになっちゃったんだろうか。頭がガンガンする。足が痛くて歩けないような気がする。とても気持ちが悪い。
「バァーカ、そんな馬鹿な飲み方したらあぶねぇだろ?酔いが回りすぎる」
「馬鹿な飲み方させてるのはそもそもキミじゃない?ボク、こんなコップでワイン飲むの初めてだよ」
心の中で言ったつもりだったのに、声に出ていた。モッチーは憮然としながら、指先をくいっと動かして、いいから飲め、と言った。まともじゃなくなる、もう飲めないよ。ボクがそう言えば、モッチーは今は酔ってるほうが十分まともだと悪態をついて笑った。ついでだから、ボクも適当に一緒に笑ってやった。
「…今…何時?」
「何時だか今のお前になんか関係でもあんの?」
意地悪そうに笑う顔。キミは本当に意地悪だ。ボクみたいだ。全くその通りだね。どうしてこんなことを気にするのか、ボクもいい加減可笑しくて仕方がない。ほんとに、どうでもいいことなのにね。
どうしてこうなっちゃうのかはキミにも十分わかってることだろう?癖だったんだよ、サッカー選手の生活リズムはその日その時で違ってて。ね?皆そうさ。キミだってよくボクに確認してたくせに。多分それが失われてしまった今というこの時の過ごし方にすっかり慣れてしまうまで、暫くの間は仕方がないことだよね。
ところで、ねぇ、モッチー。今日、何日だったっけ?だって、ねぇ。怖いよね?そう思わない?もう前を向かなきゃいけないんだととっくにわかっているのにね。なんの予定もないことが、先が全く見えないことが、今のボクはとてもとても恐ろしい。だって。キミが怖い怖いと、それに怯えて震えているのがとてもよく見えるから。
