鎖に繋がれて 5
今回は失踪した頃のザッキー視点のお話。作中の時期は2007年5月頭の頃。ようやく作中の季節と現実の季節がちょうどいい感じに。よかった!でも春先に相応しくないグズグズな展開になっていくのであんまり気分はよくない感じです。登場人物は王子、赤崎、達海、後藤、椿(ほんの一言だけ)
心恋しかりし
夜。
王子を待つ今日の俺はとても眠れる気がしない。
昔、滅多にしない電話を俺がすればあの人は必ずご機嫌な声で出てくれた。しかもたった数コールのうちに。思えばこちらから連絡をして彼に連絡が取れないことなど今まで一度も経験がなかった。いつであろうと王子がその時何をしていようと、あの人はそれが当然のようにいつでも俺を受け入れてくれていたのだ。ボクは自分のペースが一番大事、と嘯きながら、離れていても傍にいるよ、困ればいつでも話を聞くよ、とあの人はそういう姿勢を崩すことがなかった。時々どうしようもなく不安定になってしまう俺に、極自然とそんな安心感を持たせてくれる心配りある人だったんだろう。彼の配慮が行き届きすぎて、そんな単純なことにすら俺は気が付かなかった。今、彼が電話に出ないことで過去の記憶が身に沁みる。王子は優しかった。その優しさを隠し通すことが出来る程、彼は損得抜きに優しい人だった。俺は自分が甘えている事すら気づかないくらい彼に甘えるのが当たり前になってしまっていた。
翌日練習や試合がある日の睡眠不足は許さない人だった。だから些細なことで眠れない夜になってしまった俺を見つけてはその都度安眠できるような気持ちにさせてくれた。
体調不良時の練習参加も許さない人だった。体調不良になる前の段階でたっぷりとした休息が取れるように色々配慮してくれていた。
肉体的な疲労度を測るコツの他に、冷やし方、温め方、症状によりいろんな回復方法を俺に教えた。そうすることで俺の精神的な疲労も含めて丸ごと全部きめ細やかにケアしてくれていた。
王子が今ここにいたら?寝不足でフラフラな自分を見れば、全く管理不足だと呆れることだろう。一体どんなアドバイスをするだろうかと考えて笑い、その後、何故自分が今こんなにも寝不足になっているのかを思い出して暗くなった。今の王子は俺にアドバイスなどしない。俺という異物の侵入を嫌悪し、鍵を取り上げここから排除する苦心をするだけだろう。
無視が始まったあの頃も、バイバイと突き放されたあの日の後も、これほどまで王子を感じられないことは一度もなかった。
俺は馬鹿だった。俺に寄り添い続けたあの人との距離はいつしかこんなに遠いものになってしまっていたというのに、あまりにもその事実が恐ろしくてわかろうとしていなかった。王子に帰って来てほしい。でも、連絡のつかない今に安堵する自分もいた。怖い。時が進むのが。俺の欲しかった俺の為の王子は、もうとっくの昔に消えてしまった。今いる、あの王子は単なるルイジ吉田その人であって、俺の為の王子ではないのだ。
* * *
朝。
明るいはずの空が暗く見える。
午後練だったので自宅に戻って少し仮眠。ベッドに横になって目を閉じるも結局ろくに寝れた気がしなかった。仕方がないので少し早目に練習に向かう。こういうときは怪我をしやすいから無理をするなという王子の声が聞こえた気がする。でも無視した。そんな王子はもうどこにもいないのだと昨日思い知らされたので。
それでも心に湧き上がり続ける思慕
少しでも早く練習場に向かい王子に会いたい
しゃべらなくてもいいから、会いたい
ああ、王子のことを思う。今までにも増して強く、強く。俺の頭の中には溢れんばかりの王子の姿、その数々。ただひたすらにあの腕に包まれ彼をきつく抱き締めたい。前にいつもそうしていたように二人で少し休みたかった。そうしたらきっとこの悪夢から目が覚めると思った。つまり、出来もしないことを願ってた。ここは現実であって悪夢ではない。今までが夢だったのだ。王子が俺に魔法をかけてくれていただけ。
ないものねだりが止まらずに、本当にどうかなってしまいそうだった。あの人に繋がる鍵を持ってたのにそれを使わず、もう使ってはいけない今になってそれを使ってしまった。二人が捨てたあの世界。その存在への恋慕が今はもうあまりに辛かった。言いたいことが山ほどあった。聞かなきゃいけなかったことが沢山残ってた。俺達は何一つ触れ合わないままに、始まるキッカケすら掴めず終わってしまった。確実にあの頃の俺達はそれを願っていたというのに何もなせないままに離別した。
なぜあの人のことになると俺はこうも整理がつかなくなってしまうのだろう?いつもいつも。今はもう、王子という人が一体どんな人であったのかすらよくわからなくなって、思い浮かべる彼の姿に、何一つ一貫性を見出すことが出来なかった。大好きだったはずの王子のあの優しい笑顔が、頭から離れなかったはずのあの情景が、今は上手に思い出せない。
* * *
昼。
そろそろ練習の時間。
昼食用の軽食をコンビニで買って、ひと気を感じさせないクラブハウスへ。
向かう途中、我慢できなくなってしまって道路の隅に車を停めて小さく泣いた。でも泣いているのに、何に泣いているのかもわからなかった。全てにリアリティがなかった。
到着後、本当はすぐその足で昨日の事情を監督に聞いておきたかった。王子と顔を合わせるその前に。けれど今の自分がちゃんとそれを聞ける精神状態なのか疑問で躊躇した。盗み聞きしたこと。のぞき見したこと。何をどこから切り出すか困ってしまった。それに今は彼らのトラブルの内容の把握と解決よりも自分のことで精一杯だった。俺はプロのサッカー選手で本当ならチームの今の状態を自分なりに把握し頑張らねばならない。なのにプロを名乗る資格もないほど個人的な事情で激しい動揺の中にいた。こういう時こそドッカと構えなければならないのだけれど、とてもやり通せる自信がなかった。
結局グルグルと取り留めもない状態のままロッカールームで時を過ごす。王子会いたい。もう駄目だ王子。早く来て。王子。助けて。王子。練習前の筋トレも、全くやる気が起きない。まるで憑りつかれた様にサッカーの世界に気持ちが切り替わらなかった。昨日帰り際の王子との挨拶が出来なかったので仕方なかった。最近の俺は元々そんな風だったのだから。
ぼんやりと座っていると突然監督に話しかけられた。いきなりで心の準備もさっぱりだった俺は、オロオロと動揺する心を誤魔化すことくらいしか出来なかった。
「赤崎。わりぃね、ちょっといいか?」
「…ッス」
「あいつ、しばらく来ねーかも」
「え?」
あいつっていうのは、すぐわかった。王子のことだ。でもなんの前段もなく言われたことだったのでさりげなくわからないふりをする。でも、素知らぬ顔もあっという間にボロがでた。だって監督が続けてとても変なことを言ったからだ。
「このままジーノが戻ってこれなきゃそん時はまたそん時ってことで」
「戻ってこれない…って…?…それってどういう…」
このまま?王子がなんだって?この人は今なにを言ってる?俺は一刻も早く王子に会わなきゃ行けないのに、どうして?そんな戸惑いしかなかった。頭の中が真っ暗になった。監督の話が処理しきれなくて、俺はろくな返事すら返すことが出来ない。暫く来ないというのはともかく、このままいなくなる可能性があるという流れ?まさかそんな、と茫然としてしまった。
昨日のアレはそんな拗れるような口論だったんだろうか。王子はあの家にすらもうずっと戻っていないというのに、そんな恐ろしいことをこの人はなんてあっさりと。俺は事の成り行きそのものよりも自分を支えていられないような不安定の真っ只中にいて、信じられない、そして考えたくもない、という嫌悪と拒絶が真っ先に出た。
「取りあえずバカンスに行ってるってことにしとくから。話あわせといて?」
「あわせるって…そんな意味わかんねぇし無理っス…突然…なんで…俺にそんな話…わかんねぇ…なんで…」
「昨日見てたんだろ?ちょっとちょっかい出し過ぎたんだ。まあしょうがねぇっつーかなんつーか…なぁ、協力してよ、頼むから」
混乱して俺は全く話を咀嚼出来なくなっていた。大事な話なのに、聞きたくないという心が俺の思考を止めていく。昨日見ていた?この人は気付いていたということなんだろうか。考えてみればそりゃそうか。目ざといこの人が人の気配を見過ごすわけがない。だからか、俺にこんな話を持ち掛けるのは。まぁ、納得。でも、頭が付いていかない。大事な話だ。大事な話なのに、息が苦しくて、王子がいなくなるなんてそんな、と。
「オレもちょっと…考えてみっからさ。よろしく」
「よろしく言うんだったら…事情ぐらいは聞かないと割にあわねぇッスよ?なんかあったンスか?」
監督には聞かなきゃいけないことが沢山あって、確認しなきゃいけないことが沢山あって。駄目元で素知らぬ顔して訊いてみる。でもわかってる。こんな聞き方では駄目だ。俺の混乱は伝わっていることだろう。この人は口を開かないだろう。
「…うーん…今はとりあえず悪いけど。様子見て話せる内容ならそれも考えてみっからさ。あのことは周りに黙っといてな」
案の定軽く躱されて、監督はポンポンっと肩を叩いてテクテク立ち去って行った。駄目なのに。俺は今この人から情報を少しでも引き出さないといけなかったのに。けれど俺は最初と同じようにただぼんやりとロッカールームに重たく座り込むばかりで彼を追いかけることは愚か、再び話しかける気力すらなかった。
一体なにがあったんだろう。元々何を考えているのかわからない人だけれど、今日の監督はそれともまた違うわからなさを醸し出していた。あの顔は時々王子が見せる無表情の、人を立ち入らせないあの雰囲気によく似ていた。あの人はどれだけ問答を繰り返そうとも彼自身が話す気にならない限り決して口を割らないに違いない。ようするに俺がちゃんとしていようがしていまいが事態は変わらない。何かが起こって、しかもそれは俺にはわからない。監督が言うなら今日から王子はここには来ない。もしかしたらもう二度と来ない。そういうことだ。視界と思考がグルグル回る。目を開けていられなくて両手で覆った。息が苦しかった。
あり得ない。そんなの駄目だ。俺に耐えられるわけがない。王子。来てください。王子。俺は駄目です。来てください。沢山謝らなきゃいけないことがあるんです。沢山叱られなきゃいけないことをしました。昨日、俺は監督の前で王子ではなくなったルイジ吉田その人を覗き見してしまいました。そして勝手に部屋に入って、あんたの部屋を片付けました。許せないでしょう?だから王子。お願いします。叱責するためだけでもいいから。来ないなんて監督の冗談だって。笑って。鼻で笑って。ここに。王子。お願いします、来てください。
この日、結局王子は練習に顔を出さなかった。
だから監督の一言で取りあえずあの人は突然バカンスに出掛けたことになった。今日だけだったかもしれないのに。明日は来るだろうに。こんなの嘘なのに。ぼんやりとそんなことを考えていた。
* * *
夜。
一旦家に戻り、再び王子の家へ。誰もいない。
俺は薄暗い部屋の中で再び一人では広すぎるカウチに腰を下ろし、真っ暗な気分になっていた。部屋を綺麗に片づけた後でも王子に会えないままの俺は昨日に時間が巻き戻ってしまったような、ずっとここで待ちぼうけをしていたような奇妙な感覚の中にいた。王子が来なかったこと、バカンスに行ってしまったこと?現実の実感が湧かない。今も夢を見ているみたいだ。寝不足のせいだろう。
胸のザワザワが収まらない。何度も見てきた、物言わず笑うだけの王子の顔が頭から離れない。なのに、その顔が思い出せない。でも、その笑顔の根底にいつも見え隠れしていた、達観の果てに独り佇んでいるようなあの姿が今の俺には怖かった。あまりにも遠かった。
こんな心細い時の俺のお守り。俺の心を支え続けた、あの大好きだったはずの俺をからかうときの、屈託のない王子の笑顔もまたやっぱり今はもう思い出せない。現実的には半年前にとっくに消えていた俺の王子は、俺の中から本当の意味でその姿を消した。
この頃の俺はちょっとした鬱状態だったんだろうか?
何しろこれまで一度も体験したことのない感覚だった。無気力とはおそらくああいうものを指して言うのだろう。怒りも、悲しみも、自己嫌悪も、色んな気持ちにノッシリとした膜が張って、王子だけでなく世界の全てが遠いような兎も角閉塞した陰鬱な感じだった。周りになにもない真っ暗な穴倉の中か土の中に全身埋もれて身動き一つとれない。そんな感じだった。そしてそのまま今にも勝手に呼吸を忘れ窒息死してしまいそうな気分だった。あまりにも俺の傍に王子がいなかった。
