鎖に繋がれて 7
ジノザキ、やっとおうちに帰ってきます。登場人物は王子、赤崎、持田の3人。一部ジノモチ的描写ございます。けど、じゃれてるだけでお話した通り単なる仲良しなお友達です。
モッチーがザッキーの事気に入って、親切半分、意地悪半分という感じであれこれと。ザッキーのヤキモチはそんなモッチーのあやふやなミスリード?にひっかかった形……のつもりです。
帰宅
持田が手を引くとジーノは再び大人しく歩き始めたので赤崎はホッとする。ゆっくりとした歩調でリビングまでやってきた持田はジーノをそのままカウチに座らせた。それを見つめている男の目はとても優しく、何故かその表情にはこのまま帰るのを惜しむかのような気配すらあった。そしてそのまま二人は無言で暫く見つめ合い、赤崎にはわからないアイトークを繰り広げていた。
このまま帰すのも、と考えた赤崎が
「コーヒー、飲んでいきませんか?」
と持田に言うと、男は小さく、そうだな、と答えた。
そして、キッチンでコーヒーの一つでも淹れようと二人から目を逸らそうとした途端、それは起きた。
持田がゆっくりとジーノの顔を覗き込む。するとジーノは何が起きるのかをすぐに察し、同時にフッと怯えるように小さく息を飲んで目を閉じた。
スローモーションで進むそのそのまま触れるだけの優しいキスの光景は赤崎を釘付けにする程の美しさを秘めていた。時間にして数秒。離される唇。そしてまたアイトーク。
「なん、で……?」
何か言いたげに開くジーノの唇に持田は再びゆっくりと唇を重ねる。
「やだ、やめてよ」
反射的に少し身を引いたジーノの体に今度は勢いのままに男が身を寄せる。流れのままにカウチに二人倒れ込んでしまう間、行き場のないジーノの腕が所在なさげに空を舞った。ジーノからのスキンシップを宥めすかし躱していた持田が、今は自ら欲するかの如く深い情欲のキスを貪る。絡みつく四肢。苦しげに身を捩り抵抗する素振りすら見せるジーノ。二人の奇妙な逆転現象。赤崎にはさっぱり理解することが出来なかった。でもその光景はとても刹那的な官能を秘めていて、嫉妬、喪失感、所在なさという、そんないびつな感情の一切ない、まさに心奪われるといういうに相応しい世界だった。
そして一瞬。赤崎は強引なキスにもがくジーノの目がはっきりと自分の姿を捉えたのがわかった。真っ黒な瞳。見開かれた瞼。その視線は再び空を彷徨う虚ろを取り戻し、すぐにジーノは持田にされるがままに弄ばれる人形のような姿に立ち戻っていった。短い時間が苛立たしい程ゆっくりと過ぎていく。
やがて、ジーノの右腕が怖々と男の背に添えられた頃、反対側の彼の左手が持田の後ろ髪をくしゃりと優しく掻き上げるように愛で始めていた。いいなり人形が猫に変化していくようなあの甘えた手の仕草、独特の。赤崎は今だ体に残る感触の生々しい記憶にゾクリとしたものを覚えた。己の中の未知のスイッチを入れられるようなあの指先の滑らかさ。
そうか、このまま自分は今からここであの人が自分でない他人を愛でる光景を、とそんなことを考える。この思いは果たして予感なのか期待なのか、わからないまま赤崎はぼんやりとただ見つめる。持田の黒い服の上に添えられたジーノの長い指先。いつにも増して白く映えて見える。男の体を優しく這うその光景は、指先自身、己が如何に美しいものであるかを自覚しているような、そんな淫らさを秘めていた。呆気なく完全にその盗人に目と心を奪われ赤崎はただただその光景を眺めるばかりで、この美しい世界が壊れないようにと息まで潜める有り様だった。
* * *
「あれ?見てた?」
空気を割くような持田の一言で赤崎はハッと我に返る。
「なんてね。見せたんだけどな、わざと」
気が付けば男は笑いながら組み敷くジーノの頭を軽く小突いていた。暗示が解かれた様に現実に戻ってきた赤崎は正気に戻ったと同時にカッと憤りに頬を染めた。今、自分は二人の魅惑に心酔し、あろうことか始まるであろう二人の濡れ場を垣間見る期待すらしていたことに気付いてしまった。
人知れず漏らした舌打ち。それでも複雑な感情の一つ一つは整理できず、ただただ心中は戸惑いしかなかった。赤崎にとって持田は混乱そのものの存在で、形は違えどジーノと同様、ある種心奪われる存在であることに違いなかった。不遜と尊大がとても不愉快で、反発する嫌悪すら感じてしまう。なのにその逆撫でられる神経の感触すら、自身の中にある奇妙な未経験の心地良さを呼ぶ気がした。この親近感、親和性のような不思議な感覚は一体なんだろう。
持田はまるでドラマの撮影シーンが終わったかのようにキビキビと起き上がり乱れた髪を整えている。しかしその目は明らかに肉欲の衝動に潤んでいた。男である以上そう簡単には気持ちなど切り替わらない。
頬に紅差すジーノは男の体を追うような形で起き上がった。その急な動きにくらつきを感じたのか、項垂れるように肩口に腕を回ししがみ付いた。
持田はそんなジーノに一つ大息をついて自宅にいた時と同様、労わる様に頭を撫でていた。逆転した世界がパズルのように一つ一つ元に戻るという、そんな風情だった。
「やっぱコーヒーいいわ。もう帰る」
持田はそのままジーノに縋られたままの体勢で言った。戸惑いの嵐。何もない二人の何かの起こりかけた世界。何故か今、赤崎の目には持田の姿がバイバイを口にしたあの日のジーノの姿にダブって見えた。
「じゃ、こいつ、頼むね特別君。お前はタフそうだし大丈夫っしょ」
「いや、俺は」
「大丈夫大丈夫。こいつ馬鹿で基本子供だし」
まるでかわいいおもちゃで遊ぶようにジーノを扱う持田の姿を前に、赤崎は複雑な心境だった。自分はこの男を人形や飼い猫のように扱う術を持ち合わせてはいない。今更ながら何故持田が自分に頼むと言うのかわからなくなってきてしまった。これは本当に正しい判断なのだろうか?
「わかりません。なんで?」
「今の見てわかんなかったの?ちゃんと目、開けてた?」
持田は自分達がただの友達であることをジーノの拒絶感で表現したつもりが、赤崎には当然さっぱり理解することが出来なかった。次々に湧いて出る疑問と不安。話さなければならないことが沢山ある。ジーノと同じくらい、もしくはそれ以上に。なのに赤崎は喉が詰まって何も。一言も。
「……ほら、こうして頭撫でてりゃご機嫌だから。な?単純なんだよこいつ」
「違う、そんな簡単な話じゃ……」
「大丈夫だって」
「でも」
「ったく、大丈夫じゃなくても大丈夫だって顔する癖つけろよ。舐められっぜ?こんな程度でオタつくままでいたら次会った時はピッチ上でカモにしちまうからな」
負けん気が強くて減らず口。それが赤崎の性分だった。だが不思議とこの目の前の男にはそんな意地すら張る暇も与えられず、剥き身の自分が出てしまう。そして赤崎の本質をわざわざ自分の力で暴き、思いっきり晒した上で干上がる姿に持田が笑う。そうだ、この人のこういうところが王子と、と思う。
持田が、カウチに座り直してこう続けた。その顔に浮かんでいたのはドキリとするような慈愛の表情だった。
「ホント、頼むよ。真面目な話。こいつが欲しいのはホンのちょっとしたもんだから」
「……聞いていいですか?」
「ん?」
「なんで俺に?簡単だって、欲しいものがなんなのかだって、全部わかってるんでしょう?なんで自分で、とは思わないんですか?」
ジーノを取り戻したい己の欲望とは別に、強く感じる持田のこの赤崎に託す祈りとも懇願とも思える気持ち。それを口にしているのがあの持田で、向けられているのが自分なのがとても不思議な感覚だった。大丈夫だなんてなんでそんなことが軽く言える?聞いても答えてくれる気はしなかったが、赤崎はどうしても聞いておきたかった。自分は何を託されているのか。何を背負うためにここにいるのか。真摯な持田の思いに打たれ、何か少しでも、微力でも出来ることがないのかと。ジーノにとっての最善がなんであるのかを一緒に、とそんな思いで質問をぶつける。
「無責任なのはわかってる。でももう俺はこいつに甘えるのよすわ。だからお前はこいつのことちゃんと助けてあげてな」
案の定、答えはなかった。ただ一言、助けてあげて、とだけ。不安な赤崎に微笑しながら持田が言う。
「お前は特別君。それだけでもう十分。大丈夫。だろ?誰がそういった?お前がこいつの特別だって」
「違う、王子じゃないんです。言ったでしょう?俺です。俺が勝手に……」
「じゃあさ、なんでお前はそう思った?そう思いたいって感じた?」
「それは俺が王子のことが……」
「……もう少し自信持てよ。じゃないとこいつが辛いじゃん?」
持田の言うこいつは今、苦しげに頬を高揚させながら彷徨うような目線で持田を見つめていた。
「自信も何も俺達は……」
「お前がそう思うようになったのはなんでだ?あれだ、最初っから思い出して見ろよ。何から、どこからそれが始まったのかを。悪いけどお前が自分でどれだけ望んでもこいつは簡単に他人の手に収まる人間じゃねぇよ?わかるだろう?」
「……」
赤崎と話をしながら持田は根気よく繰り返し繰り返しジーノの耳と髪を愛撫する。その優しさにジーノの動きが緩慢となり、最後にはうっとりと目を半分閉じて眠るような仕草をした。
「ったく、こんなことご丁寧に説明させんな。しゃんとしとけよ。いいか?こいつの特別は俺は今までひとつだけだと思ってた。それがいつのまにか増えてて、しかもしゃべれる相手だったのはラッキーだったよ。助かったわ」
「特別……持田さんってことですよね?」
「だから勘違いすんなって。一緒にいりゃわかるだろ?」
一緒にいてわかるジーノの特別。言われても赤崎はわからなかった。ジーノは兎に角自身の交友範囲を説明しない男だったので誰一人思い当たる人物が頭に浮かばない。
そんなとき、リビングにある黒い箱が赤いランプを光らせてたので、赤崎は
(ああ、また王子の自動予約録画が……)
と思い、そしてハッと気づく。
「特別……人じゃない?……もしかしてサッカー?」
「たりめーだろが。こいつにとっては特別以外は全部十把一絡げ、オレだって一緒、一絡げに毛がはえた程度なの。こいつ、ホント、サッカー好きなんだよ。苦しんで、諦めて、諦めきれなくて歯を食いしばって。でも残念なことにこいつポンコツでそもそもが壊れてっから。わかってたことだけど結局こうなる。真剣に取り組めば取り組むほど体の自由がさ。だから冷めてないと生きていけない。なぁ、サッカーの神様は意地悪だよな?なんでこんな目にあわすんかね、こいつも……」
俺も、あの人も。持田は言いかけたがそれはやめておいた。持田の思ったあの人は、勿論達海のことだ。中学の頃、東京Vジュニアユースの持田は成田選手、ETUサポのジーノは達海選手の熱心なファンで、東京ダービーの日にはよく二人一緒に見に出かけていた。二人はそうしてヤイヤイとプレイについて応援と生意気な解説を交えながら楽しい時を過ごし、いつかあそこでプレイしようぜ、などと夢を語り合う関係だった。あの頃の二人の目の前には、光り輝く世界だけがあったのだ。それが今は。
赤崎は持田の言葉を耳にして、ビクッと反応した。持田から電話が入った時、本棚をぶち壊したと説明をしたが、男は特にそれについてなんら返事をすることがなかった。だから今、改めてその事に言及する男が、やはり自分の知らないジーノの過去を知っているのだということを実感した。目の前に喉から手が出る程欲しい情報が転がっている。赤崎はどうしても自分のものにしたかった。
「あの…王子の症状っすけどそれって」
「駄目、それはフェアじゃない」
急に有無を言わさないぴしゃりとした物言いをされて赤崎はしくじったと感じた。話を誤魔化すことが普通のやり方の男にしては、随分ときっぱりとしたNOの発言だったのだが、これもまた持田の赤崎への一つの誠意から生じた言葉だった。
「こいつに直接聞いて。サッカーでも何でもそうだけど、楽しようと横着して後で痛い目みるのは結局自分なんだよ。そもそもそういうやり方、お前って嫌いなタイプに見えるけど?らしくない」
大切なことは必ず自分自身で。持田の言いたいことはそういうことだった。赤崎自身がそしてジーノ自身が意志をもって触れ合わねばならない。それが苦しく困難なものであるなら尚更何より必要なことだと伝えたかったのだ。ただ、その思いが赤崎本人に通じたかどうかは定かではなかった。
「あ……Gattino mia(子猫ちゃん)どこ行くんだい?ボクは大丈夫。だから一緒に居よう?」
「また始まった……だからさ、俺の事そうやって甘やかすなって」
「いいんだよ。なんで?力になりたいんだ。平気だよ大丈夫」
「尻に火ついてる人間が何言ってんだ」
「違う、ちょっと今駄目なだけですぐに」
「お前の自己診断ほどアテにならないものはねぇよ」
「駄目なんだよ、キミも、ボクも独りでなんて今はとても……そんなことわからないキミじゃないだろう?だって買い出しひとつするにしてもキミは……」
「人のことばっか心配してねぇで、まず自分を何とかしろよバァーカ」
「聞いてよ。必要ないなら大人しくしてるし言われたことだけちゃんとやるし」
「じゃ、大人しくここで暮らしてそのやつれた顔をまずなんとかしろよ」
「そんなこと……」
持田がジーノの腕を剥がしにかかるので、必死に体中でそれを追う。その目はハッキリとジーノ自身の“王子”としての意思を感じさせる光があった。狂っていたチューニングが急にあったようなそんな行動。だが、ジーノの力は弱すぎて、簡単に持田に振りほどかれてしまう。ジーノは惨めに椅子からそのまま転げ落ちた。
開幕直後の持田の故障の状態は世間は愚かジーノですら把握しきれない内容ではあったが、その深刻度については戒厳令がひかれるほどの重大さがあったのは事実であり、この1か月の中で一時期ジーノの介助ナシには日常生活をまともにこなせるとは言えない状態ではあった。
「痛……」
「ポンコツ。そんなに懐きたいなら続きはこいつに相手してもらえ。こんな時こその飼い犬だろうが。無条件に付き合ってくれるだろ、多分」
這いつくばるジーノの横に立って超然と見下ろし、ツイッと顎で赤崎を示した。次に赤崎の方を振り返り、じゃね、そいつ、抑えててよ?といったので、言われるがままに床に崩れたジーノを抱きかかえた。すると、持田はそのまま前回と同じように振り返りもせずにスタスタとその場を後にした。
「モッチー、それは駄目だ……無理……だ……」
フラフラと無理に立ち上がろうとしながらも、もはや力尽きたようにその場に情けなく崩れ落ちる。慌てて赤崎の抑えようとするその手を振り払う素振りをしながら、持田を乞うがそれはなんの抑止力も持たなかった。
男がとっくにいなくなってしまった後も、ジーノはそれに気付かないのかもう何十分もうわ言の様にずっと何かを呟き続けていた。
暴れたせいか呼気が乱れ動悸が激しい。見たこともないジーノの激しい動揺とその苦しげな姿に赤崎は不安で不安で、でも必死になって王子、大丈夫です王子、と縋り付きながら声を掛け続けていた。
あまりに力がない体と、彼に似合いもしない気弱な言葉が、どうしようもないほど悲痛だった。今赤崎が抱き締めるジーノは大好きな彼のあの匂いではなく、服についた他人の、おそらく持田の匂いと、濃厚なアルコールの匂いがした。まるで別人のように変わり果てたそのボロボロの状態と、ここにいながらもちっとも自宅に帰ってきていないその存在感の希薄さ。赤崎も淋しくて悲しくて、とうとう我慢しきれず目からは涙が溢れ出てきてしまった。これは思い描いていたジーノの帰宅ではない。何一つ取り戻せてはいなかった。
力ない抵抗で小一時間過ごした後、ジーノの言葉と動きは徐々に散漫になり始めた。時々何かを呟きながらも、抗いがたい疲労にそのままゆっくりと目を閉じていく。追いすがる様に抱き付いた赤崎が男の背後から抱きしめておずおずと持田がしたように男の髪を撫でると、ジーノの全身が弛緩し最後にコトリと体を伏せたまま動かなくなった。
いつの間にか赤崎は緊張のあまり息を詰め全身びっしょりと嫌な汗をかいていた。だがどうにかジーノが落ち着いたのを感じてそっと胸を撫で下ろす。
(なんかスッゲー疲れた……)
温かい。触ってる。触れてる。ここで、この人が俺の傍で寝てる。赤崎は腕の中の頼りない寝息を立てる男にちょっとした感動と、そして全身を襲う泥のような疲労に包まれていた。
あんなに激しかった二人の鼓動が次第に規則正しいそれに戻っていき、今は互いに呼吸も穏やかだ。時間は4時を回ったばかりで眠るにはまだまだ早かったが、急に何も考えることが出来なくなってしまって赤崎はしばし固い床の上で二人抱き合って眠ることにした。玄関はオートロックだし問題ない。本当はベッドに移動して休ませたかったが、ジーノに回したこの腕を一瞬たりとも緩めたらそのままスルリといなくなってしまいそうだと不安がよぎった結果だった。
ジーノの匂いのしない男の背中は、少し筋肉が落ちて華奢になっていた。ああ、違う、と回した腕の感覚ですぐわかってしまうくらいに小さくて、それでも温かさだけは前と変わらなかった。
もう実に半年ぶりの、欲し続けた優しい優しい安らぎの一時。少しでいいから二人抱き合って眠りたい。そんな赤崎の他愛無い、束の間の夢の実現だった。
