お花結び

GIANTKILLING二次創作小説同人サイト

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君待草

【10024文字】
診断メーカーの「CP本タイトルと煽り」にてツイッター投稿したもののリメイクです。
短文から広げた話だったのですが、書き進めるうちに予定が狂って、全然別の場所に着地してしまったw

 いつでも強者になりたかった。歯牙にもかけない顔をしながら実は、このチームの救世主になることを夢見ていた。

 そして、願うのが俺の人生というのなら、多分、『王子』もまた願いのひとつと言えるのだろう。

*

 最初に思いを打ち明けたのはあの人だった。ずっと俺の片思いだと思ってきたので、頭から、からかわれているのだと信じなかった。
「僕のこと、嫌いかい?」
 真摯な目をして俺を見つめて、答えを引き出そうと粘られた。
「いや、嫌いっていうわけでもないっスけど……」
「……けど?」
「好きとか嫌いとか以前に、なんだかいきなり過ぎて……申し訳ないんですけど、今までそんな風に考えたこともなかったっていうのが正直なところで」
 想いを口にする気はさらさらなかった。梯子を外されて苦しむのは自分なのだと、柄にもなく心のどこかが竦んで身動きが取れなくなった。
「まぁ、そう……だよね」
「……」
「でも、それはそれとして、どうかな?今からそんな風に考えてみるとして、ちょっとは僕と付き合ってみようかって気持ちになった?」
「いや、だから、突然過ぎて気持ちも何も」
 四の五の口籠るばかりの俺の肩に、王子がそっと手を乗せる。
「ザッキー」
 熱が服越しながら肌に伝わり、全身の血が逆流したみたいだった。
「……よかった。じゃあもうYESとほとんど同じだ」
「は?」
「こういうことはもう生理的なものっていうかね?無理なら反射で拒絶するものだから」
 告白を受けたその直後にもかかわらず、確かに王子の手を避けなかった。その行動のひとつを例に、王子が俺の心を見透かした気がした。
「……い、いや、あの」
「そう深く考える必要はないさ。ザッキー、今後ともよろしくね」
「ちがっ……」
俺がしどろもどろになっている間に、成したもののようになってしまった。
「大丈夫。僕はそんなにせっかちでもないし」
 自然体でいながら強引な王子は満足そうな笑みを浮かべると、肩に置いた手で首筋から頬をするりと撫でて、優雅な足取りで去っていった。

*

 せっかちではないと言った王子の言葉は、まるきりとは言わないまでも半分嘘だった。翌日には初デートの約束を取り付け、当日までは毎日それを言われた。当然デートの帰りには、次のアポイントも忘れなかった。
 俺は王子とのいつかを夢見ていながら、実際にこんな日々が来るとは、全く考えてもいなかった。体温を感じるほど傍にいることに緊張し、時には惚けた顔で王子を眺めていた。
「ん?」
 小首をかしげ、不思議そうに笑う。ただそれだけでドギマギした。

*

「まいったな」
 それはデート帰りの車の中での出来事。
「そんなに見つめられていると変な気持ちになってしまう」
運転中、王子ばかりを眺めていた俺に気づいた時のあの人の台詞だった。家路から少しそれた場所で車を停めて、体ごと俺の方を向いて王子が続けた。
「どうしてだろうね?人に見られるのは慣れているけれど、君が相手だと……そう……少し、恥ずかしい」
言葉とは裏腹なくらい臆面もなく、じっと俺を見ながら笑っている。
(絶対嘘だ。は、恥ずかしいだなんてそんなこと、きっと、これっぽっちも……)
目をそらせば負けだというわけでもないが、そのまま俺達は見つめ合った。
「……一方的に見られているより、ちゃんと僕からも君が見える、この方がいい」
うっとりとした視線、半開きの唇。王子がよくても俺はいたたまれなかった。自分がどんな顔をしているのかよくわからない。

 それでも気まずいながらも、しばしそのまま見つめ合っていると、ごく当たり前のようにこう囁かれた。
「……キス、していい?」
もちろん返事など出来ないままで、ただただそんな王子をじっと見ていた。

 時間の流れが遅く感じる。

 少しずつこちらに身を寄せる王子が見える。

 ゆったりとあの人の腕が首筋に絡みついた時、俺の全身はガチガチに硬直していた。

 車内の空調は万全なのに、変に汗ばむ自分を感じた。

 ゴクリと思わず生唾を飲んだ。

(キ……ス……王子に、キス……される……)

 しかし、その瞬間はこなかった。
 
(……王子?)

 あの人の唇は唇に沿わず、かわりに頬にそっと触れた。あの日するりと撫でられた感触と、とてもよく似た心地よさだった。けれど、俺の様子をいわゆる反射的な拒絶と見て取ったのか、王子はキスを諦めたのだ。

 自嘲するかのように、皮肉な笑みを浮かべ、俺の頭をポンポンと叩いて言った。
「ごめん。今のはちょっとせっかちだったね」
 この時、すぐに何かを言うべきだったのはわかる。それでも、何も言えなかった。夢みたいで胸が張り裂けそうだった、だなんて、俺には到底言えなかった。

 俺は、王子に臆病だった。

*

 その後も何度か二人で出掛けた。

 あれは車で食事に出掛けた日のこと。夜景の綺麗な最上階、予約していたレストラン。
「え?本当?」
ソムリエが笑って頷いていたので、どうしたのかと聞いてみた。
「ああ、あのね、ザッキー」
王子がご執心の珍しいワインがたまたま入荷していたらしい。
「へぇ、王子、それじゃあ」
「いや、いいんだ。今日、車だしね」
「でも、滅多にないものなのでしょう?」
「……まあ、ね」
「なら」
 二人でそんなやり取りをした後、結局注文することとなった。車を置いてタクシーで帰ることになったので、王子は申し訳なさそうに謝っている。
「別にそんな、謝らないでください。大丈夫ですから」

 そう、あの日から俺達二人は、どことなく少しぎこちない。

「テイスティングは、なしで」
「かしこまりました」
 ソムリエが去った後、不思議そうにしていると。
「あの人はちゃんとした人だからね。試さずにオーダーしちゃっても全然平気」
マナーも何もよくわかっていなかったので、注文する際の儀式のようなものと思っていた。だが、王子はあまりにも自然体なまま、テイスティングを本来の意味としてとらえて対応していた。そう、この世界は王子の日常なのだ。
「それなのにああ言わないと、毎回律儀に持ってきちゃうんだよ。まあ、そんなところもきちんとしたあの人ならではだけどね」
信頼できる相手だと言うのならば、そうではない判断を下したソムリエもいるわけだ。沢山の経験がある証拠だと感じた。
「……君も気に入ってくれたら嬉しいな」
(そもそも俺、ワインの味なんて全然わかんねぇんだけど……猫に小判ってまさにこのことだな)
少し卑屈になりかけていた俺に笑いかける王子は、珍しく少し上機嫌だった。

「君と飲むの、初めてだね」
「そッスね」
「結構飲む方なの?」
「まあ、それなりに。別に弱い方ではないのかなと」
「そうなんだ」

 俺が飲むと王子はとても嬉しそうに笑ってくれて、それがなんだか楽しくて、つられて俺も笑っていた。
「よかった、気に入ってくれて」
杯が空くとすかさず王子が俺のグラスに注いだ。
(自分達で?ありなのか?いや、ありなんだろうな。じゃなきゃやるわけがねぇし)
王子との時間は刺激的だ。
(……知らないことが沢山ある。楽しいワインの飲み方ですら)
その姿や仕草を見ているだけで、自分の世界が広がるのを感じた。

 メインの料理が来る前に、すでにボトルが空いていた。次に頼んだワインにしても、また一味違ってそれも良かった。

 そこから先の記憶はあまりない。食事が終わって席を立とうとした時、なんだか少しふらついていたような感覚はある。
「大丈夫?」
心配そうにのぞき込む王子に、何かを言ったような気もする。でもそのほとんどはぼんやりと、まるで霧の彼方の出来事だった。

*

 意識がふと戻った時、見慣れぬ部屋のベッドの中だった。
「!?」
 びっくりして飛び起きようとしたが、頭が痛くてうずくまる。
「……ああ、ザッキー。目が覚めたかい?」
 その時王子はベッドの端にゆったりと座り、流し目で俺を見降ろしていた。状況が分からない俺に対して、丁寧に王子が説明をしてくれる。
「ごめんね?あんまり美味しそうに飲むものだから、必要以上に勧めてしまった」
その夜飲み慣れぬワインのせいで、俺は泥酔したらしかった。王子はそんなだらしない俺を、自室に招いて介抱していた。
「いや、王子が悪いわけじゃないんで」
原因は明らかにここ最近の気まずさのせいで、やたらと杯をあおってしまった自業自得だ。
「痛……」
大きく首を振ったら、ガンガンとした頭痛が俺を襲う。
「無理しないで。大丈夫。落ち着くまでそこで休んでいて構わないから」
俺を宥めながら再び横にさせて、王子は優しく俺を見降ろしていた。
「……すいません、こんな」
言い訳がましい俺の言葉を、押しとどめるかのように王子が言う。
「いいから、寝て」
ふんわり俺に布団をかけた。
「お水、そこに置いておくからね。何かあったら遠慮なく呼んで」
サイドテーブルに置かれたペットボトルと俺の携帯を指し、王子がすっと立ち上がる。
「え?」
「ん?」
「……いえ」
「じゃ、おやすみ」
 王子は足音も立てずに出て行った。傍にいてくれるものと思っていた。

*

(すっげぇ見晴らし……ここ、何階だろう)
 壁一面の大きな窓。経験したこともない豪奢なベッド。モデルルームのような品の良さ。
(この部屋、まるで王子そのものだ……想像していたよりも、ずっと“らしい”……)
シンプルながらも上質な遊び心もある、いわゆるロマンチシズムに溢れていた。
(初のお呼ばれだっていうのに、こんな醜態を晒した形でとは)
酔った頭で考えることといえば、自分の現状の情けなさだった。
(王子、俺のこと呆れたかな)
なってしまったのは仕方がない。だが、酔いがさめたその後に、王子に合わせる顔がなかった。
(久しぶりに少しいい感じになれたような気がしたのに……いつも自分で台無しにする)
 笑顔が見たい、ただそれだけの。

「俺ってつくづく……馬鹿だよな……」

*

 トイレに行きたくて目が覚めた。けれども、肝心のその場所がわからない。
(どうしよう、呼んでくれとか言われたけど、さすがにもう寝ているだろうし……)
携帯の時計を確認しながら、しばし、その場で考える。
(勝手にあちこちうろつくのもよくないけど、さすがに朝まで我慢する自信もねぇし)
 結局どうしようもなくなって起き上がった。
(マンションの間取りなんてたかがしれてる。仕方がない、行くか)

「ザッキー?何?どうかした?」
 ドアを開けて驚いたのは王子がグラス片手で起きていたこと。薄明かりのリビングのソファから立ち上がって、慌ててこちらの方に駆け寄ってくる。その姿に、おたおたと
「あ、いや、ちょっと便所に……」
と言うと、
「ああ、それなら」
と、こっちだよ、と王子が案内してくれた。
「ここ」
ドアまで開けて、ご丁寧に。だから逃げ込むように中に入り、慌ててドアを閉め、鍵をかけた。
(ビックリした……まさか、まだ起きていたなんて。全然心の準備が出来てな……)
全力疾走した後のように、心臓が激しく高鳴っていた。

 用を足し、その場で籠城を決め込んでしばし。時間が経つにつれ、全身気まずさに包まれていく。

(王子が起きているとなると、出て行きにくいなぁ……何も言わずに部屋に戻るのも変だし、でも、声をかけるにしても何を言えばいいのか)

そんな時、
「ねぇ、大丈夫?」
とドアの外から声がしたので、心臓が口から飛び出すかと思ってしまった。
(……王子!?ずっとそこで待ってたのか?)
「だ、大丈夫です」
大混乱ながらも平静を装い、やぶれかぶれ、勢いのままにドアを開けた。
「よかった、具合が悪くて中で吐いているのかと」
王子の態度もややぎこちなく、つられてこちらも不自然になる。
「まさか。あんな程度で吐いたりはしないっスよ」
「本当?」
「いや、むしろなんでそんなことに嘘なんかつかなきゃ……」
 瞬間、少し曇った表情を浮かべて、王子は溜息をついて踵を返した。
「王子?」
「……」
 黙って立ち去っていくその背を追い、小走りに後ろをついていく。
「王子、あの」
すると、小さい声で王子が言った。
「そんなに」
「え?」
「そんなに、怖い?」
「……怖いって……何がですか?」
「……」
「王子」
 振り向きもせず王子が行く。今度はざわざわとした不快が身を包んだ。

*

「王子、何が」
 薄暗いリビングに再び戻り、王子は背を向けたままで俺に言う。
「もう少し休むといい。おやすみ、ザッキー」
「待ってください。無理ですよ、こんな気持ちのままでなんて」
 王子は無視するかのようにグラスを手に取り、再びソファに腰を下ろす。
「王子、何が言いたいんですか?」
「……なんでもない。ごめん、少し僕も酔っているみたいだ」
「誤魔化さないでくださいよ、さっき何を言いかけて」
「……」
「王子」
 自分もまた座面に回り込んで、その膝元にしゃがみ込む。王子が視線を合わせない。そのことがとても辛かった。
「怖いって、どういう」
「……まずはそのボタン、留めてくれる?」
「え?」
胸元のボタンが二、三、外れていて、だらしなさを指摘されたのかと思った。けれど、王子が、
「この角度だと、どうしても見えてしまう」
というので、
(……見えてしまうって、何が……)
と、戸惑う。けれど、ようやくその意味を理解し、隠すようにシャツを掴んだ。
「ありがとう。実は、さっきから目のやり場に困っていて」
そのまま硬直して動けなくなった。ボタンを留めろと言われたけれど、もうそんなことも出来なかった。
(……た、確かに、俺と王子はいわゆる恋人同士で、別に変なことを言われたわけでも、な、ない、んだけど……なんか、物凄く違和感が)
 王子のことが大好きだった。王子も俺のことを好きだと言った。一緒にいるだけで幸せに思えた。ままごとのような恋だった。
(だって、変だろ?王子が、俺にそういう……いや、違う、王子はそういう風な意味で俺に気持ちを打ち明けてき……じゃなきゃ、こ、恋人にだなんて……)
半ば、パニック状態だった。
(そもそも、あの日王子は俺にキスしようと……せっかちだったって謝って、でも、遅かれ早かれいつかは俺達……!?)
夢にまで見た王子の住む部屋の中。好きな人のプライベートが知りたいと、無邪気なだけだったひとつの願い。それが今、全然違う意味を醸し出す。
(いつかって……、それって、いつの……)

「やめておけばよかった」

(え?)

 動揺の最中、王子の一言が部屋に響く。

「君にそんな顔をさせるくらいなら、あんなこと、君に言わなければよかった」

 俺は今どんな顔をしているのか。王子は今どんな顔でそれを言うのか。ひやりとしたものが背筋をつたって、焦点を一生懸命王子に合わせた。

「あ、んなこと?」
 とても、悲しい目をしていた。
「一緒にいて、楽しい時間をって……それが……怖がらせるつもりなんて、そんなの全然」
(は?王子は何の話をしているんだ?)
「いや、言い訳だな。本当は最初からわかってはいたんだ。僕は僕を誤魔化し、君を誤魔化し、そう、君を……」
ようやく文脈が読めてきた。
「君を、そんな風に変えてしまった」
この先何を言われるのかさえ、ここまで来てしまえばわからないほうがおかしい。
「身勝手に無理を強要して、ごめんよ?全部僕が悪い」
「待ってください、王子、俺は」
「だからもう」
「待てって言ってんでしょう!?」
王子をどうにか黙らせたかった。それを言わせているのが俺だからだ。それでももうどうにも出来なかった。
「もう……僕達、なしにしよう」
現実があまりに受け入れられなくて、それから逃れるように目を伏せた。俺は王子に臆病で、想いをひた隠す狡さと弱さが、深く彼を傷つけたのだ。

*

「……で?今度はそうやって勝手に謝って、終わりを無理強いするわけですか」
 反吐が出るくらいの自己嫌悪の最中で、それでも俺の言葉の鋭利は王子を刺した。
「……」
「それも、二人とも酔ってまともじゃない時に?そういうの、かなり卑怯ですよ」
「ザッキー」
「ただの、構って病に見える。正直、少し幻滅です」
 心に燃える今への憤りを、八つ当たりをするかのように王子へとぶつける。
「自分の劣情をはねつけられたのが、そんなにプライドに触りましたか?」
睨めつけるかのように仰ぎ見れば、やはりそこには悲しそうな顔。
「拗ねて、そうやって俺を試して。ばかばかしいにもほどがある」
むしろ俺の弱さを謝るべきで、なのに裏腹な言葉が溢れる。
「さっき、目のやり場がどうとか、言ってましたね」
胸元を抑えていた手を緩めて、二、三、さらにボタンを外した。
「なしにする?俺達、まだ何も始まってすらいないのに?それも、俺が王子を怖がるから?」
立ち上がって王子を見降ろして、手に持つグラスを弾いた。見上げる王子はそのまま微動だにもせず、何も起きていないかのような顔をしていた。醜く歪んだ俺の姿を、まるで憐れんでいるかに見えた。
「人のせいにしやがって、ふざけろよ」
覆らないような現状に震え、まるで縋るように抱き着いた。
「王子なんて、ちっとも怖くねぇっス」
俺が怖いのは王子ではない。
「ザッキー、悪かったよ。もういいから無理しないで」
「無理なんてっ」
ぎゅっと力の限りしがみついて、それでも王子は宥めるように言う。
「……そんなに震えて。自分でもわからないわけじゃないだろう?」
「違う、俺は震えてなんか」
言葉で何を言おうとも、震えは大きくなるばかりだった。
「違う……これはただの、武者震いで……」
「……」
「王子、お願いだから……簡単に俺のこと、捨てないでください」
「そうじゃない、ザッキー、僕は」
「今すぐ俺のこと抱いてください、それで一緒にいられるのなら」
「ザッキー」
「お願いします、お願いだ、王子」
それから、少し身を離して王子を見つめて、もう一度祈るように、お願い、と言った。切なげな王子が首を横に振るのが怖くて、その頬を両手で挟んで、もう一度祈った。
(お願いだ王子。一緒にいさせて)
俺達の初めてのキスはそんな風に、俺から王子へのものだった。

*

 俺はとっくの昔に王子に夢中で、だからこそいろんなことが怖かった。これ以上王子の虜になること。王子との別れの日がいつか訪れること。触れ合うことに臆病だったのは確かに事実で、でもそれは王子が怖かったせいじゃなかった。

 見ているだけの幸せが、ともに過ごす幸せへと変化した。そして俺は認識したのだ。繋がりあいたい本能の欲、際限のない渇望の予感を。そんなもろもろが俺をビビらせ、王子をも深く傷つけた。

*

「ザッキー、君はやることが無茶苦茶だよ」
 呆れているような物言いだった。
「……こういうのは本当に生理的なもので、自意識で乗り越えられるものでもないんだよ」
王子は、俺の中の、いわゆる本能的な拒絶反応の説明をもう一度して、
「まあ、逆に僕の生理的欲求というのも、理性でなんとかしようにも限度があるんだけどね」
と、深い溜息をついた。
「まいった。君といるとこっちまで調子が狂ってしまう」
俺は、もう黙れと言わんばかりに、噛みつくようなキスをした。
「そうやって、寝た子を起こすような真似を……ああ、こんなつもりじゃなかったのに」
ようやく王子の腕が俺に絡みついて、その後はただただ無我夢中だった。

*

 王子の寝室のベッドは先ほどの部屋のものより、さらに大きなものだった。そんなことに気づいたのも、人心地ついた後の話だ。
(いてて……)
 あちこち思いがけない場所が痛みつつも、俺は随分と幸せだった。
――僕は、君に無理ばかりさせるね
 悲し気ながらも潤んだ瞳で、王子は念入りに俺を愛した。
――大好きなのに。僕って本当に最低だな
 それは、王子にとってのこの恋が、ままならぬことを示していた。
(セックスもろくにさせないような恋人だなんて、とか。そんな風には思わないんだな)
大切にされていることが骨身に沁みた。王子は、俺が少しでも良くなれるようにと、本当に丁寧に抱いてくれた。
――恋してしまって、ごめんね、ザッキー

*

 王子に抱かれた夢を一度だけ見たことがあった。あの夜の王子は情熱的ながらとてもクールで、なんとも掴みどころがない人だった。

「この朝霧のように僕の恋心も自然に消え失せてしまえばいいのに」

 そんな風なことを言っていた。

 如何にも演出めいた言い草だった。

 遊ばれているような感覚の中で、身を切る辛さが俺を覆った。

 自分こそが消え失せてしまいたいと思いながら目が覚めた。

*

 あの夜の夢と同じように、王子はこの思いを消したいと言った。王子を傷つけている俺に対して、逆に、傷つけたくないんだ、と悲し気に言った。
「傷ついてなんか」
 王子は優しく頬を寄せ、いつかのような頬へのキスをした。
「好きだよ、ザッキー。心から君を大切にしたいと思っているんだ」
「わかってます」
満たされていく。
「本当に?」
「えぇ、じゃなかったらこんな真似なんて」
「……親猫がね?」
「?」
「時々かわいさのあまりか我が子を噛み殺しちゃうんだって」
 本当のことかどうかはわからないけどね、と付け足しながら更に言うには。
「君がどれだけ怖くないと言っても、僕は僕のことがとても怖いよ」
今度は、反対側の頬にキスを受けた。
「あんなに満たされた気分になったのに、今、もうこんなにも君を抱きたい」
 ゾクリと鳥肌の立つようなその色香。
「大事にしたいと思っているのに、やっぱり無理をさせたいとも思ってしまう。自分をとても情けなく思うよ」
そんな王子に思わず俺は。
「……い、いいっスよ?」
ふと、真顔になってしまう可愛い人。
「いいっスよ、今からもう一回俺を抱いても」
「ザッキーったら、また。駄目だよそういう……んっ……」
再び、四の五の言うなと強引なキスをくれてやる。
「ったく、いちいち手間のかかる人っスね」

 俺はもう王子に臆病な俺ではなかった。彼が、一夜でそうさせてくれた。

 だから、次は俺の番だ。

「すっごく気持ち良かったからもう一回したい。そこまで言わせるつもりっスか?」
「……え?」
「根性悪。性悪。いいから早く」

*

 今度は自分に臆病な王子を自由にしたい。

 そんなこともあったよね、と。

 今を笑い話にして語り合いたい。

 変にすれ違うこの頃の不器用な恋を、ずっとこの先、何年後も、一緒になって笑い合いたい。

 それが、この夜に俺の中に生まれた、新しい俺の中の願いだった。

*

 『王子』が俺の中の願いである限り、願いは無限に増え続ける。予想は杞憂ではなかったわけだが、ただの杞憂とも違っていた。何故なら、相手は『王子』なので、願いは成就と同義だった。

――まいったな

とあの苦笑を浮かべて、王子は次々と願いを叶えていった。俺がまたひとつ幸せになると、王子も幸せそうに笑っていた。

「前に君といると調子が狂うと言ったけど、あれから認識が少し変わった」
「?」
「君といると新しい自分に出会う。君に驚かされるのと同時に、自分にも驚いてばかりいる」
王子は限りなく優しかった。
「なんだか、ばつが悪い時もある。けれど」
キスをねだられ、渋々顔で。今の俺達の日常だ。
「毎日がとても新鮮だ」
王子からは絡みつくようなキスの返礼。俺も王子にこうされることには未だに慣れず、毎回、毎回、興奮する。

*

 その後も、何度かあのホテルのレストランへ行った。そして、
「初夜の記念日だし」
なんて馬鹿げた理由で、訪れたそんなある日のことだった。

「え?本当に?」
ソムリエがあの日と同じに、笑って頷く。
「王子」
それは、あの時にはなかった高揚だった。何故なら、あれから何年も経っていた。それに元々希少価値の高い商品でもあり、もう二度とこんな機会はないはずだった。
「うん、そうだね。今日は車でもないし」
例のワインをフルボトルで。
「テイスティングは、なしで!」
俺がはしゃいでそう告げれば、王子も、
「うん、なしで」
だなんて、嬉しそうに言っていた。

 当然、この日もまたメインまでもたず、追加で別のワインを注文した。

「大丈夫かい?またあの時みたいに酔わないでよ?」
王子がニヤニヤ俺をからかうので、
「大丈夫ッスよ!王子こそ酔ってまた子供みたいに拗ねないでくださいね」
だなんて生意気な減らず口。瞬間、王子のグラスの赤が、ピクリと揺れてキラキラ光った。そんな僅かな動揺が、なんだか愉快で大いに笑えた。

「まいったな」

 くしゃりと苦笑し、ワインを掲げて、そんな王子の仕草ひとつひとつが、涙が出そうなほど綺麗だと思った。