理由
2回目の五輪召集の数日前。ジーノがザッキーをうんと甘やかす、ほのぼの、いちゃいちゃ、相思相愛、御馳走様的べったり甘い話。
一緒に食べる二人の食事。いつものように軽くお供にグラスワイン。
ジーノの家で酔う赤崎はいつも明るくまるで子どもに戻ったかのようによくしゃべる。けれど今日は少し沈鬱な表情で口数少なくボーッとしているばかりだった。
「大丈夫?眠そうだね」
「あ…スイマセン、俺…」
顔を上げて謝罪する赤崎にジーノはふるふると首を横に振って笑った。こうなる前から赤崎がいつになく弱っている状態なのをうっすらと悟っていたせいだ。
食事が終わってからまだ時間は早いけれど寝室で休むようにジーノが言うと、赤崎は素直に椅子から立ち上がった。よろめく赤崎にジーノは慌てて肩を貸す。本人が思っていた以上に足にきていたようだった。
「さあ、ゆっくりお休み。ボクはちょっと机片付けてくるから」
「王子…」
ベッドに寝かしつけて部屋を立ち去ろうとした時、赤崎がジーノのシャツの裾をつまんで引き留める。
「ん?」
いつにない赤崎の心細さを受け取って、ジーノはゆっくりとベッドに腰掛け、半身を赤崎に傾けて髪を撫でた。その手がとても優しいので赤崎は眩しそうにジーノを見上げ、さっきと同じように謝った。
「スイマセン…俺…」
「いいよ。少しここにいた方がいいかい?」
じっと見つめる赤崎の目が一緒を乞うていたので、ジーノはまた何も言わずゆったりと笑ってその場に座りなおした。髪を梳く指先の感触を感じていても、ジーノの言うように赤崎は眠ることが出来なかった。時間が早すぎるのだ。
「眠れない?でもいいよ、落ち着くまでこうしててあげる」
「…スイマセン」
「気にしないで?キミの髪の感触好きなんだ」
「いや…そうじゃなくて…」
赤崎が髪を梳くその手を掴んで何か言いたげにしているので、察しのいい男は再び優しく笑った。すっと立ち上がるとゆっくりとベッドの中にもぐりこみ、ジーノは心細げな子犬になってしまった男に寄り添った。
「今日のキミは甘えっ子ちゃんだねぇ」
仰向けになって横たわる赤崎の横に肩肘ついて、優しい母のように添い寝する。服越しに伝わるジーノの体温に少しずつ落ち着き始めた赤崎は、自分と同じように口数が少なくなったジーノに向かってこう問うた。
「変とか思いませんか?」
「なにが?なんか変?」
「こんな…、なんも聞かないんですか?」
小さい小さい、消え入るような声。それでも今の赤崎にとって精一杯の言葉だった。
ジーノは知っていた。今日、赤崎は後藤からパスポートの期限を確認されたのだ。この問い合わせは協会からの指示であり、近々代表に招集される可能性があるということを示唆している。大勢の選手に対しての確認事項なので招集確定の情報ではないものの、このことが赤崎を不安定にさせたのは明らかだった。
「聞いた方がいいかい?」
「……」
怖がるようにピクリと体を震わすので、ジーノは片腕を腕枕のように赤崎の頭の下に添えて反対の手でふんわりと抱き留めた。
「大丈夫だよ。自分が弱くなる言葉を口にするのがとても苦手なのは知ってるから。いいからゆっくりお休み」
大人しく腕の中にすっぽりと収まる赤崎に向かってジーノが声を掛ける。
「そう、いい子だね」
まるで子どもをあやすかのように腰にまわしたジーノの腕の人差し指がトン・トン・トンとゆっくりとしたリズムで赤崎に触れる。
「なんで…?聞きたいッショ?聞けばいい。そんであんたに言えないようなつまんないことで凹んでる俺の事、情けない奴だって言えばいい…」
トン・トンと背中に感じる響き。そんなことに赤崎はたまらなくなってぎゅっとジーノに抱きついてしまう。
「なに?フフ…ちっとも情けなくないよ」
「情けねぇよ…」
「そんなこと、ないよ」
最初の招集の時意気揚々と出掛けた赤崎には、実はその遣り甲斐と同じくらいのストレスがかかっていた。招集が当たり前だった緑川も行っていたのは移籍前の話。残念ながらETUは他チームに比べて選手スタッフともに代表招集に関する知識と経験が圧倒的に少なかった。細かいノウハウや情報があまりにもない状態で、何から何までぶっつけ本番。あらゆることが初見の赤崎は予選そのもの以外の部分で他の選手とは比べ物にならない程の多大なプレッシャーを受けて帰ってきたのだ。
すでにこれまでのアンダー世代で人間関係ががっちりと構築された中に一人で飛び込んでいく形となった赤崎は、その不器用さと適正ポジションで出場させてもらえなかった出来事も相俟って、お世辞にも胸を張ってうまく合流できたとは言えない結果となった。次は絶対にもっと成長してチームの中心の奴等に食らいついてやるとは思っていたが、想像以上の力とキャリアの差を感じてしまったことで人知れず自尊心が傷つけられたことも確かだった。こんなことで躓いていては、言葉の通じない文化の違う海外移籍など夢のまた夢。周りの人間は誰一人問題にしていない、あの集まりの中、赤崎だけに突きつけられた現実だった。
それでも予選が終わってチームに戻ってくれば、全部さらりとやりこなしてきたという姿勢を崩さなかった。勿論、誰にも、ジーノにも言えなかった。だってこんなの俺らしくない。そう感じて情けなかった。本当は自分のちっぽけさを痛いほど自分自身で理解していること。いつも自分を大風呂敷過ぎる夢を見る馬鹿な人間に感じてること。生え抜き生え抜きとETUではもてはやされても、一歩外を出てみれば同世代のみんなと歩いている位置が違う。自分って駄目なのかな。次は招集されないかも。今隣で自分を甘やかしている男の温かみと深さを感じる程に、努力では埋まらない現実があるんじゃないかと下を向きたくなってしまって。
あの時のそんな気持ちが今ぶり返している。やってやると息巻く思い。どうしようと不安になる心。
「内容、知らねぇからそんなこと言うんだよあんたは。ほんとなんてことない、くだんないことで俺…こんな…」
威勢がいいのは表面だけ。臆病で、卑屈で、女々しくて。思うに任せない自分の感情に赤崎の語尾は震えていた。ジーノは黙ったままで、そっと赤崎の額にキスを落として労わる様にフワフワと抱き留めているばかりだった。
* * *
長い時間。二人で互いの体を温めながら過ごす夜。
「なかなか落ち着かないみたいだね」
「……」
時々もぞもぞと遠慮がちに腕の中で体をすり寄らせている赤崎に話しかけてみるも、特にこれといった返事が戻ってくることはなかった。
「キミのそういうところ嫌いじゃないんだけど、本人はつらいね」
赤崎がピクリと反応した。
「ん?」
「そういうって…」
気になる言い回し。それがジーノの作戦だとはわかっていても、こんな時赤崎はつい反射で反応してしまう。ジーノの話術はとても巧みで、その気のない人間の耳をも自然に自分に向けさせることが出来る力を持っている。そして、問うた結果戻ってきたのはこんな返事だった。
「どう頑張っても傲慢になれないところ。どうしようもなく弱いところ」
今、一番触れて欲しくない自分の弱さを指摘されたことに驚いて赤崎が顔を上げる。その顔を見て笑って、ジーノは目元にキスをした。
「どうしようもなく臆病な、そういう形のキミの強さのことを言ってるんだよ?」
「言ってること出鱈目じゃねぇか」
「なに?失礼だなぁ、出鱈目なんかじゃ…」
「臆病で強い?持って回った言い回ししないで、別にそのことで俺が傷つこうが言いたいことあればはっきり言えばいい…意味わかんねぇよ…」
「なんで?わかるだろう?」
今度はジーノの一言にカッとなって上気してしまったその頬に。ジーノは本当に触れるだけのキスを繰り返す。その仕草に心がモタモタと混乱して、なんだか自分が弱いと言われて怒っているのか、キスを受けて喜んでいるのかもよくわからなくなってしまった。
「…王子…俺は…」
「ん?」
唇をキュッと噛みしめて。込み上げてくる思い。それを口にするのはジーノの言うようにとても苦しいことだった。でも絞り上げるように吐き出す思いは、ジーノの温かい腕の中にあってどうしても抑えることが出来なかった。
「…あんたは俺の事、勘違い人間だって、弱くて馬鹿な奴だって笑えばいいんだよ」
「ザッキー…」
「さっき言ったじゃないか。弱いって。そうだよ、俺怖いんだ。ハッ、そんなことわかんないあんたじゃないよな。…こういうのあんたはきっと嫌いなは…ず…」
一切の変化を感じさせない優しい指先が髪を梳き続けている。赤崎はジーノの表情とその手の感触の温かさがたまらなかった。
「なんでそんなに俺に優しく…出来んの?わけわかんねぇ…よ…」
精一杯の勇気だった。声だけでなく体まで震えた。たったこれだけのことを認めて口に出すことが、どうしようもなく怖かった。行かないでと引き留めてまで甘えておきながら。何故かその腕の温かさに居心地の悪さを感じてどうしても吐き出さざるを得ない思いだった。ジーノの優しさに騙されたままの状態でいたいのに、ゆったりと心を休ませられない自分。目を瞑り耳を塞いで黙って抱かれて眠りたかったのに口をついて出てる言葉。何が何だか支離滅裂なことをしている自分が情けなくて赤崎は涙が出そうだった。こんな惨めな現実を突きつけあうことを始めてしまえば、いくら懐深いジーノであっても自分にあきれてこの優しさをもう与えてはくれなくなるに違いない。なのに言ってしまう。怖いのに、言いたくないのに、言わなくていいと言ってくれてるのに。言ってしまう。卑屈な言葉。自分の本当の姿。
「ん~、どっちかなぁ。キミは今、ボクに罵倒して欲しいの?それともして欲しくないの?」
「……」
「どっちも違うんだね」
支離滅裂な自分の言葉に対するジーノの返事は赤崎にはとても意地悪なものに感じられた。たった今、馬鹿な奴だと笑えとジーノに言い放ったのは自分。嫌いだなんて言われたら、そんなことされたらもう自分はどうなってしまうのか。そんなこと嫌に決まってる。それをわかっていながらわざわざ確認するジーノは、赤崎にとってやっぱり意地悪に思えた。
「欲しいのは…こうしている理由…だね?」
「……」
優しい温かみ。なのにジーノが今発するは自分を追い詰める言葉でしかなかった。恥ずかしい。傍に居るだけでは飽き足らず、一緒に眠るでも飽き足らず。あれも欲しい、これも欲しいと、あまりにも馬鹿げた子どもようなおねだりの数々。ジーノは全部わかっている。いたたまれなかった。こんなにも自分がジーノのことを必要としていることを知られてしまうのが。まるで自分の弱点を晒すかのようにたまらなかった。でもこの状況を引き出したのは自分で、まさに自業自得でもあったのだった。
* * *
「少しでも自分を大きく見せたくて背伸びが大好きで。強気で、傲慢なほどの自信家に見られるように沢山の衣をまとってて。本来ボクはそういう人間ひっくり返したくなっちゃうんだよね。だって足元がフラフラと掬ってくださいって誘ってるように見えちゃうんだもの。フフ、ボク意地悪だ。ねぇ?ザッキー?」
その微笑にぞわりと鳥肌が立ってしまった。優しげな男は実はとても獰猛で、弱みを見せればすかさず猫が鼠をからかうように扱われるのは自明の理だった。赤崎は自分の弱点を晒すかのようなしくじりを悔いていたが、ジーノはお構いなしに話を続けた。
「なんでボクがそうなっちゃうんだと思う?理由は簡単。そういう人間はいつしか背伸びをしている自分も、衣を着こんでいる自分も忘れてしまうからだよ。それがボクの思う、本物の傲慢。人間の弱さだ。現実逃避して自分が空っぽなことを忘れてしまうんだ。フフフ、考えるだけでもやっぱりひっくり返したくなっちゃうな」
ざわざわと不安を感じたその顔に向かって、今度は鼻先にチュッといたずらなキスを一つ。
「ねぇ、ザッキー。か弱く傲慢な彼らをスルーすることが出来ずにちょっかいを出したくなるボクもまた…人間としての弱さを抱えてると言えるのかもしれないね」
ジーノの弱さ?そんな話をしだすことは赤崎にとって想定外で、なんだか低いトーンのジーノの言葉の持つ意味が段々あやふやになってきてしまっていた。
「キミはね、自分を勘違いしない」
ジーノはそんな赤崎のほんの少し潤み始めた反対の目頭に、まるで懺悔をするかのような少しだけ長いキスをする。
「弱くて臆病だから勘違いすることができない。キミの目は上を見ながらも常にふらつく自分の足を見つめてしまうんだよ。だからボクはキミをひっくり返したくなるんじゃなくて、支えたくなる。キミはそうして、足元を見ない人間を眺めて転がすことを考えるよりも、ボクにボク自分自身の足元を見ることが大事なんだってことを思い出させてくれる」
酔った頭にはジーノの話の流れが速すぎて。でも、少しずつその言葉がいたぶりではなく包み込むような優しさからくるものだということを感じ始めていた。ジーノはそんな赤崎の反対の頬にもキス一つ。そして見つめ合う視線。
「キミは弱くて臆病で。でも背伸びをして上を向いて、そして高みに登ることをやめようともしない。高いところに登れば登るほど、足元を見るのが怖くなるのにね?」
「お…王子…」
「キミは、弱くて臆病だから決して足元から目を逸らさない。逸らせない。怖いけれどその怖さから逃げ出さないんだ。保身の為に自分の都合の悪いことを見なかったことに出来ないんだよ。わかるかい?それがキミの強さ。かけがえのない、何物にも替え難いキミの才能だ」
そうして、ゆっくりと。特別なデザートを口にするかのようなうっとりとした表情でジーノの唇が赤崎の同じ場所へ。
「…ッ」
羽のようなソフトな触れ合いが次第に深くなっていく。優しい労わるような行為が徐々に色を帯びていく。
「空高く手を伸ばすキミがおぼつかない足元に苦しむ姿はボクの胸を痛めるけれど」
「…ん…」
「その姿があまりにも綺麗だから、痛む胸のその奥にあるボクの心がいつもこうして奪われてしまう。その強さを、ボクにわけて欲しいと願ってしまうんだ」
「ぁッ…」
長い長い情欲を誘うキスの後、ジーノは体をもたげてさりげなく赤崎を組み敷き。
「さて、キミの欲しいのは理由だったね?」
「……」
「いいよ?聞かせてあげる。もっとシンプルに、単純に、わかりやすく。それはすべて、わかっていてもそれを欲しがるキミの為に」
「お…王子…俺…」
今赤崎の体を震わすのが怯えによるものなのか、呼び覚まされた欲情と期待によるものなのか。自分で自分がわからないままに戸惑う子犬に向けて、ジーノはうっとりと半眼のままの表情でつぶやく。
「 」
次のキス降る先は耳元。囁く声が赤崎の芯を貫いていく。
「ッ!はぁ…」
「ん?聞こえた?もう一回、こっちにも」
顔を上げ、今度は反対側の耳元に。
「 」
「んぁ…」
「ザッキー?」
「王…子…!」
「…えぇ?…やだな、泣かないで?」
「う…」
「どうしよう、困ったなぁ…。キミの事 って言っただけなのに。こういうの、嫌だった?」
困ってもいなければ、嫌がってるなど思いもしない。ジーノのその艶やかな表情が饒舌すぎる程にそのことを物語っていたが、赤崎はあふれる涙のまま必死になって首を左右に降っていた。
「王子…、もっ…」
欲しかったのはこれ。恐怖に竦んだ体がまるで花が咲くように開いていく。晒された赤崎の弱点に、ジーノが今星降るほどのキスを落とし始める。
「うん、じゃあもっとだ」
「…ん…」
「 だよ」
「…あッ」
言葉の愛撫が赤崎の内部を弄り、同時にその源である唇が耳への甘噛みを続ける。
「 」
「王子…もう…」
「 」
「もう、…あ!」
あらゆる言葉で表現される、いわゆる赤崎の知りたいと言ったジーノの優しさの理由。内外双方からのその吐息のように熱く甘い刺激を受ける度に、震える体が小さく撥ねた。
「もっとあげる」
「…ッ!」
囁く声とともに、唾液をはらむクチュリとした淫靡の響きが。
「もっと?」
体を突き上げる熱さが。
「気持ちいい?しびれるくらい、ボクを感じて?」
もうその言葉の度に眩暈がして。
「もっと、いい子だよ、そう」
もはやジーノが欲して激しく揺さぶっているのか、自分が渇望のあまりせがんでいるのかわからないまま、まるで溺れるがごとく満たされて。
「ねぇ、全然言い足りない、もっと言わせて」
なにもない、真っ白な世界に浮かぶジーノの姿と、響く声と。
「ザッキー?聞いてる?」
もう、これ以上それを聞いては壊れてしまいそうなほど何もかもがはち切れんばかりに一杯で。でも、それがもっともっと欲しくて。
「ねぇ聞いて?知って欲しいんだ。もっと、もっと」
もう意識が。かつてない官能にまかれてなんの音も聞こえない程なのに、赤崎もまた、もっと、もっと…と。
* * *
長い夜。二人で互いの体を熱く昂らせて過ごす時間。
まさにそれが終わった後もしびれが未だ残るほどに赤崎はジーノのすべてを全身で感じていた。穏やかそうに見えながらもあまりに激しいジーノの情熱にうかされたまま、まるで漂うようにベッドに横たわっていた。赤崎の臆病を強さとジーノは言い、赤崎の持つ秘されたその脆さごと全部を愛おしんでくれた夜だった。行為のなにもかもにジーノの思いのたけが詰まっていたのは、それが不安定な赤崎を支える力を持っていることを知っていた為であり、だからこそジーノはそれを表現するために今ありとあらゆる努力をしてみせたのだ。
「ね、ザッキー?理由、わかってくれた?」
「……」
「また泣く」
そして涙を拭き取るジーノのキスで、少しずつ二人の長い夜が終わっていく。見た目ほどにはフランクに愛を語ることをしないジーノの、そのシャイを乗り越えて伝えようとした赤崎への溢れる思い。これもまた赤崎と同様、ジーノの秘すべき致命的な弱点だった。そんなものを全力で晒されその身に受けてしまえば、赤崎の心もまたはちきれんばかりに膨らんでしまうのも当然の話だった。
「…王子…」
「なに?」
「……」
「フフ、なに?」
「俺…」
「もしかしてボクにもくれるの?」
「あの…あ…」
口ごもる姿に、ジーノは優しい笑顔を浮かべて。
「あ…」
愛おしそうに赤崎の短い髪を梳き、暗がりの中でも一目でわかる愛犬の愛おしいまでの染まる頬。
「あ…」
溢れる思いが苦しそう。ジーノはそのきりりとした口元から今にも生まれ出てくるその瞬間を期待しながらうっとりと眺めてはいたのだが。
「…あ…ありがとうございました」
「!」
漏れ出た言葉は拍子抜けするようなこんなものだった。
「てッ!」
「なにそれ!違うくない?」
ギュウッと顔をしかめたと同時に炸裂する小さなでこピン。赤崎は思わず額を摩り、ジーノは、全くキミは!と窘める。それでもあっという間に機嫌が直って、さて、とジーノは赤崎の手を引いてひょいとベッドの上に起き上がらせた。
「ま、そういうのもキミらしいかな?」
そうしてペチリとお尻を叩いて、さっさとお風呂に行っといで!と続けた。
甘くて長い二人の夜、その熱すぎる思いと燃える様な体の感覚が未だ残ってはいたけれど。名残惜しささえありながらも、招集発表の日はまだまだ先なのが現実で。ジーノはこんな夜一つで赤崎の負担がすべて解消されるわけでもないのを知っていて。可愛い飼い犬のこの先の人生にずっと付きまとっていく弱くて強靭な美しい苦しみに目を向けながら、今日のところはこれで勘弁してあげる、そんな気持ちでジーノは精一杯の思いで明るく苦笑して見せる。思いを素直に口に出せない意地っ張りな飼い犬に、別にいいんだよ、わかってるから、と言うように笑いかける。
「ほら、さっさと行って?明日は午前練だし早く寝ないとね」
おずおずとシャワールームに向かう赤崎の背中を見送るジーノに、赤崎の甘さの欠片もないやけくそのような返杯の言葉が戻ってくるのはほんの数秒先の話だった。
