お花結び

GIANTKILLING二次創作小説同人サイト

*

しつこくって面倒くさい2

【13996文字】
前作の赤崎目線によるジノザキのお話。コメディから少し好き好きチュッチュ的な感じの、続編というよりも単に趣味で思い付きをツラツラ並べたオマケのようなもの。というかまるっきり蛇足に近いものかもしれない。そして最後はぶん投げたくさい……
怪我~入院のシーン追記有。苦手な方は前作以上にパス推奨
文学妄想お題ったーの三好達治「菊」が元ネタSS

 毎日のように会っていたのに、名前すらうろ覚えの王子に思う。
(いくらなんでもそれはないだろう?)
でも、その反面、彼はとても胡散臭くて、その態度に「何か裏があるのか」と訝ってしまった。
(本気でわからなかったなんてことは……ん?もしかして俺ハブられてんのか?)
 馬鹿な不安とは当然自分でもわかっているのに、その後何日も俺は王子を見る度。
(マジで?なぁ、冗談だろ?)

*

 小さい頃からここはまるで俺の家のような場所で、言いたい放題やりたい放題も、自分にはそれをやれる権利や実力があると思っていたからだ。
 うちの栄光も失墜も知るコシさんの苦悩がわかるからこそ、途中からやってきた腰ぎんちゃくのハゲが偉そうな顔をするのにも殊更腹が立つのだし、いつでも正々堂々、なんでも胸を張ってやってきたつもりだ。よくしていこうと思うのは俺だって同じだし、そして正論は俺の方だと丸きり信じてやってきたのだ。
(皆がやれないような事でも、それを言えるだけの存在感を十分持っている俺だからこそって……でも王子、なんでだ?誰と衝突しようと、あんただけは俺のやってる事の意味、全部わかっていてくれているとばかり……)
 俺とはやり方がまるで違うけれど、王子は俺にとってチームを立て直す戦友であったはずなのだ。だからこそこうしてあまりに些末な扱いを受けて、俺は自分でも驚くくらいに滅茶苦茶凹んでしまっていたのだった。勝手な思い違いではあったのだろう。それでも、俺にとって王子とは、そういう存在だったから。

 腹が立ったのは、その温度差だ。椿と比較して、まるで俺は王子の奴隷。ていのいい小間使いになんかとは思ってみるものの、能力的にもやっとやっとで、フォローするどころか反対に俺がフォローされる始末だった。なかなか良かったとおだてられても、当然俺は大いに傷付いてしまったのだった。「キミなんてその程度の存在なんだよ」と、酷くコケにされた気がした。

*

 基本的に俺は色々考えてしまうタイプで、でも大概ろくでもないグルグルになる傾向があって、この悪癖について俺は何度も溜息をついた。いつの間にか薄暗い気持ちになる度に「下手な考え休むに似たり」と、被害者意識ヨロシク王子に笑われているような気までした。
「何?」
「え?あ、いや、なんでもないッス」
 気付けば王子を目で追っていた。当然、あの日までずっと彼が俺を無視し続けていた事へのヒントなんて何もなかった。

 王子のプレイに王子の会話。俺はよくよく観察をした。なんとなく持っていた信頼感は、見れば見る程確信に繋がる。呑気に何も考えてないようでいて、やっぱり王子は天才的だ。抜群のセンスは身体能力とあの稀有な頭脳が支えているのだ。まるで一人だけ数秒先を生きているかのように、時に軽やかに王子は跳ねる。
(今日なんて相手がファウル覚悟のチャージを思いつくその前から、王子は既に躱す体勢に入っていた。何事もないような顔して、あんなの俺だったら致命的な接触プレイに……)
 ストッキングを下げた場所には、ほんのり染まる赤い擦り傷。それを見て王子が舌打ちするので、彼にとってはたかだかそれでさえ「大いなる失態」なのだという事が理解出来た。
(そんなムカつく事かよ。やっぱ次元が違う……)
 当たり前のようにズタボロな自分の足と見比べてみては、また俺は溜息をつくのだった。
「何?」
 突然くるりと俺を見るので、しどろもどろに言い訳をする。
「いや、だからなんでも」
「なんでもない割には人の事、随分ジロジロみてるよね、いつも」
 図星を突かれてぐうの音も出ない。
(いいじゃねぇか、ちょっと見るくらい。減るもんでもなし)
 ともあれなんとか言い逃れを考えようとした俺だったのだが、王子は気にも留めずにこう言った。
「キミ、サッカーに向いてないんじゃない?」
「はあ!?」
 頓狂な声を出してしまった俺に対して、王子はハッとして口先だけの謝罪をした。でもその様子が更に更に、俺を落ち込ませる事となる。なんとか適当な事を言って誤魔化す姿に、さっきの言葉に本音を感じ、やはり王子にとって俺は「選手失格」なのだと、日頃の疑惑が、単なる被害妄想ではいられなくなってしまったのだ。

*

 別に今日のように「向いてない」とか「下手クソ」だとかは、過去何度となく、そして誰からだって言われた事だ。言われるのはとても嫌で、二度とこんな目には合いたくないと、その一心で練習に打ち込んだ日々だってある。他人のネガティブは発奮材料にしか過ぎなかった。
(なんでこんな落ち込んでんだ?王子だってたかが他人じゃねぇか。気にする事なんか……)
 寝なくてはいけないとわかっていながら、頭のグルグルが止まらなかった。俺は王子の目を信じていて、それだけ裁きが怖かったのだ。
(あーだのこーだの考えてもしょうがねぇだろ?もういい加減寝ろ、俺)

*

 一睡も出来なかった翌日の練習、体が重たくていう事をきかない。
(流石にマズい……眠くて死にそうなのに、今日も帰って眠れる気がしねぇ)
 思い余って王子に突撃する事にした。直接訊いて、返事がもらえようともらえなかろうと、もうこれっきり踏ん切りをつける。そんな意気込みだけの後先考えぬ行動だった。でも、まさかそれが結果的にああなるなんて、やっぱり思いもしなかったのだった。

*

 いざ王子に真っ直ぐ訊いたところで、答えを引き出せるとも思わなかった。俺に出来るのは諦めない事。でも俺は王子相手だと。
(王子って、つくづく美形だよなぁ)
「眩しくない?シェード降ろそうか」
 窓辺の席に二人で座って、そんなさりげない仕草すら絵になってしまう。諦めない俺に対する返事も優雅で、まるで子守をされている気分になった。
(王子、ホントはうんざりしてンだろ?俺だってわかってるんだ。こんなの俺の甘えだって)
 きっと俺の欲しい言葉なんて、俺の力では引っ張り出せない。でもいつしか俺は、今の時間が消えていく哀しさだけに包まれていた。
(王子、気持ち悪い程、綺麗だ)

*

 気付けばジッと花を見る王子。俺は昔からとても無骨で、その手のモノに興味どころか気付けたためしすら殆どない。でも今こうして王子が見るから、その存在を認知したのだ。
(見えてる世界がきっと全然違うんだろうな)
 何の花かもわからないそれを、ぼんやり王子が眺めている。まるでその構図はポートレイトで、なんだかのけ者にされている気分。
「ちょ、何呑気に外なんか見てるんですか」
「外じゃなくて花だけど」
「花なんてどうでもいい!ちゃんと話に集中してくださいよ」
「はいはい」
 花にヤキモチ妬くではないが、返事した王子に安堵する。簡単に俺なんて見えない世界に行ってしまう人。
(ちゃんと俺に集中してください……そんな事頼むなんてどうかしてるな)
 王子に見える俺でありたい。でも今の俺には自信がなかった。

 不安になる時の悪い癖で、ドンドン口調も荒くなる。王子は少し困り顔で、俺を宥めてこう言った。
「だから違うってば、マナーの問題だろう?流石にコーヒー一杯じゃこれ以上の長居も限界って事」
 窘められてしょげてしまった。不躾な奴だと呆れられた。
(どうしよう、こんなんじゃ逆効果だ……)
 ネガティブはネガティブの友達なので、俺は益々哀しくなった。寝不足の頭はいつにも増してポンコツでいて、自分の居場所が消えていく気がした。
(やめろよ、俺らしくない。人の顔色で一喜一憂、そういうんじゃないだろう?王子なんてたかがチームメイトの一人じゃねぇか)
 けれど、今日の見捨てられ不安の渦は殊更キツくて、俺は完全に溺れ始めた。すると王子が、
「店替えよう。何が食べたい?奢ってあげるよ」
なんて突然言い出す。
(嘘、マジでか、王子)
 俺はもうノーチャンスとばかり思っていたので、降って湧いた突然の幸運になんだか途端に元気が出たのだった。王子は話に付き合ってくれると、ハッキリ口にしてくれた。
(信じられない大逆転劇だ。王子が俺に教えてくれる?)
 王子は馬鹿な人ではないので、意味がある事しかやらないはずだ。
(つまり、王子はまだ俺の事、なんとかなるって思ってるって話だよな?)

*

 一気に元気になったのもつかの間、吃驚するような高級な店に連れてこられて俺はすっかり借りてきた猫。
「で、なんの話だっけ?」
「……サッカーに向いていないって王子が」
「ああ、そうだったね」
 食前酒を口に含む王子の姿は、本当にまるで別世界の、現実感のないものだった。でもこの店にしっくりとして、場違いなのは寧ろ俺。それにしても寝不足の体に発泡が沁みる。たかがこれしきと舐めていた。ろくに食事をとってなくて、背伸びしたコーヒーに胃壁は痛んで、俺は少し辛口のスプマンテに内臓と皮膚が熱くなるのを感じていた。
「お箸もらえますか?」
(スッゲェ、平気でそういう事出来るんだ。こんな店で当たり前のように)
 王子がお店の人に言って、それが両方に置かれた事で、なんとなく王子の俺への気遣いと察する。
「別にこんなものワザワザいらねぇのに」
と虚勢を張れば、
「そう、じゃ、無理には」
と言って王子はシレッと箸で食べた。
「ボクはこっちの方が食べやすい」
(くそったれバレてるぞ?ついこの前ロッカールームの雑談で箸苦手だって言ってたじゃねぇか)
 王子にはとても裏表があり、でもそれはいつも気遣いの嘘だとわかり始めた時期だった。

*

 緊張でガチガチだったはずが、目の前の王子があまりに優雅で、少しずつ気が緩み始める。ここはまるで王子の家で、にこやかな表情はいっそようこそという歓迎の意。
「大丈夫だよザッキー」
 当たり前のように王子の言葉は俺を包み込んでしまって、
「大丈夫。今はまだまだ未完成でも、きっと将来いい選手になる」
と微笑まれては、彼に従えは何もかもうまくいくような、そんな暗示にさえ掛けられてしまう。
「でも」「そうですかね」と誰にも見せてこなかったネガティブが噴き出し、それでも俺の否定を拭い取っては「ボクを信じて?」なんて穏やかに笑う。
(違う。俺はあんたを信じ過ぎてて、だからこそ……あんたの優しい嘘が怖くて)

*

 俺に出来るのは単に諦めないという事だけで、それでも尚、そのたった一つの拠り所が揺れれば、
「出来るでしょう?キミなら」
と王子は笑う。彼の要求はあまりに厳しく、何度も何度も「もう無理」と思う。
(休ませて王子、俺はあんたじゃないんだ。そんな何もかも全部求められても)
もう焼き切れてしまいそうな限界の中で、それでもつま先の端ですら届いた時には、
「ほら出来た。じゃ、次ね」
なんてやっぱり当たり前のように笑いかける。王子は俺が出来ると信じていて、出来ないのは手抜きのせいだと、今日も大いに俺を走らす。一緒に組めばいつでも俺は小間使いだった。

 別々のチームに振り分けられられれば、王子は俺を穴と見定め、面白おかしく攻撃をした。
「ポジショニングが悪いね。ふざけてんの?そんな場所から走り出してボクを止められるとでも?」
引いて守れば来いと言われる。けれど、迂闊に近づけば、
「ほら、そんなにボクばかり見ていたら、キミの後ろにボク専用の広大な遊び場が」
俺が埋めるべきスペースの隙を、とことん狙って、息つく間もなく振り回す。
 きつくて、倒れそうで、何度も何度も心の中では「クソったれ」と叫び、でも彼の満足そうな微笑みが本当に時々ではあるが浮かぶ瞬間も確かにあって、その度、出ないはずのなけなしの一歩がまた動き出す。
「やるじゃない」
 それはただひたすら苦しい日々で、繰り返される毎に、如何に自分が足りないか知った。
(俺こんなに出来なかったんだ……でもこれくらいじゃ王子は満足しない)
 王子の求める俺のゴールは、まだまだ遥か彼方だった。そこを指差し王子が手を引く。

――さあ、ザッキー、一緒に

 この苦痛はまさに、何にも代え難い快感だった。

 とはいうものの、その日の練習でも俺はズタズタにされて、自分の不甲斐なさにへたり込んでいた。ピッチの上、目をタオルで隠して大の字で寝る。不貞腐れる俺に声掛ける王子。
「こんなとこで何してるの?」
 返事をするのも億劫でいて、俺は寝たふりで誤魔化していた。一番顔向けできない相手に、今の俺は何も言えない。
「寝てるの?風邪引くよ?」
 ふわりと香る王子の匂い。もうきっとすっかり帰り支度。
(ゴメン王子、今日はほっといてください……こんなとこでモタモタしてねぇで、とっとと自分の家にでもデートにでも)
 そんな風に思っているのに、ふと王子が隣にしゃがみ込む気配までする。
(マジかよ、勘弁してくれ)
「ザッキー」 
(はー、何ッスか。王子……)
「ほっぺに芝ついてる」
(どうだっていい!つかほっぺってなんだよ……あんたいくつだ)
 王子の会話は時にママゴト。そのアンバランスこそ彼の魅力だ。言われたところで払うわけにもいかない俺は、黙って寝たふりをそのまま続けた。
(あ……)
 暫くすると頬をつまむような感触がして、その事で王子が取ってくれたのだとなんとなくわかった。ついた芝なんて本当にどうでもいい話だ。でも俺は王子の、如何にも彼らしいこの行動に、いつもの笑顔のような優しさを感じた。でもちょっと疑問が残る。王子は立ち去る時に
「うぇ……にが……」
と言ったのだ。一体何が苦かったのだろう?そんな時、そよ風が頬に冷たさを呼ぶ。だから俺は少し頬が濡れたのだとわかり、
(ん?雨?)
とタオルをどけたが、見上げた空は、快晴だった。不思議に思って手で触れてみても、
(勘違い?ああ、あれか、王子、指先濡れてたのかな?)
俺はたった今、彼に何をされてしまったか、全然気付く事もなかったのだった。

*

 頑張ったご褒美にと食事にもよく出掛けた。当たり前のように家に出入りし、泊まる事も結構増えた。ここまできてようやく俺は、王子が本気で俺の成長を信じている事を理解出来た。
「王子、そろそろ寝ないと」
「んー」
 王子の態度は時々子供で、ベッドまで抱っこで連れてけだのオンブしろだの。俺がその度戸惑ってみせれば、ニヤリと笑って満足をする。
(チクショウ、からかわれてる)
 俺は王子のスキンシップがとても苦手だ。他の選手とは何て事もない行為でも、なんだかドキドキしてしまう。
(多分この顔とか形がいけないんだと思う。なんでこんなドストライクなんだ、クソが)
 今日も彼の顔立ちはとても綺麗で、女性的でもないのに魅力を感じる。
(そうなんだよ、女っぽいとかそういうんじゃねぇんだよなぁ。なんていうか、無駄にエロい)
 王子の素足は特に危険だ。俺達は足が仕事道具で、彼もまた自宅では酷使したそれを労わるように、何も身につけずにそのまま過ごす。俺は王子の爪先を見る度、いけないものを見ている気がする。隅々まで美しい王子の素足は、モデル並みに美しい右足に比べて、左の職人の美の輝きがまさに異彩だ。細かな傷、選手特有の骨の歪み。王子の足のスイートスポット、つまり数限りなくボールが当たって出来た小さくて固い皮膚のザラザラした部分に関しては、あり得ない程の興奮を感じた。
(いや、マジ頭おかしいから。あそこだけ集中的に舐めたいとか齧ってみたいとか、やめろよそんな)
 自分の邪まに気付く度に、優しい王子への罪悪を感じる。左足に集中する人知れぬ王子の身体の歪こそ、俺のこの世で一番尊い、俺だけが価値を見いだせる宝物だ。この良さの本質を知るのは多分俺だけだ。生まれつき綺麗な王子が自らの意思で育て上げた、たった一つの彼特性の美とエロスについては、誰一人理解出来まいと、奇妙な独占欲まで持ってしまっていたのだった。

*

「キミってもしかして足フェチのケがあるのかな」
 ある日それを指摘されて、俺の心臓が飛び出てしまった。
「な、何言って……」
「ね、今日は少し足でしてあげようか?」
「え、あッ!?やめッ……」
 そんな素振りをされただけで俺は。
「嘘……ガチ?」
 粗相をした俺に向かって、王子は「刺激が強すぎちゃったか」なんて意地悪く笑った。
(勘弁してくれ……)

*

 本当にいつもいつも王子の周りに、世間とは違う時の流れを感じてしまう。
「ほら、こんな事簡単だよ。見てて?」
今日も事もなげにそれをやって、出来ない俺に首を傾げる。
「そうじゃなくてさ、こう、ボールを……ほら、来て?」
俺をDFと見立ててやる王子のお手本は一見とても感覚的で、やる度に少しずつ変化してしまう。けれど
「同じにしてくれ」
と俺が頼めば
「同じだよ?」
なんてキョトンとする。
「さっきはインサイドでフェイクかけてましたよ?」
「そんなの些末な差だろ?どうだっていいよ」
「違う!今のはアウトサイド使ったフェイクで、しかもやる前に二つもボディフェイク入れてたじゃないですか!それを些末な差とかふざけろよ!」
「もう、だから言ってるだろ?大事なのはそこじゃなくて」
少し特殊な王子の流れるような動きについて
「どこで習ったンスか?基礎」
と質問しても
「なんとなく」
だとか
「わかんないよ」
なんて要領を得ない。かといって、やはり行き当たりばったりでやっているでもなく、訊けば、確かに一貫した法則がある。ただ、瞬間瞬間まるで棋士のように何手先もの選択肢が勝手に想起されるらしく、そのバリエーションの多さが王子の中にある一貫性を隠してしまうのだ。
「体中に目があるどころか、脳ミソまで沢山ありそう」
「プ、何それ」
 普通の人間には難しいという事を理解しない人はそれでも、俺が
「そんな事出来るわけが」
と愚痴りながらも、いつしか理解しやり遂げれば
「ほら、出来たじゃない。やっぱり出来るんだよ、ザッキーは。ボクの言った通りだ」
なんてさも嬉しそうにいつも笑った。

「出来ないって思うから出来ないだけなんだよ、きっと」
俺も大概根性論を大事にしがちなタイプだったが、王子はそれ以上に「気の持ちよう」という言葉を頭から信じ切っているような人であった。
「大丈夫。ボクがキミに無理なんて過去一度でも言った事があったかい?」
(一度どころか、あんたの言う事は全部無理な事ばっかりだよ)
それでも王子の顔が、本気で
「絶対に出来るよ」
と思い込んでいるものだったりするので、俺はいつでも無理難題を無理じゃなくなるまでやる羽目になった。
「よぅし、ちゃんと出来た。ザッキーはいい子」
(かなわねぇなぁ、王子には)
 途方に暮れるほど遠くに投げてしまう王子の答えを、今日もへとへとになりながら俺は探す。

 試合の映像はいい教材だった。その時王子が何を思っていたか、訊けばなんでも教えてくれる。
「ね?ほら前に似たようなシーンあったじゃない?あの時はキミここで反応出来ずにパスが通らなかったけど、今日は届かないなりにもあと少しだった。きっと次は上手くいくよ」
王子の記憶には相手がどこだったとか、いつだったとか、そんな事は残っていなかった。時々「ボケてるんじゃないのか」なんてチーム内でからかわれる事も多い人だが、そもそもが脳処理の仕組み自体が凡人とは違うのかと思う。似たようなシーンと例に挙げたそれは、確かに言われれば類似点もあったはあったが、そんな解釈を瞬時に出来るのは、やはり王子がまごう事なき天才である事の証明であった。俺は日々の積み重ねの中で、やっとこさっとこ追いつくだけだ。そんなヘトヘトないつもの俺を見ては、王子は満足そうに今日も笑った。
 そうして遥か遠くに立つ人の向こうに見えてくるのは「使う人間の発想に使われる人間がついていかねばプレイは成立しない」という極当たり前の事実であった。王子は人知れず一段も二段も階段を下りて、今にも窒息しそうなプレイをしている。サッカーは11人で、いや皆でやるもの。俺は王子との日常の中で、誰よりもスタンドプレイを思わせる人に、チームプレイの神髄を見始めていた。
(王子、俺はずっと自分の為だけにサッカーをしてきたような気がします)
 ずっと王子の無欲が嫌いだった。俺ならその才を大いに利用し、もっともっと高みに行くのにと。でも、それは彼なりの苦悶の末の選択と知った。この人のチームへの愛は、まごう事なき本物なのだ。
(俺、あんたを自由にしてやりたい。あんたが自分で選んだこの場所で、あんたのやりたい事を何もかも全部当たり前に、叶えてあげられるくらいいい選手になりたい)
 この、美しくも悲しい愛情深きこの人の、信にこたえられる自分でありたかった。

*

 丁度その頃から、かつてあんなに激しかった王子からの要求はなりを潜めていく事となった。
「王子?」
「ん?」
 王子は俺が何もしなくても普通に笑うようになった。その度俺は言葉が詰まる。なんだか嫌な予感がする。

*

「王子?」
「……」
 ぼんやり、時々、返事をしない。やっぱり少し変な気がした。

「ねぇザッキー……」
「何ですか?」
「蹴ってみたいって思ったりしない?」
 久しぶりの王子の要求は、信じられないレベルの無理難題だった。王子は自分からキッカーの座を奪えと言った。そんな事出来るわけがなかった。

*

 俺は王子の信に、絶対に応えたいと思っていた。けれどあまりにも無謀な提案に、俺はクラクラと眩暈がする。チームのキッカーになる事は確かに、かねてからの俺の夢でもあった。けれど王子との日々を過ごす中で、本物の天才とはどういうものかを体中で知る事となり、絶望するでなく諦めるでなく、極当たり前のように下座を意志した。
(王子はそれを駄目だと言ったんだ。それじゃ一緒にはいられないと)
 サッカー以外の事に関しては、王子は俺を甘やかし続けた。恋人としての彼の庇護欲は厚く、言えばなんでも願いを叶えた。信に応える度に溺れる程の愛をくれた。
「知っているよ?いつもうらやましげにボクを見ていたもの。やってみたいんだろう?キッカー」
 とろけるような愛撫とキスと、そして恋人の王子の甘い囁き。青空の下で「奪え」と言って、ベッドの中では「ねだれ」と言う。彼の心の揺れるを知った。俺の心の葛藤を見た。手段を選ばねば願いは叶う。でもそれではなんの意味もないのだ。二人ともがよく理解していた。

*

(こんなんじゃ駄目だ。こんな程度じゃ)
 かつてない厳しい練習が始まった。時々アドバイスは受けもしたが、基本的には一人でやった。
(体に沁みこませるんだ。でも狙う場所によってフォームを変えてはいけない)
 大切な事はもう知っている。王子に言われた事は刻まれている。二人の時間は激減したが、立ち去る王子はいつも満足そうに笑っていた。
(待っててくれてる。ありがとう、王子)
 いつでも王子の存在を感じた。ずっと俺を見守ってくれる。その思いだけが俺を支えた。

*

 もう何度目かの王子の視線。王子は待ってくれている。

 ある日のファウルは絶好のチャンス。チラリと促す王子の視線。なんだか今日はいける気がして、王子に言えば笑ってくれた。

 俺が失敗して愚痴を垂れても、
「ううん、ボクはキミをとても誇らしく思う。よく頑張ったね」
と王子は言った。それだけで俺は泣きそうだった。
「王子、俺、次は絶対決めっから!」
「ん、そうだね、いけるよ」
そうして変わらず王子が笑えば、なんでも出来る気までした。

*

 俺はその日、本当の意味で、王子の言うところの「馬鹿」のやるファウルを心から憎む事となった。このままドローで終わるかと思われた試合の終盤、絶好の位置で笛が吹かれた。会場は沸き、王子への期待のチャントが渦のように湧き上がる。けれど、この不幸な交錯によりうずくまり動けなくなった選手こそが、今この場で一番必要な天才キッカーその人であった。
「王子!ッ野郎!!!何すんだよ!」
そして、一瞬にして血が上り相手に掴みかかろうとした俺を制したのも、俺の大切な王子だった。
「ザッキー、駄目」
「だって王子!」
「いいから、それより担架呼んで」
「王子、担架って、まさかそんなに」
言われて初めて、王子が青白い顔をしている事に俺は気付いた。
「王子、嘘でしょう?まさか動けな……」
「馬鹿、キミは今までボクの何を聞いてきたんだい?駄目だよ。ほら、ちゃんとなんでもないって顔をするんだ、こんな時こそ」
 蚊の鳴くような小さな声は、それでも俺の耳によく届いた。平静を装うよう指示したその美しい顔は尋常でない量の汗に濡れて、倒れたまま痛みのあまりピクリとも動けない王子はそれでも必死に、笑顔を浮かべて話を続けた。俺はひたすら彼の名を呼び、大丈夫なわけもないのに、大丈夫ですか、痛いんですか、などと馬鹿な事を繰り返した。
「ザッキー、いいかい?ちゃんと聞いて。絶対この試合勝つよ?」
遠くで審判や選手達がゴチャゴチャと騒いでいるし、場内は地鳴りのような怒号に包まれ、一触即発の緊迫感だ。でも俺はもう王子の殊更穏やかな声を聞いているだけで、もう音はそれだけしか聞こえなくなった。音だけでなく周りの全ても、まるで他人事に思い始めた。今、ここにいるのは王子と俺。たった二人だけの世界だった。
「後、任せたから。大丈夫、出来る。キミが決めて終わらせるんだ」
 こんな不思議な事があるのだろうか。その瞬間、王子の意思と勝利への情熱が、確かに俺に乗り移った気がした。

*

 王子は俺に教えてくれた。
(そう。出来ると信じて努力すれば、きっと絶対に出来るもんなんだ)
 王子は俺を信じてくれて、そんな俺を俺は信じた。今までも俺は俺を信じていたが、信じる度合いが足りなかった。
(王子なんて突然変異の化け物だって思ってた。でも違う。そうやって俺は自分を甘やかしてただけで、王子はそれを一番俺に伝えたかったんだ。きっとそうだ)

 あの日王子の目を見て俺は思った。
(ああ、そうだ。絶対に決まる)
 なぜあの時あれほど心が凪いだか、俺にもイマイチよくわからない。でも俺は当たり前のように周りを押し除けてボールをセットし、そして当然のようにボールはネットに吸い込まれた。大役を果たした俺を皆が賞賛したが、別に何の興奮もなかった。俺が決めて終わらせる事は、やる前からすでに、決定事項に過ぎなかったのだ。
(知らなかった王子……王子はいつもこんな世界にいたのか……?)
 まるで世界を掌握するような、あまりにも強い万能感だった。

*

 これまで大きな怪我のない王子だったので、それこそこの交錯は大変センセーショナルに報じられた。怪我をすれば感覚は狂うものだ。早とちりで王子の選手生命の終わりを匂わす馬鹿な記者もいたりで、俺はイラつき、そして当事者の王子は笑った。
(なんなんだこの人は一体……)
 入院経験もない健康体だった王子はと言えば、やれ部屋着がダサいだの退屈だの文句を付けながらも、呑気に堂々と練習がサボれるのはいいねなんて喜んでいた。
 病棟内には例の王子オーラの作用のおかげであちらこちらにハートが飛んで、俺の心は怪我の状況以外にも色々とにかく穏やかじゃなく、でもそれでよかったんだと後からシミジミ思うことになる。
 訊いてもはぐらかすだけで具体的な事を言わない王子の状況は、実はかなり深刻だった。全身麻酔による再建手術は、状態の悪さも相まってかなり難易度が高かったらしい。
(王子、本当になんでもない顔しかしてなかった。だから本当に大した事ないんだと信じ切ってた)
 行けば延々俺を引き留める理由が、話をしていれば術後の激痛が少し紛れるせいだったのも、ナツさんに言われて初めて気付いた。
「試合中って興奮してるだろ?やった時は意外と感覚が飛んでんだよ。だから痛みは治療が終わって麻酔が切れた頃が、俺は一番キツかったな」
 ナツさんはそれをわかるからこそ、俺の次くらいに顔を出していて、
「なのに、いっつも仏頂面で速攻追い出しにかかるんだよアイツ。ホント酷い奴だ」
なんて俺に愚痴っていた。王子も
「暑苦しいから来てほしくない」
なんて口をとがらせて言っていたけれど、素直じゃないあの人が嬉しかった事は、ハッキリ言わずともよくわかった。
「そっか、痛くなったら痛み止めの薬があるから平気だなんて笑ってたけど、案外気休めにもならないんですね。知らなかった……あの人なんもいわねぇから」
「ま、飼い犬くらいにしか甘えられねぇのかもしれないな。だから面倒かもだけど退院まではお互いちょくちょく、な?お前もヨロシク頼むよ」
 王子と俺の関係をナツさんは知らないままに、
「気難しいアイツが寛げる相手がいてよかったよ。でねぇと女連れ込んだり碌でもない事してそうだ」
なんて嘯いていた。けれど実は俺こそが所謂「碌でもない事」を、ちょくちょく病室でしていたりするので。
(騙してるわけじゃねぇけど、なんかスンマセン、ナツさん)
俺は甘える王子に弱くて、
(「して欲しい」なんてあの顔で頼まれてしまうと、つい……)
でも本当に気を付けようと心から思った。

*

 ともあれ、退院後も我儘は更に増え、それでも俺は王子が甘えてくれるのが嬉しかった。
「やだ、何これ、クッソダサい」
「あんたが四六時中抱っこだのオンブだの言うからでしょう?キャスター付きの椅子なら俺がいない時だって楽に移動出来ますから!」
「やだ。こんな椅子この家に置くなんてそれだけで屈辱」
「いいから!松葉杖は肩とか脇とか痛くて我慢できないとか、いつもあんなに愚痴ってたじゃないですか!」
「ザッキーは意地悪だ。なんでこんな」
 口を尖らせてまた文句。でも文句の理由がわかる俺は。
「……そんなに俺とくっついていたいなら、ジッとしてる時にくっついてればいいんで」
「!?」
 図々しいのに時々シャイで、理由を付けながら甘えたがっている、そんな王子が好きだった。
「だから、移動ん時はやっぱ危ないから、その」
「嘘、ザッキー優しい」
「何を今更」
「なんか、したくなっちゃったなぁ」
「ッ!」
 ふり幅の激しさに驚かされるのも、まあ、四六時中の事だった。

 王子は基本的に曲がり屋だ。でも、だからこそ思う。こんなに強い人を俺は知らない。
(大したタマだよ)
 それは不思議な安心感だった。ハラハラと診察の話を質問すれば、
「もう駄目だよザッキー、キスしてくんなきゃ治らないって」
なんて軽くふざけて、俺が腹を立てればすぐさま
「だからキスして治るくらい大した事はないって話さ。だから、ん~」
なんて澄まし顔でキス待ちをして。そう、王子と居るとなんだか不思議に、怪我なんてどうって事ない気がしてくる。
 俺に怪我やリハビリの苦労を感じさせなかった王子の態度は、優しさだったのか、プライドだったのか。俺は時々それを忘れて、サッカーの話ばかり王子にしていた。
(出来ないのに辛かったかな。言ってくれれば俺だって……)
 ナツさんを呼んだ時以外は本当にいつもニコニコ笑顔で、なんでも、うんうん、と聞いてくれた。

*

「つまんないな、早くザッキーとしたい」
 やがて出る愚痴は大概それになって、
「出来ないのつまらないよザッキー」
なんてイチャイチャ、結局まともには出来はしないものの、王子の執拗さはいつも以上だった。俺はいつも息絶え絶え、なかなか終わりの来ない長い夜に時々付き合わされる羽目になった。王子が俺にして、俺が王子にするやり方はなにやら子供のじゃれつきに似て、ある種の不思議な満足感と、やはり物足りなさがある行為ではあった。
「やっぱ、ちゃんとしたいな、ザッキーと」

*

 たった一人いないだけで、まるで別チームの今のウチ。呑気な様子でマイペースな王子を、皆が支えに暮らしていた。ちょこちょこ顔を出している事は内緒のままに、皆に混ざって家を訪ねる。今日も当たり前のように厳しいリハビリをこなしたであろう、俺の大好きな王子に言う。
「王子が戻ってきたらきっとまた」
 それを聞く時の彼はほんのりと笑って、もうちょっとの間お利口しててね、なんてからかったりする。
(なんだか、王子はやっぱ、皆のラックのお守りみたいな存在なんだろうな)

*

「ん、キミが家でリハビリとか生活の細々した事とか色々手伝ってくれたおかげかな」
 来週から少しだけならボールに触れると、初めて王子がまともに答えた。きっとそれまで随分長い間、ずっと我慢をしてきたのだろう。少しホッとしたような微笑の王子に、俺は有頂天になって抱き着いてしまった。ようやくピッチに戻ってきてくれる。それよりも尚、戻れる喜びに浸る王子を独り占め出来た瞬間に痺れた。

*

 あれから俺達色々あって、でもなんら変わらぬままに今日も二人で。
「……王子」
「んー」
「重いッス」
「んー」
 すっかり甘えたになってしまった、王子に苦笑して俺は言う。
「聞いてます?」
「んー、聞いてるよー」
 ソファにゴロ寝る王子はいつも、俺に寄り掛かっては雑誌を読む。押しよかそうと、体をずらそうと、いつの間にかくっついている。
「ったく」
 あの日俺は確かに、ジッとしてる時にくっついてればいい、だなんて、そんな事を言った気はする。怪我が治っても俺は王子の、枕で、リモコンで、ぬいぐるみだった。
「ザッキー、テレビ消そうか」
「あー、はいはい」
 静けさを好むこの人はいつも、俺の見たい番組が終わった頃には待ってましたとこう囁く。俺が素直にテレビを消せば、王子も必ず雑誌を閉じる。そうして膝枕の状態のままに、当たり前のように二本の腕を俺に伸ばす。
「何ッスか?」
「んー」
「甘えたいんですか?」
「そういう事にしといてあげる」
 その時の彼の目は猫のようで、何もかも見透かされている気がする。ゲーム中の小さな失敗。そのささくれだった心の傷口に、彼は当たり前のようにキスをするのだ。
「おいで。それともボクが起きた方がいいのかな?」
 こんな日の彼もまた執拗だった。そうして俺の記憶を食べてしまう。王子は強靭でとても優しく、そしてしつこく俺を癒す。まるで子供のじゃれ合いのように、俺達は今日も沢山笑う。王子が居るから、気が抜ける。何があっても見放さないと言わんばかりの、この温もりに安堵する。甘えて、甘やかして、甘えられて、俺達は何年もそうして暮らした。ただ当たり前のようにそこに居る人に、ただ笑うその人に救われた。

 ふにゃけて笑う王子が好きだ。

 王子の名にふさわしい選手の王子もとても好きだ。

 曲がり屋で、皮肉屋で、秘密主義で、甘えたで、甘やかし上手の王子が好きだ。

「ザッキー、もうボクくたびれた」
 グチグチとどうでもいい文句を言いながら、
「キスしてくれたら治る」
なんて馬鹿な事を繰り返して、なのに、俺が素直にキスをする度、少し驚いて頬染める王子が俺は。だから。

「ったく、いつまでもアツアツの新婚カップルでもあるまいに」
「ん?何か言った?」
「いーえ!なんでも!」
「何?気になる」

今日も当たり前のように俺達じゃれ合い、明日は当たり前のように、二人同じ朝を迎える。

――王子、俺、随分幸せ者だ。