そよ風ロマンス第4章(さざ波コンフルエント2)
【16103文字】
そよ風ロマンスシリーズの第4章。
ジーノ視点。特殊性癖にさせ過ぎたきらいがありますが……ジーノは自分を真人間と信じ切っている設定で、変態ぶりが赤裸々になりどんどん自分で混乱してます。「百戦錬磨の恋愛童貞」VS「処女童貞の淫乱天使」
ここで終わればメリバですね。まあ、当然ながら終わりません。次は5章そよ風ロマンス1です。一応本編扱いになるのかな。起承転結の転です。
僕は彼が僕を選ぶと確信していた。彼の破滅はもう避けられない運命なのだと。だからこその最後の岐路で、僕は両手を大きく広げ、駆け寄る彼を待ったのだった。
お願い泣いて(泣かないで)
僕の中の欲と暴力、生木を裂くような激しい痛み。僕の崩壊はもう終盤で、することばかりを考えていた。
「そろそろ僕らも潮時だしね」
わざわざ激しく彼を痛めて、ワクワクしながら泣くのを待った。苦痛の飽和に佇む姿に微笑んでいた。
(お願いだから早く泣いてよ。ようやく僕ら、結ばれる。一杯一緒に良くなろう。それこそ寝る間もないほどに)
そして地獄の合図の涙が、零れて落ちることはなかった。
何故、そういうことになったのだろう。不思議なくらいにあまりに自然で、ザッキーを見送りぼんやり思った。
(どうして?なんだろう、僕はこういう今を知っていた……?)
引き攣る口角を微かに上げて、なんてことない顔をして、思えば同じことが昔あったと、記憶は再び錯綜していた。
(わからない……一体何が起きたんだろう……)
*
僕には不思議な力があった。人の心が見えるのだ。彼の心も全てが見えた。僕は見ていたはずだった。
(何?今が全然わからない……なのに、どうしてわかっているのか。僕は何を考えている?)
怒号のような激情の中、自分の時間がワープする。認識と解釈と想定の瓦解、都度開始する再構築。重過ぎるように感じる重力。エネルギーが思考に全振りされて、全く制御がきかなくなった。
(疲れた……考えたくない……休ませて……)
起きているのに意識がない。眠っているのに寝た気がしない。どうすることも出来ないでいた。世界が色々取り留めもなく、気付いた時には。
「あ、そうだ。ねぇザッキー、この前の……」
「ジーノどうした?寝ぼけてんのか?」
「……え?」
送別会も見送りも通り過ぎ、彼はここから消えていた。
*
僕はあの日、彼の涙を待っていた。その先にある現象のみを考えていた。
(涙なんてとっくに枯れてた。そんなの知ってたことなのに)
笑顔も、涙も、イき顔も、消えていくのを見ていたはずだ。
(ザッキー、でもあの時なんか……少し笑っ……?)
混沌の中で垣間見た、それはとても不思議なもので、僕は大切なその一瞬を心の中にそうっと飾った。壊れた僕の主軸のかわりに、あの日々の最後に残った記憶を、静かに据えてぼんやり見つめた。
*
ベッドに横たわる時間が増えた。眠っているのか起きているのか、過去が頭に浮かんでは消え、興奮したり、泣きたくなったり、今までにない不安定さで、そんな情動を野放しにして、一人長く、そうして過ごした。
(僕は色んな罪を彼に重ねた。でも彼はあんな酷い目に合わされながら、一度も僕を責めないでいた)
僕は彼が巻き込んだのだと考えていた。違うと途中ですっかり気付いて、僕は何度も目を閉じた。いつから僕は間違えたのか。間違えようと考えたのか。事実は確かにたった一つで、認識がブルブル震えてまとまらなくて、僕の真実を沢山にした。本物がどれかがわからなかった。
出掛ける気持ちも、人に会う気も、もともと少ない意欲が消えた。思い出のベールに包まれながら勝手な類推と戯れた。答えが欲しいというわけでなく、それしか何も出来ないからだ。止まらぬ思考を幾重に重ねて、息を潜めて、隠れるように。
*
今までどうして暮らしてきたのか、どんどんわからなくなってきた。僕は僕のふりをしながら、いつでもあの日々のことを考え続けた。
(なるほど。結局のところ同じな気がする)
あまりにも見知った感覚だった。つまり僕はこうなるずっと前から、僕のふりをして生きてきた。グルグル回って元に戻って、僕は同じところにいただけだった。
(ザッキー、なんだか不思議な感じだ)
清廉潔白を夢見ていたのは、寧ろ僕のほうだった。いつから偽善に閉じこもりつつ、嘘で暮らしてきたというのか。今、自分のこの瑕疵に、罪や痛みは感じなかった。自身の中の性欲の否定。他人に対する興味のなさ。怨嗟、残酷。孤独、渇望。
(汚く、醜い……そして甚だしいほど狂暴な)
混沌の奥にまざまざあるもの。あの日の微笑を足場にしながら、僕は果てしなく手を伸ばし、どうにも届かぬ人を見ていた。嵐のようなこの切望は理解しかねるものだった。これが世に言う恋だというなら、僕には無理なものだった。
空の色が薄いのは彩度の感度を落としているため。人肌にぬくもりを感じないのは、取り繕うのをやめたため。頭がぼんやりしてしまうのは、思考の暴走を放置するから。酸素の供給が足りないからだ。風が沁みて気楽に凍える、それはあるべきものが欠けているから。
(……ザッキー、元気にしてるかな)
あれほど深く人を見たのは彼が初めてのことだった。気まぐれだったのかもしれないし、勇気であったのかもしれない。能動的に見た混沌は、とてもクリアで生々しくて、理解というより感覚で、把握というより混線だった。知らない世界のはずなのに、融合のように一緒になった。処理能力が追い付かず、それ故、情動がささくれ荒れた。何を望んで、何を忌諱して、何を阻み、求めていたのか。事実は常に一本道だが、僕は自分の解釈をどうにも出来る力があった。喜劇にも、悲劇にも、そして何もないことにさえ。僕は心を解きほぐしつつ、整理することを楽しんだ。偽善で加工。悪意で装飾。今はしっかり自覚をもって。
(今日はどういう話にしようかな)
彼を僕のこの手で『男』にしようと考えたこと
同時に自分に噛み合うように『女』にしようと試みたこと
強い嫌悪を持ちながら、何度も口に含んでみたこと
ともかく犯してしまいたいと何度も何度も考えたこと
でもどうにも無理だったこと
あれは敗れた夢なのか
自分で捨てた願望か
嗜好に無理があったのか
寧ろそういう性癖か
僕は欲しいものを得られなかった試しがなかった。おそらく先読み出来る技術と、効率の良い戦略のせい。人並み以上の目を持つ僕は過不足のない日々を過ごした。願う前に、自覚の前に、道は自動で開けてしまう。目指す目標を探すことなく、なんの意義も希望もなく、つまり障壁も試練もないまま、近視的に生きてきた。
ザッキーの生き方に強い刺激を受けた。彼は渇きそのものであり、全てのことに必死であった。無意識化に沈む僕の渇きが、彼を僕のIFにした。彼の人生の救済を、初めて少し僕は望んだ。おそらくそれが始まりだった。
でも無知で未熟な僕の手は、彼にはただの。
(如何に間違いだったか、根拠は沢山見いだせる。でも、では然るべき行動は何だったのか?……僕はどうにも馬鹿なんだろうか、未だに欠片も見つからない)
そして僕はまた立ち止まる。しばらくしてからまた歩く。僕は何度も袋小路を、時間の限り散歩していた。解けない難問にチャレンジするのはまさに初めての経験で、ロスが多く、不器用で、そういう自分に笑ってしまった。
そしてまた同時に、無事彼を犯せるルートを探したりもした。こちらはどれもイージーだった。容易く何度も到達出来た。暫し僕はそこに佇み満足を得た。僕はこれを選ばなかった、来なかった、そういう事実がとても良かった。再び別の道を探した。そういう僕の思考遊びは、いつしか現実の自分を変えた。
(うん、そうだね、そっちもいい)
そもそも自由快活と言われやすい僕だが、実は度を超えるほどの保守だった。それも頑固でガチガチの、だから変化が心地よい。
(どうせやるなら、楽しくやろう)
以前は可能性の低い選択肢は、見えてもゴミとして捨てていた。今は砂のように小さな光も、手にする強さを身につけた。そう、僕はザッキーをして、挑戦の苛酷とその喜びを学習出来たということだ。完璧主義の以前の僕は心の底から失敗が嫌いで、今は確率が低いからこそ成功するのが気持ち良かった。
(ふ、この年にして、全く大した変態ぶりだ)
僕はセックスの経験者で、本来あれで得られるものは、耐え難いほどの快楽なんだとそういうことを理解した。
(したい相手とはなかなか出来ない。普通はそういうものだしね)
きっとこんなに目のいい僕は、生涯知り得ない悦びだ。でもザッキーは僕のIFで、彼がいつか手に入れるなら、なによりのことと僕は思った。彼は沢山の支払いをした。神様はきっと見ているだろう。素敵なイブと出会えるはずだ。
*
「最近、とても楽しそうにプレイされていますね」
インタビューの受け答えも、以前はふざけてばかりいた。今は多少の本音も混ぜる。
「可愛い犬がまた増えたしね。お世話は結構大変だけど勘はいいし助かるよ。例えば前半入ってすぐの……」
閲覧数も良いようで、取材の数も増加した。
「あ、時間大丈夫?それに今の、ちょっと真面目過ぎる内容だった?」
「いえ全然!ありがとうございます、すごくいい記事になりそうです」
理解されることを諦めていた。そういう自分の意固地さも見え、今は言葉の一つ一つに意味と気持ちを込めて贈った。
僕の変化は収益的にも勝率的にもチームにとっていい風になったようだった。
「今は仕事が一番楽しい。ふふ、本当にガラじゃないよね。バカンス先の雨が心配」
沢山の恋人、オフごとの旅、煌めく嘘も沢山散りばめ、僕は一人僕を抱き締め、面白おかしく笑って暮らした。
*
(ああ、またこんなにも空が近い)
周りの声がよく聞こえ、驚くくらいにピッチが狭い。
(ふふ、今日もきっと勝っちゃうな)
人々は連勝を称賛し、僕も大いに一緒に笑った。バンディエラ扱いはおこがましい。けれど確かに周りを見ると。
(っていうか、そうか……いつの間に……)
時は経ち、選手もスタッフの顔ぶれも、少しずつ入れ替えが始まっていた。いつしか僕は古参になって、気軽な中堅の位置から少し上へ上へとずれつつあった。
一人、いないだけの感覚だった。それ以外の違いがわからなかった。けれどすべてが違ってしまった。僕は立ち止まったままだった。
*
自主トレも、練習も相変わらず全然好きじゃなかった。それでもここにいるのは家にいる次に寛げた。時間通りに出向いたり、時には早く始めていたり。変なものでも食べたのか、そんな風に揶揄する相手も今では殆ど去ってしまった。その変化にも気付かなかった。
(というか、いくらなんでも鈍すぎない?ぼんやり生きてたそのこと自体に、今更ながら気付くとか)
あの頃生えてかけた爪も牙も、とっくの昔に抜け落ちていた。
「眩し……」
空の太陽に目が眩む。変化したのかしないのか。元の僕か別人か。何もかもがわからなかった。僕は何をしているのだろう。
「ジーノさん」
王子のあだ名も不得手になった。揶揄も称賛も今では苦手だ。僕は最初からみんなと同じ生き物、醜く健気な人間だから。
「集合ッス」
「……ああ、今行くよ」
僕は決して一人じゃなかった。何かがざっくり抉れているが、みんなも同じ傷がある。僕は強くなれただろうか。今でも卑怯な馬鹿者なのか。
思うのは常にあの子のことで、何度も何度も迷路を歩いて、行きつ戻りつ思い出を辿り、時々休んで再び歩いた。何もかもが溢れるこの日常で、それがここにないこと自体に、僕はすっかり慣れたのだった。
*
人の子の成長は早いとよく言われるが、久しぶりに来たナッツが連れていた愛娘は、いつの間にかしっとりレディになりかけで。
(子供の一人も作ってみたら、少しは違っていけるのだろうか)
あまりに勝手な思考回路に、思わず苦笑してしまう。すると。
「おいこら。そういうエロい目で見んな馬鹿」
なんて、とんでもない誤解で怒鳴られた。だから今度は本気で笑った。
「ハハ、何言ってるの」
僕は既にいわゆる『男』じゃなかった。興味もないし、意欲もないし、女性に強く求められても、心身ともに受け付けなかった。別に何の不便もないし、事実がばれるヘマもしないし、つつがなく気楽な人生を一人淡々と生活していた。僕の態度に彼女らはすべからく本命の存在を認識し、落ち着いただの、幸せにだの、無邪気に喜んでくれさえしていた。僕はそれに感謝しつつも申し訳ないほどどうでもよかった。とても冷たい人間だった。それが僕の本性で、うんざりながらも仕方がなかった。
*
僕は、見てはいけない夢を見た。叶ってはいけない特殊な夢だ。手に入れた二人の訣別は、たった一つの大正解。
(納得してる。満足だ)
それは自分を謀る嘘かもしれない。でも僕は嘘でも、減らず口でも、この解釈を大切にした。身を焦がす(壊す)ような恋をしたのだ。今でもとても信じられない。そのこと自体が幸せの箱、思いは今もこの胸の中、何の文句があるというのか。
*
過去そのものははるか遠く、解釈で変わる絶望と希望、束ねて広げて時々片付け、そういう全てが愛おしかった。
「あれ?ザッキー、久しぶり」
「ども。王子も相変わらずで」
シーズンがオフになった時期、彼はしばしばやって来た。練習に混ざることもある。自主トレしている時もある。
「じゃ、お先」
「お疲れ様です」
今は似て非なる別人だった。彼は夢に追いついて、代表キャップもちらほら増やし、前より少し落ち着いて、静かに笑ういぶし銀。
(ふふ、ザッキー、かっこいい)
鋼のように締まった肢体が、日々の努力を思わせる。血色がいい。表情も。何より凪いだ湖面の瞳。
(全てが洗練されている)
近寄ることすら憚るような、彼の本質が煌めいていた。卒ない会話をニ、三、こなして、ただそれだけで十分だった。
それでも繰り返し思うのは。
思い返すは、あの日刺さった最後の微笑。一度だけ見た不思議な表情。あれは未だに僕だけのもの。そういう我欲は薄れなかった。
(誰かにザッキー、ああして笑う?知りたいけれど、聞きたくない)
僕は世界のすべてから、あれを隠してしまいたかった。
(お願い、あの日々のこと、忘れてザッキー、全部忘れて)
ストレスによる負荷は過去の改ざんを行う。僕は途中から半ば自覚的に起こしていたが、彼にも起きると考えていた。僕は原本の記憶の保持に努めた。でも彼にはそもそも不可能だろうし、やれるとしても邪魔したかった。
(誰にも、君にも、不要のものだ。全部捨てて。失くして。ザッキー)
ケダモノ紛いの汚い劣情。僕が餓えた『男』であったこと。
(僕が全部引き受けるから。二度とああして微笑まないで。誰にもあれをあげないで)
あの日と同じ空を見て、やっぱり日差しが眩しくて、でも然るべき自分の在り方を、神経質に確かめる。何度も繰り返し心に決める。あれは僕らの絶望であり、唯一無二の結晶なのだ。あの一つだけで生きながらえる、そのためになら何でもやれた。
*
「あのさ、ちょっと提案だけど」
戦術的なディスカッションも、年々しやすくなっていた。そう、僕は健気で懸命で、自分のために、『みんな』のために、荒波と戦うテトラポットの不動さを真似て努力を重ねた。
(もう二度と誰も傷つけない。人の不幸を願いはしない)
あの結晶は一つで良かった。僕は過去の自分を抹殺し、彼の今を守りたかった。
(あぁ、また選ばれたのか)
親善だろうとなんであろうと、彼の代表選出は僕の喜びそのものだった。少しはここにも来るだろう。選出のリストを見ていると世界がキラキラ輝いていた。
「あれ?珍しい。どうしたの?」
「実は今度の代表戦で……」
「へぇ、じゃあまたリーグ戦はお休みかぁ」
「はっ、やめてくださいよ王子。天下の国際Aマッチの日を、ただの祝日扱いなんて」
「毎回ちゃんと選出されてよ。ザッキーのカレンダーは精度がない」
「またそういう馬鹿言って。あんたは本当に変わらねぇ」
何も知らないふりをしよう。気にも留めない顔をしよう。
「またどっか行くンスか?」
「そうだねぇ、是非行きたいけど何処にしよう」
「候補が色々あり過ぎて?」
「まあね」
「まずは相手の選定も?」
「まあ、どっちも適当に」
これが僕の人生で一番素敵な一時だった。試合を観るのに決まっているが、それを教える義理もなかった。
*
「ごめんね、雨だし今日はお休みするよ」
今ではこうしてドタキャンもせず、チームの許可をもらって休む。面倒だなんて思わない。こっちの方がより寛げる。
ずっと隠してきたことだったが、僕の筋肉は質が良くない。そのことを打ち明けるのは勇気がいった。でも必要なことだった。伝えて良かった。そう思う。随分大人になったと思う。
「さて、今から何をしようか」
冬は南へ、雨は屋根下。熱を帯びればシャワーで冷やし、柔軟、アップは念入りに。体調管理は全部自分、子守りはとても大変だった。とにかく手間のかかる体で、任せるなんてあり得なかった。触れられるのは今でも苦手だ。僕には怖いことだった。
ベッドに一人横たわる。寂しい。平気なわけじゃない。けれど誰にも会いたくない。そして何もしたくなかった。
「ザッキー……」
僕は自慰が下手くそで、嫌々ながらも時々試して、結局殆ど駄目だった。僕の体は繊細で、言うことをきかない悪い子なのだ。
(変なの……なんだか仙人にでもなった気分だ)
相手があれば多少は使えた。もともとそういう体質だった。得られるものが何もないので、今はそうする意義もなかった。女も男も必要なかった。欲しいものはたった一つで、でもそれすら必要なかった。
