ブルーチーズの奇怪な夢
【6963文字】
ぬくめ鳥のお題で書いたもの、二つ目です。時々二人で遊びに出掛ける、友情の域を出ない感じの淡い淡い二人のお話。秋に美味しいスティルトンを食べて、その勢いでざっくりと書いていたネタでした。(本当に些細なところですが、アップ後少しだけ言葉尻などを修正しました)
「どう?」
「最初はなんだこれくせぇなって思ったけど、慣れたら別にそうでもないし」
「……そう?」
「これはこれでありなんじゃねぇかな?つか、普通に美味い」
「よかった。こういうの無理って子もいるからね」
王子と時々食事に出掛ける。誘いがいつでも唐突なのは、単なる穴埋め、補欠だからだ。今日の本来のお相手はイギリス系の美女だったそうで、吟味して選んだ店を敬遠されたとあって、珍しく気落ちしているような感じだった。
「君がそうやって食べてくれるなら、少しは報われる気がするよ」
よっぽどショックだったのだろう。しおれたような仕草に表情、それでも食欲は旺盛の様子。
「ブルーチーズならゴルゴンゾーラ一択なんだけどね、本当は」
ネチネチとしたこの物言いに、王子の執心度が垣間見える。百戦錬磨に見える男も、仕留めそこなうことがあるものらしい。この手の愚痴も聞き慣れたもので、はいはい、と軽く聞き流す俺。
(つか、いつも思うけど王子の攻め方って時々……)
そう、彼自身自覚があるのかどうかはわからないが、その気配りの度合いが時々過ぎた域に入っている場合があるような気がした。けれど、それが王子の思い入れの強さゆえとなれば、微笑ましい思いもなくはない。
(まあ、基本的は善人なんだろうなぁ。過ぎる嫌いもあるけれどサービス精神が旺盛っていうか)
この日本においてなのか世界でもなのか、そんなことは全然わからない。ただ、上質な『イギリス系の料理店』を探すのが大層困難であることは、なんとはなしに想像できる。
(確かに、ここは本当にかなりいい店だ。うん)
ただ、残念なことに『イギリス料理店』という意味ではかなり特殊な部類の場所だった。
(王子もものすごく苦労したんだろうなぁ……吟味の末に選ばざるを得なかったのが『ブルーチーズ料理専門店』だったなんて)
ゴルゴンゾーラ一択という本来のポリシーを反故してまでプライドの高い男が彼女のために、と。王子の気性をよく知るだけに、何やら同情を禁じ得ない。
「ゴルゴンゾーラだろうがスティルトンだろうが、俺ブルーチーズ喰うの自体初めてなんで」
「確かに、普通は口にする機会とかあんまりないかもね」
居酒屋とかファストフードのお店のメニューにはないものだし、と笑う顔も見慣れたものだ。見る人が見れば嫌味に見える。けれどこうして付き合いも長くなってくると、悪気がないのもよくわかった。受け手の卑屈さが曲解を生むだけで、王子はただ事実を述べているだけなのだ。
(王子は確かにグルメだけど、遠征先の料理も残さず食べるし、うちでやる打ち上げのやっすい冷食っぽいケータリングだって)
いわゆる、ご当地のゲテモノ料理的なものにも興味を示す。王子は想像に反して意外と食に寛容なのだ。
(食い物の趣味は女の趣味にも繋がるって聞いたことがあるけど……王子のターゲットって、マジで広そうだよなぁ)
「おや、デザートまでスティルトンなんだね。徹底しているな」
フルーツにブルーチーズ、はちみつにナッツ。それを見て当然絶句する俺。
「どうしたの?結構いけるよ」
「……」
今日も見たことも食べたこともないものを、おそるおそる口にする。渋々顔でも絶対に誘いを断らないのは、王子と過ごすこの奇想天外な時間に、不思議な魅力があるせいだった。
「あ、旨い」
「でしょう?」
今日も王子と変なものを食べた。生涯縁のなさそうなものを体験するたび、全く世界は広いものだと感心をするのだった。
*
帰りには満面の笑みの王子に思う。
(ほんと、この人ってかなり現金なタイプだよなぁ)
気持ちの切り替えがとてもうまい。一時の感情を引き摺らない。シンプルというよりいっそ単純な性質は、時々羨ましく思えもする。
「じゃあ、ザッキーこんな話は知っているかな」
「は?」
そう、確かに羨ましくもあるのだが、展開についていけない困惑もある。ピッチの上でも、私生活でも、いつでも振り回されてばかりな気がした。
*
「……マジだった……」
翌朝、自室。俺はまさに呆然としていた。
――こんな話は知っているかな
昨夜の王子の言葉が頭の中で駆け巡る。
――スティルトンを食べてすぐに寝るとね?
「『とても奇妙な夢を見る』……か」
実際にその言葉を口にしてみると、全身にぞわりと鳥肌が立った。そして、俺がさっきまで見ていた夢は、奇妙を通り越して奇怪なもので、飛び起きた後も心臓がドキドキしていた。
「やべぇ……なんだよ、一体……」
思わずぎゅっと目を閉じて、すると、今見た夢がまざまざと。
――驚きだよ、君がいつもこんなことを考えていただなんて
――いやだなぁ、そんな顔をしないでおくれよ、だって……
――……だって、この世界はスティルトンの力を借りて、君が夢見た夢なのだから
*
ミーティングが始まる前のふとした時間。隣にやってきた王子が、ひそひそと耳元でこう囁く。
「お・は・よ、ザッキー」
気まずさで思わず身を躱せば、彼はニヤニヤとしながらこう言った。
「おや?もしかして」
「……ンスか?」
思わず棘のある返事をする。イラつきがうまく抑えられない。
「ふぅん?その様子じゃ昨晩やっぱり見たのかな?夢」
「見てねぇッスよ」
「嘘、嘘」
「なんでそんなこと……見てないって言ってるじゃないですか」
嘘はいつでも苦手だった。上手につけた試しがない。
「ね、教えてよ、どんな夢だった?」
「……」
「どんなって……別に大した夢なんかじゃ……」
口籠りながら脳裏に浮かんだのは、思い出すだけでも憚られるようなあの夢だった。
*
「じゃあ、ザッキーこんな話は知ってる?」
これは、昨晩食事中の、何気ない雑談の一場面だ。
「夜にチーズを食べると悪夢を見ちゃうって言い伝えがあるじゃない?」
知ってて当然という前提ですら、聞いたことのないようなものだった。けれど首をかしげる俺の様子を、気にするでもなく。
「でもね?実際研究した人がいて……種類によって色々違うんだって」
レッドチェダーを食べれば子供の頃の夢。ブリティッシュブリーなら悪い夢。朗々と彼は俺に語った。
「そして君が気に入ったという、そのスティルトン」
ふいに妖しさの増した視線に、なんだかドキリとしてしまう。
「これが見せるのは『奇妙な夢』」
「奇妙な夢?」
「そう。それを食べてすぐ寝ると、とても奇妙な夢を見るそうだよ」
男はチャーミングなウインクをひとつ。見慣れているはずのその姿も、夜の照明の下ではイメージが違う。視界がぐにゃりと歪んだ気がしたので、
(チッ……今日はちょっと飲み過ぎたかな)
心の中で舌打ちをする。
「僕もチーズはよく食べるんだけど」
言葉が脳裏にこだまする。言葉が反響するように繰り返されて、クラクラと眩暈が深まっていく。
「残念ながら見るのは平凡な夢ばかりで」
意識に刷り込まれていくようでいて、咀嚼しきれないほど漠然としている。
「見たら明日僕に報告してね?君ならきっと見ることが出来るような気がするんだ」
その後の記憶はおぼろげだった。期待に瞳を輝かせながら笑う姿が、頭にこびりついていくだけだった。
*
「ザッキー?」
呼ばれて、はっと我に返る。いつの間にかミーティングは終わっていた。
「大丈夫かい?ぼんやりとして」
心配そうに肩に触れようとする手を振り払い、アップのためのジョギングを始める。残っていたのは二人だけで、他のメンバーとの距離が遠い。
「あ、待ってよ」
並走しながら王子が言う。
「ね、一体どんな夢を?」
「……」
「ねぇ、嫌だなぁ、無視?」
心臓が爆発しそうなほど跳ねているのは、ジョギングのペースが合わないからではない。引き下がる気もない男の様子にイライラが募り、思わずこんなことを口走る。
「あんたが昨日『ぬくめ鳥』なんて話するから」
八つ当たりのようにそれを言い捨て、前の集団に追いつかんと、ダッシュで王子を振り切った。
「最初からそんなに速く走ってもアップにならな……ねぇ、ザッキー、駄目だよ、聞こえているのかい?」
そうしてずっと逃げ続けたまま、今日という一日が過ぎていった。
*
「もう……ちょっとくらい話をしてくれても」
無視して、ロッカーの荷物をガサゴソいじる。顔どころか首の後ろまで赤くなっている気がしていた。
「見たんでしょう?『奇妙な夢』を」
すぐ傍で着替えている王子からふわりといい匂いが漂っている。色も匂いもついていたあの夢が思い出される。体温、そして息遣いですら感じられた夢だ。
「僕なんて相変わらずさ。全然、夢なんて」
横目で盗み見れば、すらりと伸びる露出した二の腕。あの腕が俺の体に絡みついていた夢。
「結局昨日は一人寝で寂しく……あぁ、本当はそんなはずではなかったのに」
日差しを知らない白い腕。長い指先、器用な動き。思うがままに俺を扱った。それは、あまりに生々しい、考えたこともない過激な夢。
「ん?」
俺の視線に気づいた王子が、小首を傾げて、ふと笑う。
「ザッキー、今日はやっぱり少し変じゃない?一体どうし」
慌てて目を逸らして帰りの支度をする。動悸が激しく目が眩む。
*
逃げるように帰った俺は、『ぬくめ鳥』のことを考えていた。寒い冬の日に捕まえた小鳥を使い、鷹が足を温める話だ。一晩そうして共に過ごして、役目が済んだ翌朝には食わずに放してやるという。
あの夜、
「こんなに寒くなるなんて言っていたっけ」
と、天気予報を少し腐しつつ、王子は吐息で指先を温めていた。それを見て、ふと、こう思ってしまった。
(本来なら、あの手は当たり前に彼女の体温を求めて……)
そうして自分もまた感触の失われていく指先に気付いて、ポケットに入れひっそりと一人、温めていた。
赤く染まるその指先は物悲しく、そしてそれもまたとても美しかった。小鳥を捕まえそこなった鷹の、凍える姿が堪らなかった。
*
「……」
あの、帰り道のことを思い出すと、ギュ、と心臓が痛くなった。
(わかんねぇ。俺、王子が振られて嬉しかったんだろうか)
夢に惑わされているのは明らかだった。
(違う、気の毒にって、だって、王子は彼女に会えなくて寂しそうで……)
いつも、無駄に明るく誘う。いつでもその影にある切なさが伝わってきて、一緒になって辛くもなった。
(かわいそうで……、だから少しでも慰めてやりたいって思うからこそ俺は)
突然舞い込む我儘な誘いを、必ず俺は優先していた。物珍しい体験も興味深かったが、やはり理由はそれだけではなかった。笑い、時々ふと憂い、でも、帰りにはいつも晴れやかな笑顔を浮かべる、その姿を見るのが何よりも楽しみだった。
(そのはずだったんだ……違ったのか?……そんなのただの綺麗事で、実際は)
自分の気持ちがわからなかった。覚えているのはチーズの夢。
(ざまあみろって……まさか、そんな)
あの夜、夢で言ったのだ。小鳥を逃がした鷹をあざけり、馬鹿にしながら、笑っていた。
「王子……」
ベッドに寝そべり、両手を見つめる。真っ赤に染まったあの指先を、寂しさを、そしてその愛らしさを、実際、どうしたいと思っていたのか。
*
夢の中で爪先の赤さを大いに笑われ、そのことに王子は戸惑っていた。
「嘘でしょう?いつもそんな風に思っていたのかい?」
笑顔は完全に消えていた。
「必死に掴まえにくい小鳥ばかり追って……そんなじゃあんたの凍えはおさまらない」
「……」
「自分でもわかっているんでしょう?いざ小鳥を掴まえたらあんたは足を温めず食ってしまう。腹は満ちても、虚しいだけだ」
猛々しく語る自分の姿を、映画を観ているかのように眺めていた。
(虚しいだけ?王子が?一体、何を言ってるんだ?)
巨大スクリーンの中の物語は、そうして淡々と続いていった。
「結局、いつまでたってもきりがないんだ。王子、そうは思いませんか?」
「……」
「ほら。やっぱりわかっている」
映像の中の自分が、王子の赤い指先をいきなり捕らえた。
(な……おい、ちょっと待……)
思いもしないチーズの夢は、想像の枠など簡単に超えて、どんどん奇妙を重ねていく。
「いい加減、わかってくださいよ」
「……ザッ」
「あんたの青い鳥ってやつが、結局どこにいるのかってことを」
画面の中で握られたその冷たさが、観ている自分にも伝わった。ゾクゾクと背筋に走ったものが、悪寒か何かはわからなかった。
「どういう……?」
「だから!吐息より、我儘な小鳥より、あんたはこういうものが欲しいのでしょう?」
凍えと凍えの接近遭遇、それでも時が過ぎるにつれて、少しずつお互い生気を取り戻していく。
「ね?俺にはちゃんとわかるんですよ。王子の、本当に欲しいものが」
その頃には観客だった自分はすっかり、物語の中の自分と一体化していた。
「……そして、なんだって与えられる」
切なさに潤んだその目が、とても、とても綺麗だと思った。
「そう、本当に『なんだって』です」
そうして当たり前のように吸い寄せられ、彼もまた抵抗することなく受け入れた。
「ちゃんと俺のことを見てくださいよ、ねぇ、王子、お願いだから」
夢の中のハグは妙にふわふわとしていて、それでも温かみと幸せがあった。
「……俺で癒してみませんか?王子の、その、心の凍え」
「……」
「王子、そのためなら俺、それこそ『なんだって』出来ますよ?」
「……なんだって?」
「そう、生かすも殺すも自由自在に」
揺らめく、このどうしようもない熱情を、どこかでわかっていたような気はしていた。
「だってそんじょそこらの小鳥じゃない。俺はあんたの手のための鳥なのだから」
――僕のための……?
揺らめく、この彼の中のおさめようもない欲望を、受け止める覚悟ですらとっくの昔に。
*
「お・は・よ、ザッキー」
あれは、チーズの見せたただの夢だ。そう心に言い聞かせる日々の中でも、王子は変わらず俺を誘い続けた。
「悪いんだけど、今日この後、何か予定ある?」
目に宿るその切なさと憂える思いが、自分へのものではないとしても。
「そう、良かったよ。本当に困っちゃってさ……実はね?」
こんなことを頼めるのは君くらいしか、と、苦笑してウインクしてみせるその心根が。
「全く、こういうの本当に参るんだよね。まあ、それが彼女の魅力でもあるんだけど」
やれやれと溜息をつきながら遠くを見つめ、それでも明るく笑ってみせる強がりが。
「ありがとう、付き合ってくれて。今日は本当に助かったよ」
やがて、晴れ晴れと、そう、この帰りの時の、この瞬間が。
「……ザッキー?」
「……」
そう、チームを象徴するあの『王子』様と、今一番近くで寄り添いあっているのだという優越が。
「大丈夫かい?具合でも悪いの?」
「あの」
「ん?」
何を言い出すのかと思う程度には自らを失い。
「……この前の店、旨かったッスね」
「この前?」
「チーズの」
「ああ。あの店」
「すっげぇ、変な夢、見ちまいました」
「やっぱり?ねぇ、一体それはどんな」
今日もまた冷たく赤く、そんな指先を見ながら言う。
「また行きましょうよ。もし、王子もスティルトンで奇妙な夢を見たなら、そん時、教えてあげますよ」
「ええ?だって前にも言ったけど僕はそういうのは全然」
「いいから、いいから」
そして、思う。
「いっつもそっちの都合に合わせてばっかなんですよ?たまには俺の誘いにも付き合ってください」
「あぁ、まぁ確かにそれもそうだね?」
少し尖らせた口元を緩ませながらご機嫌な様子の王子に対し、夢は、夢ではないのではないかと。
「でもさ、こりごりっていう感じじゃないってことは、結構いい夢を見たのかな?」
「聞きたきゃ、あんたも見てくださいね」
「意地悪だなぁ」
彼の見る夢を知りたく思う。
「結構、難題だなぁ。一体何回通えばいいのやら」
今日という一日もまた終わっていく。凍えるような寒さはまだ色濃く、それでも春の気配を僅かに感じた。
*
(それにしても……すげぇよな。俺、今日、王子のこと誘ったんだ?)
繰り返される明日の約束をなんなく取り付け、気持ちがかなり上擦っていた。
(特に変な気持ちにもさせずに済んだ。普通に王子も喜んで、くれた?)
今まで未経験な感情に包まれ、戸惑いながらもにやついていた。
――でも、君がそんなに気に入ってくれたなら、あの日の僕も救われる
報われるとあの日言った男は、今日は救われると言って笑った。チーズの夢の中で感じたあのゾクゾクを、現実の世界でも体感した。一瞬で指先まで熱くなるような、どうにも不思議な感覚だった。
――ありがとう、ザッキー
記憶に残る王子の爪先の繊細は桜貝を思わせる、とても美しい形をしていた。
(そうか、なるほど、あの薄紅に春を感じたのか)
ぬくめ鳥の季節が終わっていく。でも、寄り添う温かみはいつでも必要なものだ。
――君が傍にいてくれて本当に良かった
大好きな笑顔をまた見れた。寒さに凍える鷹の憐れよりも、大きくその羽を広げる優雅さがいい。
だから次に見るであろう夢について、俺は願った。
(あんたがいるだけで温かい。そう言って王子を温めてあげたい)
彼の笑顔で温められた指先で包んで、キスをして囁くように告げたいと願った。
(伸び伸びと、そして大らかに。いつまでも我儘な人でいて欲しい)
くるりと輪を描くのはトンビか鷹か。気まぐれなその姿はまさに王子に思えた。
(安心してゆったりと寛ぐといい。そのためなら喜んで……残酷で移り気なあんたのためだけの、健気な小鳥にだってなれる気がする)
