お花結び

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*

例えわけがわからなくても

【12183文字】
海外移籍が決まって「笑って見送らなくちゃ」とマヌケな努力をするジーノと、それが寂しい赤崎が襲い受け的に愛の告白しちゃうコメディ寄りの軽いジノザキ。遊び半分(趣味まっしぐら)に視点がコロコロ変わります。注意。

        ジノザキ

 結局この日が来てしまった。こんな気持ちは想定外。だってずっと彼の夢を応援し続けてきたボクだから。
 移籍先の組織を色々と調べまくるのは、キミの幸せを祈っての事。ずっとそんなつもりだった。
(いい場所であればあるほど何だか……)
 笑顔のキミが見たかった。でも結局それはあくまでもボクの傍で、というわけだった。ここ以上に彼があっちに満足してしまったらと思う自分を醜いと恥じた。幸福に浮かれるキミを正視出来ない、そんな自分が惨めだった。

*

「良かったじゃない!」
 開口一番、王子は煌めく笑顔。過去最高のものと言っても良かった。英語くらいしかわからない俺の為に王子は色々教えてくれた。言葉のニュアンス、業界のスラング。サッカー用語の中に点在する国の歴史と文化の背景の話はいつも俺をドキドキさせた。だから、あの人のおかげで海外の世界がより一層身近に感じられるようになった。教科書の知識が生々しい血の通うものに変化した。王子の住む世界は周りの人間とはかなり違って、いわば日本に居ながら世界に繋がって生きる人。俺の夢がこうして本当に現実と地続きになったのは確実に王子のおかげかと思う。

 そうしてこの日が来てしまった。こんな気持ちは想定外。俺は王子の傍を離れる事が、これ程不安とは思わなかった。
「あの監督は今は無名だけど、きっとそのうち世界中に名を馳せるよ」
「そうッスかね」
「勿論さ。そしてキミはその一歩を共に歩くって事になるのかも」
 もろ手で喜ぶ王子の姿に、俺の気持ちは複雑だ。
「王子、あの」
「ん?」
「……あっち行っても時々、今みたいに連絡しても平気ですか?」
「何言ってるんだよ、当たり前じゃないか」
「本当に?もうチームメイトじゃなくなっても?」
「勿論。チームメイトじゃなくなっても、元チームメイトである事は変わらないもの」
「元チームメイト……」
「ん?不満?」
「少し」
 俺は毎日顔を合わせる距離から、地球の裏側くらい遠い場所まで行ってしまう。交友範囲の広い王子の、砂粒みたいな存在になる。
「大丈夫だよ、キミはどこに行っても可愛いボクの番犬だから」
「……」
「ボクを助けるのがキミの仕事。それはずっと変わらないから」
「でも俺、助けるどころかいつも助けられてばっかりいて」
「だから活躍!約束して?」
 手を差し伸べられドキリとする。王子と握手をするのは初めてだ。
「ここにいた時みたいに向こうに行っても。ねぇザッキー、ボクの自慢のキミでいてね?」
 そんなつもりじゃないのに、力強く握るその手に不覚にも目頭が熱くなる。
「キミの明るい笑顔の記事が、こっちにまで沢山舞う事を祈ってる」
「……は、い」
「現地で読めない記事があったらボクに言って?要約して再送してあげるから」
「はい……」
「そうじゃなくても何かあったら、ううん、なんでもなくたって連絡を……」
「……」
「遠慮しないでいいから」
「……」
「怖くないよ。そんな顔しないで?キミならきっとやれる。保証する」
「王子……」
「絶対、通用するよ。いつも通りやればいい」
「……」
「大丈夫」

「大丈夫だよ、ザッキー」

*

 おずおずと繋いだ手をそれでも二人延々握りしめ合いながら、赤崎は黙し、ジーノはそれを励まし、いくばくかの時間が過ぎていった。本当に伝えたいものはもう喉まで来ていて、でも二人ともどうしてもその一言を口に出来なかった。
「王子、本当に」
「ん?」
「これで終わりなんかじゃ……ないッスよね?」
「何を言ってるんだい、当然じゃないか」
「俺、馬鹿だから真に受けちまう。いつでもって言われたら本当に俺、いつでも?って、信じてしまいますよ?」
 それは赤崎の、やっとやっとの一言だった。核心に迫るところからは遥か遠くの、でも精一杯のジーノへの気持ちの表現。
「フフ、勿論だよ」
「本当に?」
「本当さ。キミがそういう子だって事もちゃんとわかってて言ってるんだから」
「じゃ、いつでも?」
「いつでも」
「夜中でも?」
「うん、夜中でも」
「朝でも?」
「朝はそうだね、出なければ何度か掛けて?そしたらきっと起きるんじゃないかな?」
「何度も?本当にしつこく掛けちゃいますよ?」
「いいよ?まあ流石に試合中は何度掛けられても出られないかもだけど」
「ちょ、それは当然ッショ」
 クスクスと笑うジーノに赤崎もつられて少し笑った。
「朝なんて絶対機嫌悪くなる」
「そうかも」
「やっぱり」
「冗談冗談。朝は苦手だけどそれを知ってるキミがそれでもどうしてもって事なんだから、きっと名前を見れば不機嫌も治っちゃうんじゃないかな?」
「王子……」
「それくらい大丈夫って事さ。わかってくれる?」
「あ、ありがとうございます。なんか俺、めっちゃ子供みたいな事言ってますよね?」
「そんな事ない。嬉しいよ」
「あんたがそうして甘やかすから俺……」
「おや、嫌なのかい?」
「嫌とかじゃねぇけど」
「じゃ、いいじゃない?四方八方にトゲトゲしていたら疲れてしまう」
 またクスクスと笑うジーノに、赤崎は溜息交じりでこう応えた。
「俺、王子から見てそんなに尖がってますかね」
「尖っているっていうより、そうだね、あまりにも人の好意に敏感過ぎるのかなぁ?」
「?」
「もう少しちゃっかりしたところ、身につけてもいいのかなっていうのは思うね。特にあそこはオーバーなくらい感謝の気持ちを表現した方がいいお国柄だからね。最初はちょっと苦労するかも」
「……」
「大丈夫、ボク相手に特訓を続けて、随分良くなったと思うよ?」
「……お世話……掛けます」
「ハハ、そうそう、素直。どういたしまして」
「……」
「ん?」
「いや……俺、こんな心細くて、向こうでやっていけんのかな……って」
「……」
「王子が傍に居ないなんて、凄く寂しい……」

*

 その時のボクの気持ちを、どう表現すればいいかなんてわからなかった。ともかくザッキーはボクが口に出来なかった「寂しい」の一言を、やすやすと言った。

「大丈夫。キミは強いし」
「そ、ッスかね……」
「そうさ」
「本当はそんな事思ってないくせに」
「思ってるよ」
「だってあんた俺が本当は弱っちろい事、誰よりもよく知ってるじゃないですか」
 こんなにもボクを嬉しくさせてしまう事を、キミは他意なく言ってしまう。
(誰よりも?そんな風に思ってくれていたの?そういう事をサラっと言えちゃうんだねぇ、キミって。意地っ張りなのに、可愛いったら)
「皆には内緒ッスよ?俺が実は“甘えた”なタイプなんだとか、泣き虫なんだとか、ハゲとかにバレたら100%死ねる」
 笑うつもりもないのに、表情が崩れてしまう。にやけているのを見られたくないな、と思いながらも、もうキミから目を離せない。
「そんなの、王子にだけなんッスから……わかってるだろうけど」
 一言一言、噛みしめるようにキミは言って、ボクの心に熱さが灯る。これが何かはボクも知らない。キミもまたボクと同じように、キミのその思いが何であるのか知らないだろう。でも、そんな事はもうどうでもいいとボクは思った。困惑して口籠るキミが、とても辛そうな事だけ理解した。
「……王子?」
 ポフポフとキミの頭にこうして触れるのはあと何回程?なんだかわからないものは、とても恋に似ていながらも、それでも全然違うと思った。苦しくて、切なくて、愛おしくて、何もかもが、そう、何もかもが似ていながらも根本的に違っている。キミへの思いは過去ボクが経験したどんな恋愛よりも純粋に強く激しいものであって、そして不器用で頑ななはずのキミからの無条件の信はまさしく、それにかなう大きな大きなものであった。とてもとても清純で、ある種の窒息すらせんばかりの張り詰めたもの。つまり、あまりにも愛欲の後ろ暗さとは対極のもの。ボクはキミに会うまで、これ程美しいものがボクの心の中に存在するなど、ひとつも気付いていなかった。
「大丈夫。キミはやれるよ」
 そうして、もう何度目かの大丈夫を、可愛いザッキーに呟いていた。

「王子、俺……」
「ん?」
「大丈夫じゃない」
「ザッキー、そんな事」
「大丈夫じゃない、全然駄目みたいです王子、あんたがあんまりにも優しいから」
「?」
「つまり……」
「つまり?」
「お……王子の事が……」
「何?聞こえないよ」
「好きだ!っていう事ッス!だからこのまま離れるのは寂しいって!」
「ああ、ボクもキミが好きだし、本当になんだか寂しいよ」
 ようやく言えた。寂しいの一言。伝えられて少しホッとしたのもつかの間、
「そういう事じゃなくて!」
「イタタ、痛いよザッキー」
 ボクの手を握りしめる両の手がギリギリ締め上げるので、思わず腕を引いたのだけれど、更に爪を立てられて困ってしまう。
「痛いってばッ、ね、やめて」
「バカ!王子のおたんこなす!」
「は?」
「すっとこどっこい!」
「ちょっと、待っ」
 急に雷門の大提灯ヨロシク真っ赤になって、ザッキーはそのまま逃げてしまった。
「……何あれ……急に江戸時代の人みたいになっちゃった。変なの」

*

「何がモテモテの色男だ!あんな奴ただの鈍じゃないか!」
 帰宅早々、バシン、と鞄を叩きつけて、俺はへなへなとへたり込んだ。
「……そうだよ。あの人が敏感なのは女心だけで」
 何度も押し殺し続けてきた気持ちだった。言うつもりなんてずっとなかった。
「当たり前だ……俺が王子を怒る筋合なんか……なのに、あんなに優しい顔して甘やかしやがるから俺……」
 冷たい床からザワザワと後悔の念が次々に湧いて、重たい体を包み込む。
「あー!なんであんな事言っちまったんだ?」
 もだもだと枕を抱えて転がりまくって、自分の愚かさを呪っていた。

*

 あれ以来ザッキーがとても変で、ボクはとても困ってしまう。電話を掛けても出てくれないし、あと僅かしか残されていない練習日でもなんだか避けられている気がする。
「ねぇ、どうしちゃったの?」
「んでもねぇッス、あ、丹さん、ちょっといいッスか?」
 ボクはザッキーが大好きなので、なんだかとても不愉快だ。

「ザッキー」
「え?痛ッ、何すん……」
「いいから来て」
 だからとうとう、実力行使。練習後ボクはザッキーの腕を掴んで、引き摺るように食堂へ。昼賑やかなこの場所も、夕日に包まれて静寂の中。
「どういうつもり?なんか変だよ、ザッキー」
「……」
「意味がわからない」
 目を合わせようともしないボクの愛犬は、キツい目を一層吊り上げながら何か一点を睨んでいた。
「もうすぐ会えなくなっちゃうんだよ?キミもボクも好意を寄せ合い、別れを悲しむ仲じゃないか。ボクこんなにも一緒の時間を大切にしたいって思っているのに、ザッキー、ねぇ、何故?」
「……」
「変だよ、そんなの」

*

「そうですね、変ですよね」
 俺は反射的にそう返事をした。
「ザッキー……そういう事じゃないだろう?ボクが言いたいのは」
「変ですね、変ですよ。わかってます、それくらい」
 不貞腐れる俺の態度に、辟易しながら王子が言う。
「……なんかボク悪い事した?」
「……」
「訂正する、変じゃない、キミはこんな大事な時期に理由もなく当たり散らす子じゃないもの。ボクの何かに怒ってるんだろう?何に怒ってるのか、言ってくれなきゃわからないよ」
「……」
「今まで一度もキミにそんな態度された事がないから凄く戸惑っているんだよ。一杯ボクなりにも考えたけれど、やっぱり自分じゃ全然何が悪かったのかわからないし」
「……でしょうね」
 世間では気難しい事で有名な人が、こんなにも譲歩して話しているのに、俺は尚更頑なな態度で、引っ込みのつかない状況になる。
(チクショウ、そうやってまた俺を甘やかすからドンドン調子に乗らせちまうんだよ王子)
「辛いよ。ねぇ……こういうの、いやだ」
「俺もいやです。だから帰っていいッスかね」
「ザッキー」
「だから、なんであんたはそうなんだ。俺にだけそうやって、俺、困るんスよ」
「?」
「勘違いしちまうでしょう?なんか特別な関係なんじゃないのかって」
「何言ってるの?勘違いじゃないもの、キミはボクにとって特別なん」
「だから!そうじゃなくて!」
 ギ、と思わず王子を睨め付け、そして俺はドキリとする。
「あぁ、良かったザッキー、やっとボクの方を見てくれた」
 その顔がまさに蕩けそうで、嬉しそうで、幸せそうで。だから物凄くイライラとして、俺は思わず。

*

「!」
 胸ぐらを掴まれて、その勢いのまま壁にしたたか背を打った。こんなに不意をつかれたのは初めてだった。通常ならあり得ない事で、ボクは我ながら驚いてしまう。心の中には戸惑いが溢れ、屈辱の怒りも込上げない。
(不思議だ。なんだか凄く変な感じ……)
 目の前には燃える目をした我が愛犬。ボクの何かにとても怒って、なんだかとても申し訳ない。でも、無視されない事が、ボクの心を奇妙に癒した。
(ザッキーって白目の部分がほんのり青いんだよね……澄んでるっていうのかなぁ、とっても綺麗。こんなに近くで見るのも初めてだ)
「笑うなよ。何がおかしい?」
「え?あ、ゴメン」
 知らずに顔が綻んでいたようで、更にザッキーの怒りを買った。
「イチイチ喜んでんじゃねぇよ」
「……だからゴメンって」
「悪いとも思ってねぇくせに簡単に謝るなよ」
「いや、そういう事じゃ」

「あんた、そんなにも俺にかまって欲しいンスか?」
ポソリと呟いたキミの一言は、ボクの耳には届かなかった。そして、
「もう知らねぇよ、馬鹿」
その瞬間何が起きたか、すっとこどっこいのボクには、全く、これっぽっちもわからなかった。ただ、近づく青白い目に、うっとり、ただ心奪われるばかりだった。

*
 無理矢理押し付けた唇を離すと、王子は二、三、瞬きをした。多分何が起きたかもわからないままに、ぼんやり俺を見ていたのだろう。
(なんか別のリアクションあるだろ!どうしろっていうんだこの空気!)
 取りあえず王子のシャツを掴んでいた手を振りほどいて、俺は破れかぶれにこう呟いた。
「もう、流石に理解しましたよね?察しの悪い王子様?」
「……」
「俺の『好き』はこういう『好き』で、あんたの『好き』とは違うって事ッス」
 何もかも終わった。そう思った。

「ザッキー?」
 ビクリとする。今まで聞いたことのないトーン。
「何ッスか?」
「ゴメンね?なんとなくわかった気もするけど、念のため確認したい」
「どうぞ」
「こういう『好き』って、つまり……?」
 あくまでも言わせようとする王子にイラつき、俺はカッとなって目を伏せた。
「いやだ、ザッキー、ちゃんとこっち見て?ね、教えて?」
「そんなの言わなくてもわかるでしょ!」
「ちゃんと言って?」
「……ッ」
「キミはつまり、アレなの?ボクに欲情するような『好き』を持ってるって事なのかい?」
あまりに単刀直入な言い方に、俺はますます下を向いた。王子の顔をとても見れない。バツが悪くてどうしようもなかった。

「ゴメンね?ザッキー、ボク全然気付いてなかった」
「普通、そこで謝ります?あんたやっぱ頭おかしいッスよ」
「だって、ザッキー、辛かったろう?」
 王子のこういうところが何より、俺は大好きで大嫌いだった。王子はいつもとても正しく、間違えてしまうのはいつでも俺で、乱暴を受けながら今日も王子は、馬鹿な俺を許してしまう。
「ね、我慢してるの、辛かったね?」
 王子は俺を甘やかすので。
「こっちを向いて?いいよ?一杯、キス、しよう?」
 誘惑の指先が頬に触れて、俺はうっとりと顔をあげた。

「ッ、~~!」
 それはキスというよりも唇の交合。俺は王子に溶けていく。
「い、や……ッ、」
「何故?」
 溶けていく自分が、溶かす王子が、俺はどうしようもなく憎かった。それでももう延々と続くそれに、俺はもう逃げる術も持たなかった。
「す、好きでもないくせに……んッ」
「好きだよ?」
「ちが……」
「好きだよ、ザッキー、好きだから、一杯、一杯、してあげたい」
 いつの間にか固くて冷たい床の上で、さんざんキスを受け続けていた。
「……、ふッ」
「もっとかい?いいよ、ザッキー、大好き……」
 言葉とは裏腹にもう縋る事しか出来なくなってしまった惨めな俺に、王子は沢山キスしてくれた。そして極当たり前のように。
「いや、王子、いやだ!そこは駄」
「何故?こんなに張りつめてしまって……苦しいだろう?今楽にしてあげるね?」
「やめ、ああ!助けて、誰、か……」
 とても、とても恐ろしかった。俺をジッと見る王子のその目が。
「ザッキー、何故?誰を呼んでるの?いやだ、こういう時は相手の名を呼ぶものだよ」
「~~ッ、ん、はぁ!」
「どうして?ねぇ、嬉しくないの?こういう事、して欲しかったんだろう?ザッキー、ボクを見てよ。何故そんな顔をするの?」
「いや……おねが……」
「どうして?ザッキー、気持ちいいでしょう?ほら、こんなにも、すぐだよ……」
「たすけ……王子、やめ……」
 官能に震えながらも泣きじゃくる俺が、王子の名を呼んでようやくその時、恐怖の魔法は解けていった。
「ザッキー、やっぱりよくわからない。何故?キミはボクをどう『好き』なの?」
 怖い目をした怖い王子は、みるみる悲しい王子になった。
「なんだか大事なものがわからなくなった。ボクもわからなくなってしまった」
そしてとても傷付いたような目をして、憂いの姿で立ち去っていった。まるで彼自身が、俺にレイプされたかのように。

 そして俺達、それきりだった。もう二度と視線を交わす事すらなかった。あれだけ約束し合った密なる連絡も、出国後一度も行われる事がなかったのだった。

*

 彼がいなくなった今でも、ボクは楽しかったザッキーとの日々を、いつもいつも思っていた。
(何がいけなかったんだろう……)
 キスされて自分は何を思ったか。彼の中の性欲を暴いて、自分は何をしたかったのか。
(わからない。ザッキー、何が駄目だったのかな)
 ともあれ、ボクの中にあった綺麗なものは、あの日限りで失われた。あれは恨みの行為であったか。それとも。
(ザッキー、ボクを拒絶したんだ。土壇場で、ボクを置いて逃げ出した)
 嫌な考えが頭を掠めて、その度何度も否定をする。
(違う、そういう事じゃないんだ。性急に過ぎたんだ。あの子は欲しかった、でも繊細で、ウブで、ボクと違ってとても不慣れで、そう、きっと心の準備が……)
 それでも、何度あの場面を思い直しても、ボクは必ず間違いを犯した。ボクがあの日思いとどまれた事は、今じゃ万に一つの奇跡。泣きじゃくる姿が忘れられない。ボクは明らかに。
(ヤバかった。暴力的行為にあんなに興奮してしまうなんて、そんなの今まで一度も……だからなの?ザッキー)
 ボクを欲しがる子は数多にいて、ボクは嫌がられた事がなかった。ボクは何よりも大切なあの子に、求められては捨てられた。
(ザッキー、苦しい……辛いよ、もうずっとだ)
 また昔のように綺麗なものをと、喪失を知る度に心荒んだ。
(前みたいになりたい。でももう無理だ、ボクの大事な何かが壊れてしまった)

*

 帰国の度に、古巣に戻る。ここはいつでも俺の家だ。オフはバカンスと決めているあの人は、いつでもここに居た試しがない。
(でも王子、ウチに結構長い事居るよなぁ?)
 何もかもが昨日の事のように思えていても、ETUにはもう俺のロッカーは存在しない。所在無さげに荷物は床にと思っているのに、不思議と周りは図々しいという。
(俺、そんな偉そうな態度してっか?)
 気心の知れたかつての戦友、そして見知らぬ新加入者。俺は確かに堂々と肩を並べ、でもそれくらいは当たり前じゃないかと思ってもいる。
(ちゃんと手土産だって買って来てるし、サポだって喜んでくれてる。なんもおかしくねぇよな?俺の態度)
 そうでしょう?王子、と呟きかけて、俺は内心舌打ちをする。キス一つで終わってしまった俺らの日々は、今でも俺の中では続いたままだ。
(依存し過ぎ……駄目だな、ここに来たら良くなるどころか悪化する)
 絶対に俺の帰国を知っているのに、もう音信不通の二人が会えるチャンスはこれだけしかないというのに、今回もまた不在の人を、俺は思って心荒んだ。
(忘れろって事だろ?わかってますよ王子、もう過去の話だ。わかってる。わかってるよ)
 体が麻痺するような痛烈なキスの余韻は、未だ俺を呪縛していた。
(どうせ終わるなら、あのままいっそ……)
 もう何度目かのあの時の想起は、いつも不愉快で止めたいもので、でもそれを思うほどに王子の温もりが肌を包んだ。過ごした時より離れた時間が、もうとっくに長くなり始めたような頃の話。

*

 だからこそ、不意打ちのようにこの東京の街中で、二人が出会ったのはどうにもあり得ない出来事だった。久しぶりに出向いたランチタイムのトラットリアの、盛況が奇跡の相席を生む。あまりの偶然に二人竦んで、長い沈黙を経てようやく、ポツポツとした会話が始まる。
「……やあ、久しぶり」
「ど、どうも」
 極自然に振る舞うジーノに対して、赤崎はどうにもぎこちなかった。何故なら。
(王子、まるで別人みたいだ……最初見た時わかんなかったくらい、この人、変わった)
 赤崎を際限なく甘やかす王子様は、本当にあの日限り消えてしまった。そして同時に。
(ザッキー、まるで別人みたいだ……最初見た時わかんなかったくらい、この子、変わった)
 甘やかす王子様に甘えるにふさわしい、可愛い愛犬もこの世から消えた。甘え間違えたあの日の犬は、猜疑と虚勢に包まれていた。二人はそれぞれ、それを感じて、ますます喪失のダメージを負った。

 それでも、ぎこちない空気に大ナタを振ったのは、今日もまたジーノではなく赤崎だった。
「王子、スイマセン俺」
「何が?」
「いや、あの日、の……」
「あの日?どの日の、なんの事かもわからないね」
 取り澄ますジーノはその実、取り澄ますほど意固地であった。
「食堂の、あの、」
「キスの事?」
「……ッ」
「そもそも謝るのも意味不明だけど、謝ってるのは、キミがした事?それとも、させた事かい?」
「……両方ッス」
 向かい合わせ、互いに皿をつつきながら、一切互いを見ないままに、会話だけが訥々と続く。
「へぇ?後悔しているの」
「はい」
「そう」
「なんでも許されるって、俺、調子に乗り過ぎてた」
「許されないような事をしたって言いたいのかい?……違うだろう?ボクはなんでも受け入れた。別に何かを無理強いされたわけでもないし、単にキミが怖くて途中から逃げ出しただけの話じゃないか」
「!」
「ボクのせいにして、そして謝った気になるのはやめて。そういうのは嫌いだ」
「……は、い」
「冗談だよ。鵜呑みにしないで?キミのせいにしたがるボクのいい分を肯定する必要なんてさらさらないんだから」
「いや、俺は俺のせいだってわかってっから」
「キミのせいじゃない。でもボクのせいでもない。つまり誰のせいでもないって事さ」
「……」
「だから謝らないで。頭に来るから」
「王子……」
 そんな時届いたのが、かつてシェアして食べたピザだ。
「足りないだろう?半分どうぞ」
 もっと小さいものもあるのに、わざわざこれを。赤崎はつっけんどんなジーノの影に、前と同じ優しさを見た。
(王子ホントはマルゲリータの方が好きなのに……黙ってりゃいつもこうして俺の好きなのを勝手に……)

 弾まない会話は、弾まないままに。
「……過ぎた事だ。みんなね、そうだろう?美味しいものを食べて、もう忘れよ?」
「……」
「ボクもキミが『好き』で、キミもボクが『好き』だったみたいけど、なんだか結局その『好き』が上手く噛み合わなかった。そんだけの事さ」
「だから噛み合わなくなったのは俺が」
「もうやめてって言ってるだろう?聞いてなかったのかい?」
「やめません王子、そうです、あんたの言う通り、俺の言う事ならなんだって許してくれた。なのに俺は肝心なところでビビっちまって、あんたを凄く傷つけてしまった」
「傷付いてなんかいないよ」
「嘘だ、王子」
「嘘じゃないよ。そんな事で傷付くわけがないだろう?」
「ならなんで?なんで俺の事もう見てくれないんですか?」
 ふつ、とフォークが止まって、それでもそれは一瞬の事で、ジーノは何事もなかったかのように優雅な仕草で食事を続けた。
「王子、顔上げてくださいよ」
「食べさせてよ……冷たくなったら美味しくない」
「王子!」
「キミのはもっとそうじゃない?さっさと済ませたらどう?」
「……」
 そうして淡々と時は過ぎて、セットのコーヒーも運ばれ、奇跡の幕引きが始まろうとしていた。
(何か言わねぇと……もう二度とこんな機会は……でも一体何を)

*

「ザッキー、もう最後だから言うね」
「!」
「ゴメン。誰のせいでもないだなんて狡かった。本当はボクが悪かったんだってちゃんとわかってるよ」
「王子ッ」
 赤崎が顔を上げると、そんな赤崎をジッと見つめる、昔ながらのジーノが居た。

「ボクはキミがとても『好き』で、でもキミに何をしてあげればいいのか、結局ずっとわからないままだった」
「そ、」
 そんな事はないです、と、赤崎は言いたかったというのに、結局そのまま、ふるふると頭を横に振るしか出来なかった。
「あのね?キミはボクにとても大切なものをくれたんだ。今でも心から感謝してるよ?……今はもう失くしてしまったけれど」
「失くした……?」
「何もかも、キミが欲しがるものならただただ、全部キミにあげたかった。心でも、体でも、物でも、時間でも、ボクに出来る事なら、ボクが用意できるものならなんだって、って。そんな気持ちになれたのは初めての事だった」
 それは何よりも深い愛で、赤崎はジーノの優しさの本質について、今この時初めて気が付いたのだった。そして「失くしてしまった」前提がつく現在を、とてもとても悲しく思った。
「もう……ない……失くしてしまった?」
「……」
「俺が馬鹿だったから?逃げたから……俺が、自分で……?」
 壊したものの大きさについて、今改めて絶望をする。
「ゴメンね」
「あ、あやまらな……」
「たったあれだけの事で、ボクはわからなくなってしまった。それはキミのせいじゃなくて、本当はボクの馬鹿のせいだよ」
「違います、王子、王子は馬鹿なんかじゃ」
「馬鹿だよ」
「馬鹿じゃない」
「馬鹿だよ、だってわからなくなってしまった。果たしてボクはキミに全部あげたかったのか、それともキミの何もかもが欲しかっただけだったのか」
「王子、それは……ッ」
 あまりにも当然の愛の帰結に、気付かないままにジーノが続ける。
「ザッキー、今でもわからないんだ。キミの中にあったあの時のボクへの『好き』が、そしてボクの中の、もうわからなくなってしまった『好き』の形が」
「お、うじ……本当に?」
「?」
 そうして失われたどころか、深いからこそ生まれた純なままのジーノの心を、赤崎は触れた途端、言うべき言葉を失ってしまった。愛も欲ももう見えない程、それほど盲目に人を愛してしまった男の姿は、赤崎にも、もうまともには見えなくなった。ただ項垂れて不甲斐なく喜びとともに滴る水滴が、固く握りしめた拳にポトポト落ちていく、ただそれだけの話だった。
「こうしてまたキミと居ると嬉しくって、なんだか何もかもわからなくなって」
とジーノは淡々と言って、続けて、
「ねぇ、ボクは今何を思うだろう?これはつまりキミに欲情してるって事なんだろうか。ボクはそんな風にキミを?そういうんじゃないはずだったんだよ、なんだか変なんだ」
 好きだからこそお互い求め合い惹かれあう当然の事実を、ジーノは怯えるように口にしていた。
「馬鹿だろ?言っている事が滅茶苦茶だよね?自分で自分がわからないだなんて」
と甘えるように小さく囁き、固く握りしめた赤崎の拳の傍に涙拭うハンカチを置き、
「馬鹿だ。酷く混乱して、またボクはキミを傷付けるんだ」
 ただ赤崎はふるふると首を横に振り続けた。すると、ジーノは伝票を二人分当然のように持って、そして、
「ゴメンね、元気で。もう二度と会いたくない」
と、うなだれたままの赤崎の頭の毛を、サラリと優しく撫でつけたのだった。

*

 どこから何を説明すべきか、赤崎が考えているうちにジーノはカランと聞き慣れた懐かしいドアの音を立てて、優雅な足取りで去って行った。
 体に沁み込むいつものルートは、もう赤崎の足を迷わす事なく、一目散に獲物めがけてただひたすらに動かすだけだ。
(そう、この小道を必ず俺らはカットインして)

「この、すっとこどっこいが!」
「なッ……」
 そうして赤崎は後ろから飛び付き、驚いた振り向きざまのジーノにキスをした。
「俺が全部教えてあげますよ王子」
「ちょ……やめて、ボクはこんな事、」
もたつくジーノに、構わず言う。

「わからないんでしょう?いいです、教えてあげますから!あんたがどんなに俺の事を好きかって事をね?」
 ジーノはぽかんと口を開けて、二、三、瞬いて、
「あんたが、どんなに俺に骨抜きかって事をね?」
そこまで言われて、ようやく笑った。

*

「王子、もう寝かせて……」
「何言ってんだよ、全部教えてくれるんだろう?ボク、まだまだよくわからないから確かめさせてよ」
「こんだけすりゃ十分だろうが……大体あんた前戯が長すぎて……今何時だと」
「全然だよザッキー。少し焦っちゃってたくらいで……ね、次はゆっくりやるから」
「じゃ、その次のお楽しみってやつはまた後日って事で、俺今日自主練で結構負荷かけてき……ねぇ、王子聞けって」
「ん、だからマグロんなってていいよ、ボクに任せててくれれば」
「はぁ……」
「待ってよ、いくらなんでも初めての夜に溜息つくなんて酷くない?」
「酷いのはあんたの、って、ちょ……待って、王子あんま弄んなって言っ」
「フフ、ほら見てよ。まだまだキミの体はボクに教えてくれる気あるみたい」
「……」
「ザッキー、好きだよ」
「卑怯だ、こんなタイミング、で……あッ、嘘だろ、もう挿!?んッ!」
「だってさっき文句言ったからさぁ?だから挿れてからゆっくりしようかなーって」
「ああ……、待っ、んんんッ」
「そっか、こういうの好きなんだ?」
「~~ッ、ん、んぅ」
「もうトロンってしちゃって」
「……ッ、ッ」
「よし、がんばっちゃおう」
「あ……」
「ザッキー、好き」

「好き」

「そんなにいい?」

「うん、もっとだね?」

「一杯しよう」

「ねぇ、骨抜きって、気持ちいい」

(クソ、俺もそうだよ、おたんこなすめ……)

      ジノザキ