俺がその後に知った事
【10845文字】
先日の後天性わんこ崎のカットした初エチシーンを気晴らしに書きました。いい気晴らしになりました。目的のエチーシーンは2ページ目で自分で長いよやっとかよと少し辟易。1ページ目は飛ばしてもかまいませんw
あの夜、朦朧とした意識の中でとても印象に残っているのは、何度となく俺の額に乗せられたタオルと同じ冷たい手だ。王子の両の手はタオルを絞る時以外、ずっと俺の手を包み込み続けていた。
俺は熱で目も耳もきかなくなって、彼の存在を感じられる手立てはもうその一つに限られていた。王子はどうやれば一番俺が安心できるのかを知り尽くしていて、延々とそうして手を握ってくれた。湧き上がる体内の熱は止めどもなくて、でも手は延々と飽きる事なく冷やし続ける。俺は冷たさに気付く度に何度も何度もホッとする。俺を食い殺す恐ろしい本も、俺を切り刻む白い部屋も白い人もそこにはなくて、ただ真っ黒な世界の中、一番必要な人がそこにいる実感だけが俺の身に溢れた。
そして俺はそれを全部、自分が作った大変都合の良い夢だと思った。けれど、すっかり熱の下がった俺が目覚めた時、出来過ぎの夢同様、俺の手は何かに優しく握られたままだった。
(ああ、この感触は……)
繋がれた手の先には本当に看病疲れの王子がいた。けれど、まるで俺の見る悪夢を引き受けてくれたかのように、その人は崩れるように突っ伏しベッドの端で昏々と眠り続けているばかりで、全然目覚める気配がない。
(王子が繋いでいたから?だから、俺、戻んなかったのか?)
この思いは想像ではなく実感だった。人となったあの日と同じに体全体がまだ痛いのに、王子が手を繋いで傍に居るだけで、全身の細胞がジワジワと解きほぐされていくように思ったからだ。脱力にも似たこの感覚が愛おしくて、なんだか少し泣きそうになった。
(涙って、出るの、悲しい時じゃなかったっけか)
ずっとこうしていたいと思った。でも、熱が下がり夢から覚めた俺はもう、夢見がちなままではいられなかった。今、俺は王子に守られていて、だからこそこのままではいられないと強く思った。俺は王子の誇りでありたい。守られるでなく守りたい。これは俺が俺に課した真なる願い、生きがいそのものであったから。
「王子、王子?風邪引いちゃいますよ?」
最初は小さく声を掛けてみる。小ささの理由の半分はこの寄り添いへの未練。もう半分は寝起きに驚かされると終日コンディションがおかしくなってしまう繊細な彼の性分の為。繋がれた手を少しだけ動かすと、王子はそれを追うように身じろぎをする。
「……ザッキー、大丈夫だよ。いるからね?怖くない」
寝惚けた王子の慌てるように零れた寝言に、なんだか胸が痛くなってしまった。思えば王子に言って欲しい言葉の全ては、本当は言わせたくないものばかりだった事に今更気付く。
(王子、王子、嬉しく思ってゴメンナサイ。一杯心配かけてしまってゴメンナサイ……)
俺は王子の癒しでありたかった。悲しげな顔で眠る王子の姿に幸せを感じる分だけ、俺は自分を馬鹿だと思った。だって、与えられた彼からの情報、沢山の映像や本のどこを探しても、俺はこんなに繊細な人を見つける事が出来なかった。今の王子の心に生じた負担はきっとどんな人間よりも重く辛く。
(そうだ、思い出した。あん時もこの人……)
熱の見せる夢の中で再認識した事があった。怖かった大怪我のあの日の記憶の向こう側に、今と同じ顔を浮かべたこの人がいた。孤独な時間を幾晩も過ごした俺を迎えに来たあの時も、王子は「キミがいないとボクは駄目だ」と言い、そして俺が王子との隔たりを知ったあの夜のように「もう二度とこんな事やだよ」とも呟いていた。そうして一日も早く元気になりますようにと幾晩も俺と一緒にソファで眠り、お仕事で外出する時以外は終始俺から離れようとはしなかった。なのに。“二度と”を言う王子に対して、もう何度も俺はそんな思いをさせては、そこに喜びを得てしまう。王子からの“好き”の証拠と、なんだか心が満たされる。
(王子、王子、俺、あんたにこんな思いをさせたかったわけじゃないんだ)
本来俺は王子の笑顔が一番好きで、だから眉間にしわ寄せる王子の姿に、とてもとても悲しくなった。王子の苦しみは俺の苦しみ。疲弊しきって眠る王子の、その深手が労しい。
「王子?起きてください?俺もう大丈夫です。だからちゃんと自分のベッド行って寝てください。うたた寝なんて駄目ですよ?」
「ん……」
ぼんやりと虚ろな王子の寝起きも、それを見る度、綺麗と思う。
「目ぇ、覚めましたか?スポーツ選手はなんといっても体が資本なんだから。そうでしょう?王子?」
開けるのに苦心しそうなほど密で重たそうなその睫毛。ゆっくりと瞬く度にチラリと覗く瞳には最初何も映っていなくて、けれど、徐々に光彩が日の目を捉えて俺にニッコリと微笑みかけると、俺の世界がこの時本当に夜明けが来たように感じられる。キラキラと明るくなっていく王子は一番最初に挨拶をする。俺は王子の「おはよう」が好きだと毎朝思い、苦手な「おやすみ」は「おはよう」の為に、不愉快な「いってきます」は「ただいま」の為に存在すると考えていた。王子の笑顔を信じられるからこそ、俺は王子がいなくなるのに耐えられる。だから、今も、それが欲しくて。
「今日お休みでしたよね。ゆっくり休んでください」
片手をほどいて目をこすり、王子が緩やかに身を起こす。離れた指先に当然寂しさも感じたけれど、これでいい、と心で思う。早くお利口できるお守りが欲しい。
(……王子?)
けれど簡単に夜明けを迎えない今日の王子のその目は、虚ろなままに閉じられていく。「おはよう」も、「おはよう」の為の「おやすみ」もこない。俺の声が聞こえているのか、そんな事も今はよくわからない。そうして彼は当たり前の様に、俺のベッドに潜り込んで緩やかな口調でこう言った。
「本当、良かった……お熱、下がったみたいだね」
そうして絡み付くその腕はいつもの、ギュ、で、けれど人となってからこれほどまでピッタリと体を寄せ合ったのは初めてだった。
「良かった……」
(ま、待てって……)
そうしてそのまま、王子は再び俺の隣で眠りについた。王子はずっと自分の為の、ギュ、を否定し続けていた人なので、自らそれを求めてくる事が結構嬉しく感じてしまった。
(もしかして、俺、今、役立ってる?)
スゥスゥと安らかな寝息がいつも以上に心地良かった。締め付けられるこの思いは俺の考える“好き=発情”のそれよりも奥深くて、恐らく、それはいっそ悲しいまでの愛情というものであったのだろうと思った。俺が王子を慕って小さく鳴く時、主はいつも切ないような顔になって、おいで、と全身を俺に預けてくれた。うっとりとソファで寄り添い眠れば、彼もまた膝上の俺を撫でながら一緒になって寝てしまった。
(王子、王子が欲しかったのってこういう事?)
ちっぽけな自分が人となって王子から取り上げてしまった様々なものに思い巡らしては涙し、ようやく今それを取り戻せた王子の安寧にも涙した。この感情は初めて知るもの。人の知性を手に入れてこそ、より深く認知する事ができた自分の中にある感情だった。
「良かった……王子、俺、王子の事、本当に好きです。本当に」
仰向けに眠る俺にしがみ付いて、足を絡ませ王子は眠る。それも初めての感覚だった。自分が王子と同じ背丈で、すっぽり丁度良いサイズに思えた。
(そっか、犬ん時はギュ、しても俺ってちょっと小さ目でこんな風にはならなかったし)
靴下越しにわかる冷えた足先から、俺はそんな事も考えていた。包まれて眠る事しか知らなかった。寸足らずだった自分に気付いた。知らない事が沢山あって、その度もっと知りたくなった。
「ねぇ、俺、色んな好きのお話、ちょっとだけわかりました。王子は俺の飼い主でおとうさんだけど、でもやっぱりもうそうじゃないんです。凄い王子と一緒に居られるくらい、凄い俺でいたい」
返事もしない王子の隣で、俺は独り言を続けていく。
「立派な番犬になりたい。王子の誇りでありたい。優しくてデリケートで、でも泣き言一つ言わない気丈な王子の、俺は……ずっとずっと、王子が大好きで、王子の役に立てる存在になりたかったんだ」
「交尾したがったのは、体が欲しがる交尾そのものがしたかったのもそりゃ勿論あったわけだけど。でも、俺は王子の前で一人前の存在でいたかったんだ。その気持ちが物凄く強かったせいだと思う。俺は、あんたを守りたかった。あんたを抱けば守れる存在の証に思えた。そしたら自分が大きくなる気が……王子、俺、何にも知らなかったんだ。守られたがってたちっぽけなガキのくせして、俺、なんにもわからないまま、ただガムシャラなばっかりで。ゴメン、王子、俺、馬鹿なんだ」
「……そんな事、ないよ」
突然の王子の声に、俺は吃驚して横を向くと、王子はその目を細めたままに、ゆったりとした口調で呟いた。
「キミは昔も今も、とても頼れる存在だ。ボクはいつもキミに助けられているのだから」
その優しい響きに流れ落ちていく俺の涙に、王子は前と同じに口付ける。気持ちは純粋に。けれど俺の体があの時と同じに。沸々と獣の本能を甦らせていく自分の在り方が、今はただただ恥ずかしかった。
「王子、俺、馬鹿だ。好きってそういうのばかりじゃないって、もうわかったって思ったのに」
「何故?」
「俺、王子に、もう二度と嫌な事しないって、乱暴しないって……」
なのにこんな事になってしまうのは、また熱が上がってきたせいだと、そう思いたかった。少しずつ呼吸が乱れ、動悸も徐々に上がっていく。そんな俺の姿を見ながら王子はやはり微笑んでいた。
「本当にザッキーはいい子だね。ボクの事、本当に好きなんだって、よくわかる。ありがとう」
「王子……」
「キミはお利口だから、もうあの時みたいにボクに乱暴なんてしない。わかっているよ?」
「俺は、ゴメン、自分の事そんなに信頼なんか出来な……」
「いいんだ、ザッキー。今、キミはボクに何をしたい?人間同士はね?そういう事、話し合いで合意がありさえすれば、していいんだよ。教えなかった?」
王子の言っている“合意”の意味を、俺はやっとやっと理解する。刑務所云々の罰が怖くて我慢するのではない、これは所謂尊厳というモノの問題なのだ。
「本当に?でも……」
「何、したい?」
グルグル回る思考の中で、俺がようやくキスの一言を口にすると、王子は微笑みながら目を閉じた。
「いいよ?どうぞ?」
「あ……」
「……」
「俺、今、ちゃんと出来てる?合意。大丈夫?」
「うん、ちゃんと出来ているよ?」
緊張してどうにかなってしまいそうで、でも俺は乱暴にならない様にそれをした。それは今まで感じた事もない高揚であり、快感であり、俺はクラクラと眩暈がした。
(……マジだ……俺、王子としてる?王子がいいって……シンジラレナイ)
