吹雪に包まれた俺のかがり火
【2678文字】
ただだらだらとした手習い的なやつ。飼い犬目線のジノ←ザキの完全片思い。あだ名付けられる半年ほど前の夏の移籍シーズンが終わってチームの再編成をしている頃で、でも飼い主は現状から代わり映えしない未来を想像しつつ、みたいな感じを想定。飼い主のやる気のなさが限界&犬は元気にワンワンワン
何を知っているわけでもない。それでも時折浮かぶ表情。その存在は知っていた。入団。俺達は一緒に仕事をするようになり、しばしば俺はそれに気づいた。その度この目を離せなくなり、何とも言えない気分になった。何か言いたい。何を言いたい?何も起きない、起こらない日々、時はそんな風に流れた。
*
久しぶりにその表情を見つけた時に、久しぶりであったことに気付いた。色濃く浮かぶその表情に、俺は胸が締め付けられた。それはふわふわ頼りないもの。それは誰にも気付かれぬほど、ただの気配のようなもの。儚く散る幻のようなもの。いつも淡く浮かんで消えた。なのに今日はあまりに色濃く、ぞわぞわと総毛立ち肌が痛んだ。立ち竦む俺に王子が気付いて、俺はそのことに少し震えた。
「……誰?」
こうなることは知っていた。だから何も言い出せなかった。それは気配で、イメージで、根源的な何かであって、たやすく干渉出来ないものだ。たかが誰かに何も出来ない。けれど今日こそ黙殺出来ない、これは焦燥に近い不安。
(……考えろ、何て声掛ける?俺、ちゃんと考えろ……)
俺は手に汗を握りつつ、霧散する思考を拾い集めて、自分の名前を王子に告げた。案の定ピンと来ないのか、訝しむように苦笑していた。
「俺はずっと昔からここのユースで、それで今はトッ」
「ああ、いいよいいよ説明しなくて。別に関係ないことだから」
俺は許されないことをした。そのことにある種の自覚はあった。俺は王子の地雷を踏んで、彼は後ろ手に影を隠して、一触即発の空気の中で、足が竦んで動けなかった。
「ごめんね、同じ練習着、同じ髪型。どうせ色々聞いたって僕には見分けがつかないからさ」
毒を吐きながら変化していく。他者の注目をそこに集めて、きっと取り繕っているのだ。焦っているのは彼も同じで、そのことにこそ心が痛む。やはり影は彼の弱点、見つけてはならぬ彼の秘密だ。そんな彼に見たと告げるか?王子、貴方は大丈夫かと?
*
俺は考えて考えて、言葉を選んで、こんがらがって。何か言わねばと焦って慌てて、結局。
「ま、まだまだ、これからですよね?王子?」
「……」
「勝って、勝ち点積んでいかなきゃ」
言葉の陳腐さ。赤くなる。でも、俺はひたすら混乱しながら、なけなしの言葉を必死に紡いだ。
「マジで、全然これからです……これから、そう……頑張りましょう……」
呆れて笑われるかと思った。けれど王子はそうしなかった。頭の先から足元までも、しげしげと俺の観察をした。まるでUMAに会ったみたいに。変人に遭遇したかのように。
*
昔、王子は影を纏って、ピッチの上に存在しつつもプレイすることをやめたりしていた。何か違う遠くを見つめて、全てを諦めていくかのような。あれは孤独。あれは絶望。俺はそれを見つける度に怒りより不安を強く感じた。不穏な表情が揺らいで消えると、王子は相手選手と雑談。ふらふらボトルの水を一口。うんと大きく伸びをして、仕切り直しつつ歩いて戻った。記事では『急にやる気が失せるんだよね』と、いつも角が立つ表現をした。けれどそんな次元ではない。そんな半端な軽さではない。あれはもっと重大でかつ、痛みで、苦しみであったはず。
「……なんか……やる気満々だね」
薄ら笑う王子に向かって、俺は何を言えばいい?
「いや、あんたも当事者なんだから」
王子は極めてゆっくりと瞬きをして、何か考えているようだった。黄昏。駐車場に向かう帰り道。彼のシルエットは美しかった。ただそこに立っているだけで、何かが成し遂げられている。彼の存在性の意義など、無関係であったとしても。
「これから、です。そうでしょう?」
こんなにもあまりにも確固たる人。なのにその全てが無価値みたいに、そこに何も見出ださぬ者。自分大好き自信過剰の?違う彼はもっと冷徹、何もかもに冷めている者。
「頼むからやめてくださいね?あの日みたいに手でバツをして、どっかに行ったり、消えたりなんか」
刻みつけられたあの日の記憶。周りは喧々囂々文句の嵐で、彼はあの日キッスを投げた。俺はあの日初めて見たのだ。満面の笑顔で立ち去る彼を。振り返らず去る、とある未来を。
やりたいことと、やれること。やりたいことと、やらされること。やりたいことだと、妥協すること。質と結果と夢と現実。彼は生粋の魔法使いで、魔法をかける技術はあるのに、そのための材料が不足していた。繋がらぬボール、かからぬ魔法。何食わぬ顔をして笑いつつ、何を、どこを目指して行くのか?彼もまた当然、彼もまた。
――愛する人に興醒めするより、失恋の方が随分マシさ
ああ、だからもう少し待って欲しい。急いで、必死で、そこに行くから。これからだから。やる気はあるから。だから、行かないで、居て欲しい。動悸が激しく、吐きそうだった。どうしていいのかわからなかった。今にも涙が零れそう。
「……ダメです、そんな消えるとか。そんなの逃げだし、らしくないッス」
そんな俺に苦笑していた。
「何それ。喧嘩を売ってるの?」
今、言葉の外で繋がり、俺達は完全に疎通していて、彼の寂しさは雪崩のようで、俺はそれに凍えるばかりで、やっぱり泣きそうになってしまった。体は勝手にふるふる震えた。寒さに竦む吹雪の中で、小さく灯る彼のかがり火。純粋で、そして健気でもいて、誰も知りえぬ彼の弱さで、真摯さで、そして稀有な宝石。守ってやりたいと切に祈った。こんな世界で、たった一人で、笑いながら耐えて戦い、信じて欲しいと伝えることへの罪の重さも深く感じて。
「心配しなくても大丈夫です。何度でも言える。これからだって。だって本当のことだから」
例え信じてもらえなくても、口にする責。俺の業。救うための力もないのに、無責任極まりない言動。
*
ガラスのような目が俺を見て、何の希望も信頼もない、喜びもない囁きが、彼の口からほろりと漏れた。
「まあ、ユーモアのセンスはある」
笑っていたが、笑ってなかった。馬鹿にしているのでもなかった。ただ、興味も何もないのか、
「まぁ、それじゃ頑張って?」
と、話は終わりと歩いて行った。何も出来なかったに違いなかった。けれど何かは起きていた。知っているぞと王子に言うのは、確かに意味はあることだろう。
その灯は清らかであり、見たことがないほど美しかった。あの火に全身包まれながら、魔法を体現したく思った。辛いならいつでも俺を凍らせ、同時に俺を焼けばいい。俺だけが秘密を見て守るから、急いで大きく成長するから、どうか抱き締めさせて欲しい。これが、たかがちっぽけな、あまりに無力な俺の初恋。彼を初めて見たその日から、俺は王子に恋をしていた。
