ばかなこと
【13216文字】
赤崎移籍により別れて数年のジノザキ。帰省の際にETUに立ち寄って
2ページ目は補足用に付き合い始めてからもう一度よりを戻すまでの流れを今度は地文ばっかりで書いてみました。
文学妄想お題ったーの太宰治「もの思う葦(その二)Y子」が元ネタSS
二人の関係が始まったその瞬間から、赤崎の夢は二人を引き裂く火種ではあった。一日でも早く夢への第一歩のその日が来て欲しい。でも一日でも遅く、いやその日なんて来なければいいなどと抱かれる度に思ってしまう。
時を追う毎に引き裂かれていく赤崎は、せめて別れの日が避けられないとしても、形だけでいいからとジーノの未練を欲していた。そうすれば過ごした意味に僅かばかりの価値を見いだせて、きっと綺麗に踏ん切りがつく。そんな風に考えていた。遊ばれているのは重々承知だった。それらしい心の繋がりを錯覚する度にはねつけられる日々だった。けれどねっとりと甘美な最後のリップサービスが、自分を弄び続けたジーノが行うべき、最低限の誠意と感謝の形であろうと思ったのだ。せめて。せめて、それくらいの事は、と。そうしたら何を今更と高らかに笑い、男を踏みつけて高く飛ぼうと思っていた。それくらいの事は許されるだろうと。せめて、自分が砂粒に等しい惨めな存在であったとしても、男が痛くもかゆくもないとしても、それくらいは。せめて、せめて。
現実は無惨なものだった。けれど実際こうなる事も知っていた気がした。頭にきて喧嘩腰のまま赤崎は慣れ親しんだ故郷を発った。せいせいするなんて強がりまで嘯きながら、もう振り向かないと心に誓った。男からの媚はなくともやった事は同じじゃないかと。無理矢理、これで自分は高く跳べると信じ込もうとしていた。
異郷の独り寝の夜は驚く程の孤独。日本語は当然通じるわけもなく、近所の日本料理店のメニューも訳の分からないラインナップ。
思い出すのは?
こんなの駄目だと赤崎は思った。どう考えても自分らしくない。もうかの人は自分の存在すら忘れているし、何しろこれ程自分の矜持を傷付けことごとく穢した人間は他に居ないではないか。恥辱の過去を一切合財切り落としてしまおうと、更なる努力が必要だった。その度浮かぶ、いつか時が解決してくれるよ、と軽く鼻で笑われた屈辱の記憶。言われなくてもそうしてやると意気込んで過ごした数百日。男を思い出さない日は一日もなくて、負った深手はみるみる膿んで、赤崎は最早一歩も前に進めない程ドロドロに疲弊していく。
ふざけるな。あんな奴。全てを振り切らんとする熱心な練習への取り組みは続く。ある意味いい発奮材料であったとも言えた。周りのどんな皮肉や恫喝に対しても、全然問題にならないくらいタフになった。これくらい大した話じゃない。見ていろ。見返してやる。やはり男を思い出さない日は一日もなくて、チーム内で信頼を勝ち取り、夢がみるみる前に進んだとて、一向に心が晴れる事はなかった。
そのうちいい加減何をどうしていいのかもわからなくなっていった。自分の人生は確実に理想の道を突き進んでいる。男の与えた深手が己を鍛えたのも事実。感謝こそすれ。全ては順風満帆に、出来過ぎなくらいに上手く事は運んでいる。なのに止めどもなく沸き出でる罵詈雑言は執着の証。それからまた更に数百。もう限界だとようやく赤崎は、その傷の根本と対峙する決心をする。
*
久しぶりの帰省で男がまだ移籍もせずに古巣でプレイを続けている事を知る。本当に自分を忘れてしまっているかもしれない怯えさえ生じて、挨拶に行くのに戸惑う始末。何をしに戻ってきたのだと己の頬を両手で叩いて、勇み足で行きなれた場所にもう数年ぶりに足を踏み入れる事にした。
そもそもの運動量が少ない男のプレイスタイルはキャリアの積み重ねによって更なる洗練の進化を続けていた。周りを圧する輝きは以前にも増して、針先に糸を通すほど緻密な予測不能のパスを放つ。彼によって自分より長く躾けられてきたであろう新しい犬の動きは自分なんか目じゃないくらい美しく見えた。この思いは何なんだろう?自分の本当に望んでいた夢が、今まさにかすめ取られて木端微塵に砕かれた気がした。
後戻りなど出来ない、一方通行の一本道。
もうあの時、彼を失ったその日から。赤崎は本当に自分は何も持たない人間になっていた事を改めて知る。わかっていた事。目を背け続けてきた事。ジーノなしの人生など意味がないのに、とうとうそれを男に告げられなかった。こちらを向かない男が悔しくて、くだらない意地を張り続けていた。別れ方を、締め括りを、失敗したが為の苦しみであった。
ジーノをよく知る赤崎は、男がやり直すチャンスなど与えない人間である事を理解していた。正攻法など通じるわけもない。やりたくはなかったが面倒事を起こすしか手立てがなかった。そう決意したのは、不器用ながらも素直に思いを伝えようとして軽くあしらわれて玉砕したからだ。
何が彼の気を引くのかを考えた時、沢山のジーノの苦手を見つける事になった。我ながらよく、と赤崎は感心する。それだけ、なるべく気に入られようと媚びへつらって暮らして来た過去が見えたからだ。
ジーノとの関係を続けるにあたりタブー中のタブーとされていた事が、男の私生活に踏み込む行為だった。失う物が何もない赤崎はジーノの逆鱗に沢山触れて、作戦はまんまと上手くいった。やった事もない事をやる自分に対して少し戸惑いをみせたジーノの姿に、赤崎は意外な程強い罪悪感を持ってしまう。媚びへつらい続けた日々の中で、自分が男からのある種の信頼を勝ち得ていた事実を実感したからだ。見えなかった繋がりが見えたのは、それが切れた痛みを感じた直後で、その衝撃によって膿んだ傷が破れた気がした。
作戦が成功して話の場を設ける事が出来た時、赤崎は益々現状がよくわからなくなっていった。なかったはずの信頼を裏切った直後に、何故ジーノが自分に付き合ってくれるのか?男のセオリーから考えてみても、到底理解出来るものではなかった。でも、もうこのまま進むしかなかった。
終わらせに来たはずなのに時折恋慕の炎が心を焼いて、まともではいられない混乱の自分を眺める。醜さ、惨めさの膿がジュクジュクと中から溢れ出して、その度にジーノはそれを手で受け止め、優しく頭を撫でてくれるような行為を続けるので、嬉しくて、そして辛くて、でももう己の決壊を止める事が出来なかった。
いい子だね。そうじゃないでしょう?と繰り返される度に、手を引かれるように自分でも見えなかった己の本質に近づいていく。男の手で綺麗に膿を洗い流され出てきたものは、彼が見えていた、そして自分が誇りと思っていたまっさらな意気地だった。久しぶりにそれを見つける事が出来た赤崎は改めて、ああ、やっぱりこの人が好きだと心の底からそう思った。求めて然るべき存在であり、それはもうどうしようもない事なのだと達観出来た。赤崎は自分の事を、戸棚の奥に置き去りにされた腐った生ゴミのような存在だと認識していた。なのに、この段になって尚自分の切なる思いに対して誠意を返したジーノの姿に、赤崎はもう何もいらないというような満ち足りた感覚を得ていた。ただこの人に対して、堂々と胸を張って自分を誇れる自分でありたい気持ちが好きの思いとともに溢れ出す。
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見失いかけていたものをもう一度見つけた時に、ジーノは赤崎の一番好きな笑顔を浮かべた。本当に必要だったケリは、こういうものだったのだと思った。前回の別れが失敗したのは自分が自分に背を向けていたからであり、キチンと向き合えば必要以上のものを返してくれる。好きを否定していた赤崎は今、みるみる好きの理由を見つけて、ただ涙は溢れ、嬉しさと、そしてもうこれで本当にジーノとは終わりなのだという悲しさを胸に、必死になって、形ばかりの再会を願う言葉を口にし続けた。
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気付けば、溢れ続ける涙を延々、さも愛おしそうに舐めとられながら。赤崎は本当の意味で必要以上のものを与えられている今に溺れ続けていた。とても現実味を感じられるわけもない言葉が降り注ぎ、その官能で精を吐き出してしまう度に益々この夢の世界で陶酔を続ける。
何百日にも及ぶ自らの汚濁は隅々までたった一晩で浄化されて、わけもわからないうちに、褒められ、更には感謝の言葉まで。
――なんだ、あんたも、ちゃんと俺の事……
二人は離れて暮らした時間をまるで僅か数時間で取り戻さんと、触れ合い、舐め合い、愛でて、愛でて、やがて二人同時に幸せの眠りについた。
「ねぇザッキー、ゴメンね?ただボクは寂しくて悲しくて余計な事を言っちゃいそうで。だから本当にどうしたらいいのか、どうあれば良かったのか。キミに会うまでずっとずっとボクはあの日の事を」
それはもう実際のジーノの言葉ではなく、赤崎の夢の中のものだったのかもしれない。それでも、全ての錯誤は不必要な背伸びから始まってしまったのだと、なんとなくそう考えた赤崎は寝ぼけながら、ジーノの手にそっと触れた。もう迷いの道を抜ける正しい歩き方も覚えたし、万が一足取りがふらつこうとも頼る手がこうしてすぐ傍に。そう思うと嘘のように体が軽く思えたし、それは心も同じだった。
触れただけの指先をクルリと巻いてひっそりと握ると、もうすっかり眠り込んでるはずの男も、まるで返事をするみたいに優しくその手を握り返したのだった。
