飼い主 3
高校途中の渡伊→伊大学→再来日して大学編入まで。沢山チート設定。小学生の頃アンニュイだったジーノは大学では反転してアンチアンニュイに。原作にあるようなアクの強いジーノの個性は生まれつきではなく徐々にこんがらがって込み入ってきちゃった結果という解釈です。王子、医療関係者、両親、祖母、その他モブ、セリフない人も含めて大人数。
大学時代~寂寥のジーノ
自分の本質的な人恋しい寂しがり屋な部分と、周りからプレイボーイだと言われる虚像。
ジーノは再び自分が判らない状態になっていった。エキサイティングな遊びは感覚を鋭敏にもしたけれど、ある意味麻痺もさせていったから。この時期、ジーノの周りには人が溢れていたし、寂しい人間達は次々に明るい笑顔を見せるようになりつつあった。周りが明るくなっていくので、ジーノもまた自身の明るくなったような錯覚に陥ったのだ。だって、本当に狩りと称する人々を救う行為が楽しかった。勿論本人は救っている自覚などひとつもなく、反対に貶めている楽しみにはまっている気持ちでいたのだけれど。
相変わらずジーノは自分を見る目を持っていなかった。東京は砕けた夢で生じてしまった絶望の記憶があまりにも生々しく、実はこの地で再びジーノは不安定になり始めていた。だからこそ人を求めて、人に触れたがり、安堵のために寄り添いたいと足掻いていたのだ。だが全くその自覚がないのでこうしてドンドン崩れていく羽目になってしまった。
他人に言いなりのジーノ人形も、イタリア風のプレイボーイも、悪魔で天使の救済者も。すべて同じ意味を持っていた。つまりは、人をあしらっているようでありながら、一方的に合わせているだけの話。他人が自分に目を向けたときに相手がなにを望んでいるのかを察知し、投影された偶像をドンドン具現化していっただけだった。他人の夢を見通してそれによって自分の姿を変えていく。ジーノは本当に幼い頃からこの癖が治らなかった。周りが喜ぶ顔を見せるだけに尚更修正が難しい行動だった。
救いが必要になるほどに、無意識に人を救いたがる。おそらく無意識に自分がやって欲しいことを他人に行い続けることで助けを呼んでいるのだ。気が付かないままに、何度もこうして同じように選択を誤るのがこの男のどうしようもない愚かな部分だった。
ジーノは本当に自分をよく理解していない。自分の行動原理、自分の深層心理。年を重ね、人を愛して失う度に、一緒になって自分をもこそげ落としていくかのように意識と本質が乖離していく。これもまた、傷が深まっていくことに際して、それを正視することの出来ない弱さが引き起こした、一種の逃避行動であったのかもしれない。
* * *
今のジーノはしっかりと自身も他人も分析・掌握しつくせる万能感を自分に持ち、孤独から解放された喜びさえ感じていた。滑稽な錯覚、もしくは悲しく情けないほどの憐れな防御反応だった。孤独から目を逸らし続けることも、孤独ではないと錯覚してしまうことも同じこと。もうこんなに大人に成長してさえ、素顔の自分を見つめることができない繊細で臆病な子どものままだった。
人の笑顔が好きな男は、仮初めの充実に心が充ちるような疑似的な夢を見る。夢を見るのが下手なジーノの、憐れで儚いイミテーションの幸福だった。
いくら見えずとも、昔彼の中に生じた混沌は確実にジーノの奥底に重たく暗く横たわったままだった。谷底にある血の海は、ねっとりと波打つようにしながらずっと愚かなジーノを見つめていた。その中に閉じ込められているずぶぬれのジーノは、未だ声のない叫び声を上げ続けていた。
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