ファーストキス
【3946文字】
余裕のない二人の恋の始まりのお話。没箱にあった、いつ何を思って書いたのかも記憶にないストック;ちょっと修正しました。
なんでこう急に生々しい感覚になっているんだろう?自分の感情、知らぬふりを決め込んだ思いの真実。そして衝動的なこの行為。
「なぁ、王子。飼い主気分であんまり舐めた扱いしてっと、痛い目見ますよ?」
組み敷き見下ろすは見開かれた王子の目、その事でわかる彼の受けた衝撃。それが織りなす今のこの部屋の中に漂う空気感。
「ザッキー」
「……何ンスか?」
「今さ、戸惑ってる?よね?」
「それはあんたの方でしょう?」
「あ、そうか。そうだったね、ハハハ」
「……」
「まあ、ボクもいきなりこんな事されちゃ、さすがに驚きもするよね」
時々この家に呼ぶ彼があまりにもいつもと別人だからいけないのだ。常にふにゃりとしただらしない笑顔を湛え、テレビのスーパープレイを目にしては、さも楽しげに俺を抱き締め、髪を撫でる。まるで犬猫相手のように俺と戯れる。馬鹿馬鹿しい程に油断して、あり得ない程寛いで、だから俺は悔しかった。嬉しかった。けど悔しかった。
鼻歌を歌いながら俺の髪を無邪気に弄る王子の手を振り払って、いい加減にしろよ、と怒鳴りつけて押し倒したのは自分。声と行為に物怖じすることもなく、王子はやはり犬の戯れを受け入れるように、おっと、と言いながら余裕綽々に彼は笑ってみせていた。相手にならない。なっていない。彼は俺に怯えない。
だから、面前の額や頬、彼の柔らかな唇に眩暈を起こし、それを感じたくて俺は思わず自分の口を。そうしてその感触を味わう余裕もなく、居た堪れない思いで身を起こす俺に対してとった、王子のその後の対応の、あまりのその温度差が。
「まさか、キミにこんな事されるなんて……ねぇ?」
薄ら笑いを浮かべながらサラリと乱れ髪を整える王子は、俺から全く目を逸らす事なくさも平然とした態度だった。だから俺は罰悪く視線を泳がすばかりになった。
(目を見ては駄目だ。ある事ない事、この人には全部穿り返されてしまうから)
そんな事を思いながらも、もう今更の話だという事も理解していた。何故なら彼はまず俺の戸惑いを指摘したからだ。戸惑う理由、俺がたった今気付いた王子への気持ちを彼もまた察知した事は明らかだろう。
「……ムードもへったくれもない下手くそがって思ってんだろ?」
「上手とか下手とか、この際どうでもいいことだよザッキー。問題は……」
なのに、今日に限って、何故か急激に変化していく目が痛むほどに鮮やかになっていく部屋の色調、彩度と明度。ままごとでも、おとぎ話でもない、現実の中のあまりにも現実的な世界。
ここにいるのは呆然としている俺と、いつもとはまるで違う姿をした王子だった。今までの俺の中に渦巻いていた心許なさと不安は冗談のように荒れ狂い始める。
「少し焦り過ぎってところかな。色々キミ、間に合ってないから」
「どうせ!」
「ま、それにしてやられてるボクもどうかしてるけどね」
自爆した形で墓穴を掘ってしまった俺は、その穴から逃げ出したい一心でひねくれた言い方をしてしまう。無駄な抵抗に王子はさも愉快そうにクスクス笑う。今自分がようやく自覚することが出来た自分の思いを、とっくの昔にさも当たり前のように認識していた男。
(この余裕……いつからわかってた?俺の気持ち。自分でも知らずにいたかった王子への思いを、あんたは一緒に居ながら何を考え続けていたんだ?)
でもそんなことを真っ直ぐ彼に聞いたところで、やはりろくな答えなど戻ってくることはないだろうとも思った。
不思議だ。王子は今、俺に組み敷かれながらここにいて、その温かさを今までになく強く感じ始めていた。あのプライドの高い王子が、生意気な後輩にこんなことをされていながら笑っている。そのご機嫌な様子はあまりにも不自然であり、かつ不自然な程リアリティがあった。体中で感じる密着。彼は今、俺と居る。
「卑屈になる必要はない。キミのキスって下手くそだけど、まあ、悪くもないし」
「変な感想文なんていらねぇよ……褒めてないだろそれ」
俺の心は大きくバランスを崩し、フラフラともう自分一人では立っていられない心境だった。そんな様子に気が付いたのか、王子は襟を正すようにこう続けた。
「あぁ。ゴメンね?そう、あれだ、言い方が適切じゃなかった。えーっと、つまりなんだか……」
戸惑う俺に付き合う王子。素直な様子の彼の物言いが俺にはどうにもいたたまれなかった。いつもなら動揺する俺をまるで子供扱いするはずの王子が、そう、手玉に取って意地悪そうに高らかに笑うのが如何にも彼らしい姿であるはずなのに、今は柄にもなく真摯な会話を心掛けようとしていることのが伝わってくる。困ったような嬉しいような、そんな奇妙な顔をして王子は笑う。
「ザッキーのキスは確かに飛びつく子犬のように要領を得ないぶしつけなものなんだけど……」
「やっぱダメ出しかよ」
自分でも声が震えているのがよくわかる。俺は今、とってもとっても無理してる。だが、そんな俺の戯言などことごとく受け流して王子は続ける。真っ直ぐ見据えた彼の目から俺は、やっぱり視線を外せない。すっかり魅入られてしまっていた。
「allora(えーっと)……じゃあ、こういうのはどう?すっごく、……あったかいっていうの?」
そう言うと王子はやんわりと俺に手を伸ばして、
「つまりは…この瞬間までボクは L’amore rende felice la gente(愛は人を幸せにする) って言葉の“本当”の意味がわかってなかったってこと。わかる?」
抱き寄せられれば次の瞬間、耳元でこっそりとこう呟いた。彼の頬と吐息が熱い。そして甘い。
「あんたねぇ…本当も何も俺はイタリア語わかんねぇっていつも言って……」
「キミはとっくに知ってることだよ。多分」
「なんだよ、わけわかんね」
「フフフ……本当にキミはSorpresa(サプライズ)そのものだよ」
やっぱり意味などわからない。おそらく説明しながらも伝える気など一つもないのだ、この王子って人間は。ただ、その声が俺の全身を包むように優しく覆うので、混ぜっ返そうにも力が抜けていく。俺は王子のように器用ではない。ただただ全身で彼の存在を感じるばかりで、かつもっとそれを感じていたい。
王子の指先が俺のうなじをゆっくりと、優しく、丁寧に、探る。その一つ一つの接触に深い意を込めようとしていることが伝わってくる。ほんの少しくすぐったいような、でも、本当にフワフワ、ザワザワ、まるで自分の体の隅々まで何かが行き渡っていくような感覚だった。何かって?それはつまり。もうすっかりわかってる。これは俺がずっと見ないふりをしてきた王子の気持ち。欲しがるにはあまりに遠い存在だった人。男同志なだけでなく、彼の持っているその美貌、知性、理性、才能、そして凡人が迂闊に受け止めるにはあまりに壮大な彼のもつ本質的な情の深さ。身の丈に合わないと無意識に蓋をした俺の卑屈さを、王子は黙って受け入れていた。そういうことだった。意気地のない俺を見ながら、どんな思いで暮らしてきたのだろう?やはり腹ただしかったろうか?いや、彼は黙って、粛々と。そういう人だ。俺がそれに気付かねばそのままずっとわからぬままになったはずの、そんなもの。怖がる俺の為に一生懸命何も起こってなどいないと自分の気持ちにまで蓋をしてくれていた。
一度そのことに気が付いてしまえば、もう彼の俺への思いがあまりに真摯で、そして自分のちっぽけが恥ずかしすぎて、俺はそのままの姿勢で王子に力の抜けた腕で一生懸命抱きつくくらいしか出来なかった。怖気づかずに飛び込みさえすれば王子はこんなにも俺を受け入れ、俺達は一瞬にしてこれほどまでも一緒になれたというのに。
「ザッキー、してよ。もう一回」
真っ赤に染まっているであろう自分の顔を見られるのが嫌だと思いながらも、彼の物言いにギョッとして顔をあげた。するとどうだ。その時の王子の照れくさそうな顔ったらなかった。寧ろ俺の顔より見られたものではないくらいに頬を染め、あやふやに目が揺れていた。自信家の王子の意地っ張りの陰にあった可愛い素顔。こんなものが隠れていたことなど誰が知ろう?
多分この時二人ともが同じくらいに気恥ずかしくて、でもとても表現しきれないほど嬉しい気持ちになったんだと思う。だって俺だけでなく王子の心臓までもあり得ないほど賑やかに踊ってしまっていたからだ。同じリズムで、同じスピードで。ドキドキ、ドキドキしていた。
たかがこんなへたっぴぃなキスシーン。なのにまるで二人、この瞬間からやっと本物の恋が始まった気分。馬鹿馬鹿しくって、恥ずかしくって、照れくさくって、どうにもこうにもやってられない。今までの俺達は一体なんだったんだろう?こんな簡単なことを始められずにずっと暮らしてきたのだ、俺達二人は。何もかも、怖がった俺と、怖がる俺に何も言えず寄り添い続けた臆病な王子の、そんな馬鹿な二人のせいだった。
でも、開いてしまった心からは王子への俺の気持ちが溢れかえり、恥もてらいもなくした俺は破れかぶれにチュッと音を立てて王子に鳥がついばむようなキスをした。その時の王子はなんとも可愛かった。自分でねだっておきながら、目を見開いてすっかり言葉を忘れてしまったような顔をしていた。
「どうしようザッキー。ボク、幸せだ」
茫然の中の王子がポツリとこう言ったのが聞こえてくるような、そんなキスが彼からすぐに返ってきた。感じたこともない甘さ、信じられない深さ。息苦しいまでの快感が全身に広がっていった。これは所謂。特別な関係でないと起こりえない行為。存在を確かめ合い、堪能する時間。
つまり、この二つのキスが二人の本当の意味での始まりの合図になったというわけだった。
[maroyaka_webclap]
