お花結び

Just another WordPress site

*

幸福の満喫

常に感じるジーノの視線に素直になれない赤崎と、赤崎に骨抜きのジーノの心象風景。

        ジノザキ

ルイジ吉田の日常

 気が付けば可愛い飼い犬を見つめてしまっているので、その度にボクは彼に渋い顔をされてしまう。何か用があるわけでもないけれど、不思議と視線が彼を追う。彼はボクほどには他人からの注目に慣れておらず、その居心地の悪そうな素振りを見る度になんだか申し訳なくも、とても可愛いなぁと感心するばかり。そんなおぼつかない彼をそのまま丸ごと、延々と時が許す限り見つめ続けていたい。そんなことを考える。
 
 ボクはわかってる。

 こうしてボクがもう何度も彼に捉えられてしまうその理由。彼はボクより結構年下で、そしてとてもとても生意気な口をきく。ボクは彼の生意気が好きだ。彼の生意気は彼のシンプルな気質から生じているものだから。ボクはシンプルなものが一番美しいということをよく知っている。つまり、彼はとても美しい。

 罪と罰の世界観で生きている欧州人と恥の文化で生きている日本人。おどおどと人目を気にする恥の文化などくだらないと考えていたボクの価値観は、彼との出会いである日呆気なくその全てが崩れ落ちた。彼は彼独自のとてもシンプルな美意識の世界で生きており、その圧倒的なまでの正論はまるで蒸留水を凍らせたかのような透明度。そう、常に神の存在を意識せざるを得ない欧州人こそ、人目(いや神目?)を気にするちっぽけな存在だったのではないだろうか?
 ボクには彼の心の中にとても美しい鏡が見える。彼はそこに映った自分の姿やその有り方が醜く歪んでいないか真摯に見つめ続けている。そうしてわが身を常に律している。実直で、清潔で、潔くて、清廉で。その張りつめた厳しさの中にある美しさにボクは常に目が眩みながらも虜にならざるを得ない。

 彼の自分自身に向けた青いまでの厳しさ。時折それらが不意に外に表出してしまう時、思わぬ軋轢が生じてしまうこともある。その度彼は人知れず鏡に傷を負い、それによって極ささやかな、それでも濃厚なまでの深い曇りが生じたりする。ボクはハラハラする。彼はその痛みで今度こそ変わってしまうのではないだろうか?ボクのような世間一般の凡愚なまでの存在と同じように。

「……」

 外にいる時の彼は緊張感からかとても固い鎧のようなものを付けていて、彼の中に何が起こっているのかボクにはよくわからない。だが、ボクの家でこうしてテレビを見ながら大好きなサッカーの世界に埋没している時、なんだかその肩の力が抜けた姿の向こうに一生懸命曇った鏡を磨き、必死に負った傷を癒そうとしている彼の姿が見える気がした。

 その健気さ、その哀れさ。不毛なまでの地道な作業。

 ボクは張りつめた糸のように厳しい彼の姿も美しいと感じるけれど、負った傷を古ぼけた昔なじみのおもちゃを慈しむかのように丹念に撫でている彼の姿もまた美しいと感じる。彼の手にしている少しくすんだ宝物は、昔誰しもが持っていた、平凡で、ありきたりの、今更その価値など誰も見出してはくれないようなちっぽけな物だ。未だに後生大事に愛でている傷ついたそれ。ボクの中にもかつてあったであろう物。今はどこにいったのか自分でもよくわからなくなってしまったもの。ちっぽけながらも大切な大切な、とてもシンプルでピュアすぎる、残酷なまでに子供のままの明快で理路整然とした素直な美意識。

 彼は人生の途方もない時間の中をコツコツとこうして生きてきたのだろうか?ボクが彼を知るずっとずっと前から?物事に真摯であること。その一点だけを見つめ続けて?
「……」

 見惚れる。その姿。その仕草。その心の在り方。ボクはきれいなものが大好きなので、きっと何時間こうしていてもおそらく飽きることはないだろう。

 すぐそこに、常に短く清潔に切りそろえられた彼の爪や髪が。冬のピッチでは赤く染まる耳が今は割と白くなっている。切れ上がるシャープなまなじり。ボクとは違うスラリと真っ直ぐ伸びた鼻筋がとても印象的な彼の横顔。繊細な肌質。慎ましくも情熱的なその口元、そこからこぼれる言葉、その声質。

 彼の存在ひとつでボクのいつもの日常の風景が塗り替えられていく。とても不思議。あまりにもキレイな世界。果たしてここはどこだろうか?ボクはこの調和の世界の中でボクの存在に違和感を感じていたたまれなくなる。濁り切って持ち主がとっくに見失ってしまったボクの鏡は、彼に一体どう見えていることだろう?ナゼ、彼のような人間が今、ここにいるのだろう?ボクの隣に?
 音を立てることも、声を出すことも、もっと言うならボクが呼吸をすることすら憚られる。キミは何を見てる?ボクが今こうしてここにいることを、受け入れてくれている?小一時間も過ぎれば、怖々と近づくボクの指先は彼の中に果たして自分は存在しているのだろうかという不安と葛藤の象徴だ。キミの隣に座る価値がこのボクにちゃんとあるかい?
 ひどくためらいながら何度も空を行き来するボクの指先が彼にようやく触れる頃、彼の体温がボクと彼の世界が同じ場所にあることを優しく教えてくれる。

「なんスか!」

 怒ったようにボクを振りほどく彼のその手の感触と不貞腐れたようにこちらを見る眼差しが、ボクにこれは現実の世界なんだということを知らしめてくれる。そして自然にボクの視界に飛び込んでくる、恥ずかしそうに高揚する彼の頬、耳、そして色を帯びる唇。そしてもはや服の上からも一目でわかる彼の秘しがたき情熱。ボクはそれを見て今日初めて安堵する。よかった。素っ気ない態度と言葉とは裏腹に、彼の本質はボクをちゃんと受け入れてくれている。ほら、常にこうしてボクを必要としてくれていると。

 その感動を何とか彼に伝えたくて、ボクは彼を必死な思いで抱き締める。どうにかわかってもらえないだろうか?今のボクの心境を。この喜びを。

 一瞬竦んだ彼の体から少しずつ力が抜けていく頃、ボクは慌てふためく心を抑えながら壊れ物のように大切に、慎重ながらも一息に彼を押し倒す。見つめれば見つめ返してくれるその目はとても澄んでいて、虜なボクはまるで吸い寄せられるかのように彼にキスをせざるを得なくなる。

 このボクの大切な大切な宝物が壊れてしまいませんように。いつまでも美しくあり続けますように。そう、祈りながら彼を抱く。この行為が悲しいまでに根気よく己を磨き続ける彼の助けの一つとなりますように。凍える寒さ、灼熱の暑さ。この世界は彼のような繊細な存在には過酷が多すぎてとてもとても呑気に見てなどいられない。今すぐ、感触すら感じさせることのないほど軽く暖かな羽毛になって、彼の全身をゆったりと包み込むように守りたい。そんな気持ちで丹念に丹念に彼の全てに触れてまわる。彼を癒したい。労わりたい。その一心で。

 そうしていつの間にか。そう、それもまた最初からわかっていることではあるのだけれど。

 彼に触れることでボクは狂おしいほどにこの身の全てが焼かれ始める。真摯で純な彼という存在はボクの汚れを焼き切りながらその情熱でボクの全てを翻弄する。目を明ければすぐそこに印象的なあの視線。ボクの耳は彼の漏らす吐息に夢中。シャイなボクの可愛い飼い犬はついぞ愛を語ったりなどしてくれはしないけれど、これほどまでにボクの身を焦がすことが出来る人間はもはやこの世の何処にもいやしないだろう。

 言葉のない彼の発するこの熱さ。溺れるようにボクから溢れ出すこれまで感じたことのないこの激情、身悶える感覚。これらがなんであるのか?そしてそれを感じているこの瞬間を称して人はなんと呼ぶのだろうか?
 ボク達二人はそれについて言葉を交わしたことは一度もないけれど。ボク達のこうした日常が一体なんであるのかは、おそらくとっくの昔に理解しあっていることと思う。永遠にこの時が続けばいい。そんな思い。こうして二人で揺れあっている時に一番リアルになるこの感覚。ボクはこれまでこんな世界があるを何一つ知らずに暮らしてきた。よく平気で生きてこれたものだなと、半ばあきれる思いになる。時々嬉しくて嬉しくて笑いが止まらなくなってしまう。ともあれ、こんな未知なる新鮮な生活の積み重ねの数々が、彼のような稀有な存在がボクの傍らにいるという奇跡が、徐々に今のボクの日常となりつつあるのだった。まるで夢のような思いだった。

[maroyaka_webclap]

      ジノザキ