主の呼声
【5451文字】
ジーノの引退式のお話。赤崎の移籍で別れて数年も経っている、連絡すら取り合ってなかった別れジノザキ。引退式とかこんなの全然違う気がしますが。あと常識的にあり得ないシーンもありますがスルーでw 読みは「ぬしのこせい」です。鶴の一声。
文学妄想お題ったーの島崎藤村「小詩二首」が元ネタSS
その事を海外に居る赤崎が知ったのは、ETUからの公式発表のタイミングであった。
「今季引退……王子が?」
一緒にプレイをしていたのはたかだか数年。それも、最初の2年は殆ど話もした事がないような関係の二人だった。一時は深い仲にもなった二人だったが、赤崎の移籍をキッカケに二人の縁は切れてしまった。
――と、赤崎はずっと今日まで思い続けていた。
非公式の動画をネット上で延々と見つめ、赤崎は一つの思いを確かにする。今住んでいる場所もわからなければ、当時の連絡先が使えるとも思わなかった。それでもオフになったら遊ぼうという友達からの連絡を全て断り、自宅にも帰れないと連絡を入れ、なんとしてもあの男と会い、言わねばならない一言を言おうと。
「王子、今度こそ、」
今、赤崎の年齢は当時のジーノのそれを超え、当時の己の未熟さ、拙さ、愚かさを知るとともに、遥か彼方の雲の上の存在とも思った男の、見えなかった心が僅かばかり見えた気がした。
毎日見続けた動画の中のジーノの言葉は覚えてしまった。
「このチームからは何人もの選手が海外に旅立ち」
挨拶にさりげなく紛れ込む赤崎の名前。
「出会いは時に人生を変える」
それがジーノの語る代理人会社を立ち上げた理由だった。つまりは、男の人生を変えた人物の中に、確かに自分も存在したのだ。
(王子、俺はあんたから何にも聞いてない)
それは確かにラブコールだった。赤崎だけが理解しうる、強烈な愛のメッセージだ。何故ならあの別れの日に、男は移籍に悩む赤崎に言った。
「じゃ、もう終わりって事で」
「王子?」
「何?」
「終わりって、そんな簡単な」
「だって簡単だろ?手近が理由で始まっただけなのに、その理由がなくなるなら、もう意味なんて。そうじゃない?」
絶句する赤崎にジーノは微笑み、
「待ってザッキー、今更だ。ボクは2年もキミの存在に気付かなかった人間だよ?」
「……」
「だからもう……明日にでもまたキミを忘れてしまうだろう。最初から……たかだかそんな程度の関係なんだよボク達は」
と。
そして動画の中の男は、海外移籍に伴う選手の生活における精神的な負担について、赤崎が体験してきた苦労をまるで見ていたかのように語っていた。そして。
(選手はピッチの上の事だけに頭を使えばいい……か)
確固たる信念は男のそれまでの行動の裏付けにもなった。そして、男は同時に、
「なのにそれが上手くいかないのが現実で。ボクはボク自身の過去の経験から、選手にはバックアッパーが必要だと、強く感じました」
と語り、繰り返し繰り返し、出会いは人を変える、と。出会いに恵まれた幸せな選手生活だった、得る事ばかりの日々だった、と。その時の表情は、かつて二人だけの時によく見られた、ゆったりと穏やかに自分を見つめた顔と同じものだった。そして、そこにちらつく、どうしようも隠し切れない、あの。
(意地っ張りめ……)
手近以外何もない関係がなくなるだけだと言い放ったあの日、男の目には。
(俺も俺だ。何で気付かなかった?こんなわかりやすい、王子の!)
得る事ばかりだったと穏やかに笑う引退式の男の瞳には、どうしようもない未練の陰りが映し出されていた。これまでそれが見えなかったのは、ジーノが王子だったからだ。眩いほどの彼自身の放つ光が、その何もかもを有耶無耶にし続け。
再生する度何度ももらい泣く赤崎はこの日、ようやく日本の地にたどり着いた。そして、今から行うのは一つの賭け。現役の頃からオフの際まともに自宅にいた試しのない男が、万が一まだそこにいるなら、その理由はたった一つだ。
(ボクが必要ならいつでも連絡を、だって?一体何年経ってると思ってんだ?)
代理人会社の営業を偽装した、飼い主の、たった一声の、犬を呼ぶ声。かつて何度も赤崎に囁き続けたジーノの言葉もまた「ボクが必要?」だった。思えばいつも、必要としていたのは赤崎の方で、それを受け入れ続けていたのが、ジーノ、その人であったのだ。
(まだ俺があんたの犬のつもりでいるのか?だとすれば王子、あんた、ホント、本物の自信家だな)
誰しもが笑うような、そんな絶望的な賭けの前で、赤崎は迷いも不安も何もなかった。
(でもきっと俺も相当の自信家だ。なぁ王子。自分でも思うぜ)
赤崎は電車に乗りながら、想像する。かつて当たり前のように訪れたジーノのマンション。何度となく押した部屋番号のボタン。しばらく待つと、プツ、と回線が繋がる音がする。そして。
(王子はいつも素っ気ないんだよな。たった一言で切っちまう)
でも次の瞬間当然のように、ロックの外れた自動ドアは開かれた。まるでジーノその人と同じに、ドアは優雅で滑らかだった。
果たして今日の来訪は?居ないなんて考えもしない赤崎はジーノの一声を考えた。
(どちらさま?誰だっけ?そんなところか?いや、きっと)
そうして結局は赤崎の想像通り、ジーノはあの日々と一言一句変わらぬままに。
『ああ、ちょっと待ってて』
そうして次の瞬間、ドアは優雅に。それはつまり二人にとって、あまりにも当然の出来事というわけだった。
